file2:始まりの音色 解答編(下)
「助手くん、先程の推理。あれが全てではないですよね」
「うん、ごめん。やっぱりひとみちゃんは気付いてるよね」
「えぇ。だって助手くんの推理通りなら、後野茉莉が動機を隠す理由がありません」
「そうだね」
【『file2:始まりの音色』記録再開】
前田さんが、夢野さんと何か話した後いきなり走り出した。何言ったんだ夢野さん……彼女のことだしきっと碌な事ではないんだろうと思う。あとでちゃんと注意しないといけない。
──そう。ひとみちゃんが指摘した通り僕が披露した推理では後野さんが動機を偽った理由がない。
先程の推理が全てなら、後野さんは初めから「殺されそうになったのでやられる前にやりました」と言えばいいのだ。殺人の罪自体を隠そうとしているならともかく、自分が殺したと自白はしているのに仲賀さんの殺人計画を隠すのは辻褄が合わない。
「なのにわざわざ動機を伏せていたのは、助手くんの推理が間違っているか、その先に隠したい真実があるか、です。
そして私は後者だと確信しました。今日の助手くんの推理披露は、格好良かった──じゃなくて、いつにも増して格好をつけた探偵風の語りでした。あれは、場の雰囲気を支配して隠したいものに目を向けさせない作戦だったんでしょう。ワルですね、助手くん」
その通りだ。僕がこれ見よがしに推理を披露したのは、決定的な矛盾──今の推理では後野さんが動機を隠した理由が無いということ──に気付かれないようにする為だ。
大きな衝撃の前に、過去の矛盾は忘れ去られる。それを狙っての大立ち回りだった。
……『いつにも増して格好をつけた』って言われた今?僕は普段も格好つけてると思われてるの?
僕の不安をよそに、彼女は一歩、二歩と僕から離れると、
「更なる真実への鍵は三つです」
「恥ずかしいなぁそれ真似されるの」
くるりとこちらに向き直り三本指を立てる。そしてそのうち一本の指を下ろし言った。
「第四の鍵は、仲賀芳香が引き抜きたかった──危険視していたのは、後野茉莉の声や作曲ではないということ。それらは仲賀さん自身がやると発言していたのを、前田さんが聞いています。
仲賀芳香が引き込みたかったのは"覚's"の書く歌詞だったのではないでしょうか。"覚's"は事前にソフトで作った曲を流していて、楽器は持たないそうですから」
更に指を折り言葉を繋ぐ。
「第五の鍵は、"覚's"の実態。"覚's"とは、後野茉莉一人を指す言葉ではないのだと思います。前田嘉鳴と後野茉莉で、前後不覚の不覚。私はこの活動名は二人によるグループだと主張していると受け取りました。ならば、前田嘉鳴は単なる付き添いでもマネージャーでもなく、グループの楽曲制作に携わっていてもおかしくありませんよね」
例えば──作詞、とか。
ひとみちゃんは憶測を言うような言葉で、けれど確信した口調で言う。
思えば前田さんは一度も自分のことを"覚's"のマネージャーだとは言わなかった。彼は自分の立場を説明する際には『裏方』と言っていたのだ。もし前田さんが壇上のみが表舞台であると考えているのなら、作詞家だって裏方だろう。
ひとみちゃんは、最後の指を下ろした。
「最後の鍵は、『後野茉莉は身内の為なら罪を被る可能性がある程優しい』ということ。これは前田嘉鳴が初めに言っていたことです。その時にはその可能性は否定しましたが、今は一つ可能性があります」
残った握りこぶしを解き、探偵は真相を語る。
「──仲賀芳香が殺害するターゲットにした人物は、前田嘉鳴だったんですね」
「……うん、或いは標的は前田さん後野さん両方だったかもしれないけれどね。まず間違いなく前田さんは狙われていた筈だ。そうでなければ後野さんの態度の説明がつかない」
「きっと後野茉莉は仲賀芳香に詰められ、ユニットを組めない理由として前田嘉鳴の存在を明かしたのでしょう。仲賀芳香は驚いたことでしょうね、彼の存在は殺人計画を根本から崩してしまう鬼札です」
仲賀さんが準備を進めていた殺人計画は、殺害対象以外に自分が"NaKa"だとバレていないことが前提だ。いくら偽名を使って逃げても、自分が"NaKa"であるとバレてしまっては簡単に身元を特定されてしまうのだから。
「計画を破綻させる第三者な上に、本来の殺害対象だった作詞家。仲賀芳香にとって前田嘉鳴は最優先で抹殺しなければならない対象です。そしてその殺意を前に、後野茉莉は……」
「前田さんを守る為に、仲賀さんを殺害した……。彼女がこの事実を隠したのは……前田さんに責任を感じてほしくなかったから、なんだろうね」
もし後野さんが初めから「仲賀さんに殺されそうなのでその前に殺した」と自供していたなら、前田さんは仲賀さんが直前に"覚's"の詞を狙っていた事実に思い当たったかもしれない。自分の作詞が原因で後野さんは殺人の罪を背負った、と前田さんが思ってしまってもおかしくないだろう。
後野さんはそれを嫌ったのだ。故に仲賀さんの殺意自体を揉み消すことで真実を隠した。
「『自白したのに動機を隠す犯人』は、大切な人を傷つけたくない想いが生み出したものだったのですね」
「けれどその想いは独りよがりだと思うよ。前田さんのことを信じていないってことだもの。
……いや。どちらかというと後野さんが信じられなかったのは、後野さん自身かな」
「後野さんが、自分自身を?」
「うん。彼女は、自分が前田さんに信じられているということを信じられなかったんだから。
前田さんは後野さんを信頼している。それを、自分が突発的に殺したことにすれば前田さんは傷付かない、なんて。前田さんがどれだけ後野さんを大切に思っているかが全くわかっていないじゃないか」
「信じられている自分を、信じていない……」
それにひとみちゃんは何を思ったのか。
しばらくの静寂が流れた後、彼女は僕の手を握ってきた。
「ひとみちゃ──」
「助手くん」
「………なんだい?」
「……私も彼女を、後野茉莉…さんを。信じたい、です」
「────!」
ひとみちゃんを見る。
彼女は僕の手を固く握ったまま、大切に言葉を紡いでゆく。
「彼女が人の命を奪った罪は消えません。社会は懲役や罰金によって罪を許しますが、それは遺族には知ったことではないですから。その十字架は一生背負っていかなければならないでしょう。
しかしそれでも、彼女の前田嘉鳴さんを思う気持ちは本物だった。良い悪いではなく、真のものだったと。私はそう信じたいんです。
そんな彼女が自分の罪をきちんと背負えると信じたい。彼女がだれかを幸せにできると信じたい。決して許されない彼女、その先行きの全てを信じていたい」
──許されない彼女を、許さないまま信じたいのです。
信じるのではなく、信じられるのでもなく、信じたい。
他人を信じられなかった少女から生まれた精一杯の願い。
「────」
それは綺麗事だったかもしれない。
それは他人事だったかもしれない。
殺人犯の今後に期待したいだなんて、もし被害者の身内だったなら同じことは言えなかったかもしれない。
けれど。
「僕もそう信じたいと思うよ」
僕は彼女のその言葉をずっと聞きたかったんだ。
『きみが人を信じられるようになるまでずっと、ぼくは──』
とある日の決意を幻視する。
僕が彼女の助手になった最初の事件。
遠い記憶を噛み締めながら、瞼を閉じた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
その日、教室に入るとまんなかで人だかりができていて、とてもさわがしかった。ぼくはだれかがゲームかマンガでも持ってきてるのかな、とのぞきこんだ。
ペンでぐしゃぐしゃに落書きされたつくえがあった。机につきたてられたコンパスがあった。ビリビリにやぶかれた教科書があった。
「大丈夫?にごりなきさん」
「ひどいよ!だれ、こんなことしたの!」
女子たちがひとみちゃんをかこんでなぐさめたり男子をにらんだりしている。つまりあれはすべてひとみちゃんがされたことなんだろう。
ぼくはひとみちゃんになにか声をかけるべきかとも思ったけれど、なにも言えなかった。
ひとみちゃんとはおさななじみではあるけれど、ぼくが男友達とばかり遊ぶようになってからは、とくに仲が良いわけでもなかったから。
ぼくが立ちつくしていると、ひとみちゃんは真っ白な顔のままよろよろと教室から出て行った。声をかけたかったけれど、こんなつくえがのこる教室によびとめることなんてできなくて。ぼくはあとからおいかけることにした。
ひとみちゃんは屋上手前のおどり場にうずくまっていた。屋上からさす光がただようチリをきょうちょうして、この場のホコリっぽさをきわだたさせる。
ぼくはしばらくどう話しかけたものかと考えたけれど、
「ひとみちゃん、ぼくの教科書使う?」
われながら気のきかないセリフだと思う。けれどひとみちゃんは少しだけ顔をあげて口をひらいてくれた。
「た……君尾、くん……」
昔とちがってみょうじで呼ばれたことに少しきずついたけれど、ぼくは気になったことを聞くことにした。
「ひとみちゃんならあんないやがらせをした犯人もわかるんでしょ。誰がやったの?ちゃんとあやまってもらおうよ」
ひとみちゃんは犯人がわかる目をもっている。すぐ犯人をきゅうだんできるんだから、泣きね入りするひつようなんてないはずだ。
「……目のこと、まだ、信じてたんだ…ですか。いつまで子どもみたいなこと言ってるのって、クラスでバカにされますよ」
「ぼくらみんな、まだ子どもだよ。だから考えなしに人をいじめたりするやつもいるんだ」
「……かっこつけ、です」
ぼくのこんしんのフォローは、ひとみちゃん的にははなについたらしい。かなりショックだ。……しかもさっきから会話にきょりを感じる。ひとみちゃんにけい語を使われるということが、思いのほか辛かった。
「……みんな」
「え、なに?」
「犯人だよ。みんな」
………え?
「だいじょうぶって聞いてきたアイちゃんも、だれがやったってさけんでたモコちゃんも、知らないって言ってた男子たちも、みんなみんなみんな……!」
「────」
言葉を、うしなった。
つまりは、あれはクラスぐるみのいじめだったのだ。
とんだ茶番だ。いじめの犯人たちにしらじらしく気をつかうフリをされるひとみちゃんは、一体どんな気持ちだっただろう。そうぞうしようとして、はき気がしたのでやめた。
とにかく。とにかくなにか言わないと。このままだまってちゃひとみちゃんはすくわれない。せなかをおせる言葉をかけてあげないと。
「ぼ、ぼくは、みかた……だよ?」
ぼくがなんとかひねりだした言葉だった。ひとみちゃんは今一人だ、きっと今ほしい言葉はこれなはずだ、と。
けれど。
「……たす……、君尾くんも、うらぎったくせに」
「えっ……」
「君尾くんもわたしをすてて、遊んでたくせに。楽しそうに、楽しそうに、楽しそうに!わたしのことなんて気にもとめないで遊んでたくせに!!」
「いっ、いや、ぼくは」
「みかたならなんでわたしがいじめられてるのとめてくれなかったの!?なんでわたしがそうだんしようとした時に友達をゆうせんして聞いてくれなかったの!?なんで──」
────なんでそれで、みかただなんて言えるの?
「…………」
そのいかりは、もっともだった。
ぼくはひとみちゃんがこまっているとき、そばにいなかった。クラスぐるみのいじめがおこなわれているのに、気づきもしなかった。……そんなぼくが、一体どの口でみかただなんて言っているんだろう。
「もう……」
かのじょは、そうして。
「もうなにも信じない」
心をとざした。
「じゃあぼくは君尾■■をやめて、ひとみちゃんの助手になるよ」
「……うぇ?」
とつぜんのわけのわからないせんげんにこんらんするひとみちゃん。
けれど、ぼくはつづける。
「助手っていうのはひとみちゃんをずっとそばでささえる人のことだよ。これからぼくのことは助手ってよんでね」
「き、君尾くん?なに言って──」
「ちがうよ、ぼくは君尾■■じゃない。ひとみちゃんをうらぎるダメな■■はもういないんだ。今日からぼくはひとみちゃんだけの助手になったんだよ」
「えっ、えっ?」
「助手はね、絶対うらぎらないんだ。なにがあってもひとみちゃんのみかたなんだ。ひとみちゃんのおねがいはなんでも聞くし、かくしごとはしないし……ずっと、ずっととなりにいるんだ」
手をにぎって、ひとみちゃんと自分に言い聞かせる。
「だからぼくを信じてほしいんだ。きみが人を信じられるようになるまでずっと、ぼくはきみが信じられる助手でありつづけるから」
きみがもう一度ぼくを■■とよんでくれる未来まで、ぼくは助手としてそばに立ちつづけるから。
──ドタドタとろうかを走る音が二つ。
ダン、と強く床をふみしめてとびらの前で止まったぼくらは、そのままいきおいよく教室にのりこむ。
教室中から向けられるしせんにびくびくしながらも。
ぼくの手をぎゅーっと強くにぎりながらも。
今うまれた新たなたんていは、人差し指をつき出して高らかにせんげんした。
「犯人は、あなたですっ!あと、あなたとあなたとそっちの人と~……!」
それがはじまり。
ぼくが■■から助手にうらがえった日。
本名はしばらく名乗らないことにした。
女の子一人まんぞくにたすけられないのに■■なんて名前負けもいいところだ。
ぼくは助手。
いつかひとみちゃんが人を信じられるようになって、ぼくのことをもう一度名前でよんでくれるその日までは。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「助手くん見てください。"覚's"の新曲、SNSで話題になってますよ」
「本当だホットワードにも上がってる。動画も…わっ数日で凄い再生数だ」
事務所でお茶をしながらPC画面を覗き込む。ネットニュースには『現役の服役囚と共同制作。賛否巻き荒れる話題曲』と見出しがあった。
「だいぶ炎上が後押しした形のムーブメントのようだけれど、楽曲自体は概ね好評みたいだ」
「どれ、聞かせて頂きましょう。私は歌にはうるさいですよ」
「五線譜も下から数えないと読めないでしょ」
「どこからドなのか分からないのでそれ以下です」
五線譜読めないひとみちゃんがクリックし、事務所内にアップテンポでキャッチーな音楽が流れ始める。けれど、僕の心はそんな明るい雰囲気と裏腹に曇ったままだった。それは後野さんの事件以降、数か月間ひとみちゃんとの進展が一切ないことに由来していた。
そう。ひとみちゃんが僕の名前を呼んでくれないのだ。
いや当然だ。僕が実名を名乗らなくなった理由は、彼女にちゃんと伝えたわけじゃない。ひとみちゃんが誰かを信じられるようになるまで名前を封印する──!とか彼女は知ったこっちゃないのだ。知ったこっちゃないのだが……。
「今更『昔僕が助手と呼べって言ったけどアレ無しね!名前で呼んで欲しいな~』とかどの面下げて言うんだ……」
思わず頭を抱えて一人ごちる。
「じょ、助手くん?ごめんなさい、音量が大きすぎましたか?」
「あぁいや、気にしなくていいよ……」
「気にもします。私は未熟なので、助手くんが万全でなければ事件解決も満足にいきませんし、日常生活もままなりませんし──」
それに、と。ひとみちゃんはまっすぐ僕を見据えて言う。
「なにより。助手くんが元気じゃないと、私が悲しいです」
────。
「……大丈夫、なんでもないよ。今日もサポートは任せて」
「はい。頼りにしていますよ、私の助手くん」
彼女に名前で呼んで欲しいのも、敬語をやめて欲しいのも事実だ。僕も健全な男子なので、彼女に異性として見てほしいとも、まぁ思う。
………けれど。
彼女のその笑顔が隣で見られるのなら、もう暫くは名探偵の助手に専念するのも悪くないかな、と。そう感じてしまった。
もう少し。もう少しだけ、この心地良い関係で。
「む、足音。依頼人ですかね」
「本当だ、また夢野さんじゃなきゃいいけど」
二人して身なりを整えて、視線を扉へ移す。
カランコロン、と。
来客を知らせる扉のベル。
新たな始まりを告げる音色だった。
【『file2:始まりの音色』記録終了】
きっと少女は気付いてる。
でもこの距離が心地良くて、甘えてしまうんだ。