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御刀さまと花婿たち  作者: はーこ
第二章
21/39

*18* 慟哭の雨

 ……かたり。

 わずかな物音で、桐弥(きりや)は目を覚ます。

 まぶたを持ちあげれば、ふさふさとしたなにかが、視界に覆いかぶさっていた。

 くりっとした茶色の瞳で桐弥をのぞき込んでいたのは、一匹の狐だ。


「……苦しい、風汰(ふうた)


 桐弥がすこし顔をしかめると、胸もとにのしかかっていた狐──風汰が、するりと飛びおりた。

 桐弥は布団から身を起こし、畳にちょこんと座った風汰の頭をなでてやる。


 風汰は桐弥が面倒を見ている狐だ。飼っているかというと、それは微妙だが。この狐はきまぐれで、じぶんの気が向いたときだけやってくるから。

 ただ、桐弥がなでてやるときもちよさそうに茶色の瞳を細め、ふさふさのしっぽをゆらす。なつかれているのは事実なのだろう。


 ヒュウウ……


 桐弥はつと、窓の外を見やった。

 今夜はやけに、風の音がきこえる。


「おまえが来るときは、いつも風が強いな」


 いつだってそうだ。風汰はこうして突然やってくる。

 桐弥に、なにかを知らせるように。


 ひとしきり風汰をなでた桐弥は、腰をあげる。

 次いで箪笥をあけ、白の着流しに今紫の袴をすばやくまとう。

 賢い狐は、桐弥の仕事道具が入った鞄の持ち手をくわえ、ずりずりと引きずってきた。


「行ってくる」


 最後に風汰をひとなでした桐弥は、鞄を片手に寮の自室を後にした。



  *  *  *



 風が強く吹いている。

 がさがさと木々の枝葉がざわめく闇夜。

 少年たちは、禍々しい気をまとう異形と対峙していた。


魚型(うおがた)の〝(ヤスミ)〟は、はじめて見るな)


 白く濁った目。うろこは闇にまぎれる黒と紫の斑もよう。

 体長は、ゆうに四メートルは超えている。

 鯉のようにも見えるが、尾びれが異様に長い。そして刃物のように鋭利なかがやきを放っている。

 先日の雀が可愛く見えるほど、巨大で殺意に満ちたあやかしだ。


(水場はこちらが圧倒的に不利だ。水中へ逃げられる前に、動きを止める!)


 チキリ。(あざみ)は〝(ヤスミ)〟から視線を逸らさないまま、短刀の鯉口(こいぐち)を切る。


「『(ばく)』──!」


 すかさず抜刀。しかし。

 莇が短刀を投げ放つよりさきに、〝(ヤスミ)〟がひれで激しく水面(みなも)を叩く。


 ──ばしゃあああっ!


「くっ……動きが速い!」


 打ちつける水しぶきを、袖でふせぐ。

 莇がひるんだ一瞬の隙に、〝(ヤスミ)〟はとぽんと水中へすがたを消した。


 莇はさっと周囲へ視線を走らせる。

 依然として、瘴気はただよったままだ。


「どこから攻撃が来るかわからない。気をつけろ」


 葵葉(あおば)に警戒をうながす。じぶんはともかく、彼は丸腰なのだ。もし〝(ヤスミ)〟に狙われたら──


「……縁代(よりしろ)?」


 返事が、ない。

 葵葉はそこにいる。岸辺にたたずんでいる。

 だが、様子がおかしい。


「……あめ……」


 水しぶきをまともにかぶったのか。葵葉は黒髪からポタポタとしずくをしたたらせながら、その場に立ち尽くしていた。


「冷たい、雨……」


「どうしたんだ」


「雨は、さむい……いやだ…………嫌だ嫌だ嫌だ! うぁあああッ!」


「縁代っ!」


 葵葉に莇の呼びかけは届いていない。突然髪をかき乱し、半狂乱になって絶叫をひびかせた。


(瘴気にあてられたのか!?)


 いや。初見で雀の〝(ヤスミ)〟を難なく滅した葵葉が、そう簡単に瘴気に取り込まれるとは思えない。

 だとすれば、べつの原因があるはず。


 すい──……


「っ! まずい!」


 水面がゆらめく。

 巨大な魚影が滝壺をのぼるさまを目の当たりにし、莇は血の気が引くのを感じた。


 ──ざばぁあんっ!


 滝の激しい水流を突き破り、〝(ヤスミ)〟がすがたを現す。

 巨大な魚型の影が、岸辺にうずくまる葵葉を覆った。


「させるか!」


 莇は夢中で短刀を投げ放つ。

 キンッ!

 火花が散り、〝(ヤスミ)〟がくりだした尾びれの攻撃ははじくことができた。が。


 ざぁあああ……


 雨の矢のごとく容赦なく打ちつける水しぶきに、葵葉が呆然と呼吸を止めた。


「あ……」


 ヒュンッ、ヒュルンッ。


 長い尾びれが、葵葉のからだにまとわりつく。

 それは、一瞬の出来事だった。


「──縁代ッ!!」


 莇がのばした手は、届かない。

 ざあざあと水が打ちつける滝壺に、葵葉は引きずり込まれていった。



  *  *  *



 ──雨は嫌いだ。

 冷たいから、独りの寒い夜を思いださせる。


「なんだよ! このなまくら刀、たいした(かね)にもなりやしねぇ!」


 あるとき、ひと振りの刀が森のなかに捨てられた。 

 山賊が神社の賽銭箱を荒らしたさいに、命乞いをする神主から欲深くも奪いとった刀であった。

 だが、売ってもたいした金にならぬと知った山賊は、その刀をためらいなく山中へ放りだしたのだ。


(……あぁ、()()すてられるんだ)


 おどろくべきことに、その刀には意識があった。付喪神がやどっていたのである。

 だからといって、産魂()まれたばかりの刀の付喪神は、どうすることもできなかった。

 むきだしの刀身のまま、ざあざあとふりそそぐ雨にただ打たれるだけ。そう思っていたのに。


 ごろごろと、ふいに空のうなり声をきいた。

 雷雲が近くまでやってきているんだろうか。


『まぁ!』


 そのときだった。どこからともなく、少女の声が届いた。


『あちらですわ、あるじさま、蘭雪(らんせつ)さま!』


 だれかが駆け寄ってくる。やはり、少女だ。

 だが不思議なことに、少女は足音がない。なにより身にまとう『気』が、人間のそれではない。


「おや」


 次いで、若い男の声がひびく。

 濡れた草を、ふみしめる音がする。


「今日はつづが、なんだか落ち着かないとは思っていましたが」


 ざあざあと、雨がふりしきるなか。

 霧の向こうから、甲冑(かっちゅう)をまとった武士が現れた。

 その武士は憤怒の表情をした竜の面をつけ、腰にひと振りの刀を提げている。

 なんとも恐ろしいいでたちだ。しかし武士がつむぐ声音は、おだやかなものであった。


「こんなところで、かわいそうに」


 武士は片ひざをつき、野ざらしにされた刀をひろう。


「おいで。御手入れをしましょう」


『さすがあるじさまです! そうしましょう、そうしましょう!』


 ──それが、蘭雪とその愛刀に出会った日の記憶である。



  *  *  *



「反りの浅い直刃(すぐは)。長さは二尺ほど、打刀(うちがたな)ですか。おや……地肌が無地ですね。これはめずらしい」


 蘭雪は捨てられていた刀を持ち帰ると、慣れた手つきで手入れをほどこした。

 手入れを終えると、顔全体を覆っていた竜の面をはずす。

 ともすれば女性のように柔和な顔立ちの美丈夫が、横たえた刀へほほ笑んだ。


「私はちょっと湯浴みをしてきます。その子をよろしくお願いしますね、つづ」


『はい、承知いたしました』


 濡れた甲冑を脱いだ蘭雪は、自身の愛刀を捨て刀のとなりに置くと、部屋を出ていった。


『はじめまして。わたしは鼓御前(つづみごぜん)といいます』


 行儀よく座った少女が、にこにことあいさつをしてくる。だが捨て刀がうんともすんとも言わないのを見ると、くすりと笑みをこぼした。


『恥ずかしがらないで、出ていらっしゃい』


 しばらく沈黙が流れ。

 鼓御前の目の前に、幼い少年がすがたを現した。人の子でいえば、六、七歳ほどだろう。


『打たれて百年ほどかしら。かわいらしい付喪神さんですね』


『……あんたも、付喪神なの?』


『はい。といってもわたしは磨上(すりあ)げられたあとなので、むかしのことはよく思いだせませんが』


『すりあげられた……?』


『雷に撃たれて、刃が焼けてしまったんです。なので焦げたところを研いでいただいたら、すこしちいさくなってしまいました』


 鼓御前によると、いまは脇差(わきざし)だが、以前は太刀(たち)だった。蘭雪からそう伝え聞いたと。

 太刀であったときの(めい)は磨上げられたときに削られてしまったため、鼓御前に以前の記憶はほとんどないらしい。


『あなたは?』


『……(なまえ)は、ない。無銘(むめい)とでもよべばいい』


『どうして森のなかにいたの?』


『山賊にぬすまれて、すてられた。まえは神社にいたけど、刀匠(おや)はしらない』


 なにせ、付喪神として自我をもって間もない。

 おのれがいつ、だれに打たれたのかもわからない。

 ただひとつわかることがあるとすれば。生まれ故郷もわからないほど、何度も何度も、捨てられてきたということだけだ。


『……おれは、おもしろくない刀なんだって』


 無銘はぽつりとこぼす。

 途切れ途切れの記憶のなか、人間のひとりがじぶんに対して言っていた言葉だ。


 刀の価値を決めるもののひとつが、刃文(はもん)だ。

 刃文とは、刀身に浮びあがるもようのことである。刃文は鍛錬の仕方によって決まり、種類もさまざま。

 だが無地の着物より、花鳥風月といった四季彩(しきさい)ゆたかな華やかな反物のほうが目を引くだろう。

 刀もそれとおなじ。刃文が直線的で、地鉄も変化に乏しい無地。そんな無銘のことを、だれも必要とはしなかった。


『あんた、あのにんげんと話ができるんだろ? それなら、おれのこと折るようにいってよ』


 じぶんはなぜ生まれたのか。

 必要とされないなら、存在する意味などないはずだ。

 だからはやく、終わりにしてほしかった。

 もう……疲れたのだ。


『──なんてことをいうんですかっ!』


 それなのに。無銘が望む『終わり』を、彼らは与えてはくれなかった。

 うつむく無銘のほほを、鼓御前が両手でつつみ込む。


『あるじさまはわたしのすがたが見えているわけでも、声がきこえているわけでもありません』


『でも……さっき、しゃべりかけて』


『わたしのことを物ではなく、ひとつの命としてたいせつにしてくださる。蘭雪公はそういう方なのです』


 無銘は言葉をうしなった。

 ひとつの命として、たいせつにする?

 鋼の塊でしかない刀を?

 そんな人間がいるものか。


『現にあるじさまは、あなたの御手入れをなさいました。終わらせることではなく、つないでゆくことをおえらびになったのです。それなのに、折ってほしいとか簡単に言わないで!』


『──っ!』


 雷に撃たれるとは、こんな感覚なのだろうか。


『無銘。あなたは、なんですか?』


『おれは……刀』


『そうです、あなたは刀です。思いだして。表面的な美しさだけが、刀の価値を決めるのではないでしょう』


 鼓御前の言葉を受け、無銘は反芻(はんすう)する。


(おれは、刀……)


 刀とは、鋭い刃を持つものだ。

 その斬れ味で、敵をねじ伏せるものだ。


『わたしは一度焼けてしまいました。ですから、あるじさまがおえらびになったあなたが、今度はわたしの代わりに、あるじさまを守ってくれませんか?』


 ……そうだ。そうだった。


(おれは……刀なんだ)


 こんな当たり前のことを、どうして忘れていたのだろう。


(おれは、刀だ!)


 そのことを思いだした夜。


「まっすぐな直刃。鏡のように澄んだ無地の地肌。よく鍛えられたんでしょうね。強靭な、よい刀です」


 無銘の刀身を見つめながら、蘭雪がつぶやく。


「『木の葉の泣き声が聞こえる』……と、つづが言っているような気がしました。そしてそのさきに、きみがいました」


 幼い付喪神のすがたをした無銘と、蘭雪の視線がまじわることはない。それでも。


「私といっしょに闘ってくれますか──青葉時雨(あおばしぐれ)


 青々としげった木の葉から、しずくがしたたるように。

 この涙を、悲しみに暮れる声を、聞き届けてくれるひとがいた。


 名もなき捨て刀(じぶん)が必要とされたその夜のことを、何百年、何千年たとうと、青葉時雨は忘れることはないだろう。



  *  *  *



 鼓御前に代わり、青葉時雨が蘭雪の実戦刀となった。

 数々のいくさ場を駆け抜け、敵を(ほふ)った。

 それでも蘭雪は鼓御前を肌身離さずそばに置いていたし、いくさ後も青葉時雨の手入れを怠ることはなかった。


(おれと、(あね)さまと、あるじの三人でいるんだ。ずっと……!)


 青葉時雨はそう信じて疑わなかった。

 けれど、時の流れとは残酷なもので。

 たったの数十年そこらで、蘭雪は死んでしまった。


『うそつき……いっしょにいようって言ったくせに……あるじのうそつき!』


『青葉……』


 蘭雪の墓の前で、泣きわめく青葉時雨。

 そんな弟の背に、鼓御前はそっとふれる。


『あるじさまは天寿をまっとうされたのです。それならばわたしたちも、公が生前望まれたように』


『……うん』


 わかっていた。人の一生が、儚いものであることは。

 だから鼓御前も、青葉時雨も、ともに墓に入ることにした。蘭雪がそれを望んだからだ。


 蘭雪の遺言を受け、かつての臣下たちがふた振りの刀を遺骨とともに埋める。


(あぁ……これでおれたちは、だれにも、邪魔をされずに……)


 大丈夫だ。たいせつなひとがそばにいるから、さみしくはない。

 土に埋もれた暗い暗い世界で、青葉時雨はそっと意識を手放す。

 あとには、深淵のような静けさにつつまれるだけ。


 ──けれど。

 だれかのそばにいたいというささやかな願いさえ、突然打ち壊される。


『……あるじ……あるじ!』


 滝のような土砂降りの夜のことだ。

 蘭雪の墓が、何者かによって掘り起こされたのである。


『姉さま……どこにいるの、返事してよ、姉さま!』


 ざあざあと、冷たい雨がふりそそぐ。


『ねぇ、おれを独りにしないでよ……あるじ……姉さまぁっ!』


 冷たく凍える雨の夜、青葉時雨は独り慟哭(どうこく)した。

 ぱきんと、みずからの命が折れる音を、最期に聞きながら。

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