81.王宮は大騒ぎ
「ヴィットーリオがさらわれたですってえ!?」
予想もしていなかった言葉に、つい大声を張り上げてしまった。ロベルトは青ざめたまま、こくこくと小刻みにうなずいている。彼はそのまま顔を伏せ、また口を開いた。
「はい。ちょうど、ミモザ様が王宮を飛び出していかれた次の日の晩のことでした」
その言葉に、ミモザがうわあ、と言いながら頭を抱える。
メリナの使い魔からの連絡を受けてすぐに飛び出さなければ、自分さえ王宮に留まっていれば、そんなことにはならなかったかもしれない。たぶんミモザはそういったことを考えている。
ロベルトはそんなミモザをちらりと見て、暗い声でぼそぼそと説明を続けた。その目はうつろで血走っている。きっとその日から、ろくに眠れていないのだろう。
「ヴィットーリオ様はレオナルド様の部屋におられたのですが、そこに一人の魔術師が乱入してきたのです。何もない空中に突然現れたせいで、衛兵たちもなすすべがなく」
私の背後から、魔術師たちのざわめきが聞こえてきた。
そっとそちらを振り向くと、戸惑い顔を見合わせながら、小声でささやき合っている彼らの姿が目に入った。みな、顔色が悪い。
「魔術師の狙いはレオナルド様の身柄だったようなのですが、すんでのところでヴィットーリオ様が割って入られたのだそうです。そうして魔術師がヴィットーリオ様に触れたとたん、二人の姿は同時にかき消えました」
ロベルトのひょろひょろとした体は、小さく震えていた。そして彼がゆっくりと顔を上げると、その目には見たこともないほど鋭く、剣呑な光が宿っていた。
「私が話せるのはここまでです。……それでは、そちらの魔術師のみなさま。これより貴方がたを捕縛させていただきます」
その言葉に、ざわついていた魔術師たちが一度に息を呑んだ。ロベルトは彼らの方を見据え、言葉を続ける。
「貴方がたはヴィットーリオ様を誘拐した犯人、あるいはその共犯である可能性があります。お話はのちほど、じっくりと聞きましょう」
驚くほど静かに、淡々と宣告するロベルト。魔術師たちをかばうように、一歩前に進み出る。
「待って、ロベルト! 彼らはその事件の前から、私たちとずっと一緒にいたのよ! 彼らにヴィットーリオをさらうなんて、できっこないわ!」
「そうだよ。それに、魔術師たちは一枚岩じゃないんだ。他の一派の仕業じゃないの?」
私に加勢するように、ミモザも隣にやってくる。二人並んで、ロベルトをしっかりと見返した。彼らを捕縛するというのなら、私たちが黙っていないんだからね。そんな思いを込めて。
けれどその時、私とミモザを押しのけるようにしてシーシェが進み出てきた。いつも快活なその顔が、どことなく物憂げな色をたたえている。
「かばってくれてありがとう、ジュリエッタ、ミモザ様。だがいいんだ」
シーシェはロベルトに向き直ると、声を張り上げた。
「状況から見て、ヴィットーリオ様をさらったのは転移の魔法を使う者だろう? この中で、転移の魔法を使えるのは俺だけだ。だから捕縛するのは俺だけにして、他の者は見逃してくれ」
「駄目、シーシェ!」
予想できたことだったが、今度はメリナが飛び出してきた。シーシェの腰にしがみついて、行かせまいと一生懸命に踏ん張っている。
ロベルトはそんな二人を感情のない目で見つめていたが、その口がまたゆっくりと動き出した。おそらく、背後に控えている兵士に命令を出そうとしているのだろう。
これはまずい。間違いなくロベルトは我を失っている。
ヴィットーリオをさらわれた衝撃に、寝不足による判断力の低下が輪をかけている。まずは彼を止めないと、さらに収拾がつかなくなってしまう気がする。
……こういう時は、やっぱりあれに限る。カバンの中に手を突っ込み、荒っぽく引っかき回す。
じきに、目当てのものに手が触れた。それをたっぷりと手に握りこんで、思いっきりロベルトの顔面に叩きつける。なじみのある匂いの白い粉が、ふわりと舞った。
まだ大騒ぎをしているシーシェとメリナが、目を丸くしてロベルトを見た。ロベルトはゆっくりと目を閉じ、崩れ落ちていく。ミモザが慣れた動きで、ロベルトを抱き留める。
寝不足の人間に、マジマの粉は抜群に良く効く。今までに何度もファビオで試してはいたけれど、ロベルトにも無事に効いてくれて良かった。ほっと胸をなでおろす。
「……いっそ、『眠りの魔女』とかに改名する?」
ミモザが苦笑しながら、そんなことをつぶやいている。彼に笑い返した拍子に、戸惑い顔を見合わせている兵士たちが目についた。
さて次は、彼らを言いくるめる番だ。帰ってきたばかりだというのに、せわしないにもほどがある。
堂々と胸を張り、兵士たちに命令する。彼らは私の配下ではないが、強気で押せばなんとかなるだろう。
「はい、ひとまず捕縛の話は保留ね。それよりも、ロベルトを部屋に運んで寝かせてやって。解毒剤は使わないでね。彼、とっても疲れてるから休ませたいの」
兵士たちが口を挟む隙も与えずに、次々とまくしたてる。
「で、レオナルドは今どこにいるの? 彼から話が聞きたいのよ」
「しかし、魔術師たちを取り調べなくては……ヴィットーリオ様が……」
まだごねている兵士たちに、さらに強気に迫る。ミモザもロベルトを床に寝かせてから、すっと立ち上がり私の隣に並んだ。兵士たちがたじろいでいる。
「それは私たちが調べるわ。あの子を一刻も早く取り返したいのは、私たちも同じだもの」
「そうだよ。こっちには有能な魔術師たちもいるし、僕たちが力を合わせればきっとなんとかなる」
「そういうことだから、さっさと教えてちょうだい。今はとにかく、時間が惜しいのよ」
いい加減じれったくなって、つい語気が強くなる。
「は、はい! 今すぐ!」
私たちの気迫に負けたらしく、兵士たちがびしっと背筋を伸ばした。そうしてはきはきと説明を始める。
レオナルドは今、大幅に警備を増強した私室にこもっているのだそうだ。ヴィットーリオを探しに兵たちが王宮や王都、そしてその周囲を捜索しているものの、今のところ足取りはつかめていないらしい。
黙って話を聞いていたシーシェが、大きくため息をついた。
「普通の警備なんか、転移の魔法の前では意味ないんだが……透明化の魔法や飛行の魔法でも突破できるし、催眠の魔法という手もあるぞ」
「余計な事言わないの、シーシェ。そもそも私たち魔術師が全員不在なんだから、兵士で守りを固めるほかないでしょう」
そう言葉を返すメリナの声も暗い。有事に何もできなかったことと、犯人として嫌疑をかけられたこと、その両方が悔しいのだろう。
「そうね。……悩んでいても始まらないわ。ひとまず、レオナルドに会いに行きましょう」
「俺たちはここで待っている。その方が兵士たちも安心できるだろう。お前たち、遠慮なく俺たちを見張っていてくれ」
堂々と仁王立ちになったシーシェが、兵士たちにきっぱりと言い放つ。遠慮なく見張れって、言われたほうは困ると思うのだけれど。
案の定兵士たちは大いに困惑しながら、やや遠巻きに魔術師たちを取り囲んでいる。まあいいか、ロベルトは部屋に運ばれていったし、命令する者がいなければ兵士たちは動かないだろうし。
「分かったわ、すぐに戻るから。……メリナ、一応シーシェを見張っておいて。何かやらかしそうな気もするから」
「任せてください!」
張り切った様子のメリナにうなずきかけて、ミモザと二人でレオナルドの私室に向かって走る。今まで何度も遊びにいったから、場所は分かっている。
そうしてたどり着いた部屋の前には、兵士がずらりと並んでいた。険しい顔をしていた彼らだったが、私たちの顔を見てほっとしたように息を吐く。
声をかけるより先に、彼らは左右に分かれて道を開けてくれた。扉を開けて中に入ったとたん、涙をいっぱいに浮かべたレオナルドが飛びついてくる。
「ジュリエッタさま、ミモザさま! にいさまが、にいさまが!」
しゃくりあげているレオナルドをしっかりと抱き留めて、頭を優しくなでる。部屋の四隅には兵士が一人ずつ立っていて、やはり私たちを見て安堵していた。
「ごめんなさいね、留守にしていて。ヴィットーリオは私たちが探してあげるから、どうかあなたの力を貸して」
「はい、ぼくにできることなら、何でもします」
「それじゃあ、何があったのか話してもらえるかな? 辛いと思うけど、状況を一番詳しく知っているのは君だから」
優しい笑みを浮かべたミモザの問いに、私の服をぎゅっとつかんだままレオナルドがたどたどしく答える。
しかし彼が語った誘拐の時の状況は、ロベルトが話していたものとほぼ同じだった。
もうちょっと何か、新しい情報が得られるかと思ったのだけれど。でも、レオナルドを問い詰める訳にもいかないし。
レオナルドを胸元にぎゅっと抱きしめたまま、ミモザと困り顔を見合わせる。
その時、いきなりすぐ近くから思いもかけない声がした。
『聞いた感じだと、やはり侵入者は転移の魔法の使い手だな。それも、かなりの手練れだ。背丈と年頃からして……下手人はあいつかあいつだな』
「えっ、シーシェ!?」
部屋の中にいない筈のシーシェの声が、すぐ近くで聞こえる。
『でもあいつは気が弱いからこんなことはしそうにないし……となるとあいつか。おかしいな、あいつは長の言うことはあまり聞かないんだがなあ』
きょろきょろしながら、声の出所を探す。じきに、小さな蜜蜂が肩のところに止まっていることに気がついた。
そういえばメリナと出会った時にシーシェが、蜜蜂がどうとか言っていたような。
「……もしかして、この蜜蜂は使い魔なの? それもたぶん、メリナの」
『ちょっとシーシェ、あなたが喋るから見つかっちゃったじゃないの!』
今度はメリナの声が、蜜蜂から聞こえてくる。どうやら彼女たちはこっそりと使い魔を私にくっつけて、ここでの話を盗み聞きしようとしたらしい。
思いついたのはどうせシーシェなんだろうな。で、メリナがしぶしぶといった顔で、しかしいそいそと手を貸す……その光景が目に浮かぶようだ。
別にそんなことしなくても、後できちんと話してあげるのに。苦笑しながら、肩に止まった蜜蜂に話しかける。
「シーシェ、どうやらあなたには犯人の心当たりがあるみたいね? あいつと言われても分からないわよ。もうちょっと情報をちょうだい」
『済まん済まん。まだ証拠も何もないし、名前を出すのは避けたくてな』
『あなたにしては珍しく、気が利くじゃないの。ただ、私もきっとあいつだと思う。こんな大それたことをしでかすくらいに性格が悪いのも、あいつだけだし』
シーシェとメリナが、こちらを置き去りにして盛り上がっている。だからあいつって誰なの。
『だよなあ。一番怪しいのはあいつだよな。魔術師以外に、転移の魔法を使いこなすやつがいるとは思えないし』
『普段から不満の多い方でしたけど、まさかこんな凶行に走るとは……』
『はあ、それでなくても長のせいで面倒になってたのに……あいつまでやらかすなんて、どうしたらいいんだよ』
二人の周囲にいるはずの魔術師たちも、そんな風にてんでに言い合っている。レオナルドが涙に濡れた目を見開いて、ぽかんとした顔で蜜蜂を見つめていた。
魔術師たちは放っておいたらいつまでもお喋りを続けそうだ。一つ息を吐いて、彼らに呼び掛ける。
「ねえ、犯人がその『あいつ』だとして、どこにいったか心当たりはあるの?」
『あいにく、まったくない』
『たぶん、長のところにはいないでしょう。長は自尊心が高くて頑固ですけど、気は小さいので。王族の誘拐だなんてとんでもないことに関わるとは思えません』
『だな。ジュリエッタを捕らえた時だって、俺たちはかなり驚かされたんだ』
シーシェとメリナの掛け合いを聞きながら、ぐっと眉間にしわを寄せる。
「となると、手掛かりが何もないのね……転移の魔法を使う魔術師なんて、どうやって追いかければいいのかしら」
しまった、口を滑らせた。そう思って下を見ると、レオナルドは大きな目いっぱいに涙をためていた。
「大丈夫よ、レオナルド。私たちが頑張るから。だから泣かないで」
「は、はい。……そう、ですね。ぼくはしっかりした王になるのだと、お守りに誓ったんです。きっとこのお守りが、ぼくとにいさまを守ってくれます」
彼はぐすぐすと鼻を鳴らしながら、小さな手に持っているものを見せてくれた。
それは、かつてミモザがレオナルドとヴィットーリオに贈った小さな竜の置物だった。ミモザそっくりの金色の目が、つややかに輝いている。
「それ、ミモザが作ったものよね? お守りになったの?」
「はい。ぼくとにいさまは、あれからずっとこのお守りを肌身離さず身に着けているんです」
その言葉を聞いたとたん、ミモザがぱっと顔を輝かせた。それから私とレオナルドに向かって、にっこりと笑う。
それはレオナルドが泣くことを完璧に忘れてしまうほど、見事な笑顔だった。彼の笑顔を見慣れている私ですら、思わず見とれてしまうほどに。
「肌身離さず、か。だったらヴィットーリオも、その置物を持っていったんだよね? それなら僕が、役に立てるかもしれない」




