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165.マリンのわくわくな一日

 むー……ぴゅうう……。


 小鳥が鳴く声で、マリンは目を覚ました。彼女の左右では、ジュリエッタとミモザが心地よさそうな寝息を立てながらまだ眠っている。


 しっかりと雨戸が閉められた部屋は暗いけれど、外では様々な生き物が動き出した気配がする。


 ぴゃう! きゃう!


 マリンは毛布をつかんで、寝台の足元に移動する。そのまま一気に、毛布をたぐりよせた。


 毛布を奪い取られる形になったジュリエッタとミモザが、ううんとうなりながら目を開ける。


「……マリン……朝、早すぎよ……」


「ふわあああ……そうだねえ……むにゃ」


「あっ、ミモザ、二度寝しないで! ……寝ちゃったわ。マリン、パパを起こしてあげて?」


 ジュリエッタが人の悪い笑みを浮かべて、マリンに優しく語りかける。マリンは大張り切りで、ぴょんとミモザの上に飛び乗った。その整った顔面目がけて。


「ふえっ!? うわ、びっくりした……そんなに重くないからいいけど……いや、マリン、ちょっと大きくなった?」


 ようやく目が覚めたらしいミモザが、あおむけになったままマリンを両手で掲げ持ち、首をかしげている。マリンは両手を広げ、胸を張っていた。


 ぴゅあーん、ぴゅー。


「……『空飛ぶごっこ? もっとやりたい?』はいはい、ちょっとだけだよ」


 パパであるミモザはマリンと同じ竜だから、マリンの言葉を分かってくれる。とっても優しい、素敵なパパだ。


「じゃあその間に、朝食の準備をしておくわ。ミモザ、マリンの子守りをお願いね」


 雨戸と窓を開けながら、ジュリエッタが軽やかに言う。ママである彼女はマリンの言葉が分からないけれど、マリンの気持ちは分かってくれるのだ。


 マリンはたっぷりとミモザに遊んでもらってから、料理をするジュリエッタを後ろからのぞき込む。毎回恒例になっているつまみ食いのために。


 ジュリエッタもその辺りは心得ていて、卵焼きの端っこを分けてくれた。


 そうこうしているうちに、朝ご飯ができあがった。甘いイモを大きく切ったものが入っているスープを、マリンは鼻面を突っ込んで一気に平らげる。


 今日のご飯もとってもおいしい。マリンはとっても満足していた。顔をスープでべちょべちょにしながら、皿をなめている。


 それを見たジュリエッタとミモザが、ちょっぴり困ったような笑みを浮かべる。マリンの親代わりである二人は、マリンにどれだけしつけをしたものか迷っていたのだった。


 食事の作法は、人間として過ごすなら必要となる。でも獣として過ごすなら、これほどどうでもいいものもない。


 マリンもミモザと同じように、先代の竜の知識を受け継いでいる。だから、いずれ自分が伴侶を見つけ、長い時間をその伴侶と共に生きていくことになるのだということは知っていた。


 でもマリンは、さっぱり実感がわいていなかった。今はとにかく、大好きなパパとママとの暮らしを楽しむのに忙しかった。


 素手で甘い卵焼きをぽいぽいと口に放り込み、スープのおかわりもあっという間に完食する。


 満腹になってくぴぃとげっぷをしたマリンの顔を、ジュリエッタが柔らかい布で拭いてくれた。


 これが、幸せというものだろう。まだ幼いながらも、マリンはそう確信していた。


 思えば、生まれてこのかた苦難続きだった。マリンはうっかり昔を思い出してしまい、喉の奥でうなる。


 この世に生まれ出た彼女が最初に見たのは、自分を取り囲む知らない人間たちだった。そうして彼らは自分を袋に放り込んで、どこかに運んでいってしまったのだ。


 それからの日々は、ひどいものだった。冷たい檻に閉じ込められて、食べ物は生の肉や野菜、それもすっかり傷んだものばかり。


 そして朝から晩まで、ひっきりなしに人前に連れ出されて。たくさんの人々の、好奇の視線を浴びせられて。


 誰か助けて。泣いても叫んでも、人間たちには言葉が通じない。マリンはもう、すっかり絶望してしまっていた。


 そんなある日、白い髪の人がマリンを見にきていた。人間の姿をしていたけれど、彼は間違いなく竜だった。


 必ず助けにいくから、もう少しだけ待っていて。彼はマリンにだけ通じるように竜の言葉でそう言って、またいなくなってしまった。


 その出会いが、マリンを支えてくれた。言われた通りに、マリンは待つことにした。いつ助けにきてくれるのかな、ただそれだけを考えて。


 それからさほど経たないうちに、今度は銀の髪の人が姿を現した。こちらは間違いなく人間なのに、不思議なくらい竜の匂いがした。


 その銀の髪の人は、その日の夜にマリンを助け出してくれた。その先で、白い髪の人とまた会えた。


 マリンは嬉しくてたまらなかった。そしてマリンは、この人たちの子供になるのだと、そう決めたのだった。


「はい、拭き終わったわよ。……あら? もっと?」


「『もっとよしよしして』だって」


「ふふ、甘えん坊ね」


 ミモザとジュリエッタの笑い声を聞いて、マリンはきゅっと目を細めていた。




 そうして朝ご飯が終わったら、お散歩の時間だ。ジュリエッタたちとの約束を守るのであれば、一人で外に遊びにいってもいい。マリンは小屋を出て、その足で近くの村に向かっていた。


「あ、マリンだ!」


「いっしょに遊ぼう!」


 村の近くの草原を走るマリンの姿を見て、子供たちが声をかけてくる。彼女の鮮やかな青のうろこは、柔らかな若草の中ではとても目立っていた。


 きゃう、と高らかに一声鳴いて、マリンは子供たちに近づいていく。


 体こそ小さいけれど、かけっこもおしあいへしあいも、マリンはとっても強かった。かくれんぼに至っては、村の子供どころか大人ですら見つけられないほどうまい。


 もっとも、どれだけ懸命に隠れても、ミモザにはすぐ見つかってしまうのだけれど。マリンはそんなことも、楽しんでいた。パパはマリンを見つけてくれる、そんな風に考え、信頼していた。


 村の子供たちにも、マリンの言葉は通じない。けれど遊ぶのに、何の支障もなかった。村のすぐ外を駆け回り、そのまま村の中で遊んで。時折、大人たちからおやつをもらったり。


 マリンはここに来て、ようやく人間への怖さを忘れることができたのだった。……あの一座への恨みだけは、まだ心の片隅に残っていたけれど。




 しばらく子供たちと遊んだ後、マリンはお昼ご飯を食べに小屋に戻り、午後は森で遊ぶことにした。畑仕事や小屋の掃除を終えたジュリエッタとミモザと一緒に。


 今日は小屋の近くの小川の上流で、宝石の原石を拾うことにした。もっと上流の鉱脈から外れた原石が、川の流れに乗ってここまでやってくるのだ。


 マリンは浅瀬で平らになって、全身を水に浸しながら原石を探していた。


「本当に水遊びが好きね、この子」


「僕も好きだよ。さすがにもう、この小川には浸かれないけれど。……掘れば、いけるかも……?」


「そんなことしたら、魚たちが迷惑するんじゃないかしら。水浴びの時は素直に上流の湖に行きましょう」


「それもそうだね。じゃあ今度、三人で遊びにいこうよ」


 ジュリエッタとミモザが川原の石に腰かけてそんなことを喋っていたら、いきなりマリンが水から飛び出した。右手に宝石の原石を、左手に魚をつかんで。


 マリンはとても得意げに、原石をジュリエッタに、魚をミモザに渡した。それからくるりと二人に背を向けて、わき目もふらずにまた小川に飛び込んでいく。


「……あれって、もしかして……」


「魚捕りに夢中になってるね。気持ちはすっごく分かる。泳いでいて、目の前をちらちらされると……つい、捕まえたくなるんだ」


「竜って……猫みたいね」


「そうかも」


 水の中をくねくねと泳ぐマリンの耳には、二人の声はもう届いていなかった。




 そうして、その日の夕方。山のように積み上がった魚を前に、ジュリエッタが笑う。


「今日は、ここでご飯にしましょうか。マリンが捕ってくれたお魚が、たくさんあるし」


 マリンが遊んでいる間に枯れ枝を集めてきていたミモザが、楽しそうに言葉を添えた。


「久しぶりに、そのまま外で寝てみるのもいいんじゃないかな。今日は過ごしやすい天気だから」


「そうね。また春がきたら、いつものように遠くに遊びにいきたいし、今のうちにマリンにも野宿の練習をさせておきましょう」


「人里には近寄れないから、なおさらだね」


 野宿。それは屋根も壁もない外で、一晩眠ること。マリンがこの辺境にやってきたその日、三人一緒に小屋の外で寝た。あれが、野宿なのだろう。二人の話を聞きながら、マリンはそう考えた。


 ぴゅい!


「『のじゅくしたい!』か、やる気でよかったよ。じゃあ僕は、毛布と毛皮をとってくるね。ジュリエッタ、料理を頼める?」


「任せてちょうだい。あ、ついでに塩と香草もお願い。それとたき火台にフライパン、お皿と……」


 次々と必要なものを挙げていくジュリエッタに、ミモザは苦笑で応える。


「ふふ、分かったよ。ごちそうになりそうだね。だったら僕は、焼リンゴでも作ろうかな。確かまだ、リンゴが残ってたはずだし」


「ぜひ、お願い!」


 そんな会話の後、ミモザは小屋に向かって歩いていく。その背中を見送るマリンは、必死に口を閉じていた。よだれを垂らさないように。


 ママの料理はおいしい。パパの料理もおいしい。そして今夜は、両方同時に食べられそうだ。


 ごくりと生唾を呑み込んで、マリンはジュリエッタに近づいていく。かがみ込んだジュリエッタの隣にちょこんと座って、ジュリエッタの足にぺたんともたれかかった。


「あら、どうしたの?」


 きゅー。


 目を細めて、マリンは答える。と、ジュリエッタが作業の手を止めて、マリンの頭をなでてきた。


「幸せなの? だったらよかったわ」


 ジュリエッタはマリンの言葉が分からない。けれど今彼女は、マリンの思いをきちんと理解してくれていた。


 それが嬉しくて、マリンは声を張り上げてきゃいきゃいと鳴く。ご機嫌なその声は、静かな森に広がっていった。

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