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164.竜の噂は広まって

 東の街、その中でも最も隣国との国境に近い東の地区。そこでは今、妙な噂が広まっていた。


 まだ夜が明けて間もない頃、東の地区の荷下ろし場では男たちが盛んにお喋りしていた。


「なあ、聞いたか? 隣国に、でっかくて白い竜が出たんだってさ」


「聞いた聞いた。けどさ、竜……って、いったいどんなものなんだ?」


「俺も詳しくはないんだが、なんでもでかい羽、コウモリの羽みたいなのがついた何かだって聞いたぞ」


「強いて言うなら、トカゲに似ているらしいという話ですね」


「怖いんだか怖くないんだか、分からねえな」


「いやいや、それが怖いんだって! なんでもその白い竜は、見上げるような高さで……ほら、教会のてっぺんくらいまであるらしいぜ」


「私が聞いた噂では、その倍はありましたが」


「どれだけでかいんだ……そりゃあ、確かに怖いな」


 いつものように隣国の商人が持ってきた品を荷車に積み替えながら、男たちはそんなことを喋り続けている。どうにも、仕事に身が入らないようだった。


「おいお前ら、ぐだぐだ喋ってないで荷を運べ! ぐずぐずしてると次の荷が来ちまうぞ!」


 そんな男たちを、バルガスが一喝する。いつものように。


 男たちは肩をすくめて作業に集中しようとしていたが、その中の一人がふと何かを思い出したようにつぶやいた。


「そういやバルガス、あんたついこないだまで隣国にいたよな? ジュリエッタを案内するとかで」


「お、おう。特に何事もなく隣国を回って、無事に帰ってきたぜ。ジュリエッタも、もう家に戻ってるはずだ」


 そう答えつつ、バルガスはひっそりと冷や汗をかいていた。それもそうだろう、彼はちょっぴり嘘をついていたのだから。


 ジュリエッタに隣国を案内したところまでは合っている。しかし神殿の街に着いてからは、平穏とは程遠い、危険な橋をいくつも渡る羽目になった。


 それだけならまだしも、彼は白い竜の背中に乗って空を飛んで戻ってくることになったのだ。


 あの時のバルガスは、生きた心地がしなかった。隣のジュリエッタが平然としていたから、どうにか耐えられたようなものだった。


 普通の人間ではまず体験しないようなそんな事柄の数々を、当然ながらバルガスは内緒にしていた。


 どうせ信じてもらえないだろうし、恩人であるミモザの正体がばれかねないような行動は慎むと約束したのもあるし。


「あ、白い竜が出たって夜、バルガスってまだ隣国にいたはず……だよな」


 しかし男たちの一人が、運悪くそのことに気づいてしまった。


「なあバルガス、ひょっとしたら白い竜を見た人間とかの話、聞いてないか?」


 さらに運の悪いことに、バルガスは嘘が下手だった。さっきの嘘でどうにか乗り切れたと思ったところに新たな質問が飛んできたものだから、彼はとっさに対応できなかった。


「あ、いや、その」


「その白い竜は、竜の子供を虐げた人間の前に降り立って、子供を奪い返しに来たらしいぜ」


 言いよどんでしまったバルガスの言葉を、別の声がさえぎる。割り込んできたのは、バルガスとそっくりの隊商、アンガスだった。


 アンガスはたっぷりと荷を乗せた馬車――彼の仲間とラクダたちは砂漠のふちで待っていて、彼一人が荷物を積み替えた馬車と一緒にここまでやってくるのだ――の御者席からよいしょと降りて、男たちに向き直っている。


「『今回だけは許してやる、次はない』って言い放ったとか」


 アンガスの言葉に、男たちは作業の手を止めた。目を輝かせて、次の言葉を待っている。


「おいアンガス、邪魔すんじゃねえよ」


 早くこの話題から離れたかったバルガスが、小声でアンガスに注意する。しかしアンガスはにやりと笑い、ちっちっちと指を振ってみせる。


「分かってねえなバルガス、竜のことが気になって仕事にならないんなら、さっさと情報を与えちまったほうが早いぜ」


 与えられねえから困ってるんだよ! という言葉を、バルガスはぎりぎりのところでのみ込むことに成功した。


「でな、それを聞いて震え上がったのが神殿の街の人間たちだ」


 とうとうと話し続けるアンガスに、バルガスがこっそりと首をかしげる。


 ミモザが竜の姿で降り立ったあの場には、旅芸人の一座の者しかいなかった。なのに、なんだって街の人間が震え上がってるんだ?


「街の連中は、見世物にされた竜の子供のところに押しかけていた。竜の子供がおびえているにもかかわらず、毎日毎日みんなで歓声を上げていた」


 まるで朗読劇か何かのように、アンガスは堂々と語る。その場にいた人間たちは自然と、話に引き込まれていた。


「白い竜の怒りは、自分たちの上にも降りかかるかもしれない。なんせ自分たちは、白い竜の大切な子供をいたぶって笑ってた訳だからな」


 違う。あれは親子じゃない。変なほうに話がずれてやがる。こっそりと目をむくバルガスに気づくことなく、話は進んでいく。


「そうして、神殿の街の人間たちは考えた。自分たちが白い竜、そして竜の子供に対して謝罪の意思があること。それを、形にしようと」


 お? 何だかさらに妙なほうに話が転がっていったぞ? バルガスもまた、耳を澄ませる。


「神殿の街にある、古い神殿の跡。そこに、新しく小さなやしろを建てることになった。今回の事件と、二頭の竜のことを語り継ぐために」


 あーあ、やっちまった!


 バルガスは叫びそうになり、とっさに咳払いをしてごまかした。


 帰りの道中、バルガスはさんざんミモザとジュリエッタの愚痴を聞かされていた。


 二人とも、目立つことは望んでいない。まして、まつりあげられるなんてもってのほかだ。それなのに王都では、自分たちの名がもてはやされてしまっているのだと。二人して、そうぼやいていた。


 あんだけ派手に暴れておいて、目立つのが嫌だなんて。そりゃあ、そう考えても無理な話だよなあ。彼はひそかに、そんなことを思っていたのだけれど。


「そういう訳だから、白い竜について知りたけりゃ神殿の街にくればいい。街は今、そのことで持ち切りだからな」


 ミモザの奴、これを知ったらひっくり返るぞ。手紙か何かで教えてやったほうがいいのか? いや、ほとぼりが冷めるまで放っておいたほうがいいのか? いやいや、あいつらがまた神殿の街に行くとも限らねえし……。


 バルガスがうんうんうなりながら悩んでいたその時、男たちの一人が声を上げた。


「あっ、思い出した! そういや王都のほうで、『白き竜の神様』ってのがもてはやされてたぞ。ほら、これ」


 その男は腰に付けた荷物袋をごそごそと探り、やがて一枚の木札を取り出す。つやつやになるまで磨かれたその木札には、絵の具で何かが描かれていた。


 男たちとアンガスが、一斉にその木札をのぞき込む。


「王都に遊びにいった母ちゃんが、土産に買ってきてくれたんだよ! なんか色々ご利益があるから、肌身離さず身に着けとけって。袋にしまい込んだまま、すっかり忘れてたけど」


「羽の生えた、白いトカゲ……なるほど、噂通りだな」


「この神様と、隣国に現れた白い竜は、同じものなのでしょうか? それとも別の?」


「一緒だろ。つーか、そんなにたくさん白い竜がいたら怖えよ……」


 わいわいと騒いでいるみなから少し離れたところで、バルガスは一人考えていた。


「ミモザ……目立たずひっそり暮らしたいって、やっぱり無理があるぜ……」


 他の人間に聞こえないように、ぼそりとつぶやく。


「特にあんたの場合、連れ合いもああだしな……」


 存在そのものがこの上なく目立つミモザと、人並みはずれた行動力……暴走力? を誇るジュリエッタ。


 前に国境を襲った時もそうだったが、とにかくこの二人は何もかもが規格外だ。たぶんこれからも、あちこちに二人の足跡が残っていくのだろう。


「ま、俺も神殿の街の連中みたいに、その足跡を後生大事に取っておこうとしてる人間の一人なんだがな」


 彼の脳裏を、広場の岩に立てかけられた木の板の姿がよぎる。にやりと笑って、バルガスは軽く伸びをした。今日も、一日忙しくなりそうだと思いながら。

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