file2:始まりの音色 出題編(下)
「これ、は────」
ひとみちゃんは絶句する。前田さんも、僕だって呆気にとられる。……夢野さんは頭から積雪に突っ込んでいるけど、それはともかく。
はっきりと今目の前に存在する新たな物証に、立ち尽くすしかなかった。
──ひとみちゃんの推理が後野さんに打ち砕かれた後、僕らは新たな手掛かりを求めて死体発見現場へ行くことになった。
「せっかくだしスキーで行きましょ、早いし楽だわ!」なんて宣う夢野さんに呆れたり「見て見て結構サマになっているでしょ!」と一瞬でスキーウェアになっていた夢野さんを放置したりしながらスキー場を歩いて下っていく。
その時だ。僕ら徒歩組を夢野さんは颯爽と追い抜いて行った時、
「おっさきー、って、うわ、わわぁっ!ばむっ」
突如体を浮かせバランスを崩した彼女はそのまま顔から積雪に突っ込んでいった。
「なにやってるんですか夢野さん、よそ見してるから、です、……」
気付いた。夢野さんが躓いたのはスキー場の傾斜にあった雪の段差だ。スキー板一つ分程ある傾斜に逆らった不自然な段差は、しかし一面の白雪に塗り潰されてしまって近づかなければ気付けなかった。
それだけならスキーで均された跡か雪遊びの残骸を疑うけれど、僕らを真に驚かせたのは。
その段差の道が、ゲレンデの頂上からこれから向かう木々の前まで斜めに伸びていることだった。
──そうして僕らは絶句していた。
「……滑り、台」
ひとみちゃんの呟き。滑り台。確かにこの僅かな段差に沿えば、段差の先の目的地まで滑っていけるだろう。或いは、滑らせることができる、だろう。
ひとみちゃんは、顔を上げ雪を払っている夢野さんに問いかける。
「夢野卯月警部補、仲賀芳香さんの遺体はスキー場から逸れる上に行きにくい場所にあり、どうやってそこへ被害者を連れ込んだのか不思議だったんですよね」
「え、えぇ。私は初めからそれが引っかかっていた」
「この滑り台、到着点は」
「……えぇ、あそこが仲賀の死体が発見された場所」
この段差の道"滑り台"はゲレンデ上から死体のあった場所まで繋がっている。積雪で数日もしないうちに消えてしまいそうなこの滑り台が今そのルートに存在していることが、事件と無関係な筈がない。
死体発見現場は殺害現場ではなく、この滑り台を使い死体を移動させた死体の隠し場所に過ぎない可能性が浮上したのだ。
そして滑り台の判明でひっくり返るのは、殺害場所だけではなく。
「前田嘉鳴さん。20時00分から20時40分の40分間以外、貴方はずっと後野茉莉さんと一緒にいたのですよね?」
「あぁ。間違いねえ」
「助手くん。これ40分で作れますか?」
「その40分って仲賀さんと会話して、その流れでゲレンデに連れ出して、殺害して、って時間を含んでだよね。じゃあまず無理だと思うよ」
結論、後野茉莉には滑り台を作ることは不可能。
それが意味するのは──。
「今こうして存在しているトリックの下準備ができない以上、後野には犯行は不可能……。嘘、まさか本当に後野以外の真犯人がいるって言うの……!?」
「ほら見ただろ刑事さん探偵さん!やっぱりマツリは犯人なんかじゃねえんだよっ!」
「えぇ、えぇ!やはり彼女は潔白ですっ」
言葉を失う夢野さん、喜んで飛び回る前田さんとひとみちゃん。けれど僕は、とある疑問に頭を占拠されて立ち尽くしていた。
これ、
いつ誰が作れたんだ?
誰が作れた、というのは時間的な問題だけでなく、理由についてだ。
この証拠で第三者が犯人である可能性が浮上した、それはいい。問題なのは、その第三者は仲賀芳香さんを殺害する計画を事前に準備していたことになることだ。
たまたま泊まった旅館の関係者に、果たしてこれだけの準備を整えてまで仲賀さんを殺害する動機があるだろうか?
──もし、もし仮に。この滑り台が前田さんが捜査を撹乱する為に用意した偽の手掛かりだとすれば。或いは前田さんと後野さんが初めからグルで、アリバイ時間で滑り台が作れないというのも僕らに見せた必死な訴えもその全てが嘘だとすれば、説明が──、
「よし、詳しく調べてみようか」
「はい!」「おう!」「えぇ!」
邪推を払う。探偵助手としては恥ずべきことだけれど、僕は前田さんを疑いたくはなかった。ひとみちゃんが信じたいと思えたものが偽物だなんて、今はまだ考えたくなかったのだ。
【『file2:始まりの音色』記録開始】
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
俺が部屋に戻ってから暫くして。20時40分頃、マツリも部屋に戻ってきた。
俺は部屋で待っておくと言った手前、勝手な外出がバレていないか気が気でない。この動揺を気取られなきゃいいが……。
「……嘉鳴。あんた何かあった?」
早速気取られた!俺はしどろもどろになりながら答える。
戻るのが早かったから仲賀と喧嘩でもしたかなと思って、と。
「ふぅん……?なに、音楽性の違いってやつだよ。あんたが気にすることじゃないさ。ごめん、疲れたからアタシはもう寝るね」
言うとマツリはフラフラと布団に入ってしまった。いつにも増して顔が白い、確かに疲れていそうだ。このまま静かに寝かせてやろう。
──翌日、朝。
仲賀が死んでいた。
あいつは昨晩チェックアウトする筈だったのにロビーに現れず、不審に思ったスタッフが一晩周囲を探したところ、ゲレンデの脇で冷たくなっていたらしい。
じゃあスキー中の事故だろと思ったが、どうも側頭部に不自然な打撲痕があるという。警察<サツ>は俺達に、何か知っていることはないかと詰め寄ってきた。
知るわけないだろ!俺は声を荒げた。
死んじまった仲賀は不憫だと思うが、オーディションが控えてるのに面倒事に巻き込まれるなんて御免だ。俺は同意を求めマツリに視線を移す。
マツリは、とても穏やかな顔で、俺に微笑んだ。
…………?
ここでそんな顔する理由がわからない。オーディションに受かって"覚's"の名が全国に届く未来でも想像してるのか?今そんなこと考えてるのはちょっとデリカシーに欠けてると思うぜ。
だから早く否定してくれって。
たった一言、知らない、と。そう言ってくれればいいんだ。
だから、
「嘉鳴、すまないね」
俺が聞きたいのはそんな台詞じゃない。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
滑り台には僅かに死体発見現場までスノーボードで滑った跡が残っており、犯行に使われたことがほぼ確定した。
ただそれも積雪により消えかけており、あと半日気付くのが遅ければスキー板の跡が、あと数日遅ければ滑り台自体が雪に埋もれてしまっていたかもしれない。
「積雪により証拠が自然消滅するトリックというわけですね。中々考えられていますが……すぐチェックアウト予定だった仲賀さんをターゲットにしたのは致命的なミスです。彼女の不在はすぐに気付かれ、こうして隠滅前に滑り台は発見された」
ゲレンデの食堂に上がってきた僕ら、その中心でひとみちゃんは歩き回りながら演説する。普段はこの態度でトンチキなことばかり言っている印象しかないけれど、今回ばかりは証拠が決定的なので僕も黙って頷いた。
それに気をよくしたようで、彼女は自信たっぷりに宣言する。
「そして暫定犯人だった後野茉莉さんにはあの滑り台を作る時間が無い!つまり犯人は彼女ではなく、"NaKa"と"覚's"の集会を聞きつけた何者かこそが真犯人!集会を利用して後野茉莉さんに罪を擦り付けた、ということです!」
「おー!それだわ!それしかないわもう!」
「うん。後野さんにトリックの準備が不可能な以上、現状その可能性が高いね」
俄かに色めき立つ僕ら。けれどこういう時一緒に盛り上がりそうな前田さんだけは、
「聞きつけた……聞きつけた、かぁ」
「?どうかされましたか」
「いや、実はよ。この旅館で集まること、誰も知らねえ筈なんだよな。仲賀が秘密の作戦会議だって言うから、俺もマツリも誰にも話してねえんだよ」
「えっ」
「えぇ!?そうなの!?」
新たな証言によりひとみちゃんの推理は一瞬で瓦解していた。実に二分半。短い天下だった。
「まっ、まだです!先程のは軽い準備運動、ここからが本番の推理ですよ!」
「推理にも準備運動ってあるんだ」
「犯人は"ある技術"を用いることで、事前にこの集会のことを察知し、滑り台を作り出し、後野茉莉さんに犯人だと偽の自白をさせた!」
「技術……犯人の特技が犯行に活かされてるパターンね!その技術って一体!?」
「えぇ──」
ひとみちゃんは、伸びた前髪の隙間から鋭い眼光を覗かせる。いつにも増して真剣な彼女の空気に、今回のひとみちゃんは一味違う、僕にそう思わせる迫力があった。
探偵は言い放つ。
「────催眠術です」
「おんなじ味付けだった」
実家の味の逆算推理だった。
「いえ、催眠とは馬鹿にできるほどオカルトではありませんよ」
呆れた様子のこちらに、しかし彼女は至極真剣に語る。
「暗示によって人の心身を操ることは可能です。簡単な例で言えば、横になっている人に手足が動かなくなる、と強く刷り込めば本当に手足の不自由を訴えます。これは、元々横になっている状態から手足を上げることが結構な筋力を必要とするためです。動かないと思い込んだことで使う筋力をセーブしてしまい手足が動かないように感じる、ということですね」
「博識ね探偵、実証もあるのね?」
「えぇ、私はかかりました、音声作品で」
「催眠音声由来の知識なんだ……」
「身動きが取れない状態で良い声の男性に両耳から肯定されると活力が湧くんですよね……」
「…………」
結構闇が深かったので突っ込まないことにした。……もっと彼女に優しくしよう、そう思った。
「ともかく、催眠とはオカルトと断じれるものではないとご理解ください」
「うんうん」
「その上で事件の全貌を詳らかにしましょう。ずばり今回の事件──」
「うんうん」
優しさに魂を捧げてひとみちゃん肯定マシーンとなった僕をよそに、彼女は高らかに告げる。
「後野茉莉は、催眠によって偽の犯行の記憶を捏造されたのです!」
「いやオカルト過ぎる」
もう肯定できなかった。
……そもそもひとみちゃんの眼がオカルトだと言われると返す言葉もないけれど。
「私がこの『雪山バンドマン催眠術滑走殺人』の全貌を明らかにしましょう」
「盛り過ぎじゃないかしら」
「胃もたれ起こすなぁ」
「ずばり犯人は旅館スタッフです。名前は──百合ゲラ男」
「そんなスタッフは名簿にいなかったわよ?」
「仮名です」
「モメそうな名前だ」
その人の力は念力とか物理的なのな気がするし。
「犯人は旅館のスタッフ。けれど、スキー場を併設している影響でアクセスの悪いこの旅館は、冬場以外まともに客が来ない……。そんな暇過ぎて死にそうな日々の中、犯人が熱中したもの。それが催眠術の練習でした」
「暇すぎるだろ」
「スマホだってあるこのご時世に……」
「勤務中にスマホ触っちゃ駄目です、常識ですよ」
「スマホは駄目で催眠術の勉強は有りなんだ。僕常識って何なのかわからなくなっちゃったな」
「勿論すぐに上手くいくものではありません。他スタッフや観光客に試してみるも、まるでかからない。振り子の五円玉をドーナツにしてみたり、CDにしてみたり、blu-rayにしてみたり……辛い修行の日々を経たのでしょう」
「振り子の材質変えてるだけじゃない?」
「そして何度目かの冬が訪れる頃、犯人は遂に催眠術を会得した……。その振り子は、音を置き去りにした」
「視認できなくなってるじゃん」
「振り回してんの?」
「せっかく会得したからには誰かに使いたい。そんな犯人は最終的にこう思ったのです。そうだ、殺そう」
「誰でも良かったってのか、クソ野郎が!」
「殺人ってそんな京都行くくらいのテンションでするものだっけ」
「勤務中に催眠術の練習してる奴に良識なんてないわよね」
「そんな犯人のいる旅館へ泊りに来てしまったのが仲賀芳香さんだった。チェックインした彼女に催眠術で今後の予定を吐かせた犯人は、彼女が後野茉莉さんと会う約束をしていることを知る。これは使える、犯人の眼光と五円玉は鈍く輝いた」
「ダサいなぁ」
「後は殺害した仲賀芳香さんを事前に作った滑り台で死体発見現場まで滑らせ、後野茉莉さんに偽の犯行記憶を植え付ければ完全犯罪の成立です。目撃者がいても催眠術で記憶を消せばOK」
「急に巻いたな!」
「催眠術でどうとでもできてしまうので。そのぶん犯行を実行するまでの描写を凝りました」
「主人公を無敵にしたせいで心理描写や世界情勢で展開するしかないラノベみたいだわ」
あとどうでもいいけどせっかく決めた百合ゲラ男の名は一回も呼んでなかった。
「でもマツリと仲賀は意見交換会をしてる、どうやって呼び出して殺すんだ?」
「もとより意見交換会は実施されなかったのでしょう。仲賀さんが催眠術でちょちょいと二人を操作して『もう意見交換会を終えた』という記憶を植え付ければ問題なく仲賀さんを呼び出すことが可能です」
「ちょっと強すぎるね催眠術」
「作中での扱いに困って不意打ちや精神攻撃で退場するキャラね」
「いや、意見交換会はあったんだ」
「え?」
「その……俺、意見交換会、途中まで盗み聞きしててさ」
新たな供述が投下され、まだまだ事件は混迷を極める。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
『今回のオーディションの1枠、取り合ってどちらか潰れるのは賢くねえ。どうだ"覚's"。ウチと組まないか?』
扉の前でこっそり聞き耳をたてていた俺が聞いたのは、仲賀のそんな提案だった。
女二人の会合に俺が飛び入り参加するというのは気後れするので、仲賀には俺が一緒に来ていることすら伝えていなかった。それでこうして出羽亀をしているのだから世話はないんだが、さておき。
マツリが仲賀と組む……。
正直悪くないんじゃないか。二人で潰し合っても損というのは一理あるし、マツリが表舞台に上がれる可能性があがるなら試していいと俺は思った。
『お前にやってもらいたい役割は決まってんだ。メインボーカルと作曲はウチがやるから、"覚's"にはサブボーカルと──』
「そいつは聞けないね、悪いけど他をあたってくれよ」
『なっ……よく考えろ"覚's"!お前が自分の音楽を大事にしたいのはわかる、ウチだってそうさ!でもこんなチャンス滅多にないんだ、ウチはどんなことしてでもこのチャンスをモノにしたいんだよ!わかるだろう!?』
「わからないよ、アタシはあんたじゃないもの。アタシは売れたくてやっているわけでもなければ、目立ちたくてやってるわけでもない。別に客なんざいらないんだ。だから組まない」
意外にも交渉は決裂した。マツリの言葉は俺にとっても予想外で、マツリが何故音楽をやっているのかがわからなくなった。俺はてっきりマツリは人前で歌うのが好きなんだと思っていたから。前に言っていた俺の為、というのが本心な訳もないし。
『ぐっ……、……じゃあ教えてくれよ。お前がなんで歌っているのか、なんでウチと組めないのか。それで納得することに──』
二人は話を続けているが、話を盗み聞くどころでなくなった俺は放心状態で自室に戻る。マツリの気持ちをわかってやれていなかったことが、存外ショックだったんだ。
俺が部屋に戻ってから暫くして。20時40分頃、マツリも部屋に戻ってきた──。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「成程、仲賀芳香さんは後野茉莉さんを引き込もうとしていたのですか」
「あぁ。今言ったとこまでしか聞いてねえからその後の会話はわかんねえけどな」
「……少年、意見交換会中は部屋にいたって証言したわよねー?」
「い、いや、あの時はマツリがいたから盗み聞きしてたなんて言えなくてよ!集会があったかどうかが事件に関わるとも思ってなかったし」
「嘘つかれると他の証言まで信憑性が薄れるのよー?」
「ほ、他は全部本当だよ!マツリに滑り台作る時間が無えのもマジだ!」
前田さんをしばらく詰めた夢野さんは満足すると、
「でも……その会話の内容は今は関係ないわよね、後野の容疑が冤罪という線を追うならば、後野と仲賀しか知らない会話は真犯人とは関係ないもの」
「いいえ、関係大有り、この証言が得られたこと自体が決定的な手掛かりです」
「手掛かり、ですって?」
「えぇ。前田嘉鳴さんのこの証言は、部屋の外にいても意見交換会の内容を知ることができた、という証明なのですから。
──つまり、仲賀芳香の部屋に近づいた者なら、誰でも二人の集会を知り利用することが可能なのです!」
「た、確かに!」
「そうか!本人達が黙っていようが、現場にいる犯人なら盗み聞きで知れるんだな!」
探偵は自信たっぷりに本日三度目の逆算推理を開始する。
「事件当日の20時過ぎ。仲賀芳香さんの部屋で集会が行われている際、その扉の前では前田嘉鳴さんが聞き耳をたてていた。しかし、他にも同じように聞き耳をたてている者がいた!旅館のスタッフである真犯人もまた、意見交換会を盗み聞きしていたのです!」
「……どこで?俺そいつと仲良く扉に耳当ててたのか?絵面がシュールすぎるだろ」
「……時を同じくして部屋を挟んで反対側にも聞き耳をたてている者がいた!」
「扉の反対側って屋外じゃない?」
「……雪降る寒空の下、窓に耳を当て聞き耳をたてている者がいた!」
「盗み聞きにかける情熱が凄い」
「出羽亀根性もここまでくれば大したものね……!」
「えぇ、その犯人の名は出羽ガメ男」
「そんなスタッフは名簿にいなかったわよ?」
「仮名です」
「犯人としか呼ばないんだからいらないよその仮名」
「犯人は盗み聞きを決行し、"NaKa"と"覚's"が手を組んでオーディションの挑もうというその会話を聞いて叫んだ。『解釈違いです!』」
「オタク」
「そう、犯人はバンドマンオタクだったのです。兼ねてより両名が覇を競い合う様を応援していた犯人は、二人が一つのユニットになることに耐えられず、思い至った。見たくない姿を見せられるくらいなら殺してしまえ、と」
「めっちゃ強火のオタクだったのね……!」
「そのレベルで入れ込む奴もいるからなこの界隈」
「二人の殺害を決めた犯人はまずスタッフとしての特権を使い、二人がいる仲賀芳香さんの部屋の室温を操作し蒸し風呂状態にした。これにより二人をゲレンデへ誘導するのです」
「成程な、スタッフなら旅館内の部屋の室温くらい自由に操作できて当然だぜ!」
「そんなことなくない?」
「続いて犯人は先んじてゲレンデに向かい、トリックの肝である滑り台の作成に取り掛かる」
「あっ、そうよ。既に意見交換会が始まっている段階で殺人計画を始めたら、滑り台の作成はとても間に合わないんじゃないの?」
「いいえ、ここでも犯人が旅館スタッフである点が活きてきます。彼が連絡を入れれば──」
「成程、スタッフならスキー場の地形くらい自由に操作できて当然だわ!」
「そんなことはない」
「そうして滑り台が完成したスキー場に、蒸し部屋でひとしきりロウリュウを楽しんだ二人が整いにやってくる。そこで犯人は背後から後野茉莉さんを襲撃、続いて仲賀芳香さんにも襲い掛かった!」
「ちっ、なんて真似を。でも、ならどうしてマツリは自分が犯人だと思ってんだ?」
「そこでも犯人が旅館スタッフである点が活きてくるのです」
「「成程、スタッフなら利用客くらい自由に操作できて当然だ!」」
「皆はスタッフをその概念を統べるものか何かだと思ってるの?」
能力バトル後半みたいな拡大解釈祭りだった。
「そうして後野茉莉さんに罪を擦り付けつつ殺人を終えた犯人は、仲賀芳香さんの死体を滑り台で木々の下へ隠しつつ素知らぬ顔で持ち場へ戻っていった、ということです」
「けどよ、今の推理じゃスタッフ内の誰が犯人なのか絞れてねえぞ」
「そうねえ、犯人は"NaKa"と"覚's"の熱心なファンの筈だから……二人の踏み絵を用意して踏ませてみる?」
「倫理観が鎖国したままだ」
「それでマツリを踏んだ奴は殴っていいか?」
「詰みだ……」
ひとみちゃんの『犯人スキー場を支配する程度の能力者説』が一段落ついたので、口を挟む。
「行き詰まっちゃったね……。滑り台という大きな手掛かりは見つかったけれど、滑り台は後野さん以外には誰でも作れるのに後野さん以外には事前に作る動機がない」
「では……犯人はこのトリックを試せるなら被害者は誰でも良かった、偶然仲賀芳香さんが被害を受けただけ、というのは?宿泊客を狙って事前に準備していたところ仲賀芳香さんを見つけ、殺人を決行した、という流れです」
「そんな人がいるとは思いたくないけれど……そうでもないと説明がつかない。愉快犯の可能性も考慮しなくちゃいけないかもね」
「仲賀は偶々被害者になっちまっただけ、か……。このスキー場を集会場所に選んだのは仲賀自身だったな。もし本当に偶然なら、あいつは自分の死に場所をわざわざ選んじまったのか。胸糞の悪い話だ」
「そうなると関係者一人一人のアリバイと持ち物、出自なんかを詳しく調べる必要があるわね。ぐぬう、私今日帰れなそう……」
長期戦の予感に夢野さんが苦い顔をする。犯人には全く目星がついていないのだから、僕らだってまだまだ真相究明には遠いと覚悟するべきだ。
……その筈なのに、何故だろう。助手としての経験からか、僕らはもう真実の目前まで迫っている感覚があった。
手掛かりはきっと出揃っている。
足りていないのは、その手掛かりを繋げて道にする一手──。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ゲレンデでスキー場を見下ろす。眼下ではひとみちゃんと前田さんが滑り台を見回したり滑ったりしている。先の推理の滑り台がせり上がるギミックを探すと言っていた、実を結ぶことを願いたい。あ、こけた。
閑話休題。状況を整理しよう。
今判明している事件当時の流れはこんな感じだった筈だ。
<①旅館集合>
仲賀さんの提案で旅館に来た後野さんと、それに付き添った前田さん。仲賀さんは既にスキーを楽しんでおり、夕方そこに二人がチェックイン。
<②意見交換会>
20時00分。仲賀さんと後野さんは仲賀さんの部屋で集会、前田さんはそれを盗み聞きしていた。そこでは仲賀さんが後野さんにユニットの提案をしたが決裂、その後は前田さんは聞いていないが二人でゲレンデに出たと思われる。
<③事件発生>
詳細不明。犯人はゲレンデで仲賀さんを殺害し"滑り台"を利用して死体を隠したと考えられるが、その滑り台を事前に作れる人間がいない。
20時40分。後野さんが前田さんの元へ帰ってくる。
<④翌日、死体発見>
晩にチェックアウト予定の仲賀さん現れず、スタッフが仲賀さん捜索。スキー場脇の木々の下で死体が発見される。警察の取り調べの結果、後野さんが犯行を自白。
前田さんの信頼と滑り台を考慮しなければ、後野さんが犯人で間違いない状況だ。けれど滑り台、これが事件をややこしくしている。後野さんには時間がなくて作れず、かといって他の旅館スタッフには事前に作る動機がないので作れない、出自不明の代物。この謎の滑り台の存在こそが真実への糸口の筈だ。
僕は確実に何かを見落としている。恐らくそれは後野さんが隠していることだ。
意図的に隠されているこの事件の"前提"。何か、何かが──。
「探偵、探偵~、あれ、探偵は?」
考え込んでいると、夢野さんが走ってくる。そういえばいつの間にかいなくなっていた。
「夢野さん、どうかされましたか」
「いやそれがね、ちょっと変なことが起きちゃってて。探偵の意見が聞きたかったんだけど……」
「変なこと。夢野さんよりですか」
「張り倒されたい?……まぁ助手でもいっか、これ見てくれる?部下に調べさせていたものなんだけど」
手渡されたのは纏められた数枚の紙。見知らぬ名前、住所、電話番号等が書かれていた。
「……戸籍情報、ですね、これ僕に見せていいやつじゃないでしょうに……。それで誰のですかこれ。聞いたことない方ですけど」
僕の問いに夢野さんは答える。それを聞いて、僕は。
「────あぁ」
事件の全貌を確信した。
けど、これは……。
「うぅむ、無さそうですね、ネルフ本部──助手くん?どうかしたんですか……?」
戻ってきたひとみちゃんが、表情の曇った僕を心配してくれる。
あぁ、僕はこの子の助手、探偵助手だ。
事件は、終わらせなければならない。
「大丈夫。……皆に集まってもらおう。この事件を、終わらせよう」
「──!わかったんですね、犯人が」
「…………うん」
「?大丈夫ですか、助手くん」
僕の弱々しい返事でひとみちゃんを心配させてしまった。
けれど弱々しくもなる。だってこの真相は誰も幸せにしない。この場の誰一人として、この真実が明かされることを望んでなんていないんだから。
それでも僕らは口にした。この事件に終止符を打つ台詞を。
「殺人犯は──やっぱり後野茉莉さんだ。それはきっと、間違いない」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
俺がその女と出会ったのは、一年半前。今の大学に入ったときだ。
今の丸くなった俺からじゃ想像もできないだろうが、当時の俺は荒れていた。そんな不良時代の俺は連日やかましい部活動・同好会の勧誘が耳障りで、静かなところを求めて自然と校舎裏へ向かったんだ。
そこにあいつはいた。
塀に腰かけてノートPCを触っていたその女は、俺を少しだけ見た後音楽を流し始めた。
後に詩をつけて"覚's"のデビュー曲『カラフル』となるそれは、乱暴なリズムの中に寂しさを感じて。
「俺みたいだ」
「え?」
思わず口に出てしまった。今なんて?という彼女の視線が痛くて、つい白状する。
「いや……すげーめちゃくちゃだけど、なんか独りぼっち?っていうのか、寂しさも感じる音で。俺みたいだなって思って……」
「……ぷふっ、何それ!あんた本当に大学生なの?くくくっ、中高生みたいなこと言っちゃってさあ!」
「はぁ!?てめえが言わせたんだろうが!」
笑う女、怒鳴る俺。しばらくの不毛な騒ぎの後、そいつは俺を見て攻撃的な笑みを浮かべた。
「ねえあんた、この出会いは運命だと思わない?」
「……んだよ、勧誘かよ。俺はそれがうぜえからここに来たのに」
「いいね。歯に衣着せない物言い、ますます気に入った。あ、ちなみに勧誘は勧誘だけど部活動でも同好会でもないよ。これはアタシの個人的なスカウト」
「はぁ?」
灰色の校舎裏で、女は言った。
「──あんたさ、アタシと音楽やらない?」
【『file2:始まりの音色』記録中断】
ピースは揃った。完成を誰も望まくとも。