*9* 入学式
淡い青空が澄みわたる朝。
ひとしきりさえずった小鳥たちが、八重桜の枝で羽休めをしているころ。
「父さまぁ……」
畳にへたり込んだ鼓御前は、潤んだ紫水晶の瞳で、障子をあけたかつての父を見上げた。
居間をおとずれた桐弥はというと、その日はじめて目にした刀とそろいの紫の双眸を、険しく細める。
「なんだその格好は。丈が短すぎる」
「まったくでございます。すぐに『典薬寮』の縫製局へ苦情と、制服のつくろい直し要請を入れておきます」
鼓御前が着ていたのは、白を基調とし、差し色に緋色を取り入れたセーラー服。
一見して巫女装束を思わせる清純なデザインを装いながら、スカーフと同じ緋色のプリーツスカートは、ひざ上よりはるかに短い。
いくらなんでも短すぎる。これでは見えてしまう。なにがとは言わないが。
はりきって鼓御前の身支度を手伝っていたひなも、いまでは笑みという笑みを削ぎ落とし、桐弥に同意を示す。目は完全に据わっている。
「はしたないなまくら刀で、ごめんなさい……」
「おまえが謝ることじゃない」
殺気立つ桐弥とひなに畏縮してしまったのか。鼓御前のうなだれた頭を、ひとつ嘆息した桐弥がなでる。
ひなが用意した黒タイツのおかげでギリギリ許せるが、あれがなければ鼓御前を外にも出さなかっただろう。
どこの馬の骨とも知れん野郎どもに、かわいい刀の素足を見せる義理など存在しないからだ。
「おまえは僕が打った最高の刀だ。必要以上にじぶんを卑下するな。低俗な人間どものことなど顎で使う心づもりでいろ」
「えっ? それはさすがに……」
「いいな、天」
「は、はい、父さま!」
真顔の桐弥に押し切られてしまった。
反射的に返事をした鼓御前は、このときになってやっと気づくことがある。
「あのう、父さまも見慣れない『着物』をお召しになっていますが、今日はなにかお祝い事でもあるのでしょうか?」
鼓御前のいう『着物』とは、桐弥が身にまとった学ランのことだ。
紺青生地の肩まわりがぱっくり割れており、下に着たワイシャツがのぞく。そのさまは、神社の者が祭事などで正装として身にまとう狩衣の意匠を彷彿とさせる。
「えぇ、もちろん。本日は鼓御前さまの晴れ舞台でございますからね!」
「わたし?」
高らかに声をあげるひなを前に、鼓御前が首をかしげたことは、言うまでもない。
* * *
国立神梛高等専門学校。
表向きには慎ましい神道系の学校を名乗っている。しかしてその実態は、対〝慰〟用の戦力、いわゆる武装神職者を養成する『典薬寮』直轄の極秘機関だ。
言わずもがな、学生や教員をはじめとした関係者は、ことごとくが霊力者である。
卯月のはじめ。例年どおり、厳しい入学試験をくぐり抜けた二十一名の新入生をむかえるはずだった。
が、新入生のうち一名の欠席、ならびに急遽あらたに二名をむかえて異例の状況下で式を執り行う旨が、冒頭、学長による祝辞でのべられた。
「それでは、新入生代表にかわりまして、御刀さま──鼓御前さまに、お言葉を頂戴いたします」
「は、はい……!」
神棚を祀ったステージ上で、まだ慣れぬ人の足をおぼつかなく動かしながら、鼓御前はなんとか壇上へ向かう。
「えぇと、急なお話だったもので、あまり上手なことは申し上げられないのですが……」
『マイク』というものの前で話すと、声がやたらひびきわたり、恥ずかしいことこの上ない。
さらに視線という視線を一手に引き受け、気分はもう泣きそうだった。
「ふつつかな刀ではございますが、どうぞよろしくお願いいたしますね。〝慰〟をやっつけるために、いっしょにがんばりましょう。えい、えい、おー! ……なんちゃって」
気恥ずかしさから、えへへ、とおどけてみせる鼓御前。
花がほころんだかのごとき可憐な笑みに、一瞬の沈黙後。
「女子だ……しかも超かわいい御刀さまぁ!」
「俺たちのむさくるしい未来に光が!」
「御刀さま万歳! 鼓御前さまばんざぁあい!」
すまし顔でパイプ椅子に腰を落ちつけていた新入生たちが、一斉に雄叫びをあげて歓喜する。
「はい、みなさん。もうじき式が終わりますので、ちょっとだけいいこにしましょうね?」
が、ステージ横の教員席から、柔和な声音が奏でられ。
「あ、申し遅れました、一年生担任の立花です。本校はクラスも担任も持ち上がりですので、卒業までの五年間、よろしくお願いしますね?」
発狂していた新入生は、いそいそパイプ椅子へ座り直すなり、がっくり肩を落とした。
なぜなら、物々しい竜頭の面をつけ、白衣に白袴と全身真っ白の装束を身にまとった男など、この世にはただひとりしか存在しないので。
「『鬼神』が担任とか……終わったな、俺らの人生」
「ほんとそれな……」
これは、上げるだけ上げて落とされた哀れな少年たちの、辞世の句である。
* * *
異例の入学式も、つつがなく終了した。
簡単に校舎内の見学が行われたあと、教室で明日以降の連絡事項を知らされ、新入生は解散となる。
「あるじさま──千菊さま!」
すべての日程を終えたのは昼前のはずだが、鼓御前が想い焦がれた青年の背へ駆け寄ることができたのは、それから小一時間ほどたってのことだった。
「おやおや。校内では『先生』でしょう?」
「ごめんなさい……がまんできなくて」
ふり返りざま、言葉では鼓御前をたしなめる千菊も、竜頭の面からのぞく口もとをゆるませる。まんざらでもなさそうだ。
「ほらね、また会えると言ったでしょう? 安心しましたか」
「はい、千菊さま……」
「ふふ、かわいい子。こっちにおいで、私のつづ」
「はいっ!」
いざなわれるがまま、千菊の胸へ飛び込む。
肺いっぱいに息を吸えば、たちまちほのかに甘い香りで満たされた。
千菊が白衣に焚きつけた、白檀の香らしかった。
木造の廊下ではヒノキが香り、窓からはあたたかな日光が射し込む。
(まるで、森のなかにいるような心地だわ)
しなやかながら力強い両腕にいだかれ、鼓御前はしばし幸福に酔いしれる。
「わたしも学生になって学び舎に通うなんて。まだ実感がなくて、ふわふわとした気分です」
「せっかく人の身を得たんですから、いろんな人と交流を深めるのも、悪くないでしょう」
それは建前で、『典薬寮』としては、『御刀さまの保護観察措置』としてこのような方針にいたったというのが、実際のところだが。
お上の意向よりも目前ではにかむ少女のほうがはるかにたいせつな千菊は、むやみに水を差すような真似はしない。
「クラスのみんなとは、仲良くできそうですか?」
「えぇ、みなさん口下手なわたしにも親切に接してくださって、うれしい限りです」
代わる代わるあいさつへやってきた少年たちのことを思いだし、鼓御前のほほがゆるむ。
神梛高等専門学校へ入学してくるほとんどが、男子である。
さらに十五歳であること、全寮制であるため、親元を離れて生活をはじめることなど、鼓御前はいろんなことを知った。
「きみは、だれのことを話すときも、愛おしげな目をしますね」
「永い永い時のあいだ、人々に愛され、付喪となった身ですもの。人の子を愛することは、刀として当然のことですわ」
「そうですか。……妬けますね」
「え?」
なにかつぶやかれた気がしたが、ゆるやかな笑みが返ってくるだけだ。
千菊にほほ笑みかけられると、決まって顔が熱くなる現象を、無垢な鼓御前はまだ理解できない。
「そ……そういえば、さきほどの式典にも葵葉のすがたがありませんでした! あの子がどうしているか、千菊さまはごぞんじですか?」
なんだか気恥ずかしくなり、思わず脈絡のない話題をふった鼓御前へ、さらりと返答がある。
「知っていますよ。ルームメイトのところに行っているはずです」
「るーむめいと……たしか、同じお部屋で暮らすことになるご友人、のことでしたよね?」
「そのとおり。よくできましたね」
千菊に頭をなでられ、うれしい半分、もう半分は疑問が浮かぶ。
今日入学式に出席していたクラスメイトとは、全員顔合わせをしたはずだ。
だが、そこに葵葉のすがたがなかったということは──
「つづもお見舞いに行きますか? あの子のルームメイトで、新入生代表の子は、あいにく怪我をして入院中なんです」
すべてを見透かしたような千菊の言葉に、鼓御前はうなずく以外の選択肢が思い浮かばなかった。
* * *
「これはまた、手酷くやられたものだ……」
「たいして実績のない若造を単独で現場へ向かわせるなど、早計だったのではないか」
「高い霊力をもつ『神童』といえど、所詮は人の子ということか」
莇が目を覚ましたときの気分は、はっきり言って最悪だった。
一から十まできかれているとも知らずに、コソコソと言いたい放題を。
包帯の巻かれた頭が訴える痛みより、胸にひろがる黒い感情が、なによりも不快だった。
「お荷物だな。実力もわきまえず、しゃしゃり出るからだ」
あのとき突き立てられた言葉の刃が、満身創痍のからだ、こころさえも、容赦なく切り刻む。
無力感に打ちひしがれる長い夜を、莇は独り、白いベッド上ですごした。
一夜明け、あるときのこと。病室のドアがひかえめにひらかれる。
「こんにちは。お見舞いにきたのですが……」
「お帰りください」
意地を張っていた。そう、腐りかけていたのだ。それは認める。
そうして投げやりな言葉を放ったすぐあとに後悔することを、莇は知らない。
「急にごめんなさい! ご迷惑でしたよね……うぅ」
鈴を転がしたような声音がきこえた。
──まて。『典薬寮』の関係者に、じぶんをたずねてくるような年若い少女がいたか?
シーツにくるまり、窓際へそっぽを向いていた莇は、思考を一瞬停止させたのち、はね起きた。
「お花、こちらに置いておきますね。邪魔者は退散します。おだいじに……」
いまにも泣きそうに眉を下げた、艷やかな黒髪の少女は、間違いない。
「──御刀さま!? これはとんだご無礼をっ!」
「きゃあ!? あ、莇さん! だめですよ、横になっていないと!」
ベッドからころげ落ちる勢いで土下座をくり出してきた莇に、顔面蒼白となって駆け寄る鼓御前であった。




