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39.そしてまた街へ

 ヴィットーリオとロベルトを乗せた馬車を、竜の姿のミモザが軽々と抱える。そうして彼は、どんどん東に飛んでいった。私は彼の背中に座って、星空を眺めていた。


 ミモザは馬車を守りながら飛んでいるから急な動きはできないし、速度もいつもより落ちる。それに、まださっきの近衛兵たちが近くをうろついているかもしれない。


 まさかこの姿のミモザに攻撃を仕掛けようなんて考えないとは思うのだけれど、万が一ということもある。いつも以上に、用心したほうがいい。


 そう考えた私たちは、街道の北の森の、さらに奥深いところを飛んでいた。どうせこのまま国境を越えるのだし、街道沿いを進む意味もあまりない。


 とはいえ、それ以外はいつもの旅と同じだ。夜に飛んで昼は野宿、この繰り返し。


 ヴィットーリオたちにはきつい旅になるかなとちょっと心配だったのだけれど、今のところは大丈夫そうだった。


 ただそれでも、屋根も床もないところで寝るのはさすがに落ち着かないらしい。まして、近衛兵が自分たちの命を狙っているのだと知ってしまったのだから。


 二晩ほど経った頃には、二人の目の下にはクマができてしまっていた。どう見ても寝不足だ。


 しばらく飛ぶと、適当な場所を見つけて休憩する。その気になれば丸一日でも飛んでいられるミモザと、そのミモザに乗り慣れている私はいいとして、あとの二人はすっかり疲れ果てていたのだ。


 ただ運ばれているだけとはいえ、空飛ぶ馬車の中にいるというのは落ち着かないらしい。ミモザは最大限気を遣っているけれど、それでも多少は揺れるし。


 げっそりした顔で火にあたっている二人を見るに見かねて、そっと提案してみる。


「ねえ、今日の野宿なんだけど……馬車の荷物をいったん出して、そこで寝るのはどう? その方がゆっくりできるでしょう」


 馬車の中には、小屋にあった物が片っ端から詰め込まれている。そんなこともあってすっかり狭くなっていて、かろうじて二人が座るだけの隙間しかなかった。


 でも、一時的に荷物を出せば、みんなで横になって寝られるくらいの場所はできる。今日は一晩中晴れるだろうから、荷物を出しておいても大丈夫だろうし。


 けれど二人は、同時に首を横に振った。


「いえ、それでは野宿の準備に時間がかかってしまいます。お二人の手を、そんなことでわずらわせたくはありません」


「野宿は初めての経験ですが……じきに慣れますから、どうぞお構いなく」


 どうやら二人は、私たちまであの小屋を離れるはめになったことについて責任を感じているらしい。


 はっきりと口にこそしなかったけれど、いつになく遠慮がちな二人の態度からは、そんな思いがありありと感じ取れた。


 でも、放っておきたくはない。こっそりとため息をついていたら、ミモザと目が合った。彼もまた、心配そうな目で二人を見ていた。




 そうしてまた、準備を整えて空の旅に戻る。


「ミモザ、ちょっと提案があるんだけど……」


『うん。さっきのことだね』


 ミモザの背の上で、優雅に飛ぶ彼に呼びかけた。馬車の中にいる二人には私の声が聞こえないので、ここでなら堂々と内緒話ができる。


「ちょっと東の街に寄り道して、そこであの二人を一度休ませたいと思うの。あなたはどう思う?」


『賛成。無事に国境を越えても、そこから最寄りの街までは結構距離があるみたいだし。あんなよれよれのままで長旅をするのはお勧めできないよね』


「あら、国境の向こうってそんな感じなの? 行くって言いだしておいてなんだけど、あっちのことはよく知らないのよね」


 その言葉に、ミモザが小さく声を立てて笑った。心地よい振動が、体を震わせる。


『うん。飛びながら観察してたんだ。初めての場所だし、しっかり確認しておかないとね』


 その声が、どことなく得意げだ。彼は竜の姿の時は、普段よりずっと遠くが見えるようになる。


『国境の向こう側には、あちらの街がある。でもそれから先は、何もない野原が続いてるよ。しばらくは野宿続きになりそう……というか、こっそり飛ぶ場所を探すのも難しいかも』


「だったら、なおさら東の街で二人を休ませたほうがいいわね。ことによっては、歩いて国境を越えて、向こう側で馬を調達することも考えたほうがいいかもしれない」


『うん、分かった。だったら、東の街の近くにある森に向かおうか。ここからなら、そうかからないよ』


 言いながらミモザはくるりと向きを変えて、速度を上げた。強い風に髪をなびかせていると、ふとあることに気がついた。


「ところで、二人を休ませるのはいいとしても、その間馬車をどうしましょうか。まだ馬がいないから、街まで運ぶのは難しいし」


『街の外、森の中に置いておけばいいんじゃない?』


「やっぱり? 東の街か、国境の向こうの街で馬を買って、その子たちを森の中まで連れてくるしかなさそうね」


『だったら、僕が馬車の見張りをして、あなたが二人と一緒に東の街に向かう、ってことでどうかな。あの二人だけで東の街に向かわせるのは危ないし。……せめてロベルトが戦えればよかったんだけど』


「……そうね」


 ロベルトはひょろりとした見た目通りに、何ともひ弱だった。下手をすると、まだ子供のヴィットーリオと同じくらいの体力しかない。


 しかも彼は、最低限の護身術すら身につけていないようだった。……魔法なしに殴り合ったとしても、私が勝つんじゃないかってくらいに弱い。


「ええ、馬車を頼むわね、ミモザ。……国が荒れてるし、盗賊とかが出そうで心配だけど……」


『大丈夫。僕は強いよ? そこらの賊や獣程度なら、人の姿のままでも簡単に蹴散らせるから』


 明るく言ったミモザが、不意に言葉を切る。


『それより、そちらこそ気をつけてね。……なんだか、まだ一波乱ありそうな予感がするんだ』


「奇遇ね、私もなの。……ひとまず無事に逃げ出せたけれど、これで済むはずがない。そう思えるのよ」


 王子として生を受けながら、父王の死をきっかけに追放され、魔女の住処に逃げ込んだヴィットーリオ。


 そこでやっと平穏な暮らしを得たというのに、今度は命を狙われて国外に逃げることになってしまった。


 たった十歳の彼は、これだけの困難を乗り越えてきた。けれどおそらく、まだ困難は立ちはだかっている。


 気を引き締める私たちの目の前に、東の街の姿が小さく見えてきていた。




 東の街の近くの森の中にミモザと馬車を残し、ヴィットーリオとロベルトを連れて東の街の門をくぐる。


 追っ手が近くにいるかもしれない。二人はそう感じているらしく、ここに足を踏み入れることをためらっていた。


 そんな二人に、明るく声をかける。


「大丈夫よ。この街の人たちは昔から、王都のことをあまりよく思っていないの。だから、近衛兵がここに長居することなんてないわよ。居心地が悪いだろうし」


「そう……なのですか?」


「ええ。『王都の人間はこの街のことを辺境扱いして、下に見ている。彼らがこの街に立ち寄ることなどめったにない』って、近くに住んでる人からそう聞いたのよ」


 最初にそのことを教えてくれたあの伯爵のことを、ふと思い出す。彼と出会ったのも、この街の門の近くだった。あれからも、もう百年近く経っているんだな。


 それにバルガスは、王都の連中がこの街のことを目の敵にして、わざと国境を封鎖させたのだと言っていた。


 それが真実がどうかは置いておくとして、街の人たちがそんな風に考えるくらいには、王都と東の街との関係は悪いのだろう。


 ……バルガス、元気にしているだろうか。こないだたっぷりお金を渡したから、節約すればまだ大丈夫だと思うけれど。


 そんな思いを押し込めて、戸惑う二人に微笑みかける。


「だからそこらの森の中より、よっぽど安全よ」


 もっとも、実のところ自信はなかった。居心地が悪かろうと、必要とあらば近衛兵はこの街に滞在し続けるだろうし。


 まあ、見つかったら力ずくで突破するまで。今はとにかく、この二人をちゃんとしたところで休ませてやらないと。


 自信たっぷりに胸を張ってみせると、ヴィットーリオがおずおずと尋ねてきた。


「ですが……そういうことであれば、私たちもよく思われないのでは」


「あなたが元王族だなんて、黙っていればまずばれないわ。それに、あなたたちには休息が必要よ。休めるときには休まなきゃ」


 それでもまだ警戒したままの二人を連れて、街の中心部に向かっていく。やがて二人の顔色が、どんどん青ざめていった。


 行けども行けどもろくに人と出会うこともなく、立ち並ぶ店の戸はきっちりと閉まっていた。


 かつて、ここはとても栄えていた。それは、街並みから容易にうかがうことができた。けれどそんな街は今やすっかりさびれ、生気を失っていた。


 春先に来た時よりも、さらに街は荒廃していた。街で一番大きな通りですら、驚くほど静まり返っている。


 もし狂った政治が正され、隣国との貿易が再開したとしても、この街が元のにぎわいを取り戻すにはかなりの時間が必要になるに違いない。そんな思いが、ちくりと胸を刺した。


「ジュリエッタ様……ここは、いつからこんなにさびれてしまったのですか」


 呆然としながらヴィットーリオがつぶやく。彼の小さな手は、強く握りしめられていた。


「そうね、十年くらい前はまだ活気にあふれていたわ。こんなになってしまったのは、ここ数年……だったかしら」


 かつてバルガスに聞いた話を、彼に伝えたくはなかった。


 この街がこんなことになってしまったのは今の王、つまりヴィットーリオの弟レオナルドと、その後ろにいる臣下たちのせいだ。そんな話は、真実であろうとなかろうと、今の彼には残酷すぎる。


 私が言葉を濁したのを察したのか、ロベルトが大げさにため息をついてみせた。


「それより、宿を探しましょう。私はもう疲れ果ててしまって……早く休みたくてしょうがないんですよ」


「ロベルト、泣き言をいうものではない。私たちはジュリエッタ様とミモザ様の厚意により、こうして旅をさせてもらっているのだから」


「ヴィットーリオ様と違って、私はもう年なんですよ。ええ、それはもう節々が痛んで」


 おどけながら肩をすくめるロベルトが、ちらりと目線をよこしてきた。


 そんな彼に、こっそりと無言で微笑み返す。話をそらしてくれてありがとう、そんな感謝の意をこめて。




 大通り沿いに、まだ開いている宿屋があった。大きく豪華な建物のそこには、きっと以前は裕福な人たちがたくさん泊まっていたのだろう。


 けれどそこも、街の他の場所と同じようにすっかり活気を失ってしまっていた。どことなくほこりっぽくてくすんでいる。


 すかさず部屋を取り、そこに二人を押し込む。


「私はちょっと買い物に行ってくるから、その部屋から出ないでね。何があるか分からないから」


 そう言い残して、一人さっさと宿を出る。国境を越える前に、必要なものを少し多めに買いそろえておこうと思ったのだ。


 国境を越えてもしばらくは野宿になりそうだという話だし、しっかりと備えをしておくに越したことはない。


 それに、どうせならこの街に少しでも金を落としたかった。山火事にバケツの水であらがうような、そんな行いでしかないと分かっているけれど。


 二人ともふらふらになっていたから、たぶん私が買い物をしている間ぐっすりと眠っているだろう。でも、二人だけを長時間残しておくのも不安だ。


 大股で歩き回り、買い物を続ける。しかし予想していた以上に、開いている店が少なかった。ちょっとしたものを買おうとするたびに、区画の端から端まで移動する羽目になる。


 そうして買い物を終えた私が戻ってきた時には、もうすっかり辺りは夕焼けに染まっていた。


「ただいま、二人とも。よく眠れた……え?」


 そうして客室に戻ると、二人の姿はどこにもなかった。ひんやりとした空の寝台だけが、黙って私を出迎えていた。

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