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32.少年の涙

「ここで放り出して何かあったら寝覚めが悪いし、手を貸すわ。あなたたちがこの森で、暮らしていけるように」


 半ばやけになりながらそう宣言すると、ロベルトとヴィットーリオは深々と頭を下げた。二人とも、ちょっぴり泣きそうな顔をしている。


 横目でこちらを見ながら微笑んでいるミモザに目配せして、明るい声でさらに続ける。


「ひとまず、食事にしましょう。そろそろ夕方だし、細かい話は明日改めてすればいいわ」


「僕も賛成。いい加減お腹が空いちゃったよ」


 のんびりとそう言って、ミモザがううんと伸びをした。恐縮していた二人の態度が、少し和らぐ。


「ミモザは休んでいて。ずっと飛んできたから疲れたでしょう。夕食は、私が作るから。……四人分も料理を作るのは久しぶりだけど」


 この小屋に来てからは自分とミモザの分しか作ったことはないし、ここに来る前はそもそも料理なんてしていなかった。


 最後にたくさんの料理をこさえたのは、前世でのことだ。久しぶりにもほどがある。でもまあ、なんとかなるだろう。


「うん、悪いけどお願いするね。ちょっとだけ、寝てくるよ……」


 ミモザはくつろいだ様子で、自室に引っ込んでいった。


 残されたヴィットーリオとロベルトが、同時にこちらを見る。ヴィットーリオがためらいがちに、声をかけてきた。


「……あの、魔女様。何か私たちに手伝えることはあるでしょうか。ただお世話になるのも、心苦しく……」


「そうね。……だったら、まずは……」


 少し考えて、軽い調子で答える。


「その『魔女様』はやめてちょうだい。どうせこれから毎日顔を合わせることになるんだし、そのたびにそんな風に呼ばれたら肩がこるわ」


「はい、分かりました! ……それでは、何とお呼びすればいいのでしょうか?」


 ヴィットーリオが幼い顔を引き締めながら、生真面目にそう聞いてくる。


 その可愛らしくも一生懸命な様子に、子供の頃のミモザを思い出さずにはいられなかった。


 ミモザはとびきり可愛かったけれど、ヴィットーリオも負けず劣らず愛らしい。何というか、彼にはつい世話を焼いてやりたくなるような魅力があるのだ。


「そういえば、ちゃんと自己紹介してなかったわね。私の名前はジュリエッタよ。さっきの彼がミモザ。普通に、名前で呼んでくれればいいから」


「はい、ジュリエッタ様」


 ヴィットーリオが頬を赤らめながら、ぺこりと頭を下げる。


 そのさまに微笑んでいたら、彼の背後にいるロベルトが目についた。色々と思い出してしまって、複雑な気分になる。


 私の目つきに何かを察したのか、ロベルトはすっとぼけるような目をして可愛らしく小首をかしげてみせる。少年ならともかく、中年男性がする仕草ではない。


「……あなたも昔は、ヴィットーリオみたいに純粋で可愛らしかったのに。時の流れって残酷ね」


「あれから色々とありましたしね。ジュリエッタ様は昔と変わらず美しくあらせられて、何よりです」


「それ、ミモザの前で言わないでね。あれで彼、意外とやきもちやきだから」


「ええ、肝に銘じておきますよ」


 穏やかな笑みを浮かべたままひょうひょうと返事をするロベルトに内心頭を抱えながら、ひとまず二人を台所に連れていくことにした。




 予想通りというか何というか、二人には家事の心得などかけらほどもなかった。


 追放されたとはいえ王宮育ちの元王子様であるヴィットーリオには最初から期待していなかったけれど、ロベルトも駄目だった。二人とも、イモの皮一つむいたことがなかったのだ。


「この年になって料理を覚えることになるとは思いませんでした。これもいい経験になりそうですね」


「はい、私も頑張ります。どうかご指導のほど、よろしくお願いします」


 二人はそんなことを言いながら、一生懸命作業に取りかかっていた。私はそんな二人にあれこれと教えながら、一緒に料理を作っていった。


 外の水路で水をくみ、保存してあったイモを洗って皮をむく。それからベーコンを適当な大きさに切って、イモと一緒に炒める。ただそれだけの簡単な料理が、中々できあがらない。


 正直な話、これなら一人で作業したほうがよっぽど効率がいい。


 けれどいずれは、この二人に自立してもらいたい。理想としては、森の中の少し離れたところにもう一軒小屋を建てて、そこで暮らしてもらえたらなと思っている。


 そうすれば彼らを守ってやることもできるし、かといって私とミモザの静かな暮らしを邪魔されることもない。


 そのためにも、必要な家事はさっさと叩き込んでしまいたかったのだ。多少、食事の時間が遅くなったとしても。


 ……それに、誰かに何かを教えるのも悪くはない。ミモザが子供の頃に、こうやって料理を教えたことを思い出す。あの頃のミモザも、ヴィットーリオのように頑張っていたものだ。


「……あの、ジュリエッタ様、どうされたのでしょうか」


 そんなことを考えているうちに、またヴィットーリオの顔を凝視してしまっていたらしい。彼は心配そうに口をつぐみ、こちらをじっと見つめている。


「いえ、ただちょっと昔を思い出していただけよ。……そういえば、あなたはヴィートにそっくりなのに、性格はあまり似ていない気がするわ」


 子供の頃のヴィートは、彼とそっくりだった。けれどヴィートは、こんな風に不安そうな顔をすることはなかった。


 ヴィートはいつも自信に満ちあふれ、堂々としていた。若い頃の私は、そんな彼を頼もしくて男らしいと思っていたものだ。今にして思えば馬鹿馬鹿しいけれど。


 彼がもっと慎重で思慮深かったら、私は追放なんてされずに済んだのかもしれないし。


 と、ぎこちない手つきでイモを切っていたロベルトが、どこか得意げに口を挟んできた。


「はい、ヴィート様は勇猛果敢で知られたお方でしたが、ヴィットーリオ様は温厚篤実、いずれは良き王になられると、そうささやかれていたものです」


「勇猛果敢、ねえ」


 どちらかというと、ヴィートは猪突猛進の単細胞といった方が正しい気がする。


 故人を悪く言う趣味はないけれど、私という婚約者がありながら、あまりにもあっさりとよその女の策略にひっかかるような男にはこれで十分だ。


 その後も、謝罪するといっていきなり呼び出したりと、彼は割と自分勝手だった。今となっては、みんな過去の思い出でしかないけれど。


 甘酸っぱくて苦々しい記憶に思いをはせていると、ヴィットーリオがうつむいて小声でつぶやいた。子供の澄んだ高い声には似つかわしくない、暗くて生気のないつぶやきだった。


「私は、ヴィートお祖父様のようになりたいのです。私が弱いから、こんなことになってしまった。私がもっと、強ければ」


 芋を洗う手を止めて、ヴィットーリオがその幼い顔をゆがませる。


 気づけば、彼に歩み寄っていた。そのまま、彼の頭をそっとなでてやる。昔、よくミモザにそうしていたように。


「あなたはあなたのままでいいのよ、ヴィットーリオ。ヴィートにはヴィートの、あなたにはあなたの良さがある。どちらが強いとか、そういうことではないの」


 みるみるうちに、彼の顔が大きくゆがんだ。そうして次の瞬間、ぼろぼろと涙をこぼし始める。


 腕を伸ばして、彼を優しく抱き寄せた。すぐに、彼がしがみついてくる。


 追放されてからずっと、彼は泣きたいのを我慢していたのだろう。かわいそうになるほど肩を震わせ、必死に声を殺しながら泣いている。


 ロベルトはさっきまでのおどけた様子を全て引っ込めて、ひどく悲痛な顔でヴィットーリオを見守っている。


 彼は忠臣として、そしてヴィットーリオを守る大人として、きっと彼以上に今の事態を悔やんでいるに違いなかった。


 異変を察して目を覚ましたのか、寝ぐせがついた頭のミモザが戸口に立ってこちらを見ていた。彼もまたヴィットーリオを思いやるような、切なそうな表情をしている。


 三人の大人たちの視線を受けながら、ヴィットーリオはずっと泣き続けていた。


 それなのに小屋の中は、ひどく静まり返っていた。

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