*15* 授業
神薙高等専門学校。
門をくぐり、玉砂利の細道を抜けたなら、重厚な瓦屋根が目を引く木造二階建ての建物が見えてくる。
この場所こそが、神職者を養成する学び舎である。
「そういえば、たのまれごとをされてたのを思いだしたわ」
校舎へ到着するなり、虎尾がわざとらしく切りだす。
これに桐弥は嘆息した。
そもそも神社を出るさいに、鼓御前の付き添いはじぶんだけで事足りると主張した。にもかかわらず、「行き先はおなじなんだからいいじゃな〜い?」と笑顔で押しきられてしまった。
その時点で嫌な予感はしていたのだ。
「そういうわけで、つづちゃんはアタシと行きましょうねっ!」
じとりと睨みを寄こす桐弥などおかまいなしに、虎尾は鼓御前の手を引っぱってゆく。
「花ちゃんおねぇさま!?」とわけもわからないままに、鼓御前が後をついていくと。
「おはようございます、御刀さま」
虎尾に案内されたのは、一階にある教員室だった。
そこで、物々しい竜頭の面をつけた青年に出迎えられる。
虎尾はというと、「ちゃんと送り届けたからね〜」とだけ言い残して、教室のある二階へさっさと向かってしまった。
「おはようございます、あるじさ……ではなくて、先生」
千菊がかしこまったあいさつをするので、鼓御前もそれにならった。
しかしぎこちなく会釈をしたところで、くすりと頭上で笑みがこぼれる。
「急に呼んでごめんなさい。虎尾先生が出勤前に神社へ寄るとのことでしたので、きみをつれてきてほしいとお願いをしたんです」
「あのう、わたしになにか……?」
「つづも今日から本格的に学校生活がはじまるでしょう? その前に、あらためて紹介しておこうかと思いまして」
「紹介……ですか?」
「はい。きみのサポート、手助けをしてくれる学級委員長さんです」
千菊はそういって、おもむろにふり返る。
そこでようやく、鼓御前は気づくことがあった。
千菊のうしろに、少年がひとり。
「あなたは──!」
その少年を目にした鼓御前は、驚きをかくせない。
「……先日は、お手紙をありがとうございます。鼓御前さま」
──莇だ。
間違いない。学ランを身にまとった莇がすこし照れくさそうに、鼓御前の目の前ではにかんでいた。
* * *
本日も晴天なり。
しかし、陽だまりの射し込む教室で黒板を背にした鼓御前は、そわそわと落ち着きがなかった。
というのも、向かって左側に立っている莇のことが、気になって気になって仕方なかったため。
「莇と申します。新入生代表として、学級委員長の役職をたまわりました。せいいっぱいつとめさせていただきます。よろしくお願い申し上げます」
よどみなく言葉をつむぎ、完璧な角度で礼をする莇。洗練された言動は、一目で育ちの良さをうかがわせる。
「御刀さまとおなじく、莇さんも今日から復帰します。みなさん仲良くしましょうね」
教卓の前で、千菊がおだやかに生徒たちへ語りかけるが──
「姉さまと肩をならべるとか何様だ。ふざけてんのか。離れろ離れろ離れろ……」
なにやら教室の奥のほうから、怨念のような言葉がきこえてくる。
言わずもがな。最後尾にある窓際の席で腕組みをした葵葉が、心底不機嫌そうに莇を睨みつけている。
(えーっと……仲良く、できるかしら?)
相変わらず攻撃的な弟の様子に、鼓御前は早くも不安をおぼえるのだった。
──そのとき、鋭く細めた瞳で葵葉を睨み返した莇のことを、鼓御前は知らない。
〝慰〟との闘いで、莇は全治二週間の重傷を負ったはずだ。
「お怪我は大丈夫なのですか?」と恐る恐る問う鼓御前へ、莇はうなずいてみせた。
「ご心配にはおよびません。わたくしは鬼塚の家系でも、特別回復が早い体質なのです」
そのため通常なら回復まで二週間かかる頭部外傷も、三日で完治したのだと。
「治るのが早くても、痛い思いはしてほしくありません。これからは、無理はなさらないでくださいね……?」
心配のあまり泣きそうになっている鼓御前を目にして、莇ははたと呼吸を止める。それから、ぽ……とかすかにほほを朱に染めた。
「……そんなふうに心配してくれたひとが、ほかにいただろうか」
「莇さん? お顔が赤いです。もしや体調が……?」
「あっいえ、お気になさらず!」
と、このような鼓御前と莇のやりとりが、朝のホームルーム後にくり広げられたのだが。
「あれは、決まりだな」
「あぁ。ぜったい好きだろ、委員長」
なにせ、鼓御前に対する莇のいろんな感情が、だだ漏れなので。
一連のやりとりをながめていたクラスメイトたちは、ほぼ全員察していた。気づいていないのは、おそらく鼓御前本人だけだろう。
「いくら名門鬼塚家出身の委員長でも、鼓御前さまのお付きの覡になるのは難しいよなぁ……」
なぜなら、すでに圧倒的な存在感を放つ三名が、覡候補の座に君臨しているから。
まぁ、そのうちの一名は、かなりの厄介者のようだが。
「あ〜ねさまっ」
「きゃっ……!」
莇と立ち話をしていた鼓御前は、突然うしろへ引き寄せられるのを感じた。
腰にがしりと腕が絡みついており、身動きがとれない。鼓御前が困ったように見上げると、案の定笑顔の葵葉にのぞき込まれていた。
「もう、葵葉ったら……いきなりびっくりするでしょう」
「一限目は移動だろ? 俺と行こうよ、姉さま」
鼓御前がたしなめても、葵葉は聞いているようで聞いていない。
「失礼ですが。ぶしつけに御刀さまへふれるのは、いかがなものかと」
どうしたものかと鼓御前が考えていると、莇が苦言を呈した。葵葉も負けじと反論する。
「俺の姉さまにふれてなにが悪い。ひがみはよせよ」
「弟であることが事実だとしても、いまのあなたは人の身です。御刀さまの意に添わぬ言動は見過ごせません。立場をおわきまえください」
「はぁ? 俺が姉さまに無理強いしてるとでも言いたいのか?」
「ちょっ、ちょっと待ってください、ふたりとも落ち着いて!」
みる間に、教室に剣呑な空気がただよいはじめる。
慌てて仲裁する鼓御前だが、莇と葵葉は睨みあったまま。
「一年生のみなさん。これから三年生の先輩方と、合同授業ですよ。遅れないようにしましょうね」
そこへ、どこからともなく千菊が現れる。
「なんてタイミングのいい……」
ぼそりとつぶやく葵葉。
千菊はなにを思ったか。竜頭面からのぞく口角をゆるりと持ち上げて、こうのたまう。
「『みんな仲良く』──ですよ」
* * *
授業の開始を告げるチャイムが鳴りひびく。
教室から場所を移り、鼓御前は校舎の裏手にある稽古場をおとずれていた。
「はーい、新入生のみなさんははじめまして。三年生担任の虎尾でーす。覡名は花虎尾からきてるわ。花ちゃん先生って呼んでね!」
ぱちんっ。虎尾がお得意のウインクを炸裂させる。
「強烈なひとだな……毎日顔合わせるとか、先輩たち大丈夫ですか?」
「いや、慣れたら無害だ。俺たちからしたら、『鬼神』が担任のおまえたちのほうが気の毒だよ……」
「ひぃぃ……お慈悲を!」
「なんか失礼なこと言われてる気がするわね」
「元気がいっぱいなのはいいことです」
「立花センセって、オトナの対応ねぇ」
鼓御前はふむふむとうなずきながら、「立花先生はおとなの対応」とメモ帳に記した。
読み書きの練習もかねて、見聞きしたことをこうしてメモしているのである。
ちなみに鼓御前は千菊と虎尾に挟まれるかたちで、生徒たちと向きあっている。いい機会なので、ふと疑問に思ったことを質問してみた。
「あのう、みなさんお召しかえをしたようですが、袴の色がちがうのは意味があるのですか?」
そう。ふだんは学ランすがたの少年たちが、和装に着替えていたのだ。
全員白衣をまとっていることは共通しているが、差袴の色がちがう。
「三年生のみなさんは、袴が紫色。一年生のみなさんは若葉色。あら? でも莇さんだけ浅葱色ね。どうしてかしら……?」
法則性がまるでわからない。鼓御前が首をひねっていると、「いい質問ね!」と虎尾が声高に口をひらく。
「それなら縫製局の責任者でもあるアタシが、覡の階級制度について、説明してさしあげましょう!」
虎尾は「見てのとおり、覡の階級は袴の色で示されるわ」と説明しながら、ホワイトボードをふり返る。そして左手に持ったマーカーで、以下のように書きだした。
●見習い:若葉色
入学時レベル。
●三級:浅葱色
在校生レベル。
●二級:今紫色
在校生レベル。
●一級:今紫色(藤の白紋つき)
教諭レベル。
●特級:白色(藤の白紋つき)
特例レベル。
「ウチに入学したばかりの新入生は、みんな袴が若葉色の見習いさんからはじまるわ」
三級と二級はどちらも神薙高等専門学校在校生レベルだが、取りあつかうことのできる刀剣の種類が異なる。
三級は短刀のみ。二級になると脇差や打刀、太刀というふうにあつかえる刀剣も増えてゆく。
一般的には一年をかけて覡の基礎をまなんだあと、二年生進級時に三級への昇格試験を受けるらしい。
「莇ちゃんがすでに三級の階級持ちなのは、特例のひとつね」
莇は神宮寺家の系譜である鬼塚家の出身だ。〝慰〟に対抗すべく、幼いころから英才教育がほどこされている。
「だから御三家出身の覡は、飛び級することがめずらしくないのよ。あぁ御三家といえば。九条ちゃん、こっちにいらっしゃい」
「…………」
「はい、あからさまに嫌そうな顔しないで、さっさと来る!」
三年生のなかでそしらぬ顔をしていた桐弥を、虎尾が問答無用で呼びつける。そして渋々やってきた桐弥の腕に、がしりと自身の腕を絡みつけた。
その瞬間、逃げ道を絶たれた桐弥の形相といったら。同級生たちすら、ぶるりと戦慄した。
「はーいちゅうもーく。凄腕の手入れ師で有名な九条ちゃんの袴も、三年生のみんなとおなじ紫色ね。でもよーく見ると、お花のもようが浮かびあがってくるでしょ?」
「ほんとうですね……藤のお花が見えます!」
「古くから藤は魔除けの象徴とされてるわ。そんなわけで、覡でも達人の領域になる一級以上の階級には、袴に藤の白紋をほどこすのが決まりなの」
そういう虎尾も和装をアレンジした袴風のパンツスタイルだが、よくよく見れば桐弥と同様に藤の白紋が浮かびあがってくる。
「一級ともなると、アタシみたいにこの学校の先生になれまーす」
「……僕が出てくる必要はなかっただろ」
「優秀な教え子を自慢したいセンセーゴコロよ。照・れ・な・い・の」
「これが照れているように見えるなら、いますぐ医者にかかったほうがいい」
桐弥はしかめっ面で虎尾を振りはらうと、ため息まじりに白衣の袖のしわを伸ばす。
「あれが視線で人を殺せるとうわさの、『沈黙の九条』か……」
「九条先輩、こっわ……」
一年生は桐弥とその毒舌を、はじめて目にしたのだろう。虎尾相手にも容赦ないそのすがたに、震えあがっていた。
「ちなみに立花センセは、歴代でも数人しかいない特級の覡。このレベルになると〝慰〟より怖いわね。人間辞めてるみたいなもんだから」
「はは、照れますねぇ」
もちろん虎尾はほめていないし、千菊もそれを理解している。
「特級の覡さま……」
じっと千菊を見つめる鼓御前。先ほどの虎尾の説明どおり、純白の差袴には藤の白紋が刻まれていた。
『鳴神将軍』と恐れられていた蘭雪だが、その戦闘能力は転生してもなお健在らしい。
「さて。ひととおり説明が終わったところで、実技授業に移りましょうか」
頃合いを見て、千菊が虎尾から話を引き継ぐ。
「今日は三年生のみなさんに教えてもらって、刀のあつかい方をまなぶのだという内容でしたね」
ひとびとは、どんな気持ちで刀をにぎっているのか。
鼓御前が興味津々に生徒たちを見つめていると、まさかの言葉が頭上からふり注ぐ。
「つづ、お手伝いをしてもらえますか? それから──莇さん、こちらへ」
「あっ、はい! わかりました!」
「おれが……?」
反射的に返事をする鼓御前。
莇は予想外の展開だったのか、思わず素になって目を白黒させていた。
当然のごとく葵葉や桐弥から鋭い視線が飛んでくる。しかし千菊は一切動じることなく、にこやかに告げる。
「ふたりが『お手本』を見せてあげてください」




