77.宿場町は大騒ぎ
若手の魔術師たちと合流したその日、私たちはみんなでそのまま宿場町に泊まることにした。
ずっと道なき道を突き進んできた私とシーシェは、もうすっかり疲れ果ててしまっていたのだ。ミモザに伝言も頼めたし、ちょっとくらいゆっくりしても構わないだろうと、そう思ったのだ。
人気のない森の中での野宿は、慣れていてもかなり神経を使う。野の獣と出くわすこともあるし、うっかり賊に見つかることもある。
それにこのところやけに雨が多いから、地滑りや崖崩れ、あるいは鉄砲水なんかが起こらないとも限らない。
そういったことを警戒しながらだと、どうにもぐっすりと眠れない。ミモザと旅している時はいつだって熟睡できていたことに、今さらながらに気づく。
だから私は久しぶりのまともな宿の寝台で、それはもうぐっすりと眠りこんでいた。
闇の中に響き渡った轟音も、それに続いて起こった騒動も、これっぽっちも私の耳には届かなかった。
さわやかな朝の光に、ううんと大きく伸びをする。それからゆっくりと身を起こして深呼吸する。
ああ、久しぶりにふかふかの寝床で眠れた。最高の目覚めだ。幸せ。
大雑把に髪を整えて食堂に足を運ぶと、何だか辺りがやけに騒がしかった。この宿場町には何度も泊まったことがあるけれど、ここまで騒がしいのは初めてだ。
立ち止まり首をかしげていると、ふらりと後ろからシーシェが顔を出した。彼の黒い髪にはたっぷりと寝癖がついている。熟睡できたのは何よりだけれど、寝癖くらい直したらどうだろうか。
「おはよう、ジュリエッタ。よく眠れたみたいだな」
「ええ、あなたもね。何も警戒せずに休めるありがたさを思い知ったわ。ところで、これは何の騒ぎなの? 宿の中も外も、やけにばたばたしているけれど……」
「俺も知らない。さっき起きたところなんだ」
食堂の入り口で立ったままそんなことを話していると、奥の方からメリナが駆け寄ってきた。
「それについては、私たちが説明できます。ただ、ちょっと……」
気まずそうな顔をしながら、彼女は私たちを食堂の奥まった一角に連れていく。そこには他の魔術師たちが顔を揃えていた。
ただ、全員がとても微妙な顔をしていた。何か言いたげにちらちらと私たちを……じゃなくて私を見ている。どことなく居心地が悪い。何、この視線は。
私たちが空いた席に着くと、魔術師の一人が手際良くお茶を差し出してきた。それに口をつけながら、じっとメリナの言葉を待つ。
彼女は周囲に素早く視線を走らせて、それから思いっきり声をひそめた。
「実はですね、昨夜大変なことがあったみたいなんです」
そうして彼女が語った言葉に、私は頭を抱えるしかできなかった。
だって、真夜中に白い竜が飛んできて、近くの森に突っ込んで姿を消した、だなんて言われてしまったら、ねえ。
「やっぱり、ミモザが来ちゃったのね……」
使い魔のおかげで私の居場所が分かったから、全速力で迎えに来た。彼の性格を考えたら、当然予想できたことではあった。
しかし昨日の私は、脱獄やら慣れない二人旅やらですっかり疲れてしまっていた。とにかくミモザに連絡して、寝たい。それしか頭になかった。
「ただ来ただけならいいんですけど、ねえ……」
メリナの言葉に、魔術師たちが一斉に目をそらす。彼らの目線の先には、他の宿泊客たちの姿があった。
耳を澄ますと、宿泊客たちがてんでに喋っているのが聞こえてくる。みんなちょっと興奮気味だ。
「なあなあ、昨夜そこの森に現れた白き竜……って、前に王都に現れたっていう神様のことだよな?」
「ああ、間違いない。王都で売ってた姿絵と、そっくりだって話だ」
「俺さあ、間違いなくこの目で見たんだよ。とっても綺麗で、恐ろしく神々しかった。あれは間違いなく、とっても力のある霊験あらたかな神様だな」
「でも、どうして神様なんかがこんなところに来たんでしょうねえ。悪いことが起こらないといいんだけど」
「逆だよ、逆。王都を守ってくれた神様が、今度はこの宿場町も守ってくれるんだ。こんな幸運なことがあるかっての」
あんぐりと口が開きそうになるのを必死にこらえながら、深々とため息をつく。なんだか、頭が痛くなってきた気がする。
「……ひとまず、朝食を済ませましょう。それから大急ぎで旅の支度を整えて、さっさとこの宿場町を出るわよ」
「ミモザ様に合流しなくていいのか? すぐそこまで来てるんだろう?」
シーシェがのんきに尋ねてくる。どうも彼だけは、この状況をあまり深刻にとらえていないようだった。前から思っていたけれど、肝がすわり過ぎてはいないか。
さらに声をひそめて、考えていることを話す。
「彼はきっと、町の外で待っていると思うの。あんな方法でやってきたら、間違いなくここは大騒ぎになってしまう。彼は自分のことを噂されるのが、苦手なのよ」
「だったらもっと、目立たないように来れば良かったのに」
すっと視線をそらして、メリナがぼそりとつぶやく。そう言いたくなる気持ちは痛いほど理解できる。
「ミモザは少しでも早く、私の近くに来たかったんだと思うの。あなたにもその気持ち、分かるんじゃない?」
「どうして私なんですか」
「だって、あなただってシーシェのことが心配で」
メリナは真っ赤になって、いきなり私の口を手で押さえてしまった。それ以上喋るなということらしい。
こうも分かりやすく可愛い反応をされてしまったら、余計にからかいたくなってしまうのだけれど。彼女はその辺りのことに気づいているのだろうか。たぶん、全く自覚していないんだろうな。
そしてシーシェは愉快そうに笑いながら、やってきた給仕に注文を伝えている。こっちはこっちで鈍いから、きっとメリナの気持ちには気づいていないんだろう。
周囲の魔術師たちは、何とも言えない生暖かい目でメリナとシーシェを見守っていた。きっとこれ、いつものやり取りなんだろうな。小さな手に口をふさがれたまま、そんなことを思った。
食事を終え、宿場町で準備を整える。携帯食やら細々したものをそろえるために、手分けして買い物をする。
宿場町はどこもかしこも、白い竜の話でもちきりだった。
買い物をしている最中も、何かあの神様にちなんだ商品を作ろう、どうせなら王都のものとは違うものにしよう、といった商魂たくましい会話が盛んに聞こえてくる。
おかげで私は、買い物の間不審な態度になってしまわないように、かなり気を遣う羽目になってしまった。
……竜が舞い降りた森に祭壇を作ろう、という話が聞こえてきた時ばかりは、さすがに吹き出さずにはいられなかったけれど。
「ミモザが、どんどんあがめられていくわ……」
このままいけば、魔女としての私の知名度よりも、神様としての彼の知名度の方が上回ってしまうかもしれない。今まで以上に、彼があの白い竜なのだとばれないようにしないと。
そうして準備を済ませ、みんなで宿場町を出る。そのとたん、横合いから何かに抱き着かれた。ぽふんという柔らかな感触と、懐かしい匂いが私を包む。
「ああ、良かった……ずうっと、心配してたんだからね」
思った通り、それはミモザだった。身動きが取れないほど強くしっかりと私を抱きしめ、ぐりぐりと頭をすりつけてくる。
本人はあふれる思いをぶつけているつもりなのだとは思うけれど、どちらかというとその仕草は甘える猫のそれだった。
「ごめんなさい、色々あったのよ」
「その色々について、ちゃんと聞かせてよね?」
彼の背中をぽんぽんと叩きながら謝ると、すかさず彼は念を押してきた。どことなく声が硬い。これは、うっかり説明の仕方を間違えたら大変なことになりそうな気がする。
思えば、私を迎えにくるためだけに、ミモザは人里のすぐ近くで竜の姿をさらした。それくらいに彼は焦っていたのだ。
そんな彼に、これまでに起こったことをそのまま伝えてしまったら。想像してぞっとした。
彼は私の安全を確保してから、そのまま長のところにすっ飛んでいくに違いない。それこそ、どんな手を使ってでも。ミモザは昔から、変な方向に行動力があるから。
「ええ、歩きながらでも話すわ。順を追って、少しずつね」
ひとまず時間を稼ごうと、そっと話をそらす。ミモザの腕を優しく振りほどいて、宿場町に背を向けた。
「うん、歩いて帰るとなると時間はたっぷりあるからね。……って、あれ?」
そう答えたミモザが、ふと金色の目を丸くした。
「ところで、あなたの後ろにいる人たちはいったい誰なのかなあ。いつの間に、こんな連れができたの?」
驚いたことに、ミモザは今の今までシーシェたちのことが目に入っていなかったらしい。どうやら彼は、私が思っていた以上に焦っていたようだった。
さて、いよいよ説明の始まりだ。ミモザを怒らせないよう、シーシェたちに迷惑がかからないよう、注意して話さないと。
一つ深呼吸すると唇をなめ、ゆっくりと口を開いた。




