*14* 桜並木の道へ
花香る卯月の朝。
兎鞠神社の敷地内にある平屋の一軒家を、桐弥はおとずれていた。
かこん。規則正しい鹿威しの音が、庭のほうからきこえてくる。
ほどよい静けさにつつまれた居間。湯呑みを手にして、どれくらいたったろうか。
「お待たせいたしました」
す……と障子がひらいて、鼓御前が居間に入ってくる。桐弥と目があうと、そのほほにぽっと朱が灯る。
「その……いかがでしょうか? 父さま」
もじもじと恥ずかしそうにしている娘を、桐弥は座布団に腰を落ち着けたまま、じっと見上げた。
鼓御前は白のセーラーに、緋色のプリーツスカートを身につけていた。これ自体ははじめて目にするものではない。
前回と大きく異なる点は、プリーツスカートが膝下のロング丈になっていること。
黒タイツが依然として採用されている点も評価できる。丈が短ろうが長かろうが、どこの馬とも知れん野郎どもにかわいい娘の素足を見せる義理は皆無だからだ。
「悪くない」
「ちょっとー、『かわいい』って素直にほめてあげたらどうなのー?」
桐弥は湯呑みに口をつけようとして、ぐっと眉根を寄せる。
「……またあんたか」
「『なんでいるんだコイツ』みたいな言い方やめてちょうだいねぇ。つづちゃんの衣装係のアタシがいるのは、当たり前よ」
やはりというか、鼓御前に続けて居間にやってきたのは、虎尾だった。
正直のところ、桐弥は虎尾が苦手だ。わが道をゆき、『沈黙の九条』と恐れられる桐弥が、唯一ペースを乱される相手。
「担任のセンセーだもの」と虎尾はうそぶくが、それにしたって、虎尾はやたらとかまってくる気がする。それはなぜなのか、桐弥はいまだに理解できない。
……が、「素直にほめたらどうか」という虎尾の言い分ももっともだ。
桐弥はしばし思考をめぐらせる。そして「ほめ言葉」に分類されているであろう語彙を、引っぱりだしてみた。
「……似合っている」
「あらあら、それだけ?」
「……変なやからにつれて行かれないか、心配だ」
「んま! 明日は雪でもふるのかしらねぇ」
「おい」
ほめたらほめたでこれだ。解せない。
仏頂面で茶をすする桐弥ではあるが、それを目にした鼓御前は、にっこりとはにかむ。
「父さまにほめていただけました。うれしいです」
いじらしい蕾が、ほころんだような笑みだった。
目の前の存在が、愛おしい。だいじにしたいと、桐弥は思う。
(この子は娘で、僕は親。いまもむかしも、それは変わらない)
この胸の愛情は、純粋な親心からくるものだ。それなのに。
(あの竜面小僧がじじいどもを焚きつけたせいで、面倒なことになった)
──私たち三名のなかから、御刀さまがお付きの覡をおえらびになります。
──異論は、ございませんね?
査問会議がおこなわれた夜。『典薬寮』の重鎮たちも、まさか糾弾する対象から脅されるなどとは思いもしなかっただろう。
(あれは、腹の内が読めん男だ)
千菊の思惑に加担したのは、結果的にそうなっただけだ。
(妙な真似をすれば、あのハナタレ小僧よりもさきにくびり殺してやる)
桐弥にとって、鼓御前は絶対的な存在。あだなす者はことごとく敵。即刻葬り去る。単純明快な行動原理だ。
「花ちゃんおねぇさま、父さまはどうされたのでしょうか? すごく……こわい顔をしていらっしゃいます」
「親バカこじらせてんじゃない?」
桐弥が黙り込んだかと思えば鬼の形相をしているので、鼓御前は困惑。虎尾は「やれやれだわ」と肩をすくめるのだった。
* * *
島の住民なら、だれもが知っていることなのだが。
兎鞠神社の敷地内は、癒やしの効果をもつ霊力に満ちた『霊域』だ。
「過剰な霊力にさらされた御刀さまは、すくなからず神気の乱れが生じる」
「でも父さま、わたしはへいきですよ?」
「気を失ってここに運び込まれたやつがよく言う。いいから寝てろ。勝手に出歩くな」
「ふ、ふぇえ〜!」
病院での一件後。鼓御前は『霊域』にてしばし療養をおこなう方針となった。
問答無用で鼓御前を布団にころがした桐弥は毎日欠かさず神社をおとずれ、娘の容態を確認する徹底ぶり。さすがである。
今朝になり、ようやく桐弥の『お許し』が出た。
そんなわけで、鼓御前はようやく登校することが叶う。入学式以来、三日ぶりのことである。
「たいへんお待たせしました!」
鼓御前が身支度を終え、玄関へ向かうころ。
台所のほうから、ぱたぱたとひなが駆け寄ってきた。
ひなは手にした手提げ袋を、鼓御前へさしだす。ベージュに桃色の小花もようがなんとも可愛らしい、かぎ針編みの手提げ袋だ。
「お弁当と、あたたかいお茶の入った水筒をご用意しました」
「まぁ、ありがとうございます!」
「食事はひとりでできるのか」
「はい、ひなさんにお箸の使い方の特訓をしていただきましたもの!」
この三日間、鼓御前は外出を禁じられていた。
ではなにかできることはないかと考えたときに、人間が毎日おこなう食事、つまり箸の使い方を学ぼうと思いいたった。
「お箸で小豆をつまんで、お皿からお皿へうつして……お箸の使い方だけじゃなく、字の書き方も教えていただいたんですよ」
まだつたない面も残るものの、ひとりで食事だとか、ある程度の読み書きもできるようになった。特訓の賜物だ。
「お手紙も書けるようになりましたし…………あっ!」
できるようになったことを指折り数えていた鼓御前は、はっと息をのむ。
「ど、どうしましょう……」
「あらつづちゃん、おろおろしてどうしたの?」
「莇さんにお手紙を書いたのですけれど……名前を書くのを忘れていました!」
手紙は何度か書き直し、いっとうきれいに書けたものをえらんだつもりだ。
しかしつたえたいことを書くことに必死で、差出人の記名を失念していた。
「いきなり知らないひとからお手紙がきて、莇さん、お困りですよね……!?」
「そのことでしたら、心配はいりませんわ」
あたふたと慌てる鼓御前をよそに、ひなが「ふふっ」と笑みをもらす。
「お手紙も押し花の栞も、鼓御前さまが心を込めて贈ったものです。その想いは、あの子にもつたわっているはずです」
「そう、でしょうか……そうだと、いいのですが」
「つたわっています、きっと。……あの子のために、ありがとうございます、鼓御前さま」
ふいにひなが深々とお辞儀をするので、鼓御前もつられて、
「こちらこそ。いろんなことを教えていただき、ありがとうございます」
と自然に頭が下がる。
じんわりと胸にひろがったぬくもりが心地よくて、鼓御前はなんだかうれしくなった。
あらためてひなに礼を言い、鼓御前は玄関を出る。
「そんなに持てるのか」
一足さきに外に出ていた桐弥が、「貸してみろ」と手を伸ばしてくる。
鼓御前はリュックタイプの革製の通学鞄を背負っていて、そこに手提げ袋を持っているのだ。大荷物で大変だろうという過保護ゆえの言動である。
そんな桐弥に対して、鼓御前はかぶりをふる。
「大丈夫です。お弁当も水筒も、つづのものです。つづがちゃあんと持っています!」
ひながせっかくじぶんのために用意してくれたのだ。だからじぶんが持っていたいのだと、鼓御前は思う。
(これが、『物をだいじにしたい』という気持ちなのかしら)
鼓御前が手のなかのものに愛着を感じているように、鼓御前自身もだいじにされてきた。
だからこそ、付喪神として産魂まれた。
──たしかに愛されていることを、実感できた。
「こどもの成長ははやいものねぇ、オトーサマ?」
「……おしゃべりしてるひまがあったら行くぞ」
からかうような虎尾のまなざしを受け、桐弥はふいとそっぽを向く。べつに親離れがさびしいとかではない。断じて。
「あっ、お待ちください父さま!」
軽やかに駆け寄る足音をきき、桐弥は歩調をゆるめた。いけない。娘は小柄なおんなのこなのだから、ゆっくり歩いてやらないと。
「行ってきます、ひなさん!」
「はい、行ってらっしゃいませ」
桐弥と肩をならべた鼓御前は、ひなをふり返り、手をふる。
みずからの足で一歩をふみだした朝。ひらひらと薄桃色の花びらが舞う桜並木の向こうに、澄んだ青空がどこまでも続いていた。




