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スルーするのは、嫌われてもやむを得ない、という意思表示に等しい

作者: 堀田真裏

スルーするのは、嫌われてもやむを得ないという意思表示に等しいーーあえて、ドキッとする表現にしました。


さらに、厳しめの解釈を重ねてみます。


あなたから嫌われてもやむを得ない、と、相手が考えたとしたら、それは9割がた、かなりハードな意味だ(さすがに100%とは言いません(^_^;)ですが、基本的には、かなり厳しいのではないかと個人的には考えています)と思います。


相手にとって、あなたはその程度の価値でしかない。あるいは、そこそこ魅力的な存在だったとしても、「代わりはいる」存在だと見なされたということ。もちろん、場合によっては、心苦しい気持ちを抱えつつそう判断された場合もあるでしょうが、それでもいえることは、

「より優先すべき相手がハッキリ存在するので、それに比べれば、要らない、という判断」であることは間違いがないということです!


……ツラい!ツラすぎる!!!心をえぐられますよね!そんなこと、信じたくないーー気持ちは解ります。


堀田もそのあたりは経験していますし、イヤってくらいわかるんですけど、それでもあえてこんな心をえぐることをエッセイにしているのは


そこに、甘い見方を入れないほうが、自分のためになる場合もあると考えているからです。


プライベートの人間関係だと思うから、考えが甘くなるんだと思います。試しに……仕事の取引先の場合を想像してみたらどうでしょう?


重要な取引先から連絡があったとき、スルーするでしょうか?

ーーしませんよね?

もし、何かあってスルーしてしまっていたことに気付いたら大慌てで最優先で対応するでしょうし、誠意を疑われぬよう、行動の限りを尽くすのではないでしょうか?


大事な相手を怒らせるかもしれない、すごいピンチ、一大事ですよね……!!?


そこまで重要な相手ではなかったとしても(!)

なくしてもそこまで大きな損失はなかったとしても(!!!)

“これから先を考えたとき、ある程度は良い印象を持っていてもらいたい。相手がもっと成長するかもしれないし、嫌われるのはもったいないかもしれない”と考えていたら、


やっぱり、スルーはしないですよね?


もし手違いで後回しになっていたとしても、謝罪をしたりフォローしたり言い訳をしたり、何らかのアクションはするものだと思うのです。


そんなに大事でもない場合ですら、嫌われないように振る舞うはずです。フォローくらいするはずです。


人間関係も同じではないでしょうか。


大切な相手をスルーするでしょうか。

嫌われても構わない、やむを得ない、

場合によっては「むしろ嫌われたほうが楽」と、そう見なされるということは、


上述のパターン以下の価値だと見なされているということではないでしょうか。



なんて、身も蓋もないΣ( ̄ロ ̄lll)と思われるかもしれませんね。


ですが、時にはこういった「厳格な物事の見方」をすることにも、メリットがあるかもしれないと思うのです。


そうしないと、つい、自分に都合のいいようにとらえてしまうこともあるような気がしますし。逆に言えば、自分が大事に扱われていないのに、(相手なりに思いやってくれているのかもしれない)という甘い幻想に酔って、


不適切な行動を重ねたりして、余計に自分の立場を悪くしてしまったり、しかねないと思うんですよね。


自分が“その程度でしかない”と見なされたとしたら、どうすべきか?


もちろん、感情的になって相手を攻撃したりはダメだと思います(^_^;)


そんなことをしたって、相手が考え直してくれることはありませんし、評価がもっと下がるだけです。場合によっては(不適切な攻撃をすれば)それで済まないことにもなりえます。


もちろん、ちゃんと認めてもらえる、評価される人間になろう!と頑張ることは素敵ですし、有意義だと堀田も思います。でもそれだけでは足りないと思うのですよ。


厳しい言い方をしたのには理由があります。

もし、あなたが取引先だったとして、自分の会社を「縁が切れても構わない、とるに足らない存在だ」と見なされて、無視をされたとしたら…


そういう対応をされないようになろうと努力はしたとしても、その扱いをされた事実と、くやしさは忘れないのではないでしょうか?


それを(公の意味ではなく、自分の内心の問題として)本当の意味で水に流していい場合があるとしたら、相手がその件を覚えていて、失礼なことをしました、と、きちんと頭を下げるその瞬間ではないでしょうか。


仕事だと思えば理解できるはずのことが、仕事ではない人間関係になった途端に、甘くなるのはなぜでしょうか?


それは、いったい誰のためになる「甘さ」でしょうか。相手のため? そんなの言わなきゃどっちでも変わらないですよ。それよりも、自分自身のため、自分がちゃんと扱ってもらえなかった事実はくやしいこととして認識した方がいいのではないでしょうか?



もちろん、相手があなたをどう評価しどう扱うかは相手の絶対的な自由です。その件で、あなたが、不当に感じたり、くやしい思いを抱えたり、傷ついたりすることがあったとしても、その件で相手を攻撃したりはしないほうが、あなた自身のためにも絶対にいいのは間違いないと思います。


そして、あなたがそう評価され、そう扱われたのにも必ず理由はあるはずなので、自分を振り返り、改善したり努力したりしていくことには意味があると思います。


でも、その事実を“当然のもの”として受け入れることは、自分自身のためにならないと私は思うのです。


普通に考えてみたとき、この人には嫌われてもいい、なんて、そう簡単には思わないでしょう? 思うとしたら、そうとう相手のことを、相手のこれからも含めて、見くびっていますよね? 失礼なことをされた、くやしい、恥ずかしい。そんな気持ちが自分自身を守ってくれることもあると堀田は思うのです。

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