162.お誕生日おめでとう、二人とも
きょわああん! きゅる、るるうん!
その日、マリンはテーブルいっぱいに並んだごちそうを見て歓喜の叫び声を上げていた。
それは、春先のことだった。いつものように、私の誕生日を祝っていた時。
いつにない大量のごちそうを嬉々として食べ散らかしていたマリンに、私たちは聞いてみたのだ。マリンは、自分がいつ生まれたのか覚えてる? と。
するとマリンは、すぐに答えたのだった。今日は、マリンが生まれて何日目にあたるのかを。
どうやら彼女は、生まれてからずっときっちりと日にちを数えていたらしい。人間が日記を書くのと同じように、毎日あったことを覚えていたのだとか。
檻に囚われていた間は、他にすることがなかったから。そして救い出されてからは、毎日がとても素敵で、大切だったから。
マリンが口にしたその数字と、人間の暦を突き合わせて。そして私とミモザは、同時に声を上げた。
「えっ、計算間違えていないわよね?」
「こんな偶然ってあるんだ……」
そうやって割り出したマリンの誕生日は、なんとミモザの誕生日と全く同じだったのだ。
「ということは、僕たちと出会ったあの時、マリンは本当に赤ちゃんだったんだね……」
「ミモザ、私また腹が立ってきたわ。いたいけな幼子に、なんてことを……今からひとっ飛び隣国に行って、あの一座にがつんと説教を……」
「落ち着いてよ、ジュリエッタ。もうあの人たちは十分に反省してるだろうし、あんな人たちのために時間を使うの、もったいないよ」
座っていた椅子から腰を浮かせかけた私を、即座にミモザがなだめる。
「それより、今度こそちゃんとお祝いしてね? ……二人きりじゃなくて三人になっちゃったけど、まあいいや」
「ふふ、そうね。一年越しになってしまってごめんなさい。今年の誕生日は、腕によりをかけるから」
「わあい、やったあ」
ぴう?
いつの間にかまたごちそうをがっついていたマリンが、ふと顔を上げて首をかしげた。顔にソースをつけたまま、ぴいぴいと鳴いている。
「あ、『どうしてお誕生日をおいわいするの?』か。そう言えば、説明してなかったね」
どうやらマリンは『誕生日とはごちそうがもらえる日である』と理解していたらしい。お祝いという言葉を聞いて、訳が分からなくなったようだ。
それも仕方ないか。マリンは生まれてすぐに旅芸人の一座に捕まって、檻に閉じ込められていたのだから。こんなに好奇心旺盛な子を、まるで獣扱いして……。
またちりりと心の片隅で燃え上がり始めた怒りをぎゅっと押し込んで、マリンに笑いかける。
「人間は、一年に一度誕生日をお祝いするのよ。この世界に生まれてきてくれてありがとう、って伝えるために」
もちろん世の中、そんな人間ばかりではない。貧しかったり苦難の中にいたりして、それどころではない人間がたくさんいることを知っている。
でも今のマリンには、素敵なことをたくさん知って欲しかった。こうやって人と関わって暮らしていくのであれば、嫌でも人間の世界の暗いところを見ることになるのだし。
きゅーう。
「『今日はママの誕生日。マリン、ママが生まれてきてうれしい』……って言ってるよ」
「ああ、マリン、私も嬉しいわ……!」
マリンのけなげな言葉に、思わず彼女をぎゅっと抱きしめる。ちょっと服にソースがついてしまったけれど、気にしない。
そうしていたら、ミモザも私に抱き着いてきた。
「ジュリエッタ、君が生まれたこの日は、僕にとって一番大切な日なんだよ。君がいなかったら、今の僕もいなかった」
そうして三人で、一つの団子みたいになっていた。春のぽかぽかした風が、窓から流れ込んでいた。
とまあ、そんないきさつを経て、マリンは『お誕生日のお祝い』について理解した。そして、自分の誕生日についても。
夏の終わりごろから、彼女はそわそわしていた。やっぱり計算は得意みたいで、誕生日まであと何日と、毎日わくわくした顔で数えていた。
私たちはそんな彼女を温かく見守りつつ、お祝いの準備を進めていった。
そうして、いよいよ二人の誕生日当日。
私は朝から料理にかかりきりになっていた。二人の好物を、作って作って作りまくるために。
まずはミモザが好きな白身魚のムニエル、刻んだ香草を振りかけて。添えるのはほっくりと蒸したイモに、また別の種類の香草をまぶしたもの。酢と卵と油を合わせたソースを添えて。
素材ごとに、香草の組み合わせは変えてある。調整を重ねて、より素材の味を引き立てる配合を探すのが楽しい。
マリンには、塊のお肉をたっぷりと。付け合わせはほろ苦い葉野菜を、ちぎったり切ったりせずそのまま。ニンジンと野生のベリーを合わせたソースにつけて食べるとよりおいしい。
この子、お肉でもお魚でも、とにかく丸ごとの大きいものが好きなのだ。香草なんかも料理に使うより生のままかじるのが好きだし、どうにも野性的な子だ。
……いつか、マリンが豚や牛の丸焼きの存在を知ったら、間違いなくおねだりしてくるんだろうなあ……しかしそんなもの、恐ろしくてとても作れないし……もしそうなったらミモザにお願いしよう。
それに、ごろごろ野菜とベーコンのスープ。他にも私特製ドレッシングであえたサラダとか、荒く砕いたナッツを混ぜ込んだパンとか。デザートにはとれたてのノブドウと、焼き石でじっくりと火を通した栗。
この季節は森の恵みも多いから、自然と素材を生かした料理が多くなる。生のものもふんだんに使える。いい季節だ。
反対に私が生まれた春先の料理は、保存のきく根菜をじっくり煮込んだ感じのものになりがちだ。食材の種類が乏しいせいで、毎年ミモザは苦戦している。最近では、私の誕生日が近づくとひとっ飛び遠出して、よその地方の新鮮な食材を手に入れてくるようになった。
「それでは、私たちの大切なミモザと、マリンが生まれたこの日を祝して!」
私の号令に合わせて、ミモザがワインの入ったジョッキを掲げる。マリンも真似をして、ブドウジュースの入ったコップを一生懸命両手で持ち上げていた。
そうして、お祝いの宴が始まる。マリンは大興奮で、大きな肉の塊にかぶりついていた。鹿のもも肉丸ごと、放っておいたら一人で食べつくしそう。料理はまだまだあるから問題はないけれど。
「……ああ、やっぱりいいなあ。こうして静かに、あなたと誕生日を過ごすのって」
「あんまり静かでもないわよ? マリンが興奮しちゃって、食べながらずっとぶつぶつ言ってるから」
「あれは『おいしいおいしいおいしい』って連呼してるだけだよ。おいしすぎて、黙っていられなくなったみたい」
その言葉に、ぷっと吹き出してしまう。ミモザもつられるようにして、くすりと笑った。
「マリンが増えたけど……それでもこの宴の席は、一年以上前から僕が望んでたものなんだ」
ムニエルを一口食べて、ミモザが切なげに息を吐く。
「不思議だよね。去年の今日、王都の後夜祭をあなたと一緒に回るのは、確かに楽しかった。とってもにぎやかで、人も物もごちそうも、信じられないくらいたくさんあって」
そうしてミモザは、まっすぐに私を見る。
「それに次の日、もう一度祝ってもらった。でも、どうしようもなく物足りなかった。……たぶんね、僕にはあなたと二人だけではしゃぐ時間、あなたを独占できる時間が必要なんだと思う」
どちらからともなく、手が伸びる。そうして二人、手をつなぐ。触れた手から伝わる温もりは、どんな言葉より雄弁だと思えた。
びゃう!
「ああごめんごめん、マリンのことを忘れた訳じゃないから」
「そうね、今はごちそうを食べるのを楽しみましょう」
ちょっぴり不満そうなマリンにせかされるようにして、私たちは食事を再開した。しっかり準備をしただけあって、我ながらいい感じの仕上がりだった。
食事が終わったら、プレゼントの時間だ。私からミモザへは、押し花のしおり。川の向こうの花畑まで行って、特に姿の美しい花を厳選して作ったものだ。
私たちは長く生きているから、誕生日のたびに豪華な贈り物をしていたら、いずれ小屋が贈り物で埋まる。だからこんな風に、ささやかだけれど思いのこもったものを送り合うことにしているのだ。
「それでね、マリン。これは僕とジュリエッタからの贈り物。開けてみて」
くすりと笑って、ミモザが布の包みをマリンの前に置く。マリンはぴゃっと叫んで、小さな手で慎重に包みを開き始めた。
……ぴゃあああーう!!
「ねえ、何て言ってるの?」
「『なにこれすごいすごい!!』ものすごく気に入ってくれたみたいだよ」
私たちが彼女に贈ったのは、宝石を飾ったチョーカーだ。
前にミモザが見つけてきた、透明できらきらする石を中心に、色とりどりの石のビーズで周囲を飾り立てて。
石のビーズは、二人がかりで加工の魔法を使い、ちまちまこつこつと作っていったものだ。そしてビーズに通してある糸は、融合の魔法を使って革と鉄を練り合わせ、細くひきのばしたものだ。
そうやって美しさと強度を両立させた飾りには、もう一つ細工がしてあった。
石のビーズの中に、ミモザが生み出した竜の秘薬もどき――前に、誘拐されたヴィットーリオの追跡に役立った、竜の彫刻の目にはめこまれたものと同じものだ――が混ぜてあるのだ。
「君がこのチョーカーをつけていれば、迷子になっても見つけてあげられるよ」
「あなたの体が大きくなったら、また紐の長さを調節してあげるから」
チョーカーを手にしているマリンは、小刻みに震えていた。やがてその大きなサンゴ色の目から、涙がぼろぼろとこぼれ落ちる。
「『マリン、ぷれぜんと、はじめて……うれしい、うれしい』そっか、よかった……」
ぴるぴると泣きながら震えるマリンを抱きしめて、ミモザが柔らかく微笑む。
「これからも、お誕生日を祝っていきましょう。あなたが伴侶を、新たな生き方を見つけるまで、ずっと。あなたが望むのなら、それから先も」
「僕たちは、ずっと君のパパとママだからね」
そんな私たちの言葉に、マリンは甘えるような鳴き声で答えていた。
そうして私たちは三人で、ぎゅっと抱き合ったままでいた。とっても幸せな温もりを感じながら。