幕間 幸福の花
白いシーツ、白い天井。
わずかに開けた窓のすきまから、ときおり春の陽気をまとった風が迷いこむ。
そのたびにゆれるカーテンさえも、真っ白だ。
白は無垢の象徴。だからこそ、おのれが場違いな存在であることを突きつけられる。
「……おれは、なにをやっているんだろう」
ほかにだれもいない病室で、莇はつぶやく。
そこで、窓ガラスに映ったじぶんに気づく。酷く情けない顔だ。莇はたまらず、陽だまりから背を向けるようにしてベッドから足を投げだした。
──忌み子め。
──呪われた子。一族の恥さらし。
今回の件で、生家である神宮寺家の者たちになんと言われているのか。
そんなこと、いちいちきかずとも知れたことだった。
「鼓御前さまを、傷つけてしまうなんて……っ!」
御刀さまを守るべき家の者が、霊力を暴走させてしまったのだ。
莇自身が、いちばんにおのれを責めていた。
叶うことならば、いますぐにこの喉笛を引き裂き、死をもって侘びたいほどに。
けれど、それはできない。
──よく聞け。その首の痣は『しるし』だ。
莇がみっともなく逃げだすことを、彼は許してはくれなかった。
──これだけは忘れてくれるな。
──おまえが、鬼塚の末裔であることを。
鬼塚の血すじは、島の者たちから嫌われている。
それゆえ起源をおなじくする神宮寺家の傘下となり下がり、細々と暮らすようになったというのに。
(それなのに、どうして伯父上は……いや、義父上は、あんなにお強いのだろう)
莇はじぶんを息子として引き取ってくれた彼に、思いをはせる。
義父は鬼塚がみなから疎まれていても、それを恨むことはしなかった。
毅然とこうべを上げ、前を見据えていた。
そのひろい背を、いつだって莇は追いかけていた。
──義父上は、なにを教えてくださろうとしているのですか?
そう問いかけることは、もう叶わないけれど。
(……申し訳ありません、義父上)
莇はうつむき、くちびるを噛みしめる。
(おれの存在は、御刀さまを傷つけます。こんな未熟者は、おそばにいないほうが……)
無意識のうちに、莇は首に手をあてていた。
ここに痣がある限り、じぶんを誇り高い人間などと思うことはできない。
それは、これからも変わることはないのだろう。
……ひらり。
ふいに、風がそよぐ。ゆれるカーテンが、莇の丸まった背をそっとなでた。
ひらり、ひらり。
うなだれた莇の視界に、淡い色彩の『なにか』が映りこんだ。
折り鶴だ。薄桃色の千代紙で折られた鶴で、桜のもようが描かれている。
莇は思わずまばたきをした。
ひらり、ひらり。不思議なことに、薄桃色の折り鶴は軽やかに宙を舞い、莇のもとへやってくる。
「これはまさか……式神?」
さそわれるように、莇は折り鶴へ手をのばす。
指先にふれた刹那、淡い光が視界を埋めつくす。
莇にふれた折り鶴は、やがて薄桃色の一筆箋へとすがたを変えた。
やはり、式神だ。霊力者が連絡手段に使うものである。
「いったいだれが……」
思わず身がまえる莇。そして次の瞬間、はっと息をのんだ。
『はやく おげんきに なりますように』
枝垂れ桜。
雨風を除けて満開に咲く桜のもようの一筆箋に、たどたどしい筆文字でそう記されていた。
ところどころ墨がにじんでいる。こどもが書いたような字だ。
わけもわからずにいると、莇はふと、指先の違和感に気づく。一枚の紙にしては、厚い。
それもそのはず。一筆箋のうしろに、同封されているものがあったのだ。
押し花の栞だ。白い和紙にたんぽぽの花が一輪だけおされた、素朴な栞。
「……あぁ」
とたん、ため息にも似た感嘆が莇の口からこぼれる。
送り主の名は書かれていない。けれど莇は、だれがこの文を送ったのかわかった。
「こんなおれのことを、許してくださるのですか……鼓御前さま……っ!」
たんぽぽは幸福の象徴。
そして別の名を、鼓草という。
これで気づかないほうがおかしい。
「あぁ、鼓御前さま……鼓御前さま……!」
声がふるえる。胸がふるえる。
こころが、ふるえる。
細胞のひとつひとつにいたるまで、莇は全身で歓喜した。
どれだけ存在を否定されようと、ひとたび彼女に肯定されるだけで、生きる意味となる。
「もうすこしだけ、おそばにいてもいいですか……? あなたさまを想うことだけは、どうか……」
文と栞を胸に抱き、莇はひとすじの涙を流す。
たんぽぽの花。こぶりな黄色の花は、ちいさな太陽のよう。
それは孤独なこころに、想いを咲かせた。




