file2:始まりの音色 解答編(上)
「殺人犯は──やっぱり後野茉莉だ。それはきっと、間違いない……」
突如襲う物理的な衝撃。
ゴシャッという音、揺れる脳。
鋭い痛みが左頬の内外を襲う。
僕は、殴られていた。
「きゃあっ!」
ひとみちゃんが悲鳴を上げるなんて珍しいな、なんて思う僕の体は宙を舞う。
「っざけんな!!マツリはやってねえって言ってるだろうが!!」
拳を振りぬいた前田さんの姿を視界の隅に捉えながら、僕は受け身も取れず床に叩きつけられた。全身に走る鈍痛。
「じょ、助手くんっ!きゅ、救急車!番号なんでしたっけ、え、XYZ?」
「いや警察かしら!?警察呼ばなきゃ、警察!」
「や、やっちまった、助手さん大丈夫か!?辞世の句とかあるか!?」
パニックになる現場。おちおち横になってもいられないようなので、痛む体を無理やり起こす。
「……大丈夫、口の中が切れただけだよ」
そう、僕は大したことない。それよりも。
「それよりも治療をするなら後野さんだ。彼女、ずっと顔色が悪くて足取りもおぼつかなかったでしょ。多分怪我をしてるんじゃないかな」
「「「え……?」」」
推理は彼女の手当が終わってから。言って僕は立ち上がり埃を払った。
──さて、僕は。
どこまで真実を明らかにしていいのだろうか。
【『file2:始まりの音色』記録再開】
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
僕らが旅館に到着した時に皆が集まっていたロビー、そこに再び僕らは揃った。始めと同じ構図、違うのは後野さんの腕に包帯が巻かれていることくらいだ。
後野さんの右腕には打撲痕があり骨にヒビが入っていた。
それを今まで隠して平静を保っていたのだから凄まじい精神力と言わざるを得ない。
「集まっていただきありがとうございます。名探偵に代わって僕の口から、この事件の犯人を明らかにしたいと思います」
息を呑む人々、そんな中でひとみちゃんは居心地の悪そうな顔だ。自分がまだ真相に気付けていないのに今のような口上を言われてばつが悪いらしい。けれど今言ったことは本心だ。
「ひとみちゃん」
「は、はい」
「この事件にはピースが圧倒的に足りなかった。それを集めたのは君だよ。やっぱり君は名探偵だ、"眼"に頼らなくてもね」
「えっ───」
瞼を閉じて、根拠となる様々な証言を思い起こす。
『動機は今関係ないだろう?大事なのはアタシが殺したという結果さ』『仲賀は意見会前の昼はスキーをすると言っていた。ガスが充満していたならその時死んでいるだろう』『この旅館で集まること、誰も知らねえ筈なんだよな。仲賀が秘密の作戦会議だって言うから』『俺、意見交換会、途中まで盗み聞きしててさ』『このスキー場を集会場所に選んだのは仲賀自身だったな。もし本当に偶然なら、あいつは自分の死に場所をわざわざ選んじまったのか』『戸籍見てくれる?部下に調べさせていたものなんだけど』
その全てがひとみちゃんの推理によって引き出された証拠だ。
……実は"滑り台"発見だけは夢野さんのファインプレーなのだけれど、経緯が経緯なので忘れておこう。
──目を見開いて、僕は改めて告げる。
「後野茉莉さん。殺人計画を企てたのは、貴方ではありません」
「………………!!」
「えぇ!?さっきと言ってること違くない!?」
「ぃよっしゃあ!やっぱマツリは潔白だ!」
夢野さん前田さんがにわかに盛り上がる「ちょっと助手!殴られたくらいでビビって撤回するなんてダサすぎない!?」凄くうるさい。
一方、後野さんの顔は僅かに強張った。
「まだ嘉鳴のバカに振り回されているんだね。アタシが仲賀を殺したんだ、何度も言っているだろう」
「そうですね。その上で言います。殺人計画を企てたのは貴方ではありません」
「──っ!……アタシが犯人だ。早く連れていきなよ」
「いいえ。僕と探偵はみだりに捜査をかき乱してしまいました。皆さんが納得できるだけの真実を提示しなければ示しが立ちません」
「後生だ、よせ」
「──真実への鍵は三つ」
後野さんの制止も聞かず、僕は手を突き出し、一本目の指をたてる。
「第一の鍵は、スキー場に作られていた頂上から死体発見現場までの直通ルート、"滑り台"は誰が作ったか。
滑った跡もありほぼ確実に事件と関与しているのですが、犯人を自称する後野さんには作る時間がなかったという謎の構造物。ですがこれ、実は後野さん以外にも作ることは不可能なんです。
理由は二つ。一つは他言無用の意見交換会を知る第三者がいないから事前に滑り台を作る動機がある者がいないということ。もう一つは……仲賀芳香がスキー場にずっといたことです。
探偵の推理への反論として後野さんが証言していましたね。『仲賀は意見会前の昼はスキーをすると言っていた』。仲賀さんは日中スキー場に陣取っている。滑り台を作れる人物なんて、スキー場にいた仲賀さん自身くらいしかいないんですよ」
「そう言ったって、被害者である仲賀が滑り台作る意味なんてないでしょ。遊びで作ったものを殺人に利用されたとかそういう話?」
「いえ、ひとまずは、殺人計画の要である"滑り台"は被害者の仲賀芳香自身でもなければ作ることができない。それを覚えておいてください」
二つ目の指をたて、僕は次なる根拠を提示する。
「第二の鍵は、意見交換会とは何の為のイベントだったのか。先ほど前田さんは言いました、『このスキー場を集会場所に選んだのは仲賀自身だった』と。仲賀さんから持ち掛け仲賀さんが場所を選んだ"NaKa"と"覚's"の集会。果たしてこれは何の為にセッティングされたものだったのでしょうか」
「何の為にって、意見交換会なんだから意見を出し合う為だろう。それ以外に何があると言うんだい」
「……意見交換会の内容を、前田さんは聞いています」
「──そう、やはりか。あまりいい趣味ではないね、嘉鳴?」
「………悪い」
前田さんは申し訳なさそうにしてから、その内容を明かす。
「仲賀はマツリにユニットを持ち掛けていたんだ。この集会は仲賀がマツリを勧誘する為のものだった、そういうことだろ。けどそれが真犯人とどう関係するんだよ」
「それも一度保留させてください、第二の鍵は、この集まりはマツリさんとオーディションで食い合うことを恐れた仲賀さんが企画したもの、ということです」
「───まさか、そんな」
「探偵?」
ひとみちゃんが動揺しているのが見えたが、僕は話を続行する。僕は探偵の代わりにここに立っているのだから。
「第三の、最後の鍵。仲賀芳香とは何者なのか」
三つ目の指をたてる。最後の鍵、この事件の根幹。
「何者って……仲賀は仲賀だろ?」
「前田さん。貴方は今回殺害された彼女について、どれだけ知っていますか」
「どれだけって、アマチュアミュージシャンの"NaKa"で、今回の事件の被害者で……」
「他には」
「えー、性別が女で、名前が仲賀芳香で──」
「そこです。それが違うんです」
「は?」
「夢野さん、例の資料を見せていただいてもいいですか」
「え、えぇ、……これのことね?」
夢野さんは紙を取り出し、前田さんに差し出しながら言う。
「あのね、少年。……仲賀芳香なんて人物は存在しないの」
「存在しない……?何言ってんだ、そりゃ俺は生きてるときに会うことはなかったけどよ。死体はあったんだろ、仲賀はいるじゃねえか」
「えぇ、確かにこの旅館を訪れ亡くなった女性は実在する。そしてその女性の戸籍がここにあるの。殺害されたアマチュアミュージシャン"NaKa"の戸籍が」
戸籍情報を受け取り、目を通す。
そこに記されていたのは。
「……中都畔羽……?」
知らない、名前。
「おい、誰だよ。これは」
「少年が、私達が、仲賀芳香と呼んでいた女よ。間違いなくね」
「中都畔羽。それがアマチュアミュージシャン"NaKa"の本名。彼女は仲賀芳香なんて名前じゃない」
「は……、偽名……?何の為にだよ?」
これが事件を紐解く最後の鍵。ここに筋道は完成した。
「これまでに判明した仲賀芳香さん情報をおさらいしましょう。
事件現場を設定し、現場に前乗りしている。
死体を運ぶトリック"滑り台"を唯一準備できる。
後野さんに執着する理由がある。
後野さんにも旅館にも偽名を名乗っている。
──果たして、この人はただの被害者なんでしょうか?」
「…………」
「お、おい……」
「待って助手!その言い方じゃまるで……!」
「──仲賀さんの方が殺人を企てていたとでも言いたいみたい、ですか?」
「「───!!」」
場がどよめく、反転する。
静寂から、混迷に。
被害者から、加害者に。
「た、探偵。仲賀が後野を殺そうとしていたって言うの?それは無いわよ。確かに仲賀が偽名を使っていたのは事実だけど、前田少年も一緒にいるのに後野を殺すなんてリスクが高すぎる。他に宿泊客もいないし自分が犯人だと言うようなものだわ」
「……いや、そうじゃねえ」
「え?」
夢野さんの反論に反応したのは前田さんだ。彼は顔を青くし汗をかきながらも語る。
「……盗み聞きのこと話した時に言ったろ。仲賀は俺が来てることはおろか存在すら知らねえんだ……。壇上にはマツリしか上がらねえから……」
「つ、つまり……?」
「前田さんの存在を知らない仲賀さんにとって、後野さんが黙ってさえいてくれれば、誰も自分の犯行だと知ることは無い筈だったんです」
「そ、そっか!確か仲賀は『秘密の作戦会議だから誰にも言うな』って言ってたのよね?それは誰にもバレずに後野を誘き出して殺す為だったってこと!?」
「……考えてみりゃ、最初から仲賀は変だった……。晩のうちにチェックアウト予定だっただと?あいつが『数日泊まってスキーやろう』って言うから俺達は泊まりの予定で来たんだぞ……!」
「数日滞在の予定を立てさせ死体の発見を遅らせつつ、自分は身分を隠して殺害・死体隠蔽・即チェックアウト。そうして逃げ切る腹積もりだった……えげつないわね」
「な、納得いく推論だ。……それで、犯人は誰なんだ!?仲賀の計画を利用して奴を殺した真犯人は誰だって言うんだよ!」
「……………」
視界の隅でひとみちゃんが目を逸らす。やはり僕がここに立って正解だった。彼女にはこの役割はあまりに酷だ。
「それでは、ずばり事件の全貌を語らせていただきます」
僕は仰々しく語り始める。
「ことの始まりはオーディションの開催決定でした。"NaKa"こと仲賀芳香さん──偽名ですが、こちらで統一しますね──仲賀さんは、無二のチャンスであるオーディションに際して、ライバルである"覚's"を危険視した。そうして仲賀さんが計画したのが、彼女をスキー場に呼び出して殺害する計画だった。
つまり今回の事件は本来、後野さんが被害者、仲賀さんが犯人になるはずだったんです。
手始めに彼女は、偽名を名乗り"覚's"──後野さんとコンタクトを取る。『意見交換の為に指定した旅館に集まろう、秘密の作戦会議だから誰にも言ってはいけない』と」
「あのフレンドリーな態度も一対一での泊まりを警戒させない為の演技だったんだろうな……」
「現場であるスキー場に前乗りした仲賀さんは、日中の時間をかけてスキー場に傾斜の段差"滑り台"を作る。これは頂上から脇の木々の中までの直通ルートであり、これを使って死体を自動で隠すことで、遺体の発見を遅らせつつ自分は迅速に現場を離れることができます」
「私が発見した時、あの滑り台は既に消えかけていた。計画通りに死体の発見が遅れていればあの証拠も雪に埋もれてなくなっていたんでしょうね」
「滑り台を完成させた晩。予定通りに後野さんと集まった仲賀さんは、ユニットを断られたことで殺害の決意を固め、理由をつけて彼女をゲレンデへと連れ出す。ここは後野さんの証言通り『頭を冷やそう』等と言ったのかもしれません。……そうして仲賀さんは後野さんにスノーボードで襲い掛かった。腕の怪我はその時に負傷したものですね?」
「…………」
「けれど仲賀さんの計画通りに事が進んだのはここまででした。彼女は真犯人に殺され、トリックを利用されてしまったのですから。……いえ、トリックを利用できたとは言い難いですね。殺人後すぐ行方を眩ます算段の仲賀さんはチェックアウトの予定を立てていた。姿を見せないことはすぐに不審に思われ、死体発見を遅らせるというトリックの本来の役目を充分に果たすことができなかったのですから──」
「それで!犯人は!」
前田さんが痺れを切らして前に出る。
「もう充分だ探偵さん。仲賀がマツリを殺そうとしてたって推理はもう充分分かったから。真犯人は誰なんだよ、仲賀の殺人計画を利用してマツリに罪を擦り付けた犯人は誰なんだ!?」
「……少年、それは」
事ここに至り、夢野さんでさえ言葉を濁す。犯人が誰かなど全員が察していた。……前田さんを含めて、全員が。
僕は、初めからわかっていた事実を、ただ口にした。
「仲賀芳香を殺害したのは、後野茉莉さん。貴方ですね」
「あぁ」
「おいふざけ──」
「嘉鳴」
前田さんを後野さんが一声で制する。
彼女はこちらに近付き、僕の目の前に立つと一言。
「………それで?」
先を促した。
続きがあるだろう、と。
………………………。
「──これで全てですよ」
「………なに?」
「詳らかにすべき真実は以上。これが僕が皆さんに披露する推理です」
「──────そう、か」
真犯人は呆気にとられた後、
「ありがとう、助手さん」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「ありがとう、助手さん」
マツリが、礼を言った。自分が殺人犯だと言ってきた探偵助手に対して、礼を言った。
俺はその意味が理解できなかったし、したくなかった。
もういい。もういいから、この話はやめにして捜査を続けようぜ。何日かかってもいい。マツリが潔白だという結論が出るまで、俺はずっとここにいたっていいんだ。だからさ。
「全部正解さ、アタシが殺したんだよ。初めからそう言っていたろう」
やめよう。
「ゲレンデに呼び出された後、アタシは"滑り台"を見るように言われそれに気を取られている間にスノーボードで襲われた。アタシが隙を見せないから気を逸らそうと注視させたんだろうけど……そのせいで、アタシに利用されて仲賀自身が滑る羽目になったね」
やめろ。
「仲賀に命を狙われたアタシは、この腕で初撃を受け止めて返り討ちにした。……いや違うね、返り討ちというには過剰防衛だ。アタシは奴に乗じて殺人計画を実行したんだ」
やめろって言ってるだろ!!
「いいや、やめない。犯人の独白は黙って聞くものだろう。そもそもアタシは初めから自分が犯人だと言っていた、これ以上皆さんを巻き込むんじゃない」
マツ、リ……。
「同情なんざするなよ。アタシは他にもとる手段があったかもしれない中で殺人という手段をとった人殺しだ。今回の話は、殺人を企てた悪人は標的がもっと悪い奴だったので死んでしまいました、これでおしまい。同情すべき奴なんて出てきやしないんだ」
………………。
「オーディション台無しにして悪かったね。でもあんたならきっともっといい相方がいくらでも見つかるよ。それじゃあね」
犯人は数歩後ずさると、こちらに背を向け警官が待機している方へと歩き出す。
待てよ。俺達の出会いは運命だとか言ってたじゃねえか。
──犯人は警察に連れられてゆく。
そのお前が途中で投げ出すだと、ふざけるなよ。俺は、
──犯人はパトカーに乗り込む。
俺はお前とだからやってきたんだ。お前がいなくちゃ俺は。
──パトカーのドアが、閉まった。
そしてすべては、終わった。
「いいえ、終わってはいないわよ?」
…………?
振り返る。──すぐには誰なのかわからなかった。
「……刑事、さん?」
そこに立っていた警部補夢野卯月は、先程までとは別人のように大人びていたから。
「確かに後野は許されないことをしたわ。けれど、"許されない過ち"は"終わり"ではないの」
……ん?ちょっとよくわからん。
「ぐっ……、ええとね。もし一度の過ちを犯すことが許されないならば、犯罪者に面会も教育も釈放も必要ないわ。誰がなんと言おうと、今の社会のシステムは犯罪者を社会に復帰させるためにあるのよ」
それは、つまり。
マツリは、許される、のか……?
「許さないわ」
ぴしゃり、と。俺の期待を女は摘む。それなのにその顔は穏やかなままだ。
「法は彼女に更生の機会を与える。けど人は許さないわ、許すべきじゃない。貴方も許しちゃいけない、もし貴方が彼女の罪を許したら私は貴方を軽蔑する。……でもね少年」
「許さなくても一緒に生きていいのよ」
刑事は微笑んだ。柔らかく、優しく。
「許されないということは、孤独でなきゃいけない理由にはならないもの。
誰も彼女を許せないけど、誰も彼女を逃がせないけど。自分の罪を背負う彼女を見守る役目は、誰かがやっていいんじゃない?」
更生できても、一生罪は許されない。
許されなくても、一緒に生きていたっていい。
それはとても冷たくて──温かい考え方だった。
彼女は名刺を差し出してくる。
「連絡先登録しといて。後野の処遇が決まったら伝えるわ」
刑事は背を向け歩き出す。
待て。いや待ってくれ。俺は思わず呼び止める。
わからない、どうしてそんなに親身になってくれるのか。俺は探偵さんに無理を言って捜査を撹乱してしまったし、マツリに至っては殺人犯だ。それなのにどうして。
そんな俺に、刑事は振り向いて言ってのけた。
「たまには良い所見せないとね。私、正義の警部補サマだし!」
今の私、最高に格好良いでしょ?と。
したり顔でピースサインをした彼女は、再び背を向け去ってゆく。
「はは……なんだ、そりゃ……」
そのカツカツという靴音とリンクするように、心臓が動き出す。
どくん、どくん、と。
一気にテンポの早くなったその音が全身に血を送る。
冷えていた身体に熱が宿っていく。
冷えていた意識に熱が灯っていく。
何も終わっちゃいない、こんなもんじゃ終わらない。
「──なぁ、マツリ。照れくさいんだけどさ。俺も、お前との出会いは運命だと思ったんだ」
これは、始まりなんだ。
「────マツリ、俺はお前と生きていく!!」
高鳴る鼓動にまかせ、俺は駆け出した。
【『file2:始まりの音色』記録中断】
"解決編"はまだ終わらない。




