*13* 査問会議
『典薬寮』とは、〝慰〟に対抗するため、武装神職者によって組織された特殊機関のことである。
その本部は、満月型の兎鞠島中心部、島全体を見渡すことのできる高台の上に置かれている。
宵の口。二十四畳の大広間にて、査問会議が急遽執りおこなわれる運びとなった。審理対象として呼びたてられたのは、立花千菊、九条桐弥、そして縁代葵葉の三名だ。
「では、弁明があるならばきかせてもらおうか。立花特級神使、九条一級神使」
大広間の上座側に、橙灯明が置かれている。ゆらめく橙のあかりが、三人の人影を映しだした。
しかし御簾が下がっているため、彼らの素顔をうかがうことはできない。この場を取り仕切っているからには、それなりの地位にいる覡なのだろうが。
「こっちに非があること前提かよ。しかも、俺のことシカトだし」
問答無用で呼びつけておいて、座布団も用意していないとはどういうことか。葵葉は盛大にため息をついた。
(『典薬寮』にとって、霊力者としての教育を受けていない俺は『取るに足りない存在』なんだろ)
ふてくされた葵葉は、あぐらをかいたひざに頬杖をつくと、ふと脇目をふる。
不満をあらわにした葵葉とは対照的に、千菊と桐弥は静かなものだった。背すじをのばし、毅然とした態度で批判を正面から受けとめている。
張りつめた静寂のなか、千菊が沈黙をやぶった。
「ご報告があがっているとおりです。御刀さまをめぐった一連の騒動につきまして、事実に相違はございません」
「よくも悪びれもせず……お付きの覡でもない者が許可なく御刀さまを持ちだすことは、重大な違反行為であるぞ!」
御簾の向こうで、影のひとつが声を荒らげる。
(うるさいじじいだな……)
葵葉は顔をしかめつつ、千菊を見やる。やはり、動じた様子はない。
じっとなりゆきを見守るうちに、葵葉はふと疑問をおぼえた。
(それより、妙だな。立花センセなら、こうなることはわかりきってただろうに)
かつて葵葉のあるじであった蘭雪は、数々のいくさを勝ち抜いた歴戦の猛将だ。
一騎当千の実力はもちろんのこと、蘭雪は兵法にも精通し、その策略で敵を圧倒することもすくなくはなかった。
蘭雪の生まれ変わりである千菊が今回のような下手を打つなど、葵葉は不思議でならない。
鼓御前を連れだすにしても、ばれないよう、千菊ならもっと上手くやったはずだ。
(てことは、あの人が姉さまを見舞いに誘ったのは、わざとか? なんのために?)
しばし思案して、葵葉はすぐにかぶりをふる。
(いいや、やめだ。あの人がなに考えてるのかわからないのは、むかしからだ)
なにを思って、鼓御前を莇と会わせたのか。それを追及したところで、千菊が口を割るはずもない。
(ただひとつ、わかることがあるとすれば──ここはもう、あの人の舞台ってことだ)
この状況下で、千菊はみじんも取り乱してはいない。むしろ竜頭面からのぞく口もとを、可笑しげにゆるませているのだ。それがなによりの証拠だろう。
(さて、あんたはなにをするつもりなのか。俺は高みの見物をさせてもらおうか)
にやり。葵葉の口もとから、自然と笑みがこぼれた。
「この者らは、御刀さまへ真名を明かしてはならない掟をやぶった。即刻除籍し、島外へ追放すべきだ」
「異論はない」
「では、其の方ら三名の神使資格を、剥奪処分とする」
「これ、話し合いの意味あるか?」
厳しく追及した挙句、こちらの言い分もきかず一方的に処遇を言い渡す。これを名ばかりの査問会議と言わずして、なんとするのか。
「それではこれより、『禊』を執りおこなう」
そして、肝心の罰則が間髪をいれずに科せられるようだ。
「掛けまくも畏き、伊邪那岐大神──」
三名の男たちが、代わる代わる祝詞をあげはじめる。祓詞だ。
ちなみに葵葉らは人間であって、〝慰〟ではない。
「立花センセ。一応きくけど、これどういう状況?」
「『禊』ですね。人、とりわけ覡に対する祓詞は、記憶を消し去る際に用いられるものです。仮にも刀剣をあつかう知識と技術をもった者を、島外へ追放するわけにはいきませんから」
「それもそうか」
『禊』とは、要するに覡をただの人に変えるための儀式なのだろう。
「諸諸の禍事罪穢、有らむをば──」
そうこうしているうちに、祝詞も終盤にさしかかる。
しゃらん、しゃらん。
御簾の向こうから、紙の束をふるような音がきこえる。おそらく大麻だろう。
やがて葵葉たちの座る畳に、光りかがやく五芒星の陣が浮かびあがった。
「せっかちにもほどがあるだろ。なぁ、いよいよヤバイんじゃないか? どうすんだよ」
「なにも」
「は? 大人しくやられろってか?」
思わず片ひざを立てた葵葉に対し、千菊は告げる。
「いいえ。そこで黙ってごらんなさい」
──手を出すな。
千菊の意図を察した葵葉は、釈然としないながらも口をつぐむ。
「祓ひ給ふ真名をば──立花千菊、九条桐弥、縁代葵葉」
「……これは」
葵葉が違和感をおぼえた、次の瞬間。
──カッ!
まばゆい光が、視界を真白に埋めつくす。
やがて五芒星は消え去り、宵闇を橙灯明が照らす大広間の景色がもどる。
「これでよい」
「いくら『鬼神』といえど、記憶がなければ只人よ」
「さて、船の手配を。明朝には島外に──む?」
祝詞の奏上は無事終わった。
だというのに、何故だ。静かすぎる。
男たちが寒気を感じたとき、畳にのびた影が不規則にゆらめいた。
ゆらり……
おもむろに顔をあげた千菊が、御簾に向かって笑む。
「これで、満足ですか?」
「なっ……まさか!」
「祓詞がきいていない、だと!?」
予想外の出来事に、男たちは震撼。思わず立ちあがった拍子に、御簾が大きくゆれた。
「どういうことだ!」
「落ち着け、もう一度だ。記憶を消し去らねば、この者たちはふたたび御刀さまを持ちだすに違いない。それだけは……!」
「──ごちゃごちゃと五月蝿いな」
ここで、沈黙をつらぬいていた桐弥が発語する。怒りをあらわに、低くうなるように。
「御刀さまを持ちだすだの、持ちださないだの。おまえらにとって、あいつは持って出歩ける『装飾品』でしかないんだな。──馬鹿も休み休み言えよ、小僧ども」
「んなっ……!」
容赦なく、辛辣な言葉をまくし立てる桐弥。紫水晶のまなざしにやどった闘志が衰えていないのは、依然として記憶を引き継いでいるあかしだ。
これに、男たちはうろたえた。
「何故だ……何故……」
「さーて、なんでだろな?」
「貴様っ……」
しまいにはくく、と葵葉が嘲笑したため、男たちの混乱も最高潮に達する。
「みなさまがとなえたのは、たしかに私たちの真名です。逆を言えば、その程度でしかありません」
「なにを言っている……!?」
「はて。神宮寺家のご息女が、みなさまへご報告なされたはずですよね。私たちが何者であるのかを」
「──っ!?」
そうだ。たしかに神宮寺家の娘、ひなから報告があった。だが『それ』は、あまりに信じがたいこと。現実に起こりうるはずがないと、男たちが笑い飛ばしたことで。
「あらためて、ごあいさつ申しあげます。私は前世の名を、鼓御前の主、立花蘭雪と申します」
「九条派が祖、九条紫榮。忘れずに記録に付け加えておけ。おまえたちのいう御刀さまは、僕が打った刀だと」
「号は青葉時雨。蘭雪公しか使えなかった俺のあつかいづらさは、折り紙つきだぜ?」
──あり得ない。けれど、疑いようがない。
真名で縛ったはずの者たちが、何食わぬ顔で口上をのべているのだから。
「あなた方が縛ったのは、今世の私たちの名のみにすぎません。しかしこの身には、かつて御刀さまと生きた魂がやどっている」
「かの菅原道真公が学問の神とあがめられているように、永く信仰されれば、人も神格を得る。御刀さまほどではないがな」
「つまりあなた方が人の子である限り、私たちをどうすることもできないということです。ご理解いただけましたか?」
「そんな、まさか……」
千菊、桐弥に相次いでたたみかけられ、男たちはひるむ。
しばしその様をながめていた千菊は、ぱんっと両手を打ち鳴らした。
「さて。誤解も無事とけたところで、みなさまにご相談があります」
「そ、相談……?」
おうむ返しのごとく千菊へ問い返す声音は、打って変わって弱々しい。
あまりの衝撃に理解が追いつかず、どう接すればよいのかはかりかねているようだ。
そんな男たちをよそに、千菊は意気揚々と続ける。
「えぇ──あなた方が小僧風情とあなどっていた私たちと、私たちの愛しい御刀さまの今後について、です」
……ぞわり。背すじが凍るような感覚に、男たちはすくみあがる。
『蘭雪在るところ、竜の怒り在り』
単なる言い伝えではない。目の前にいる竜頭面の男は、あまたの人々を恐れおののかせた伝説そのもので。
「──ちょっとごめんくださーいっ!」
すぱぁん! と勢いよくふすまがひらいたのは、まさにふいの出来事だった。
* * *
静まり返る大広間に、すたすたと少女が乗り込んでくる。
葵葉は目を白黒させた。寝間着に男物のジャケットとちぐはぐな格好をしているが、その少女はまさに。
「姉さま!? なんでここに!」
「はい、鼓御前でございます! いきさつは花ちゃんおねぇさまにうかがいました。居ても立ってもいられず、こうしてお邪魔したしだいですわ!」
「はなちゃん……だれだそれ」
「ハーイ、アタシが花ちゃんよ。皆々さま、こんばんわぁ」
「え、なんか変なのきた……」
鼓御前に次いで、長身の男がすがたをあらわす。たしかに男であるはずなのに、女のような言動が葵葉の思考を鈍らせる。
虎尾の登場により、反応を見せた者がもうひとりいた。桐弥だ。ふだんはあまり表情を変えない桐弥だが、このときばかりは眉をひそめている。
「……あんたか」
「ちょっと九条ちゃん、そんなあからさまに嫌そうな顔しないでよ。担任の、センセーでしょ!」
「天、そんな特級呪物捨ててこっちにこい。毒されるぞ」
「わわっ、父さま……!?」
「アタシのお気にのジャケット特級呪物あつかいするの、やめてくれるぅ!?」
虎尾が抗議するも、桐弥は完全無視。鼓御前が羽織った虎尾のジャケットを手ではたき落とすと、娘の腕を引いて自身のもとへ抱き寄せた。
突然のことで足がもつれてしまった鼓御前だが、なんとか体勢を立て直し、桐弥のとなりにちょこんと座った。
「んもう、失礼しちゃうわ」
ぶつくさ言いながらジャケットを拾いあげる虎尾へ、千菊が声をかける。
「虎尾先生がいらっしゃるとは思いませんでした」
「あらそーう? アタシは女の子の味方だからね。われらが御刀さまのかわいいおねだりに応えてあげただけよ」
「はい、わたしが花ちゃんおねぇさまにおねがいしました。『典薬寮』のみなさまに、どうしてもお伝えしたいことがありましたので!」
鼓御前はふんす! と胸を張ると、御簾の向こうの人影へ向き直る。
そして道中に予行練習した文言を、満を持して告げるのだった。
「こちらの千菊さまはかつてのあるじ、蘭雪さま。桐弥さまはわたしの父、紫榮さま。そして葵葉はともにいくさを勝ち抜いた弟、青葉時雨にちがいはございません。この鼓御前が、保証いたします!」
決定的なひと言だった。こうして鼓御前により、千菊らの発言が真であることが証明されたのだ。
「神はうそをつかないわ。これでおじいさま方もおわかりでしょ? 御刀さまと彼らを引きはなすことが、どんなに無意味なことか」
「しかし……近年増加傾向にある〝慰〟に対抗できるのは、御刀さまのみ。そして御刀さまに霊力を供給する専属の覡を、早急にえらばねば……」
「あら、なにをかん違いしてんのよくそじじいども。えらぶのはアンタたちじゃないでしょうが」
「なっ……」
情け容赦ない言葉を放った虎尾は、一変。ゆるりと口端を持ちあげてみせる。桐弥、千菊、そして葵葉へ、順に視線をやりながら。
「えらぶのは御刀さまよ。そこははき違えないでちょうだい」
正論だった。もはや反論の余地はない。
「虎尾先生、ありがとうございます。説明の手間がはぶけました」
「説明っていうより、アタシは認識のズレをただしただけよ。あとはよきにはからってくださいな、立花センセ?」
「では、お言葉に甘えまして」
虎尾の後押しを受け、千菊が居ずまいをただす。
おかしい。竜頭面に覆われ表情が見えないはずなのに、冷ややかな笑みを向けられている気がする。三人の男たちは身震いをした。
「あのう、ひとつよろしいですか?」
このタイミングで、おずおずと鼓御前が挙手をする。この場にいるだれもが、鼓御前へ集中した。
「はい、どうかしましたか? つづ」
「きけば専属の覡さまを、わたしがえらぶのだとか」
「えぇ。〝慰〟を滅するため、御刀さまに霊力を供給し、正しくふるう者が必要です。とくに私たち三名はきみとゆかりも深いので、お付きの覡候補として最適ではないかと、みなさまにご提案をさしあげようと思っていたところなのですよ」
提案という名の圧力だけどな、と思わなくもない葵葉だったが、素朴な鼓御前がそれを知るよしもなく。
「そうだったのですね!」
納得したように鼓御前がうなずく。それから、こてりと首をかしげた。
「それでしたら、わたしからもおねがいがあるのですが」
「おねがい、ですか?」
「はい。莇さんの一件があって、ずっと考えていたのです。わたしはまだまだ、未熟者であると」
そのとき、何気なく放った言葉が千菊をぴくりと身じろがせたことを、鼓御前は知らない。
「莇さんが取り乱してしまったのも、きっとわたしの配慮がいたらなかったせいなのでしょう。人の心を、わたしはまだ理解できていない……」
鼓御前は、そっとおのれの胸に手をあてる。息苦しい思いをしたけれど、自問した答えが、いまならわかる。
「この身は刀の付喪神なれど、人の身を得たからには、わたしも人の心を知りたいのです。だって、わたしの意思でふれることも、言葉を交わすこともできるんですもの。ただの鋼の塊には、できなかったことですわ」
ぎゅっと胸の前でこぶしをにぎりしめ、鼓御前は前を向く。紫水晶のまなざしで、まっすぐに未来を見据えて。
「ですので、わたしもみなさまの一員として、学び舎で学ばせていただきたいのです。未熟者ゆえに、千菊さまや桐弥さま、葵葉……いろんな方の力をお借りすることがあると思いますが、みなさまに愛想をつかされないよう、わたしもがんばります! 一生懸命、人の心を学びます!」
「ふはっ、なんだそれ!」
こらえきれず、葵葉がふきだす。
桐弥は、おどろいたように目を丸くしている。そして。
「ふふ……はははっ!」
千菊が笑い声をひびかせた。いつもおだやかな笑みにとどまっていた彼が、高らかに。
「まいりましたね。私が望んでいることを、つづがあっさり叶えてしまいました」
「あれっ、もしかしてわたし、余計なことをしましたか!?」
「いいえ? むしろ望むところといいましょうか」
「えぇと……ご期待に添えられたなら、よかったです?」
しなやかな腕で、鼓御前を抱き寄せる千菊。
鼓御前としてはその行動の意味をいまいち理解できなかったが、「あるじさまがごきげんならきっと正解だったんだわ」と前向きにとらえることにした。
「つづはいいこですね」
「ちょっとあんた、姉さまにベタベタしすぎ」
「調子に乗るなよ、小僧ども」
千菊が鼓御前の頭をなでていると、すかさず葵葉が割り込み、桐弥が睨みをきかせる。
「人と刀は片時もはなれず、寄り添うもの。まるで夫婦のように。──さながら御刀さまと、その花婿たちってところかしら?」
かたわらで、虎尾がくすりと笑みをこぼした。
これはそう──人に愛された刀が、人を愛する心を知る物語。




