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41.図々しい提案

 宿に戻る道すがら、私たちはとりとめもない話を続けていた。


「それにしても、大通りの近くまで人さらいが出るなんて、思いもしなかったわ。二人とも無事で良かった」


「ええ、バルガス殿にお会いできて、本当にようございました。……以前は、やはりもっと治安が良かったのでしょうね」


「そうね。私たちが初めてここに来た時は、私はずっと弱かったし、ミモザも子供だった。けれどそんなひ弱な女子供の二人連れでも、安心して歩くことができた。それくらい、ここは安全で素敵な街だったの」


 だった、と過去形で話さなくてはいけないことが悲しくて、少し口ごもる。


 ロベルトも目を伏せて、そっと口を閉ざしていた。ヴィットーリオは眠いのか、先ほどから一言も話していない。


「……それより、今日はゆっくり休んで、明日に備えましょう。忙しくなるわよ」


 すっかり暗くなってしまった空気を吹き飛ばそうと、強引に話題を変える。


「薬の材料をいちいちあの馬車から運び出すのも面倒だから、もうここで馬を借りてしまいましょう。その馬を連れてミモザと合流して、馬車と一緒にバルガスのところに向かう。薬の調合、あなたたちにも手伝ってもらうから。よろしく頼んだわよ」


「もちろんです。荒事は苦手ですが、そういった作業ならお手伝いできそうです」


「……はい、私も手伝います。……バルガス殿には、恩がたくさん……」


 眠そうな声でそう言っていたヴィットーリオだったが、結局立ったまま眠ってしまった。ロベルトと顔を見合わせ、それからロベルトがヴィットーリオを背負うのを手伝ってやる。


「ヴィットーリオ様、今日はよく頑張られましたね」


 そうつぶやくロベルトは、まるで父親のような顔をしていた。




 やっとのことで宿についた私たちは、食事もそこそこに客室に戻り、泥のように眠りこけた。


 そうして次の朝、私とヴィットーリオはとてもさわやかに目を覚ました。しかしロベルトは、よろよろのよれよれだった。明らかに、疲れが残っている。


「ヴィットーリオ様はお若いですし、ジュリエッタ様も見た目はたいそうお若くて……眠るだけで元気になるとは、うらやましい限りです」


「ロベルト、お前は泣き言が多すぎる」


「しかしですねヴィットーリオ様。寄る年波には勝てないのですよ。しかも昨日は、慣れない大暴れをいたしましたから。ああ、体が重い……」


「……後で、疲労回復に効く薬でも作ってあげましょうか? 馬車の中に材料はあるし……」


「ああ、よろしくお願いいたします! 本当にジュリエッタ様は、お優しい……」


 私のちょっとした一言に、ロベルトは子供のように顔を輝かせていた。


 そうして朝食を終え、宿の人に聞いて馬を貸してくれる店を訪ねた。意外と毛並みのいい、元気な子が二頭借りられたので、手綱を引いて街の外に向かう。またさらわれたら大変だから、ヴィットーリオとロベルトも連れて。


「おかえり。ゆっくり休めた? ……って、どうして馬がいるの?」


 森で待っていたミモザが、私たちが連れている馬を見て首をかしげている。


「街に向かいながら話すわ。この後忙しくなるし」


 そうして二人を馬車に押し込み、ミモザと二人で御者席に座る。


 のんびりと馬を歩かせながら、昨日のことを語って聞かせた。ミモザは目を丸くしたり笑ったりあきれたりと、ころころと表情を変えながら耳を傾けていた。


「……たった一日の間に、ややこしいことになってたんだね。嫌な予感が当たっちゃった」


「そうね。宿に戻ってヴィットーリオたちがいないことに気づいた時は血の気が引いたし、見つかった時は安堵で崩れ落ちそうだったわ。これだけはらはらしたの、何十年ぶりかしら」


「ふふ、お疲れさま。でも、たまたまバルガスがいてくれて助かったね。偶然ってすごいなあ」


「そうね。……まあ、バルガスも人さらいの一味だっていう可能性も捨てきれないけど……さすがにそれは深読みしすぎよね。もしそうなら、ヴィットーリオたちを助ける理由がないし」


 どうしても長く生きていると、疑り深くなってしまう。私のことを知っている人が、私の連れを助けた。本当に偶然なのだろうか、と。


「……彼らを餌にして、魔女を釣り出そうとした……というのもなさそうね」


「彼、僕たちが魔女とその伴侶だって知らなかったんでしょう? それに、頼んできたのもただの病人の治療だし」


 一方のミモザは、子供の頃から変わらない。どれだけ傷ついても、彼は変わらずに人間を信じていた。その純粋さが、私にとっては癒しであり、救いだった。


「ここは素直に、過去の親切が実を結んだって思っておこうよ。僕たちのお金でバルガスが元気になって、そしてヴィットーリオたちを助けてくれた。ほら、こう考えたら素敵だ」


 その言葉に、昨日のバルガスの姿がよみがえる。春先に会った時よりも身ぎれいになっていて、体にも肉がついていた。そして何より、よどんでいた目には力強い光がともっていた。


 彼が元気になっているのは確かだ。そして、少なくとも私には、彼が悪事に手を染めているようには見えなかった。


「そうね。私も、彼の言葉に嘘はなかったと思うわ。だからこそ、お礼として病人を診にいくことにしたのだし」


「うん、そうだね。それにしても、小屋にあった薬草を全部持ってきて正解だったね。こんなにすぐ必要になるなんて思いもしなかった」


「少し前だったら、街で薬草をいくらでも買えたのだけどね。今のあの状況だと、ちょっと難しそうだし」


 ため息交じりにそう答えると、ミモザは街の方に目をやった。どことなくくすんだ大きな門が、ゆっくりと近づいてくる。


「早く、元のにぎやかな街に戻ってほしいね。何もできないのが、少しだけもどかしいな」


「私たちにできることなんて、たかが知れているものね」


 それっきり私たちは黙ったまま、二人並んでただ前を向いていた。




 他の馬車と一台もすれ違うことなく、私たちは東の区画にやってきた。私たちがやってくるのを今か今かと待ち構えていたらしいバルガスは、馬車を見て顔を輝かせていた。


 それから彼に案内されて、東の区画にある大きな広場に向かう。そこには既に、多くの病人たちが私を待っていた。


 彼ら彼女らと、その付き添いの家族たち。すっかりさびれたこの街で、この広場だけがやけに活気に満ちていた。その数の多さに思わず腰が引けそうになったけれど、これも仕方ないと腹をくくる。


「じゃあ、一人ずつ見ていくわ。ミモザ、ヴィットーリオ、ロベルト、手伝って。バルガス、あなたには病人たちの整理をお願いできるかしら」


 大きな声でそう言い放って、さっそく治療に取り掛かる。


 私が病人を診て、ミモザが手早く薬草を揃え、みんなで手分けしてすりつぶし、調合する。バルガスが手回しよく、火鉢とやかんを用意してくれていた。意外と気が利く。


 できた薬を病人の家族に渡し、飲ませ方を説明する。薬をやかんで煮出して、少しずつ飲ませるのが基本だ。


「はい、これでもう大丈夫よ。二、三日で回復に向かうはずだから」


「ありがとうございます、魔女様……! このご恩は、必ず」


「気にしないで。元気になったら、今度はこの街を元気にしてくれればいいから」


 そうやって治療にいそしんでいると、周囲がどんどんざわついていった。


「ああ、ありがたや……」


「なんて素晴らしい……いや、いっそ恐ろしくすらある腕前だ……」


「あんなに若くて可愛いのに、もう百歳は越えているんだって?」


 四方八方から押し寄せる、称賛と好奇と、あとほんのりおそれの混じった眼差し。


 昔、診療所に通っていた頃、よくこんな目で見られていたものだ。必要以上に持ち上げられるのは嬉しくないけれど、懐かしさは感じてしまう。


 忙しく動き回りながらちらりとミモザを見ると、彼の口元にもくすぐったそうな笑みが浮かんでいた。


 そしてヴィットーリオとロベルトは、とても嬉しそうに微笑んでいる。


「ロベルト、ジュリエッタ様は本当に素晴らしい方なのだな……」


「はい。昔お会いした頃からずっと、とても素敵な方ですよ……」


 そんな私たちを手伝いながら、バルガスがしみじみとつぶやく。


「いやあ、魔女ってのはすごいんだな……そんな相手に物乞いみたいな真似しちまうなんて、俺もとんだことをしでかしたもんだ」


 のんびりとぼやいているようでいて、彼の動きは止まることがない。病人とその家族を、見事に誘導して移動させている。


 最初のよろよろぼろぼろの印象とは裏腹に、彼は結構できる男のようだった。見た目もしっかりしてきたし。


「ねえバルガス、あれからどうしてたの? 前よりずっと元気そうだけど」


 こちらも手を止めることなくそう問いかけると、彼はにっと笑って肩をすくめた。それから、周囲で立ち働いている男たちを、親指で指している。


「実は、あんたらにもらった金を元手にして、あいつらと一緒に商売を始めたんだよ」


 それを聞いて、ミモザが首をかしげる。


「商売って言っても、確か重い税がかかってるんじゃなかったっけ? あれっぽっちの元手で何とかなるものなの?」


「ならねえよ。ここで商売をやっていけるのは、一部の金持ちだけだ。俺たちみたいな下々の民は、ほぼ見殺しにされてるからな」


 バルガスのその言葉に、ヴィットーリオがわずかに肩を震わせたように見えた。幸いバルガスはそのことに気づかなかったらしく、声をひそめて話し続けている。


「だから、こっそりと、な。この東の区画は隣国との国境のそばにある。俺たちは役人たちに見つからないように国境を越えて、隣国とやり取りしてるんだよ。仕入れから販売まで、隠れてやってるんだ」


「それ、ばれたらただじゃ済まないよね。僕はこの国の法律はよく知らないけど」


 首をかしげたまま眉間にしわを寄せたミモザに答えたのは、ロベルトだった。


「良くてむち打ち、悪くて死罪でしょうね。税法が改められるのと同時に刑法も改められ、ずっと重くなりましたから」


 彼の声は、硬くて重い。ヴィットーリオは黙ったままうつむいていて、ここからではその表情はうかがえなかった。


 ゆっくりと重くなりつつある空気を吹き飛ばすように、明るく言い放つ。


「ほらみんな、あと少しで終わりよ。全部終わったら甘い薬草茶をいれてあげるから、頑張りましょう」


「はい、ありがとうございます」


 ヴィットーリオが顔を上げ、おずおずと微笑む。彼はほっとしているようでもあり、考え込んでいるようでもあった。




 治療が一通り終わって、働いてくれたみんなに甘い薬草茶をふるまって。さすがに疲れたし、一度宿屋に戻ろうかということになった。


 そうしてバルガスたちに別れを告げようとしたその時、バルガスが何かを決心したように口を開いた。


「……なあ、ジュリエッタ。いや、『魔女様』。あんたに、折り入って頼みがある」


 比較的がらの悪い雰囲気のバルガスが、妙にかしこまってしまっている。そのことに嫌な予感を覚えつつ、無言でうなずいて先をうながす。


 彼は緊張しているのか、唇をなめて湿している。それから、思い切ったように一気に言った。


「あんた、俺たちを率いちゃくれないか?」


「え?」


 彼の言葉がすぐに理解できなくて、間の抜けた声が出てしまった。まったく、ロベルトといいバルガスといい、どうしてこうも訳の分からないことを言い出すのだろうか。


「昨日、あんたたちは隣国に行くつもりだと言ってただろう」


「ええ。封鎖されたって言っても、どこかに抜け道があると思うのだけど」


「抜け道か……あるにはある。国境の谷にかかる橋は王都の連中が封鎖しているから、俺たちは橋から離れた崖を上り下りしてる。馬車が通れる道なんて、どこにもないぞ」


「ああ、そうだったの。教えてくれてありがとう。だったら回り道を探さないとね」


 言えない。竜に馬車を担いでもらって国境を飛び超えるつもりだなんて、絶対に言えない。ミモザが竜だということは、今でも秘密なのだ。


 あいまいにごまかしつつも、こっそりと考える。


 適当に理由をつけて、一度この街から去ってしまったほうがいい気がする。ヴィットーリオたちも休ませてやれたし、これ以上のもめ事はごめんだ。


 上の空になっている私に、バルガスはさらに詰めよってきた。


「だから、橋を封鎖している連中を、俺たちと一緒に追い払ってくれないか。そうすりゃあんたらも堂々と隣国に行けるし、俺たちの商売もずっと楽になる。どうか、頼む」


 ごつい体を精いっぱい神妙に縮こまらせて、バルガスは深々と頭を下げている。そんな彼を前に、私は言葉を失っていた。

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