手に取りやすさ
以前取り上げたが食べ物となろうの比喩はかなり問題がある致命的な部分があると書いた。食べ物は何度も全く同じものを食べる。これについては実際はその都度作って違うだろう?って突っ込まれるがそれは大事じゃない。それは現実的に同じものを作るのが不可能だからで、仮にコピーされたものが出来たら皆食べる。
問題は、なろうはそうじゃないって事。似たような作品が大量にあるが、同じ作品を何度も見るわけじゃない。これがかなり大きな問題になってる。似たようなものが大量にある事と、同じ作品を何十回も読むような行為は全く違うものだと誰にでもすぐ分かるからだ。これ多分根本では、ずっと飽きもせず同じものをって考えが多分違うんだ。
じゃ似たものをずっと楽しむのに意味が無いのか?なら妥協だと思う。多分飽きてるんだ。でなきゃずっと同じ作品を見ればいい。なろう外の人と多分この点は全く変わらない。そこで解決できる答えが、両者をつなぐ接点で妥協してるってだけだと思う。飽きてる事と、ある種の似たタイプをずっと楽しみたいの両方の妥協点で交わるのが似たような作品を大量に読むことだと思う。
これは今回は良い、これについて過去水源さん(最近コロナばかりで、それさえも投稿がランクインしなくなってきたので知らない人も多いかもしれないけど)が食べ物で例えるのを批判したが、そこは正しいのだが、水源さんの考えるポイントは面白い視点もあるかも?と思えてきた。
なんというか着眼点はとてもいいが、伝える段階で大失敗してると思う。おそらく本人が直感的に何かを感じてるが、具体的にポイントが全く分かってないと見てる。例に出すものがそれであまりに酷くなってしまってる。かといって私も気が付いてみると、これ上手く伝えるのがとても難しい。
最近気が付いたのは、これ私が最近書いてきたなろうって実は熱心な信者が支えるコンテンツじゃないのでは?ってここ最近の私のエッセイが絡んでいる。過去の私は単純になろうはファンタジー大好き読者に偏った読者層であると見ていた。実際そうやって過去のエッセイでは書いてる。でも最近はそう思ってない。もっと別の要因でこのようなランキングの独占状態になってるのでは?と見ている。
それが何なのか?で過去に書いたシェアワールドは間違ってない。ただそれだけじゃ多分言葉足らず。そこで、水源さんのこの問題だらけの食べ物比喩に隠れてるファクターが多分重要だと気が付いた。
本当にうまく言えないんだけど、なろうの作品は手に取りやすさ。これが大きいと思う。何度も書いてるが選択の段階ですでになろうのランキング上位のポイントは終わっていると書いてる。とりあえず読者に読ませることが出来たらものすごいアドバンテージを得たと見ている。その後やっと個々の作品の内容の読者の好みに入っていく。
その選ばせる部分の手に取りやすさが、ハンバーガーと懐石料理の差だと見ている。水源さんも近いことを言ってるがどうも上手く伝えきれてない。そこで思いつくのがコンビニだなと思う。コストが少々割高でも、スーパーじゃなくてコンビニで買い物する人の心理とは?多分営業時間と立地だと思う。24時間は大げさだとしても、スーパーの営業時間を大幅に上回るのはどのコンビニでも間違いないだろう。当然そこに立地も絡む。
問題は、本質は分かったが、何故なろうは手に取りやすいのか?これが良く分からない。それはこの手に取りやすさも雑な言葉だからってのがある。私も上手く伝えられないから強引に書いてる。だって具体的に立地と営業時間と書くとすぐ分かるのに何故わざわざ手に取りやすさと言い換える?
なろうと他のモノで例えるのをつなぐのが難しいからになる。他のモノの具体的な説明が手に取りやすさって抽象的であいまいなものに間をつなぐために置き換えてしまってる。2つ重要な点がある。手に取りやすさをもっと分かりやすく突っ込む点と、もう1つはなろうでも具体的な他の小説に比べた手に取りやすさを出すべきだろう。
一番簡単なのは文章だ。これは全く他の小説と違う。だが同じような文体で他ジャンルなら多分読まない。重要な点だが、もっと突っ込まなくてはいけない部分がある。
手に取りやすさについては、これが突っ込み切れないのは、多分これなろうに留まるものじゃない。あらゆるすべてのもので多分ものすごい重要なものが隠されてる。これに通じるのは多分導線だと思う。手に取りやすさってものを本格的に取り上げると、こういった専門的な客商売の視点が入ってくる。無料だが当然だろう。
金を払わせる前段階にまず集客しないといけないから、それは無料だろうが有料だろうが同じポイントになる。実際は無料と有料はいろいろ異なる部分もあるが、それは過去きちんと書いてると思う。相違点もあるが共通点も多い。そういった大きなものは面倒なので置いておいて、なろうで具体的に考えた場合の何故選択されやすいのか?はもっとコンパクトにやれると思う。
ありとあらゆるものを統一する1つの考えはまとめ上げるのがとても大変で、大体は抽象的になる。当然だろうすべてを統括するのだから、具体的に偏った説明はできない。経済学何かに似てくると思う。こっちも私の話を見て手を付けたい人是非やってほしい。だがあまりに大変なので楽な方からと。
ちょっと話がずれるが、詐欺師のテクニックと言うのがある、事実は後者の方が楽なのだが、あえて前者を使いたがる人間の中で最初からだますためだけに使う人間もいる。まともな思考なら大体は楽な方に進むのだが、困難に立ち向かうのじゃなくて、前者を選ぶ人間の大半は騙すために使う。相手が良く分からないがなんとなく重要そうなのでつい聞いてしまうのを狙っていて、騙す部分は最初から答え=解決に向かう気が全くない点になる。
質の悪い人間だと自分もこの思考が問題があるのに全く気が付いてない。なんらかの解決策に向かうなら絶対に後回しにするのが得策だと言う思考訓練を真面目にやってない。無自覚に人をだますことに対して多分嫌悪案が全くないのだろう。やりたい気持ちもあるが、私はこれ上手くまとまらないので後回しにする。
ただ、水源さんはその気はないとは思う。具体的に書いてる中で、私がこれ重要なポイントがあると気が付いただけなので。私が勝手に抜き出しただけなので。
ここ最近のすべてを統括するのはインスタント性がある。ただこれ、何かいまいちだと思う。何故か?と言うとなろうが文字なのが問題なんだ。このインスタント性から文字は真っ先に排除される。文字でもすべて排除ではない、説明的な長文もそべてそうだ。私は何度も文字はまず排除される要素だと書いてるのはそこがある。
真っ先に排除される部分が重要なのに、それを基本に話をしなくちゃいけないのはむつかしい。だからインスタント性は旨く扱えない。なろうが外と似た現象だがどうしても問題になるのが文字だとずっと書いてる。なろうは内容でそれなりにアニメで選ばれてるし、そこそこ漫画も強い。でも選びやすさで文字で実際読む人はかなり絞られてしまうと思う。
あくまで文字媒体の中の選びやすさにすぎないってのを最後にしておきたいと思う。正直何もかけてないと思う。ただここをスタートにしたい。水源さんへの謝罪めいたものもある。何か伝えようとしてるが多分失敗してる。だが、水源さんへPTを入れた人たちが気が付いてないから本人も気が付けない。何度も同じ事書いてるので多分失敗に気が付いてない。
でも何度も書くことで、これ失敗してるだけでとても重要な事じゃないか?と思い始めた。なんとなく言わんとしてることがつかめてきた。誰も失敗だと思ってないけど、懐石料理とハンバーガーじゃ手に取りやすさの対比で分かりにくい。
追記でどうしても触れたい点で、なろうは大好きと言う信者的傾向を示す部分がある。それは感想などにたまに見かけるざまぁが中途半端に終わる事への不満になる。ざまぁ対象をきちんと貶めろ。これがなろうの読者にはあると思う。
感想だけのノイジーマイノリティではないか?なら多分違う。ざまぁ終了とともに人気が落ちてくる長期化に向かない昨今の問題がそれを表してると思う。
では私の言うことは間違いないのか?で1つ追加するのは、多分それは以前誰かのエッセイで合ったなろうはカレーやラーメンを頼んだらそのままそれが出てくるって点にある。もちろんこれは冒頭に述べた同じ作品の否定とやや重なってしまう部分がある。
その点妥協って書いた通りになる。同じは全否定だが、似ているはその根幹に対する妥協だと見ている。注文通りのものが出てこない。これに対する不満は別に大好き!って強い信者読者の存在は必要が無い。
じゃ信者的読者はいないのか?ならそれは全く違うが、多数派ではないだろうと見ている。
3つの柱、手に取りやすい、注文通りの内容、シェアワールド。これらを総合してみてくるのは、読者が選ぶって部分の重要性になる。すべてはなろうの奇妙難点はここに行き着く。内容が同たらってのはこの選ぶことと密接に関係してて、そこを無視して内容に言及してもほとんど意味が無いと書いて締めたい。