157.マリンと青い小鳥
「……そういう訳で、たぶん辺境に青い竜がいるっていう噂がじきに立つと思うから。隣国の王への連絡……根回し? お願いね」
ある日、私たちはいつものように、メリナの使い魔を通じて王宮と連絡を取っていた。
私とミモザの二人だけなら、ここでの暮らしで困ることはない。しかし今はマリンがいるし、何が起こるか分からない。
それに私たちも、時にはみんなの声を聞きたいなと思うこともある。王宮、今どうなってるかしらとか。
そんなこんなで、私たちは今でも十日に一回くらいこうしてお喋りしているのだった。頃合いを見計らってメリナが使い魔をふ化させたり、こちらから使い魔の卵に魔力を送って合図をしたりして。
で、今回は、マリンの件について報告をしていたのだ。そのために、ヴィットーリオとロベルトを呼び出してもらった。
結局マリンはあれ以来、毎日のように村に遊びにいきたいと騒ぐようになってしまった。いくら止めても勝手に抜け出すし、かといって閉じ込めておくのはかわいそうだ。以前のこともあるし。
お白様にまつわるあれこれのおかげで、近くの村の人たちは竜慣れしている。マリンにもあっという間に慣れて、拝みつつも仲良くしていた。
かつて見世物にされていたマリンは、自分を好奇の目で見ないどころか可愛がってくれるこの村の人が気に入ってしまったのだった。
仕方なく私たちはマリンが村に行くことを認めることにした。もちろん、いくつか約束をした上で。
村に行く時はあらかじめ、私かミモザに言っておくこと。村とその周囲、あとこの森から離れないこと。絶対に、街道や他の宿場町なんかには近づかないこと。村の人以外の人間に姿を見られないように気をつけること。
全て、マリンの姿をうかつに人目にさらさないための決まり事だった。……とはいえ、自然とマリンのことは知れ渡っていくんだろうなと、私やミモザはそう確信していた。
王都の『白き竜の神様』だとか『辺境の魔女のお守り』とか、もうあっという間に王都中に広まっていったし……。なんなら、王都の外まで噂が広がってたし……お守りを付けた女性が、東の街を歩いているところ、見ちゃったもの……。
となると、いずれマリンの噂は王都まで届くに違いない。だったらその前に、王宮のほうに事情を説明しておくべきだろう。これ以上王宮の人たちをびっくりさせるのは、さすがに申し訳ない。
そんな訳で、今回こうやって説明しているのだった。
『はい、お任せください。お二人……今はお三方ですね、貴方がたの暮らしを守るためですから』
机の上にちょこんと立ったまま、小鳥はヴィットーリオの声で朗らかに答えた。
小鳥の隣では、マリンがその声に聞き入っている。小鳥を全力で見つめているせいで、ちょっと寄り目だ。彼女はシーシェの声も気にしていたけれど、ヴィットーリオの声も気になるらしい。
「ありがとう、ヴィットーリオ。あと、ファビオに謝っておいて。結局マリンを人前に出すことになっちゃったし」
ミモザが付け加えると、小鳥が元気よくさえずった。今度はロベルトの声だ。
『ファビオは放置しておいても大丈夫ですよ。我が国には白き竜の加護があるのだと、民は信じています。ここでさらに新たな竜が現れたとなれば、民はさらに喜ぶだけですよ。あの石頭が困ることなんて、ありません』
さらりとそんなことを言ってのけたロベルトに、ヴィットーリオが考え考え口を挟む。
『しかし、もしそのような事態になったなら……青き竜の神の姿を一目見たいと、辺境への巡礼の旅をする者が現れるような気がするのだが。どうだろうか、ロベルト』
「あ」
「うわあ」
きゅー。
ヴィットーリオの指摘に、私とミモザが同時に頭を抱える。マリンは訳が分かっていないようで、くりんと小首をかしげていた。
「まずいわ、それ……人だらけになったら、おちおちのんびりしていられないわ……」
「辺境の魔女が怖いって気持ちより、神様に会いたいって気持ちのほうが勝つだろうね……」
「だったら、どうにかして人々を思いきり怖がらせてみる? 光の雪の魔法を普通の人間にぶつけるのは気が引けるのだけれど。幻を操る系統の魔法は、使ったことがないし」
「僕が竜の姿になっておどかしてもいいけど、逆効果だよね。間違いなく」
きゅっきゅきゅ!
「『マリンは神様じゃないよって、みんなにはなす!』……うん、たぶんそれ、聞いてもらえないと思うな……というかそれをみんなに伝えるのって、僕だよね? やだよ、『青き竜の神官』とか呼ばれそうだし」
「それはそれで、かっこいいんじゃない?」
「……駄目だよジュリエッタ、おだてても。あ、だったらマリンに文字を覚えてもらうとか……」
「筆談でどうにかしようってことね。でもやっぱり『なんて賢い獣なんだ、やっぱり神様だ』ってなると思うわよ」
『あの、ちょっとよろしいですか、お二人とも』
ああでもないこうでもないと相談していた私とミモザの間に、青い小鳥がぱたぱたと飛び込んでくる。
『青い竜の噂が広がるようでしたら、その時はこちらで対処いたしますよ』
ロベルトはきっぱりとそう言って、そして朗々と吟じ始めた。
『青き竜は、幼子の姿で辺境に降り立った。この地が、加護を与えるにふさわしい地か否かを見定めるために。ここでうかつに騒ぎ立てればかの竜は飛び立ち、我が国に加護はもたらされないであろう』
大仰な物言いにぽかんとしていると、ロベルトがおかしそうな声でさらに言った。
『こんな感じの噂を、密偵たちに流させます。どうです、筋は通っていると思いませんか? ……とっさの思いつき、ですけどね』
「とっさでそこまで出てくるのなら、大したものだわ」
ぼそりとつぶやいてから、ロベルトの提案をじっくり考えてみる。
「そうね、それならまあ……それでもマリンにちょっかいかけようとする人間を、遠慮なくぶちのめす口実にもなるし? なるのかしら? ちょっと自分でも自信がなくなってきたわ」
「いいんじゃないかな。辺境の魔女が青い竜との間に縁があることは、もう村の人たちに知られてるし、その噂とも矛盾しないよ。……ジュリエッタと先に仲良くなったのは、白い竜のほうなんだけどなあ」
「まあまあミモザ、あなたがあの白い竜だって広く知られたら、あっちこっちで大混乱になるわよ。王都とか、街道の宿場町とか。そこの村なんか、お白様をあがめてしまってるし」
『お白様、とは何でしょうか? 不思議な響きですね』
私が口にした言葉に、ヴィットーリオが不思議そうな声を上げる。
「ああ、話してなかったわね。実は……」
そうして、手短に話してやる。あの冬の嵐のこと、村で語り継がれていたお白様のこと。
『何と……胸を打つ話なのでしょう! すれ違い、後悔、思いは受け継がれ……長き時を経て、ミモザ様のもとに届いたのですね……』
『感動しすぎだ、ロベルト。しかし私も、良い話だと思いました。……ミモザ様の過去のわだかまりが、一つ軽くなったであろうことも喜ばしく思います』
感極まったような声のロベルトと、しみじみと語るヴィットーリオ。どちらが年上か分からなくなりそうだ。
『お二人は、私にはとても想像もつかない長い時を生きておられます。その分、苦しみや心の傷も多く抱えておられるのではないかと、ずっとそう思っていました』
「そう……かもね。普通の人間なら、せいぜい数十年抱えていればいいものを、私たちはずっと抱え続けることになるから。時間と共に色あせていくけれど、それでも消えてなくなるものでもない」
「でも、長く生きてる分、予想もつかない形で解決したり、とんでもない方向に発展していったりもするんだよ。僕は竜だからかな、それを面白いと思える」
きゅーう?
「マリンも、いつか分かるよ。君も、途方もなく長い時を生きることになるんだから」
静かにそう言って、ミモザがマリンの頭を優しくなでる。
くるううううう。
甘えた声を出しながら、ミモザの手に頭をすりつけているマリン。ちょっと猫にも似ている。
『ふふ、可愛い声ですね』
くるああう?
「『ねえ、やさしいこえのあなたはだれ?』って聞いてるよ」
『名乗りが遅れました、お嬢さん。私はヴィットーリオ、王の兄として国を支えています』
人の言葉を話せないマリンに、それでもヴィットーリオは丁寧に話しかけている。
『……そこの小屋は、素敵なところでしょう? 私も少しの間だけ、そこで暮らしたことがあるんです』
ヴィットーリオの言葉に、マリンは食い入るような顔で耳を傾けている。また机の上に戻った小鳥を追いかけて、そのそばにちょこんと腰を下ろした。
『毎日が忙しくて、それなのに時間が緩やかに流れていて……生まれて初めての経験を、たくさん積みました』
きゃう!
『ふふ、マリンさんもですか。その体験を、どうか大切にしてください』
きゅーん?
『いえ、私は……こちらでなすべきことがありますので。お誘い、ありがとうございます』
あら? マリンとヴィットーリオのやり取りが、何となく会話っぽくなっているような。
「……ミモザ、あれって……」
「うん。ヴィットーリオは、マリンの言葉を正しく理解してるみたいだね」
まだ何事か楽しげに話しているマリンと小鳥を横目でちらりと見て、ミモザと顔を突き合わせる。
「……どういうこと?」
「僕にもはっきり分からない……もしかしたらだけど、彼の遠い遠いご先祖に、竜の血が混ざってる……とか?」
「……世の中って、不思議なこともあるものね……」
「だね。ロベルトがどんな顔してるのか、見えないのがちょっぴり残念」
マリンは話が通じるのが面白いのか、夢中になって話している。
やっぱりこの子も、人間を伴侶に選ぶのかしらね。前に感じた思いは、ほぼ確信に変わっていた。




