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御刀さまと花婿たち  作者: はーこ
第二章
20/41

*17* 嫉妬

「これでよし、と」


 夜も深まる時分。

 神社にある自室にて。布団はもう敷き終えた。

 あとは部屋着の浴衣から寝間着へ、鼓御前(つづみごぜん)が着替えようとしていたそのときだ。

「ごめんください」と、若い男の声が聞こえてきた。


「あのお声は……!」


 考えるよりさきに、鼓御前は自室の障子を開け放った。

 足早に玄関へ急ぐ。そして応対していたひなの向こうに、よく見知った人物を認めた。


「これは立花(たちばな)さま。本日はどのようなご用件で……?」


「夜分遅くに恐れ入ります。……あぁ、つづ。ちょうどよかった」


「あるじさま! どうなされました?」


「きみに聞きたいことがありまして。葵葉(あおば)を見ていませんか?」


「葵葉ですか? いえ……」


 千菊(ちあき)がいうには、門限を過ぎても寮の部屋にもどっていないらしい。同室の(あざみ)から報告を受け、さがしているのだとか。


「御手入れのお稽古の後も、すがたがありませんでしたけれど……」


 葵葉は、警戒心が強い。

 鼓御前が復帰するまでにも、刺々しい態度で周囲を遠ざけ、だれも近づけようとしなかった。

 どう接すればいいのかわからないと、とほうに暮れたクラスメイトたちから相談を受けたことは、鼓御前も記憶に新しい。


「これまでも何度か授業を欠席することがありましたが、寮にもどっていないのははじめてです。つづのところに来ていないなら、もうすこし別の場所をさがしてみます」


「わたしもいっしょにさがします!」


 千菊が背を向ける前に、真白の袖をつかむ。


「あの子は独りの夜がきらいなはずです。そうですよね? あるじさま」


 しばし沈黙を挟んで、千菊がうなずく。


「えぇ……そうですね。()()は、ひと一倍さびしがりやでしたから」


 ならば、続く言葉は必要ない。

 さしのべられた千菊の手をとり、草履を履いたとき、「鼓御前さま」と呼び声がある。

 この時間だ。夜道は危ない。引きとめられるかと思ったが──続くひなの言葉は、鼓御前の予想とはちがったものだった。


「少々お待ちいただけますか?」


 そうとだけ言ったひなは、家の奥に引っ込み、なにかを手にしてすぐに玄関へもどってきた。

 見たところ、女性物の朱色の長羽織のようだった。


「先日制服をお持ちいただいたさい、虎尾(とらお)さまからお預かりしたものです。もし鼓御前さまが夜間に外出することがあれば、こちらをおわたしするように、と」


(はな)ちゃんおねぇさまが、わたしに……?」


 鼓御前はおどろくとともに、ふと気づく。


(朱色一色かと思ったら、細かなもようがあるわ)


 朱色の長羽織に目をこらすと、微細な点が、扇状につらなるもようが見えた。

 鮫小紋(さめこもん)。そのむかし、鮫の皮はどの皮よりも厚く硬いと信じられていた。転じて、厄除けや魔除けの意味が込められる。


『アタシが守ってあげるから、怖いものなんかないわよ!』


 心強い虎尾の言葉が、目に浮かぶようだ。


(わたしはこの目で見て、この耳で聞いて、この足で歩くことができる)


 おのれはもう、ただの物言わぬ鋼の塊ではないのだ。

 だれかのために、みずからの意思で行動することができる。


 そんな鼓御前を、虎尾もひなも、引きとめることはしない。

 囲って守るのではなく、信じて、背を押してくれる。


「みなさん……ありがとうございます」


 朱色の長羽織に袖を通すと、ほっと安堵するような感覚をおぼえる。

『守ること』に特化した性質ゆえだろうか。鼓御前の神気に、虎尾の霊力はよくなじんだ。その感覚は、どこかなつかしさにも似て。

 たいせつなものが、こうしてすこしずつ増えてゆく。


「行ってきます!」


 力強い後押しを受け、鼓御前は千菊とともに闇夜のなかへ駆けだした。



  *  *  * 



 雲が月を覆いかくす夜のことだった。

 白衣(びゃくえ)の袖と浅葱(あさぎ)の裾をはためかせながら、莇は暗い森のなかを駆けていた。


 木々が生い茂る森に、鈴蘭型のガス灯のあかりは届かない。

 しかし颯爽と駆け抜ける莇の視界は、赤い火の玉のようなものによって照らされていた。

 古くから鬼塚(おにづか)家が使役(しえき)する式神、鬼火(おにび)である。


「どこにいるんだ……!」


 葵葉のすがたが見えないことにいち早く気づいた莇は、すぐに千菊に連絡をとり、その許可を得て捜索に向かった。


『暮れの鐘』が鳴る午後八時以降、兎鞠島(とまりじま)の住民は外出が許されない。陰の気が色濃くなる夜間は、〝(ヤスミ)〟と遭遇する可能性が高まるためだ。

 例外として三級以上の(かんなぎ)は外出を認められるが、神官装束をまとうこと、帯刀を義務づけられる。


(寮や校舎のまわりはさがした。裏山(ここ)にいなければ、海辺のほうか……)


 あまり遠くへ行っていなければよいのだが。

 なんにせよ、夜が深まるほどに危険性は増す。時間はかけられない。

 莇ははやる気持ちをおさえながらも、冷静に周囲へ視線をめぐらせる。


(……あれは!)


 山道を流れる清流に沿って森の奥へ奥へと突き進んでいた莇は、その上流ではたと足を止める。

 (ひら)けた景色。滝壺が勢いよく水しぶきを立てるそばの岸辺に、人影を見つけた。


「……行け」


 莇はすぐさまふところから紙人形を取りだすと、ふっ……と息を吹きかける。

 紙人形は折り鶴へとすがたを変え、夜空の向こうへ飛んでいった。


 ざっ、ざっ。

 草履で草をふみしめながら、莇は岸辺に座り込んだ少年──葵葉へ歩み寄る。


「こんなところにいたんですか。門限はとうに過ぎていますよ。寮の部屋におもどりください」


 厳しく叱責したわけでも、深く追及したわけでもない。

 だがなにが気に食わなかったのか。ひどく憎らしげに顔をゆがめた葵葉は、莇からふいと顔を逸らした。


「はいはい。わざわざご苦労でしたね、優等生クン」


「……縁代(よりしろ)さん」


「おまえがいるのに、もどるわけないだろ」


 吐き捨てる葵葉。つまりは、莇に対して腹を立てているということだろう。


(こういった反応には、慣れている)


 葵葉の敵意を前にして、莇はふと、過去に思いをはせた。



  *  *  *



 ──忌み子め。


 呪われた子のままでいるわけにはいかない。

 莇は、努力しなければならなかった。

 努力することは、当然だった。

 そして血のにじむような努力の末になにかを達成しても、「当然だ」と、周囲のおとなたちはほめてなどくれなかった。

 どれだけあがいても、莇が忌み子であることに変わりはなかったから。


「……鼓御前さまを傷つけてしまったことは、ひとえに、わたしが未熟であったことが原因です」


 憧れのひとを、この手で傷つけてしまったこと。

 何度も思い返し、何度でも悔やむ。


 葵葉はきっと、たいせつな姉を傷つけられ、莇へ怒りをあらわにしているのだろう。その激情は正当なものだ。……けれど。


「わたしがわたし自身を責めることを、鼓御前さまはお望みになられなかった」


 ──はやく おげんきに なりますように。


 何気ない言葉に、どれだけの真心が込められていたことだろう。

 文を贈られたとき、莇ははっとした。

 後悔ばかりで立ち止まったままでは、なにも変われやしないのだ。そう気づかされた。


「ですから、わたしは心に決めたのです。おやさしいあの方を、二度と傷つけることはしない。そのために強くなるのだ──と」


「ハッ、きれいごとだな」


 葵葉は鼻を鳴らし、莇の言葉を一蹴する。


「おまえ、ほんとうの孤独っていうのを知らないだろ。だれにも必要とされず、じぶんがなぜ生まれてきたのかもわからない……そんな地獄みたいな思いを」


 葵葉は莇を見ようともしない。常磐(ときわ)色のまなざしは暗い影をおび、虚空を見つめている。


「俺はずっと、独りだった……けど(あね)さまだけは俺のそばにいてくれた。姉さまは俺のすべてなんだ。なのに、それなのに……おまえが姉さまを奪っていこうとするから!」


 怒りに任せて、葵葉は地面を殴りつける。


「姉さまには俺がいればいいんだよ。人間の世界なんて知る必要はない。なのに、ずかずかと土足で踏み入りやがって……俺と姉さまをぐちゃぐちゃに引き裂いて、楽しいかよ!?」


 夜の闇がゆれる。

 心の底から、葵葉は憤慨していた。

 その怒りを一身に受け、莇はぐっとくちびるを噛む。


「……なら、こちらも言わせてもらいますが」


 いけない、『この感情』は。

 黒くて、どろどろして、『よくない感情』だ。

 だけれど莇は、それをもうおさえきれそうになかった。


「おれだって、あなたのことが嫌いだ」


 あぁ、言ってしまった。

 一度口にしてしまえば、堰を切ったようにあふれだす。

 言葉が、感情が。


「鼓御前さまを独り占めするから、嫌いだ。わがままで自分勝手で、嫌いだ。ずっとそばにいたくせに、あの方を困らせてばかりいる。ずっとそばにいたのなら、どうしてあの方のお気持ちをだいじにしてさしあげられない!?」


「こいつ……っ!」


 気づいたときには葵葉に詰め寄り、胸ぐらをつかんでいた。

 葵葉の言うとおりだ。莇は優等生(よいこ)だった。

 ──だからこそ、魂がふるえるほど激昂するのは、生まれてはじめてだった。


「おれのほうが、ずっとあの方をたいせつに想ってきた。どんなにつらいことも、あの方を想えば乗り越えることができた。それなのに、どうしてあなたなんだ……『そこ』にいるのがおれじゃないんだ! 身勝手なあなたなんかより、おれのほうがずっと鼓御前さまをだいじにしてさしあげられるのに!」


 ひがみ? ちがう。これはそんな生半可な感情じゃない。

 ──嫉妬だ。莇は葵葉に嫉妬していた。

 からだじゅうが怒りに燃えて、どうしようもないほどに。


「『えらばれた』ならあがけよ! なんで投げだすんだよ! 『えらばれなかった』おれが、みじめじゃないか!」


 頭に血がのぼって仕方ない。

 目頭まで熱くなって、もうなにがなんだか。

 それでも莇は、引き下がらなかった。

 みっともなくても、本心をぶつけたかったから。


「あなたが歩み寄ろうとしない限り、だれもあなたに歩み寄ってはくれないよ」


「──!」


 絞りだすような莇の言葉に、葵葉が常磐色の瞳を見ひらく。


「おれはあなたから鼓御前さまを奪ったりなんかしない。独りが嫌なら、簡単なことだ。あなたもこっちに来ればいい」


「そんなこと、言われたって……いまさら、どんな顔して……」


「ごちゃごちゃ悩むひまがあるなら、一歩をふみだしてみればいい。歩み寄るひとを、けっして拒んだりしない。鼓御前さまはそういう方だろう」


 胸ぐらをつかんでいた莇の手は、いつしか葵葉の手首をにぎっていた。


「おれはあなたのことが嫌いだけど、ほんっとうに嫌いだけど、悲しい思いとか苦しい思いをしてほしいわけじゃないから」


「っ……!」


 葵葉はうつむく。その肩は小刻みにふるえていた。


「……おまえは……お人好しだな……」


 憎まれ口を叩く葵葉だけれども、さきほどまでの威勢はない。


「なんとでも」


 言いたいことは、すべて言った。

 まだちょっと目頭のあたりが熱かったが、莇はつんとあごをあげて知らんぷりをする。

 ぐっと腕を引けば、葵葉が立ちあがった。


「さっさと寮にもどって、反省文を書いてもらうからな」


「めんどくせー……」


「自業自得だ」


 葵葉はもう、莇を振りはらうことはしなかった。

 ふたりは軽口を叩きながら、下流に向かって歩きだす。


 ざぶ──……


 ふと、莇は妙な水音を耳にした。

 夜道を先導していた鬼火が、突然かき消える。


「なんだ……?」


 葵葉が警戒のまなざしを周囲に向けるころ。

 莇ははじかれたように、葵葉の肩を突き飛ばしていた。


「──避けろっ!」


「なっ……!」


 ──ヴンッ!


 莇と葵葉のあいだを、突風が吹き抜ける。


「くっ……!」


 莇は身をよじるようにして、大きく崩れた体勢を即座に立て直す。 

 ちらりと視線を向ければ、すぐ足もとの地面が深く抉られていた。

 すんでのところでかわすことができなければ、莇はいまごろ八つ裂きになっていただろう。


(空間を薙ぎ、地面を深く抉る『なにか』──)


 山に住む動物のしわざではないだろう。

 なにより、ついさきほどまで感じられなかった瘴気が、不気味に渦巻いているのを感じる。


 ざばぁんっ!


 突如巨大な水柱があがり、冷たいしぶきが雨のように降りそそぐ。

 莇は腰帯に提げた短刀に手をかけ、身がまえた。

 やがて、『それ』はすがたを現す。


「……〝(ヤスミ)〟」


 滝壺のなかから現れたのは、(くじら)よりも大きな魚型(うおがた)の異形であった。

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