82.匂いを追って
ミモザの言葉に、私とレオナルドは揃って彼の顔を見つめた。私の肩に止まったままの蜜蜂からは、魔術師たちのどよめきが聞こえてくる。
「ねえミモザ、ヴィットーリオがあの置物を持っていったことが、そんなに大切なの?」
「うん。あの置物、というよりもあの目が重要なんだ」
前にミモザがこしらえた、木でできた竜の置物。その目にはまっているのは、竜の秘薬とよく似た金色の塊。
「あれは竜の秘薬と同じように僕が生み出したものだから、独特の匂いがするんだよ」
「匂いですか?」
レオナルドはきょとんとしたまま、置物に顔を寄せている。私もかがみこんで匂いをかいでみたけれど、新しい木の匂い以外何も分からない。
「正確には匂いっていうか、魔力の痕跡みたいなものっていうか……ともかく、僕ならヴィットーリオが通った跡を探し出せるかもしれない」
「おねがいします、ミモザさま!」
レオナルドが幼い顔を精いっぱい引き締めて、深々と頭を下げた。その頭をよしよしとなでて、ミモザがまた笑う。
「じゃあまずは、シーシェたちと合流しよう。作戦会議をしないとね」
ぎっちりと兵士に囲まれたレオナルドに見送られながら、私とミモザは部屋を出た。そしてシーシェたちと合流し、そのまま近くの部屋に全員で移動する。扉をきっちりと閉めて、魔術師たちが周囲を点検し始める。
「きっと誘拐犯たちはヴィットーリオ様をさらう前に、使い魔を王宮に送り込んで偵察していたと思うんです。万が一にも私たちの会話を盗み聞きされないよう、しっかり警戒しなくちゃ」
そんなことを言いながら、メリナたちはあれこれと魔法を使って部屋の中を調べたり、結界を張ったりしていた。
その様子を、ミモザは興味深そうにじっと見つめていた。勉強になるなあ、などとつぶやいている。
と、魔術師たちの邪魔にならないところに一人突っ立っているシーシェが目についた。彼だけ何もしていない。
そんな彼に、ミモザが小首をかしげながら尋ねた。
「シーシェは手伝わないの? みんな忙しそうだよ?」
「あいにくと、俺は転移の魔法以外は苦手なんだ。まあ、不審者が殴り込んできたら、その時は俺が相手をしてやるさ」
「……相手するって、まさか腕力で? 何だか強そうだけど」
「そのまさかだ。格闘術なら、そこらの兵士には負けないぞ」
ぽかんとしているミモザに笑いかけ、話に混ざる。
「私も一度見たけれど、鮮やかな腕前だったわよ。こうやって首をきゅっとやったら、あっという間に相手が気絶して」
「へえ、そうなんだ。変わった魔術師もいるんだね」
「どっちかというと、この能力よりも性格のほうが変わっている気がするわ。メリナも大変よね」
和気あいあいとそんな会話をしている私たちのところに、魔術師たちが一人また一人と集まってきた。メリナがそこはかとなく得意げな顔で報告してくる。
「部屋の確認、終わりました。情報がもれないようにできる限りのことはしています」
「それじゃあ、作戦会議を始めましょう。……ところで、どこから手をつけましょうか?」
何となくみんなを仕切ってみたはいいものの、実のところ、何をどうしたものかよく分かっていなかった。とにかく前に進めるぞと思ったら、考えるより前に動いてしまっていた。
そんな私に笑いかけて、ミモザが口を開く。
「シーシェって、転移の魔法が使えるんだよね。一度にどれくらいの距離を移動できるの? もしシーシェが人さらいをするとしたら、どういう経路をたどる?」
「そうだな。レオナルド様の部屋から、子供一人抱えて跳ぶとなると……いったん中庭に抜けて、すぐにもう一度飛んで西の裏門かな。東の正門は城下町に続いていて、人が多すぎる」
窓の外を眺めて考え込みながら、シーシェがすらすらと答える。
「人を連れて一度に長距離を跳ぼうとすると、事故が起こる可能性が跳ね上がるんだ。転移の魔法は、割と繊細なんでな」
シーシェがこちらをちらりと見た。おかしそうに目を細めている。
たぶんファビオが乱入してきたせいで転移の座標が狂ってしまった、あの事故のことを思い出しているのだろう。
「犯人はヴィットーリオ様を連れているのだし、できるだけ安全に飛ぼうとしただろう。だから、今言った経路で合っていると思う」
「じゃあ、匂いをたどるとしたら中庭からだね。僕はヴィットーリオの痕跡を探すことに全力を注ぐから、あなたたちは周囲を警戒して、犯人を逃がさないよう気をつけて」
「ミモザ様、レオナルド様の守りに何人か残したほうがいいと思います。防御系の魔法を得意とする者もいますから」
「うん、メリナの言う通りだね。だったら魔術師たちには、二手に分かれてもらおうかな。僕たちと一緒にヴィットーリオを追う人たちと、レオナルドのそばについて守りを固める人たちに」
「俺はヴィットーリオ様を追いかける。もしかしたら戦いになるかもしれないしな」
「そうだね、シーシェ。目立つから兵士たちは最低限しか連れていけないし、魔法を使わずに戦えるあなたがいると助かることもあるかも」
ミモザはてきぱきと指示を飛ばしている。みんな、神妙な顔をしてうなずいていた。
そんなみんなを見ながら、私はこっそりとため息をついていた。
「魔術師相手だと、あの光る雪の魔法も効くかどうか分からないわね……」
かなり昔に自力で組み上げた、触れるものをゆっくりと燃やす光る雪の魔法。見た目が綺麗だし、人間だけを攻撃対象にできるお気に入りの魔法だ。
けれどあれはあくまでも賊などを驚かせて追い払うためのものなので、威力は弱い。魔術師なら驚きもしないだろうし、魔法で防がれてしまうかもしれない。
自分が使える魔法を、順に思い出してみる。駄目だ、人探しに役立ちそうなものも、守りに使えそうなものも、魔術師との戦いに使えそうなものもない。
私が習得しているのは、基本的に生活に役立つ魔法ばかりなのだ。加工の魔法など、その筆頭といえるだろう。
急に自分がひどく無力なように思えてしまって、無言でうなだれる。
追放された先で、壊れていく国をただ見ていることしかできなかった魔術師たちも、こんな思いをしていたのだろうか。
そうしていたら、ミモザが突然こちらを振り返った。
「ジュリエッタ、もちろんあなたの力も貸してね。頼りにしているから」
「でも私、転移の魔法も使えないし、使い魔も作れないし……戦いにもあまり向いていないし……」
「あなたは機転が利くし、みんなをまとめるのもうまいでしょう。僕の自慢の伴侶なんだから、そんな顔しないでよ」
「うう、ミモザあ……」
ちょっと後ろ向きになっていたところに優しい言葉をかけられたせいで、うっかり泣きそうになってしまった。年を取ると涙もろくなるのかもしれない。
さっきのレオナルドのように彼に抱き着いてしまった私の頭を、ミモザは優しくなでてくれていた。
それから私たちは手早く打ち合わせと準備を済ませ、すぐに中庭に移動した。ヴィットーリオを追いかけるのは私とミモザ、それにシーシェとメリナの四人と、それに十名ほどの兵士たちだ。
魔術師をどこに配置するかはメリナに任せたのだけれど、かなり極端な編成になった。
使い魔を用いて偵察が行え、そして連絡もできるメリナ。もとより彼女には、こちらに来てもらうつもりだった。
シーシェは自ら志願してこちらにやってきた。彼は転移の魔法が使えるし、戦いも得意だ。
けれど理由は、それだけではない。今はマジマの粉で眠っているロベルトが目を覚ましたら、彼は間違いなくシーシェを探す。要注意人物として。
そしてシーシェは、つい余計なことを言いがちだ。まっすぐというか裏表がないというか、もう少し歯に衣着せてほしいというか。
彼がうっかりロベルトを激怒させてしまう可能性があることを考えると、とても彼を王宮に残すことなどできなかった。
そして他の魔術師たちと話し合った結果、この二人がいれば大丈夫だろうということになった。残りの魔術師たちはレオナルドの守りに加えて、王宮の捜索に加わった。
そうして今私たちは、固唾をのんでなりゆきを見守っていた。
中庭の真ん中に、ミモザがたたずんでいる。目を細めて、顎を少し突き出して。鳥の声に耳を澄ませているような、風にのって流れてきた花の香りをかいでいるような、そんな仕草だ。
長くてたっぷりとしたまつげが彼の金色の目を半ばほどまで覆い隠していて、とても神秘的な雰囲気をかもし出している。
「……うん、確かにここに、ヴィットーリオが来てるね。それも、ここ数日のうちに」
その言葉に、兵士たちから抑え気味の歓声が上がる。
「でも、ここから移動した気配がない。やっぱりシーシェの言う通り、もう一度転移したのかな」
「だったら、次は裏門ね」
どことなくがっかりしている兵士たちを励ますように、ことさらに明るく言う。
ミモザも大きくうなずいて、私たちは一緒に走り出した。後ろからたくさんの足音が追いかけてくるのを聞きながら。
王宮の中を走り抜け、裏門の前に立つ。前にファビオと二人で、魔術師の説得に向かった時に通ったのもこの門だ。
この王都は西に王城があり、その東側には城下町が広がっている。だから王城の東側にある門が正面口で、この西門は裏口だ。
「うん、良かった。ここにも匂いが残ってるよ。ああ、こっちに続いてるのかな」
ミモザは集中しようとしているのか、目を閉じた。そのままゆっくりと歩き出す。
「危ないわ、ミモザ。私につかまって」
とっさに彼に駆け寄り、そっと腕をつかむ。ミモザは目を閉じたまま微笑んで、そのまますたすたと歩き出した。
「あなたが支えてくれるなら、何も心配いらないね」
それはただの気休めだったのかもしれない。けれど、今の私にはとても嬉しい言葉だった。私たちは寄り添って、ゆっくりと歩き続ける。
そうしてそのまま、裏門をくぐる。その向こうにはごくありふれた草原が広がっているだけで、人の気配はどこにもない。
ミモザは目を閉じたまま、裏門に続く街道をまっすぐに歩き始めた。西へ向かって、迷うことなく。
「このまま、こっちにまっすぐだね。ずっと匂いが途切れずに続いてるよ」
前にファビオと一緒に馬車で通った街道を、ミモザの手を引いて歩く。
この道をこのまま進めば、あの砦にも行くことができる。まさかね、と思いながら、同行している兵士に聞いてみた。
「確か、砦にはヴィットーリオはいなかったのよね?」
すぐに肯定の言葉が返ってくる。ヴィットーリオを探しに出た兵士たちは、徐々に捜索の範囲を広げ、本来魔術師たちがいるはずのあの砦まで到達していた。当然ながらそこは、特に念入りに調べ上げられたのだそうだ。
それを聞いたシーシェとメリナが、顔を寄せ合ってひそひそと話している。
「……あの隠し通路は、どうにか見つからずに済んだみたいだな」
「あれが見つかったら、今の拠点もじきに見つかってしまうものね」
「今見つかったら、間違いなく拠点が攻め落とされるからな。……たぶん長は無関係なのだろうし、さすがにそれはちょっとな」
「でもそうなったほうが、解決は早い気もするわ」
「……もしあの長がこの誘拐に関与していたならな」
「してなくても、何か知ってるかもしれないでしょ」
そんなこそこそ話を聞きながら、大きく息を吐く。
私はちょっとそこまで行って、魔術師たちを連れ戻そうと思っただけだった。
それなのに、どんどん状況がややこしく、深刻になっていく。いつになったら、元ののんびりとした生活に戻れるのだろうか。
少しずつ傾いていく太陽を眺め、ゆっくりと大きくため息をついた。




