160.私たちの勇敢な娘
「ぐおっ!? い、いてえ! め、目が!!」
男のどすのきいた声が、森の中に響く。
山刀を放り捨てて、必死に両目をこする男。もう私やミモザを見張るだけの余裕は、彼にはなかった。
驚きにぼけっとしながら、今しがた起こったことを思い出す。
それはまるで、早業のようだった。木から飛び降りたマリンは、そのまま男の肩に着地したのだ。そして手にしていたものを、思いっきり男の両目になすりつけた。
「……あれって、野生のトウガラシだよね。しかも、丁寧にもみつぶしてあるし……痛そう……」
マリンは暴れる男の肩から飛び降りると、ニーナに向かってきゅっと鳴いた。そうしてマリンとニーナが、大急ぎでこっちにやってくる。
「もう大丈夫よ。怖かったでしょう」
しゃがみ込んで両手を広げると、マリンとニーナが飛び込んできた。マリンは甘えるように頭をすりつけていて、ニーナは大声を上げて泣き出した。
そんな二人を、しっかりと抱きしめる。ああ、無事で本当に良かった。
「こっちも片付いたよ」
その間に、ミモザは手際よく野盗の頭領を縛り上げていた。私と同じように、木の枝を切って、変形の魔法で巻き付けて、止めて。
「この人たち、どうする?」
「宿場町にいる衛兵に引き取ってもらいましょ。せっかく見逃してあげるって提案してあげたのに、その素敵な申し出を蹴ったのはこの人だもの。それ相応の目にあってもらわないと、ね」
聞こえよがしにそう言って、地面に転がされている頭領ににっこりと笑いかける。
でも頭領は何も言えない。ただもごもごと、何かうめいているだけだ。喋れないように、ミモザが木の枝でさるぐつわをかませていたから。
「じゃあ、お仲間も一か所に集めておこうか。手間が省けるしね」
「お願いしてもいいかしら? 私は二人縛っておいたから」
「うん。必死にもがいてる音もするし、すぐ見つけられるよ」
そう言うなり、ミモザはふらりと森の中に姿を消した。ちょっと散歩に行ってくる、くらいの気軽さで、うっそうとした茂みをするすると抜けていく。
彼のそんな不思議な挙動に、ニーナも泣くのを忘れてぽかんとしていた。色々と衝撃的なことが起こったばかりだし、落ち着くまでそっとしておいてあげよう。
そうしてミモザを待つ間に、マリンの手を拭いてやる。地面にあおむけに転がったマリンの手を、ハンカチで丁寧に。この手でうっかり目をこすったら、大変なことになる。
「頑張ったわね、マリン。私が教えた薬草の話、ちゃんと覚えてたのね」
ぴゃうぴゃうと声を上げて甘えるマリンの姿を見て、ニーナもようやく我に返ったようだった。私の袖を遠慮がちにつかんで、マリンを見つめている。
「あのね……マリンが、まもってくれたの。マリンが、わたしをにがしてくれたの。それでね、マリン、あのおじさんになげとばされて……マリン、だいじょうぶ?」
きゅっ!
泣きそうなニーナに、マリンがぴょんと立ち上がって元気に答える。そのままニーナに歩み寄って、足にぐるりと巻きついた。
「うん、ありがとう……」
ヴィットーリオとは違い、ニーナはマリンの言葉は分かっていないようだった。けれど間違いなく、心は通じ合っていた。
ちょっと見ない間に、マリンはすっかり村の子たちと仲良くなっていた。
そういえば、マリンがいなくなったのだと伝えるためだけに、村の子はわざわざ森の中まで来たのだった。入ってはならないと、代々言い伝えられているこの森に。
大きくなったわねえ、マリン。体はまだちっちゃいけれど。
心の中だけでそうつぶやいて、じゃれ合う子供二人をのんびりと眺める。視界の端で必死にうごうごしているごつい男のことは忘れることにした。
「お待たせ、全員持ってきたよ」
近くの茂みがいきなり灰になったと思ったら、その向こうからミモザがひょっこりと姿を現した。肩に太いツルをひっかけて。
「さすがに、三人かついで運ぶのは難しかったから。だからこうやって、引きずってきたんだ」
ミモザの肩のツルを視線でたどっていくと、地面に転がった芋虫のような男性が見えた。それも三人。私がぶちのめしたのが二人、ミモザが片付けたのが一人、かな。
「ちゃんと地面は平らにしながら進んだから、怪我はしてないと思うよ。……ちょっと道が狭いから、木の枝なんかがぶつかったりはしたかもね」
しれっとそんなことを言っているミモザに、後ろの芋虫たちが不満のうめき声を上げている。三人とも、顔やら腕やらに引っかき傷ができていた。
「あら、不満そうね? でもあなたたち、どうせよからぬことを考えていたのでしょう? こんな小さな子供と竜を追い回すなんて」
たぶん、まとめてどこかに売り飛ばすつもりだったんだろうなと、そんな気がする。
「違う? 違うのなら、聞いてあげなくもないわよ? ただ、嘘をついたら……白い竜のおやつになるわね、あなたたち」
さらに畳みかけたら、男たちは震え上がった。まだツルでつながれていない頭領も。
ミモザがこっそりと目をむいて、「そんなもの食べたくない……」と小声でつぶやいていた。
マリンはちっちゃな口をぱくぱく動かして、威嚇するような声を上げている。だったらマリンがたべちゃうぞ! とか何とか、そんな感じ。
「まあ、申し開きは宿場町の衛兵にしてちょうだい。私たちはこれ以上、面倒ごとに関わりたくはないから」
そう宣言している間にも、ミモザは頭領を男たちの後ろにつないでいて……芋虫の行列というより、ソーセージっぽく見えてきたわ。
「じゃ、戻ろうか。村の人たちも心配してるし」
ミモザが明るくいって、元来た道を帰り始める。特大の動くソーセージを後ろに引きずりながら。
ニーナが怖がらないように、ちょっと間を空けて後を追った。肩にマリンを乗せて、ニーナの手を引いて。
男たちが何かしでかしたらすぐに対応できるように、空いたほうの手でいつでも魔法を発動できるようにこっそりと構えながら。
「思いっきり感謝されちゃったね」
「そうね。お礼の品を断るのが大変だったけど……」
そうして小屋に戻ってきた私の手には、ジャムの小瓶が一つ。ニーナの祖母の特製ラズベリージャムだ。
あの後森から出たとたん、心配そうな村の人たちが出迎えてきた。危ないから村に戻っていてと言ったのに、戻っていなかったのだ。というか、増えてるし。
彼らはニーナとマリンが無事に戻ったことを喜び、ミモザが引きずってきた男たちを見て目をむいていた。
男たちを衛兵に引き渡すのは村の人たちに任せることにして、さっさと小屋に戻ろうとその場を離れる。で、離れたとたんニーナの家族たちに捕まってしまったのだ。
あれこれとお礼の品を押し付けられそうになったのを全力で辞退して、このジャムだけをもらって帰ったのだ。
魔法を駆使して畑をやっているから野菜は余るほど採れるし、村の人のそう多くもない蓄えをむしり取るつもりもなかった。
ただ、このジャムはとってもおいしそうだった。なのでこれをお礼として受け取ることにしたのだった。気に入ってくださったならまた作りますよと、ニーナの祖母のそんな言葉と共に。
「マリンは頑張ったね。でも一体、何があったのかな?」
ミモザがそう尋ねると、マリンはちょっぴり泣きそうになりながら一気に話し始めた。
子供たちと遊んでいたら、怖そうな大人たちに出くわしてしまった。みんなで逃げたけど、ニーナが転んでしまった。
ニーナを放っておけない。マリンは急いでニーナに駆け寄ったものの、その時既に大人たちに囲まれかけていたのだった。大人たちは、マリンとニーナをさらって売り飛ばそうとしていた。
マリンはニーナを連れて、大急ぎで逃げた。すぐ近くの森の中を。ニーナが通れそうで、大人が通れなさそうなところを一生懸命見極めながら。
逃げることしか考えられなかったマリンは、叫び声を上げることすら忘れていた。
「でも、それが逆に良かったのかもしれないね。マリンが叫んでから僕たちが駆け付けるまで、どうやっても少し時間がかかる。その間に悪い人たちに捕まってしまったら、マリンはともかくニーナが危ないから」
ミモザはマリンの言葉を訳する合間に、そんなことを言っていた。
けれど結局、大人たちの一人に追いつかれ、ニーナが捕まってしまった。
マリンはとっさに大人に体当たりしてニーナを助けようとしたものの、簡単に振り払われてしまった。私が森の中で聞いた叫び声は、その時のものだったのだ。
「それで、その直後に僕とあなたが駆け付けたみたいだね。でもまさか、マリンがこんなに頑張るなんて……偉いね、マリン」
そう言って、ミモザがマリンの頭をなでる。マリンはミモザにべったりと張り付いて、幸せそうに目を細めていた。
けれどやっぱりさっきの体験が怖かったらしく、ミモザの服をぎゅっとつかんでいる。
「そうね。勇敢で、機転も利いて……私たちの自慢の娘だわ」
私も手を伸ばして、マリンの頭をなでてやった。マリンが片手で、私の指をきゅっとつかんでくる。
その柔らかい感触に、ほっと息を吐く。今日はのんびりしようと思っていたのに、予想外の事態になってしまった。
「まあ、みんな無事だったし……気にしないでおきましょうか」
三人で寄り添ったまま、そんなことをぽつりとつぶやく。窓からは、暖かな橙色の日の光が差し込んでいた。