38.旅立ち
森の中から姿を現したヴィットーリオは、呆然とただ立ち尽くしていた。こんな辺境まで近衛兵が彼らを処刑しにきた。その事実が、彼を打ちのめしているようだった。
「私を処刑するために、近衛兵が……」
「ヴィットーリオ様、どうかお気を確かに。これはきっと、陛下の本意ではありません。陛下の後ろにいる連中が、本格的に私たちを危険視し始めたのでしょう」
「ロベルト……ならばいよいよ、現王の……レオナルドの治世は、危うくなりつつあるということなのか……」
レオナルドというのはヴィットーリオの実の弟で、今の王だ。
七歳にして王にまつり上げられている彼の後ろには、この国をほしいままにしている臣下がいるらしい。あの東の街の惨状も、そいつのせいだ。
そして彼らは、王都からはるか遠くに追放されたヴィットーリオを、今頃になってわざわざ殺そうとした。
ということは、それだけヴィットーリオが彼らにとって目障りな存在になりつつあるのだろう。
今の国の惨状に、民の間には不満がたまりにたまっている。このままではいずれ、今の王を排除しようとする動きが起こるだろう。
その時にヴィットーリオが生きていれば、民たちは彼を新たな王として担ぎ上げるかもしれない。きっと、王都の連中はそんな風に考えたのだと思う。
しかしそんなことはどうでもよかった。私にとって一番重要なのは、ミモザと平和に暮らすこと。
そして次に大切なのが、ヴィットーリオとロベルトが平和に暮らせることなのだ。それを邪魔されたことが、何よりも腹立たしかった。
「あの分だと、また近衛兵が送られてくるかもしれないわね。今回はどうにか追い払えたみたいだけど……」
「そうだね。あの隊長さん、強く問い詰められたら今のことを喋っちゃいそうだったし」
近衛兵たちが逃げていった森の出口の方をにらみながら、ため息をつく。ミモザも同じようにそちらを見やりながら、難しい顔をしていた。
「だったらいつか、うっかりヴィットーリオたちと近衛兵とがばったり出くわすかもしれないよね。僕たちだけならあんな奴ら、怖くも何ともないんだけどな」
「そうなのよ。私たちがいない時に近衛兵が来たら、大変なことになりかねないわ。ヴィットーリオもここ数か月で、ずっと強くなったけれど」
「最悪、僕が竜の姿で突進すれば、森のどこにいてもすぐに助けられると思うよ」
「近所の町や村が大騒ぎになるでしょうね。今のあなた、周囲の木々よりずっと大きいから」
呆然としたままのヴィットーリオと悲痛な顔のロベルトをほったらかして、私とミモザはどんどん話を進めていた。
「だから、しばらくみんなでここを留守にしましょうか。幸い畑の収穫も終わったところだし、遠出にはちょうどいい季節だわ」
「いいね。今年の春は遊びにいけなかったし、今から行くのもいいかも」
「でも、行先が問題なのよね。どこに行っても近衛兵が追いかけてきそうだし……」
「だったら、国外とか?」
「やっぱり、ミモザもそう思う?」
いつも遊びにいく東の街、そのさらに東には隣国との国境があるのだ。空を飛んでいけば、国境を守る兵たちに見つからないようにこっそりと国境を越えることもできるだろう。
さっさと二人で結論を出すと、ヴィットーリオたちの方に向き直る。不思議なくらいに浮かれた気分で。
しかし二人は私たちと目が合うなり、いきなり地面に膝をついてしまった。まるで貴族や騎士が目上の者に対してとるような、うやうやしい仕草だった。
「申し訳ありません、ジュリエッタ様。私たちのせいで、近衛兵ともめごとが起きてしまいました」
震える声で、ヴィットーリオが言う。その顔は伏せられていて、表情をうかがい知ることはできない。
「今まで貴女の好意に甘え、かくまっていただきましたが……それも、ここまでのようです」
今まで聞いたことのない真剣な声音で、ロベルトが続けた。いつものおどけた様子は、すっかり鳴りをひそめていた。
「これまで、ありがとうございました。私たちは貴女の教えを胸に、生き延びていきたいと思います。私にはロベルトもついていてくれますし、きっと大丈夫です」
ヴィットーリオが、笑おうとしている。けれどその目は、悲しみにうるんでいた。
これではまるで別れの言葉だ。いや実際に彼らは、私たちに別れを告げようとしているのだろう。その姿に胸がしめつけられるのを感じながら、ことさらに明るく言い返す。
「まさかとは思うけれど、もしかしてここを出ていこうとか、そんなことを考えているの?」
「はい」
何も言えなくなってしまったヴィットーリオの代わりに、ロベルトが静かに答える。
「行く当てはあるの?」
「今のところ、ありませんが……」
「だったらちょうどいいわ。一緒に隣国まで行きましょう」
提案に見せかけて、そう命令する。誰が何と言おうと、彼らをこのまま立ち去らせるつもりはなかった。
青い目を戸惑いでいっぱいにしながら、ヴィットーリオが恐る恐る尋ねてくる。
「あの、それはどういった意味でしょうか」
「私たちも、しばらくここを離れようと思うの」
「君たちがいてもいなくても、ああいった連中がきっとまた来ると思うんだ。たぶん、君たちが死んだという証拠をつかむまでずっと」
「そのたびに追い払ってもいいのだけれど、面倒なのよね。この森が騒がしくなるのは嫌だし」
「それに、僕たちもそろそろ遠出したかったんだ。東の街の向こうにある隣の国、一度行ってみたかったんだよ」
「今のところ、国内は遊ぶには向いてないようだから。どうせ旅をするなら、連れが多い方が楽しいもの。一緒に国を出て、のんびりしましょう」
「僕が運んであげるから、慣れれば結構快適だよ。貯えもどっさりあるから、路銀の心配もいらないし」
異論を唱える隙さえ与えずに、ミモザと交互にたたみかける。
二人はぽかんとしたまま私たちの話を聞いていたけれど、やがて深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。お二人の厚意に、感謝いたします」
「本当に、申し訳ありません……」
震える声で、ヴィットーリオが謝罪する。泣いているのではないかと心配してしまうような、そんな声だ。
「ヴィットーリオ、こういう時は謝るんじゃなくて感謝しておけばいいのよ」
「……はい、ありがとうございます。ジュリエッタ様、ミモザ様」
まっすぐにこちらを見たヴィットーリオの顔は、まだ陰を残していたものの、それでも先ほどよりはずっと明るくなっていた。
それから私たちは、大急ぎで旅立ちの準備を始めた。といっても、いつもの遠出とは色々と違っていたので、準備にもかなり手こずることになってしまった。
まず、四人分の旅支度――それも旅慣れていないのが二人もいる――というだけで手間が倍になる。
それに小屋の中の保存食や薬草なども持っていきたい。いつ戻れるか分からなかったし、置いたままにして傷ませてしまってはもったいない。
それに留守の間に近衛兵がやってきたら、ヴィットーリオたちを探そうとして小屋を荒らすかもしれない。最悪、火を放たれる可能性だってあった。
という訳で、できるだけたくさんのものを持ち出しておくことにしたのだ。ヴィットーリオをこれ以上苦しめたくなかったので、私たちは決して、そんな思惑を口にすることはなかったけれど。
そうこうしていたら、荷物がものすごい量になってしまった。四人で手分けしても、とうてい運べそうにない。ミモザが竜に戻れば余裕なのだけれど。
どうしたらいいかみんなで相談して、馬車のように車輪を付けた大きな箱を作ることにした。
国境を越えるまではミモザがそれを抱えて飛び、国境を越えたら馬を買って箱を引かせればいい。
ヴィットーリオはほとんど王宮から出たことがないとかで、彼の顔を知る者はかなり限られているらしい。
それでも人相書きなどが出回るおそれもあるし、油断はできなかった。この国に留まっている限り、いつどこで何が襲ってくるのか分かったものではない。
だから、こっそりと移動して、できるだけ早くこの国を離れたかった。だから、ミモザに運んでもらうというのはそういう意味でもちょうどよかった。
「馬車なんて最近まともに見てないし、こんな感じで合ってるかしら……」
切り倒した木を魔法でこねて、大急ぎで馬車っぽいものを作っていく。細部は後で整えるとして、ひとまずはこの部分を作っていった。
最後に馬車に乗ったのは、確か……ああそうだ、ヴィートに会いにいったあの時だ。たぶん三十年くらい前かな。
普段の旅は、いつもミモザに運んでもらっている。だから最近は馬車になんて乗っていない。こんなことなら、街中を走る馬車をしっかりと見ておくのだった。
「良い感じですよ、ジュリエッタ様。ああ、ここはもう少し広い方がよろしいかと」
「こうかしら?」
「はい、よろしゅうございます。それから、ここをこのような形で……」
この中では比較的馬車に詳しいロベルトに見てもらいながら、どうにか馬車と呼べるものを作り上げることに成功した。
あちこちに違和感はあるけれど、仕方がない。動けばいいのだ、動けば。最悪また後で修正できるのだし、気にしない。
それから四人がかりでせっせと荷物を運び込んで、その日の夜にはどうにか旅支度を整えることができた。
「ああ、無事に準備が終わってよかったよ。楽しみだね、隣の国」
「ええ。旅は楽しんだもの勝ちよ。明日から頑張ってね、ミモザ」
「任せてよ」
少し不自然なほどはしゃぐ私とミモザ、どことなく表情の硬いヴィットーリオとロベルト。
成り行きで一緒に暮らし始めた私たちは、また成り行きで旅に出ようとしていた。




