74.その頃のミモザ
形のいい眉の間には、くっきりとした深いしわ。その美しい顔いっぱいにいらだちを浮かべて、ミモザは王宮の一室をうろうろと歩き回っていた。
魔術師たちを説得に行ったジュリエッタとファビオ、その二人が消息を絶った。そんなとんでもない知らせが、ミモザの表情をこうも険しくさせていたのだった。
どうも二人の帰りが遅くはないかと、ロベルトがそんなことを言い出したのがことの始まりだった。
そうして彼は状況を調べるために、兵士を砦に向かわせた。そしてその兵士が飛ばした伝書鳩は、誰一人として予想だにしていなかったとんでもない知らせを運んできたのだ。
砦はしんと静まり返り、ジュリエッタたちが乗ってきた馬車は門のすぐ内側に置き去りにされていた。馬は近くの水場で、のんびりと草をはんでいた。
そして砦のどこにも、人の気配はなかった。兵士がどれだけ探しても、魔術師たちの姿を見つけることはできなかったのだ。もちろん、ジュリエッタたちの姿も。
その知らせを聞いたミモザは、王宮の一室を乗っ取ってそこに引きこもった。
ジュリエッタたちの情報が届いたら、どんなささいなことであっても真っ先に僕に知らせて、と言い放った上で。
(ここにいれば、何かあった時にすぐに情報をつかめる。ジュリエッタの居場所が分かったら、すぐに迎えに行きたいし)
ミモザは、ジュリエッタが何かの事件に巻き込まれ、不本意にも砦を去ることになったのだろうと考えていた。
そうでないのなら、彼女は置き手紙の一つも残していくに決まっている。いきなり彼女が姿を消せば、ミモザがどんなに心配するか。彼女がそのことを考えないはずがないのだ。
(きっと、魔術師たちともめたんだろうな。魔法同士のやりあいなら、彼女は負けっこないけれど……)
初めてミモザがジュリエッタに出会ったあの年から、毎年欠かさずに彼女に与えている竜の秘薬。あれのおかげで彼女は普通の人間よりも高い魔力を有しているし、逆に他人からの魔法についても耐性がついている。
けれど武器を使った殴り合いになってしまえば、彼女はごくありきたりの女性とそんなに変わるところはない。竜の秘薬の影響で体力についても少しばかり底上げされているけれど、それもたかが知れている。
かつて彼女がヴィットーリオをかばって暗殺者の凶刃に倒れた時のことを思い出し、ミモザはすっと青ざめる。
あの時は、自分がついていたから彼女を呼び戻せた。けれどファビオにそんな芸当ができるとは、とても思えない。他の魔術師たちにも。
どうか、武器を構えての殴り合いなどになっていませんように。ミモザはそう祈りながら、ふと小首をかしげる。
(……まさかと思うけど、筋骨隆々で武術に優れた魔術師なんていないよね)
そのまさかが存在しただけでなく、今はジュリエッタと行動を共にしている。そんなことを知るよしもないミモザは、窓辺に立ってため息をつき、空を見上げた。
今日はあいにくの曇り空で、ぽつぽつと雨が降り始めている。そんな空模様は、まるで彼自身の心を映しているかのように思われた。
「ミモザ様、少しよろしいでしょうか」
きっちりと閉められたままの扉の向こうから、暗く遠慮がちなロベルトの声がする。その声音からすると、どうやら有用な情報はまだ得られていないのだろう。
ミモザはもう一度ため息をつくと、ロベルトを部屋に招き入れた。ロベルトは背中を丸め、ぼそぼそとつぶやくようにして話す。
「早馬を飛ばしてさらに調査の者を送り込みましたが、結果は同じでした。砦には人っ子一人おりませんし、魔術師たちがどこにいったかの手がかりもありません」
「そんな報告、聞きたくないよ。ねえ、魔術師がどこに行ったか、本当に心当たりがないの? きっとジュリエッタは、彼らと一緒にいるはずなんだ」
不意に声を荒らげるミモザに、ロベルトはさらに縮こまってしまう。
「残念ながら。私たちとしても、ジュリエッタ様にはなにがなんでも無事にお戻りいただきたいと、心からそう思っております」
「だったら、僕が竜の姿で砦に突撃したら駄目かな? たぶん今なら、魔術師たちもジュリエッタも、そこからそう遠くに行ってはいないと思うんだ。あの姿で暴れれば、動揺して動き出すかもしれないし」
「脅しをかけるという点では、それが一番効果がありますが……ミモザ様、今ご自身が神のようにあがめられてしまっていることをお忘れで?」
今彼がうかつに竜の姿になれば、きっとまた人々は大騒ぎするに違いない。ロベルトはそのことを一生懸命にほのめかしていたのだが、ミモザは全く取り合わなかった。
「それがどうかしたの? 僕は、一刻も早くジュリエッタに会いたい。彼女の無事を確かめたい。ただそれだけだよ。それ以外のことは、どうでもいい」
いつも穏やかなミモザは、打って変わって強情で自分勝手な側面を露わにしていた。ロベルトは何も言葉を返せずに、目を伏せて黙り込む。ミモザが抱えている焦りと憤り、そして怒りと恐怖を、ロベルトはひしひしと感じ取っていた。
そんな張り詰めた空気を変えたのは、扉の向こうから聞こえてくる幼い声だった。
ロベルトが扉を開けると、そこには泣きそうな顔のレオナルドが立っていた。その後ろには、やはり暗い顔をしたヴィットーリオもいる。
「ミモザさま、このたびは申し訳ありません」
レオナルドは廊下に立ったまま、小さな頭をぺこりと下げる。ヴィットーリオも続いて、同じように頭を下げた。
「どうしたの、君たちのせいじゃないよ。ほら、頭を上げて」
さっきまで噛みつきそうな気配を漂わせていたミモザが、ふわりと表情を和らげて二人のもとに歩み寄った。そんなミモザの背後では、ロベルトがほっと安堵のため息をついている。
「でも、おそらくジュリエッタさまが戻られないのは、魔術師たちのせいです。彼らはぼくの配下です。配下がしたことは、ぼくにも責任があるのです」
泣き出さないように必死に唇を噛みしめるレオナルド。しかし彼の大きな目からは、既にぼろぼろと涙がこぼれ落ちていた。
ミモザはかがみこむと、レオナルドをぎゅっと抱きしめる。
「君は立派な王様だね。でも魔術師たちが関わっていると決まった訳じゃないし、謝るのは後にとっておいて」
「でも、ぼくは……」
「だったら、ジュリエッタを探すのを頑張ってもらえないかな。君にはたくさん配下がいるよね。君なら、彼らを動かせる。頼りにしてるよ」
「はい!」
たちまち笑顔になり、ミモザをまっすぐに見つめるレオナルド。そんな二人を、ロベルトが父親のような優しい顔で見守っていた。
「……ファビオのことが忘れ去られているように思えるのは、私の気のせいでしょうか」
どことなく落ち着かない様子でヴィットーリオがつぶやいた言葉に、答える者は誰もいなかった。




