33.新しい暮らし
どうにかこうにか四人分の食事を作り上げた頃には、ヴィットーリオも落ち着きを取り戻していた。
そうして、ちょっとぎこちない空気の中で夕食をとる。食器を片付けたら今度は、二人が寝る場所の確保だ。
私がここに来てから、この小屋に客人を泊めたことはなかった。当然、予備の寝台なんてない。
だからミモザが急に人の姿になってしまった時は、しばらくの間私の寝台で一緒に寝ていた。
でも、まさか彼らにそんなことをさせる訳にはいかない。というか、したくない。特にロベルトは。
こっそりとそんなことを考えながら、小屋の中のものを動かして場所を空けていく。当然のように、ロベルトとヴィットーリオにも手伝わせた。
こうやって忙しく動いているほうが、ヴィットーリオの気もまぎれるだろう。そう思ったのだ。
そして、おそらくミモザとロベルトも私と同じように考えているようだった。作業の合間に、彼らはちょくちょく意味ありげな視線をよこしてきたから。
不慣れな作業に大騒ぎしながらも、どうにかこうにか物置部屋の一つを空けることができた。
今夜はここが、客間の代わりだ。床に毛皮を敷き、毛布をかけただけの簡素な寝床に、二人は嫌な顔一つしなかった。
それが気になって、そっと尋ねてみる。
「……その、本当にこれでいいの? 用意しておいてなんだけど、元王族の寝る場所ではないような気がするわ」
その問いに、ヴィットーリオがすぐに答えた。やけにすっきりとした顔をしている。一度大泣きしたのが良かったのかもしれない。
「いいのです、ジュリエッタ様。私は追放された身、もう王族とは呼べません。それに、こういったものに……少し、憧れていたんです」
するとロベルトが、少しおどけた表情で言葉を添える。
「ヴィットーリオ様は、様々な物語を読むのがお好きなんですよ。冒険物が特にお気に入りで、王宮の中庭で野宿をしようと大騒ぎされたこともありました」
「ロベルト、それは私がもっと幼い頃の話だろう」
むきになって言い返しているヴィットーリオは、年相応の幼い顔をしていた。ちょっとだけ元気も出たようだ。よかった。
「あなたたちがそれでいいのなら、構わないけど……」
笑顔で言い合っている二人を見ていると、自然と笑みが浮かんでくるのを感じる。ああもう、すっかり情が移ってしまった。
「ひとまず今夜は、ゆっくり休んで。それじゃあ、おやすみなさい」
そう呼びかけると、二人は同時に私に向き直った。
「はい、おやすみなさいませ」
「おやすみなさい。……ありがとうございます」
はにかむようなヴィットーリオの声を聞きながら、そっと扉を閉めた。
「二人とも、あの寝床を素直に受け入れるとは思わなかったわ」
「案外、順応性が高いのかもね。良いことだよ」
それから私とミモザは、寝室で話していた。客間で休んでいる二人の邪魔をしないよう、小声で。
「ヴィットーリオはいい子みたいだし、僕としては二人を保護できて良かったって思ってる。ありがとう、ジュリエッタ」
「私も、二人を追い払わなくて良かったとは思ってるわ。今では、ね」
そこで言葉を切って、ふうとため息をつく。
「でも、あの二人がこの森で暮らしていけるようになるには、しばらくかかりそうね」
「気長に教えていけばいいよ。僕たちにはたっぷり時間があるんだから」
そう言うと、ミモザは身を乗り出して頬に唇を触れさせてきた。とても優しい、柔らかな感触に笑みが浮かぶ。
「ふふ、突然どうしたの」
彼の肩に手をかけて、同じように口づけを返す。
「こうしたかっただけ。……それはそうとして」
すぐ近くで金色の目をきらめかせて、ミモザがつぶやく。
「ロベルトはちょっと……ううん、かなりあなたになれなれしいよね。やけに気取ってるし。まあ、ここは年長者の余裕を見せるべきかな」
突然の口づけ。そしてこの言葉。まさか。
「……もしかしてあなた、彼を意識してるの? 将来恋敵になるかも、とか」
「まさか」
余裕たっぷりの笑顔を見せながら、ミモザがこつんとおでこをぶつけてくる。
「さあ、僕たちもそろそろ寝よう。明日から、忙しくなるよ」
「そうね。おやすみ、ミモザ」
「おやすみ、僕の大好きなジュリエッタ」
部屋を出ていくミモザの背中を見ながら、彼に気づかれないように苦笑をかみ殺した。
ああは言っていても、彼は少々ロベルトを意識してしまっているらしい。さっきから、いつになく愛情表現が多くなっている。
けれどこういうのも、悪くないかも。だから、何も言わずに彼を見送った。
普段ミモザが見せないそんな一面に、またしても笑みが浮かぶのを感じながら。
次の日、朝食を済ませてすぐに、みんなで小屋の外に出た。
やらなければならないことも、教えなくてはならないことも山のようにある。
何から取りかかろうか迷ったけれど、まずは二人に畑仕事を教えることにしたのだ。
今まで二人で暮らしていた森に、これからは四人。となると、必要な食料も倍だ。
なので今のうちに、畑を大きくしておきたかったのだ。ちょうど、今は種まきに適した季節だし。
今は何も植えられていない畑を見渡して、二人に尋ねる。
「私たちはいつも、魔法で畑を耕しているのだけれど……あなたたちは、魔法は使えるの?」
「少しだけ使えます。基礎を学んでいる途中でした」
「私は魔法はからきしですね。一応習ったことはありますが、あまり才能がなかったようでして」
緊張しているのか背筋を伸ばしてはきはきと答えるヴィットーリオと、だらりと肩をすくめるロベルト。
足して二で割ればちょうどいいのに、などと思いつつも、口には出さないでおく。
「だったら、クワで耕す方法を覚えた方がよさそうね」
この言葉を聞いて、今度はミモザが首をかしげた。
「クワなんて、ここにはないよね?」
「作ればいいのよ。ミモザ、鉄鉱石を取ってきてもらえるかしら。これくらいの大きさのを二つ」
あれは確か、三十年くらい前のことだったろうか。退屈しのぎに森の探索をしていた時に、偶然鉄の鉱脈を見つけたのは。
鉄を含む鉱石は、宝石の原石と比べるとずっと重くてかさばる。おまけに価値も低いから、換金にはあまり向いていない。
でも魔法が使える私たちなら、自力で加工できる。気が向いたら、これで何か作ってみるのもいいかもしれない。
そう考えた私たちはいくつか鉄鉱石を掘り出して、外の物置小屋に放り込んでおいたのだ。
ミモザが物置小屋に向かっている間に、私は風の魔法で手頃な木の枝を切り落としておいた。
それを見たロベルトが、手を叩きながら称賛の言葉を浴びせてくる。
「さすがは魔女様、鮮やかな魔法さばきです」
「これ、基礎中の基礎よ?」
「いえいえ、ご謙遜を」
「もう、大げさなんだから……」
ちょうどその時、ミモザが両手に鉄鉱石を抱えて戻ってきた。やれやれ、これでロベルト以外のことに意識を集中できる。
鉄鉱石を受け取って、木の枝と合わせて魔法で変形させる。これらをこね回して、クワを作るのだ。
前世の私は、海の近くの村で暮らしていた。だから、当時の私は畑仕事もしていた。もちろん、魔法はなしで。
あの頃使っていたクワの形や重さを思い出しながら、手の中のものをその形に近づけていく。
百年以上前の記憶だけが頼りというのも、少し心もとなくはあるけれど。
しかし意外とあっさりと、クワのようなものが二振りできあがった。
細部が何か違う気もする。でも、振り回してみた感じでは問題なさそうだ。我ながら、見事なできばえだ。
ずっと無言で、感動したように頬を染めて目を見開いているヴィットーリオ。そんな彼に一振りを渡し、もう一振りを手にして耕し方を説明していく。
「こう構えて、目線はこの辺りに。クワ自体の重さを利用して、土の表面を少しずつ削っていくの。深く突き立てすぎると土が重くて大変だから、気をつけてね」
そうやって一通りの手本を見せてやると、ヴィットーリオたちも恐る恐る畑を耕し始めた。思ったよりも飲み込みは早い。
「初めてにしては順調ね。それじゃあ、私たちは少し留守にするわ。夜には戻るから、それまでは好きにしていて。危ないから、小屋からは離れないでね」
その言葉に、二人の手が止まる。不安そうな顔で、ヴィットーリオが口を開いた。
「ジュリエッタ様、どちらに行かれるのですか?」
「あなたたち、これから何かと入り用でしょう? 毛布に、替えの服に……それ以外にも、細々としたものが色々と必要よね。この小屋にある分じゃ足りないから、買い出しに行こうと思うの」
「でしたら、私たちも参ります。追放された時にいくばくかの金貨も渡されていますし、自分のことは自分ですべきだと思うのです」
ヴィットーリオがしゃんと背筋を伸ばして、そう答えた。幼い顔に、生真面目な表情を浮かべて。
そんな彼に言い聞かせるように、優しく言葉を返した。
「今回は、私たちに任せてちょうだい。あなたたち、買い物なんて慣れてないでしょう? いいものを安く手に入れるのには、色々とこつがあるのよ」
すかさず、ミモザも口を挟んできた。
「僕たちは長く生きてるからね。買い物についても熟知してるんだよ。だから、安心して任せて。それに僕たち、お金にも困ってないから」
「ですが……貴女がたに何もかもお任せするのは、心苦しいです」
「だったら、この畑をここからここまでしっかりと耕しておいてもらえる? その作業を片付けてもらえれば助かるわ。それでも時間が余るようなら、野菜の皮むきも頼みたいのだけれど」
「はい、頑張ります!」
私の頼み事に、ヴィットーリオは張り切って返事をした。それを見たロベルトが、深々と頭を下げる。
「お気遣い、ありがとうございます。どうかお二人とも気をつけて」
「ええ、行ってくるわ」
そうやって二人に見送られながら、私とミモザは森を後にした。
ミモザ以外の人に見送られるのって、久しぶりだな。ふと、そんなことを思った。




