75.街道での出会い
それからも私たちは、ひたすらに東の街道を目指して進み続けていた。
魔術師たちの拠点である岩山からはかなり離れることができたし、どうやらもう追手もいないようだった。そんなこともあって、私たちの気持ちにも少しだけ余裕が生まれていた。
「また雨だわ。このところ、よく降るわね」
「恵みの雨というには少し多すぎるな。それに足元がぬかるんで気が滅入る」
私たちは風の魔法で雨をはじきながら、そんなことをのんびりと話していた。
「この分だと、今夜の寝床も私が作る必要がありそうね」
「ああ、よろしく頼む」
雨の日に地面で寝るのは辛い。それに寝ている間は風の魔法を使えない。だからそういう時は、私が加工の魔法で手頃な木や岩を変形させて、屋根のついた小さな寝床を作ることにしていた。
「それにしても、あなたの加工の魔法は素晴らしいな。さすがは魔女様だ」
「ずっと昔から使ってるから、慣れているだけよ。さすがって言われるほどじゃないわ」
苦笑する私に、シーシェは豪快に笑って答える。
「あなたの加工の魔法は、俺たち魔術師たちと比べても遜色ない。いや、むしろあなたの方が上だと思う」
「そこまで凄いの、私? でも、昔必要に迫られて数日で覚えた魔法だし、そこまで難しいものでもないと思うわ」
褒められるのは嬉しい。前にファビオにも同じようなことを言われたけれど、魔術師であるシーシェに言われるとくすぐったい。
思わず謙遜しながら、明るく笑う。しかし返ってきたのは、思いもしない反応だった。
「……数日、だって?」
突然シーシェは立ち止まり、ぎこちなく首を動かしてこちらを見る。彼の顔いっぱいに、驚きの表情が張りついていた。
「え、ええ。ミモザに家事をお願いして、一日中魔導書を読んで勉強し続けたのよ。昔のことであんまり良く覚えてないんだけど、習得するまでに十日はかかってなかったと思うわ」
どうして彼がそこまで驚くのか分からないまま、古い記憶を呼び起こして答える。
「信じられない……教師がついていても、習得に軽く一か月はかかる魔法だぞ。それも、素質がある人間での話だ」
「えっ」
今度は私が驚く番だった。
かつて東の街で買った応用魔法の魔導書、それにはそんなことは書いていなかった。だからてっきり、頑張ればどうにかなるだろうと思い込んでいたのだ。現にこうして、あっさりと習得できていたし。
「きっとあなたには、この魔法の才能があったのだろうな。そうでないと説明がつかない」
「だとしたら、ありがたい話だけど……」
加工の魔法には、数えきれないくらいお世話になってきた。最初に作ったのはミモザの寝台で、それからあの辺境の小屋を建て増して。
そうやって加工の魔法を使い続けるほどに、どんどん慣れていった。おかげで今では、一日足らずで小屋を一軒建てられるまでになった。
この魔法がなかったら、間違いなく辺境暮らしはもっと大変で、ずっと困難なものになっていただろう。
そんな物思いにふけっている私をよそに、シーシェは空を見上げて険しい顔をした。
「ところで、雨が強くなってきたようだ。ちょうどここは高台だし、今日はこの辺りで一泊しよう」
言われてみれば、さっきまでまばらだった雨はすっかり激しくなって、ざあざあと激しく降り注いでいる。彼の言う通り、今日はあまり無理をしない方がいいだろう。
「分かったわ。だったら、しっかりと雨風をしのげる寝床にしなくちゃね」
手頃な木の前に立ち、身構える。この大きさなら、二人分の寝床になりそうだ。
その時私の目の前を、小さな蜜蜂がするりと飛び抜けていった。雨の中の蜜蜂、その奇妙な取り合わせに一瞬気を取られたものの、その小さな影はすぐに木々の間に消えていく。
気を取り直して、もう一度目の前の木に向き直った。
そんな風に進むこと数日、私たちは無事に東の街道の近くまでやってきていた。南のほうに、宿場町らしき影も見えている。
崖を登る時は私が加工の魔法で階段を作り、崖を降りる時はシーシェが私を抱えて飛び降りる。それを繰り返したおかげで、ほとんど迂回することなくまっすぐに進み続けることができたのだ。
「ああ、やっと着いたわ……って、まだ気は抜けないわね」
「そうだな。さすがにまだ、長の手の者に見つかってはいないと思いたいが……」
とはいうものの、実のところ二人ともほっとしてしまっていた。ずっとうっそうとした森の中を突破してきて、ようやっと人里に出たのだ。これが安堵せずにいられようか。
「ひとまず、馬車を借りないとね。とにかく急ぐし荷物もほとんどないから、小型で足が速いやつがいいわ」
「俺は食事にしたいな。新鮮な魚や野草も悪くはないんだが、ちゃんとした料理が食べたい」
「同感ね。あっ、そうだ。宿場町に着いたら、王宮宛に手紙を書くのはどうかしら。早馬を出してもらって。私たちは無事よって」
「ああ、それはいいな。あなたの伴侶殿も、それで安心できるだろう」
そんなことを話しながら街道目指してのんびりと歩いていたら、いきなり何かが飛んできた。
それは澄み渡った青空のような、見事な青色の小鳥だった。曇り空に覆われた灰色の風景に全く溶け込むことのない鮮やかな青が、目にまぶしい。
小鳥はまっすぐにシーシェの目の前まで飛ぶと、彼が差し出した手に止まった。
あら、これって普通の小鳥じゃない。意識を集中するとほんのりと魔力の気配が感じられる。注意してみないと気づかないくらい、かすかなものではあるけれど。
小鳥はシーシェの手に止まったまま、澄んだ声でさえずっている。シーシェはそんな小鳥を見すえて険しい顔をした。
「なんで、あいつがここに? というか、どうして俺たちがここにいることをかぎつけたんだ?」
やがて小鳥はふわりと宙に舞い上がり、今度はゆっくりと街道の方に飛び始めた。
「ねえ、あの小鳥ってやっぱり魔法の何かなの?」
「ああ。俺の仲間が偵察などに使う魔法生命体で、使い魔と呼ばれるものだ」
「使い魔……聞いたことはあるけれど、まるきり普通の生き物と変わらないのね。とびきり綺麗なこと以外は」
「見た目や性能は、術者が好きに変えられるんだ。……それはそうとして、あの鳥をよこしてきたのは俺の知り合いで、そいつは『ついてこい』と言っている」
私たちが動かないからか、鳥は少し離れた地面に降り立って、じっとこちらを見つめている。
「どうしてあいつがそんなことをしているのか分からない。ひとまず、ついていこうとはおもうが……気は抜かないでくれ。最悪、俺の転移の魔法で逃げることになるだろうから」
やっと森を抜けたというのに、まだ面倒事は終わっていないらしい。そっと肩をすくめながら、彼のすぐ後ろについて歩き出した。
青い小鳥に導かれるまま、街道を南へと進む。宿場町の近くまでやってきたところで、シーシェが足を止めた。彼の視線の先には、魔術師の制服を着た数人の人影が見える。
あれは長の手の者なのだろうか、それとも違うのだろうか。遠巻きに彼らの姿を見ながら考えていると、中の一人がこちらに向かって駆けてきた。青い小鳥が、その人物の肩にふわりと止まる。
目を凝らして、近づいてくる人物をじっくりと観察した。
まだ十代の、小柄な少女だ。浅黒い肌に青みを帯びた明るい鋼色の髪、ぱっちりとした漆黒の目がとても可愛らしい。
そして彼女は、どことなく異国風の雰囲気を漂わせている。シーシェとちょっと似ているかもしれない。
彼女は全力でこちらに走ってくると、そのままシーシェのすぐ近くでつんのめるように立ち止まった。
「この、大馬鹿シーシェ! どうして、私たちに相談もなく単独行動を取るのよ! こっそりあなたに使い魔を張りつけていたからいいようなものの!」
子犬がほえるような甲高い声で騒ぎたてる彼女に、シーシェは顔色一つ変えることなく答えた。
「使い魔……もしかして、森にいた蜜蜂か。雨の中を飛ぶ蜜蜂なんて珍しいなとは思っていたが」
「うそ、気づいてなかったの? うっかりあなたたちの目の間を飛ばしちゃって、しまった見つかったって焦ってたのに。相変わらずあなたったら、鈍感なんだから!」
黒い目で、挑発するように少女がシーシェを見上げる。私よりも小さい少女と、平均よりも背が高くたくましいシーシェ。二人の身長差は、かなりのものだった。
「俺が鈍感なのはいつものことだが……お前、いつからそんなことをしてたんだ? しかもまた、どういう理由で」
「えっ、それは、まあ……あなたのことが心配だったから……って何でもない! 忘れて!」
彼女はにらんだり赤面したりと、くるくると忙しく表情を変えている。
彼女がシーシェに向けている感情は、初対面の私にもまるわかりだった。それだけならまだしも、彼女はさっきから何とも言えないとげのある視線を、ちらちらとこちらに向けている。
どうやら、私は少々ややこしい人間関係に巻き込まれつつあるらしい。
それもシーシェがもてているせいで。ついでに彼がどうしようもなく鈍感で、そのくせあちこちに愛嬌を振りまいているせいで。
ああ、面倒なことになった。なおもちくちくと刺さる視線を無視しながら、もう一度小さく肩をすくめた。




