34.慣れない仕事
森を出て、すぐ近くにある街道を歩く。目的地は、西にある小さな宿場町だ。
かつて通った診療所は、ここよりも東にある。そこを通り過ぎてこの辺りを歩いている旅人は少ない。
私たちはのんびりとお喋りをしながら、西へと進んでいった。
「……ヴィットーリオ、いい子だね。あんな小さい子が追放だなんて、かわいそうに」
どうもミモザは、ヴィットーリオに情が移ってしまっているらしい。私たちはもう何十年も、人間と深く関わらずにいたというのに。
しかし私は、それを笑うことはできなかった。あの子にほだされてしまっているのは、私も同じだったから。
「そうね。できることなら、どうにかして王都に戻してあげたいわね。でも……」
「現王に関係する人たちが、彼らの敵だとすると……さすがに、僕たちの手には余るよね」
「私もそう思うわ。だからしばらくあの森でかくまっておいて、ほとぼりが冷めるのを待つしかないと思うの」
さらりとそう言って、思い切り声をひそめる。
「……うまくいけば、今の王が暴政のつけで失脚するかもしれないし。というより、そうなるのを祈るのが一番早いと思うわ」
「もしかしたら、あの子が次の王として担ぎ出されたりして」
「あり得るわね。……そうなれば、全部丸く収まるんじゃない?」
誰かに聞かれたら大ごとになるかもしれない会話を、いたってのんびりと続ける。
そうしていたら、目指す宿場町が見えてきた。森に近すぎるし小さすぎるので、ここにはめったに足を運ばない。顔を覚えられたら面倒だし、そもそも目新しいものがないし。
久しぶりにやってきた宿場町は、記憶の中のものよりずっとさびれていた。
新しい王が商売に重税を課したのだと、東の街のバルガスはそう言っていた。ここもきっと、その影響を受けてしまったのだろう。
それでも、どうにかこうにか店は開いていた。東の街よりは、だいぶましだ。
私たちは手早く買い物を済ませながら、店員相手に世間話を持ちかけていった。うまいこと水を向けて、今の王とその政治についてそれとなく聞き出すために。
ヴィットーリオたちを森に残してきた、その本当の理由がこれだった。
彼らを森にかくまうにあたって、彼らが追放された事情と、彼らの敵についてもっともっと知っておきたかった。つまり、今の王国がどうなっているのかについて。
けれどヴィットーリオ本人の目の前で、彼を追放した王について聞き込みをするなんて、そんな残酷な真似はしたくない。
だから私たちはあれこれと理由をつけて、二人きりで出かけることにしたのだ。たぶんロベルトは、私たちの真意に気づいていたと思う。
そうして店員から聞き出せた話は、バルガスの話を裏付けるものだった。
お飾りの幼い王と悪行三昧の重臣、彼らのせいで自分たちの生活が苦しくなっているのだと、民はみなそう思っているようだった。彼らの言葉からは、王に対する敬意はみじんも感じられなかった。
買い物と情報収集を終え、宿場町を出る。十分に離れたところで、二人同時にため息をついた。
「これなら、ヴィットーリオたちが戻れる日もそう遠くないかもしれないわね。少し、いえかなり複雑な気分だけど」
「うん。まさか今の王が、よりによってヴィットーリオの弟だなんてね。まだ七歳なのに王様だなんて、無茶にもほどがあるよ」
宿場町の人間からその話を聞き出した時、私たちは思いっ切り驚いて、それから納得した。
きっと重臣たちは、より操りやすい方の王子を選んだのだろう。そうして、邪魔になった方を放り出した。そう考えれば、今の状況も理解できる。
「きっとヴィットーリオが追放されたのも、王の意志ではないのでしょうね」
「僕もそう思うよ。……兄弟がこんな形で離ればなれになるなんて、悲しいね」
行きよりも少しだけ重い足取りで、私たちは二人が待つ小屋に急いだ。もう暮れ始めた夕日が、全てを温かな色に染め上げていた。
私たちが帰宅した時には、辺りはすっかり暗くなっていた。
小屋に入る前に、すぐ外の畑に目をやる。そこには、多少不格好ながらもしっかりと土が盛られたうねが見えた。どうやら、畑は全て耕し終わったらしい。
そして二人の姿はもうそこにはなく、小屋には明かりがともっていた。
「ただいま、何事もなかった?」
小屋の中に入ると、二人は慣れない手つきで野菜の皮をむいていた。私たちの顔を見たとたん、ほっとしたような笑みを浮かべている。
「おかえりなさい、ジュリエッタ様、ミモザ様。はい、こちらは順調です」
「お二人とも、ご無事でようございました」
「外の畑、見たわよ。初めてにしてはよくやったじゃない、ありがとう。……あら?」
ヴィットーリオの手つきが、昨日よりもずっとぎこちない。ナイフを握る右手に、うまく力が入っていないようだった。もしかして。
「ちょっと見せて、ヴィットーリオ」
「あ、いえ、その」
有無を言わさず、彼の右手をつかんで開かせる。思った通り、そこには大きなまめがいくつもできていた。皮がむけていて、見るからに痛そうだ。
「畑仕事、頑張ったのね。偉いわ。手当てするから、そのまま動かないで」
そう声をかけると、彼は真っ赤になってうつむいた。とても現王の兄だとは思えない、子供らしい仕草だった。
すかさずミモザが薬棚へ向かい、傷薬と包帯を持ってくる。彼はそれらを私に手渡しながら、ヴィットーリオに笑いかけた。
「これ、ジュリエッタの特製の傷薬なんだ。ちょっとしみるけどよく効くから、すぐに治るよ」
それからヴィットーリオの手をきれいに洗い、傷の手当をしてやる。
彼は薬がしみたのか時折びくりと身を震わせていたけれど、ただ黙っておとなしくしていた。はい、これで終わりよ、と言いながら手を放してやると、勢いよく頭を下げてきた。
「ありがとうございます。手当てしてもらったおかげで、傷の痛みも引いた気がします」
「どういたしまして。……もしかして、ロベルトも傷の手当てが必要かしら」
ふと思いついてロベルトの方を見ると、彼はごまかすように笑いながら首を横に振った。
「いえ、私は何ともありませんよ。どうぞお構いなく」
「いいから見せてちょうだい。怪我人をそのままにしておくなんて、落ち着かないのよ」
「すっかり癖になっちゃったもんね、病人やら怪我人やらの治療をするの」
ミモザが苦笑しつつも、さらに薬を用意している。それを受け取りながらロベルトの手を強引につかみ、開かせた。
案の定、こちらもまめだらけだった。これは痛かっただろう。
ようやくロベルトも観念したのか、照れくさそうに目をそらしておとなしくなった。
「すみません、それではお願いします。……そういえば」
「何? 少ししみるわよ、我慢してね」
そう警告して、手のひらにたっぷりと薬を塗りつける。さっきのヴィットーリオは黙って耐えていたというのに、ロベルトは小さく声を上げていた。
どうやら彼は、痛いのが苦手らしい。それで手当てから逃げていたのか。
「痛っ、……その、回復の魔法などは使われないのでしょうか」
「回復の魔法ね、一応は使えるけれど」
「あれは魔力や体力の消耗が激しいから、あまり気軽に使いたくないんだよね。大きな怪我の初期処置くらいかな、使うとしたら」
ロベルトが逃げないように両肩を押さえこんでいたミモザが、涼しい顔をして私の言葉を引き取る。
しかしロベルトは、きょとんとした顔で首をかしげていた。
「ジュリエッタ様は魔女と呼ばれるほどのお方ですし、どんな魔法もたやすいのだとばかり思っていましたが」
「それは買いかぶりすぎよ。……私の噂に尾ひれがついてるのは知ってたけど、まさかそこまでとはね」
「面白いよね、噂って。いつの間にか勝手に広がってるし」
「もう、あなたはそこまで噂になってないからって気楽なものね」
ミモザに答えながら、私は包帯を巻き終えたロベルトの手を離した。
「はい、これでいいわよ。その包帯、今晩は濡らさないほうがいいわ。食事の支度は私とミモザでやるから、あなたたちはその間、買ってきた荷物を確認していてもらえるかしら」
ヴィットーリオは見た通り真面目だし、ロベルトも意外と根は真面目だ。だから二人とも、何か仕事を与えられている方が落ち着くようだった。
この一日足らずの間に、ひしひしとそのことを実感していた。
たちまち二人は荷物に駆け寄って、荷解きをしながら中身を改めている。その姿を見届けてから、ミモザと並んで台所に立つ。
「卵と乳が買えたし、今日の夕食は少し豪勢にしましょうか」
「二人はたくさん働いたんだし、ねぎらってあげないとね」
荷解き中の二人に聞こえないように、私たちはそっとそんなことをささやき合った。




