156.村の人たちの今
そんなこんなで、ミモザの過去の辛い思い出に決着がついた。
王都での『白き竜の神様』という名前に続き『お白様』なんて呼び名が増えていたことはあんまり嬉しくないなと、ミモザはそう言っていたけれど。でもその横顔は、くすぐったそうに笑っていた。多分、照れ隠しだ。
それにマリンの伴侶の件についても、私たちはようやく腹をくくることができた。
彼女が誰を選んでも、素直に祝福しよう。私たちの思惑で、彼女の選択をゆがめないようにしよう。そう考えられるようになった。
だからこれからは、心置きなく三人の辺境暮らしを楽しむことができる。静かな森で、足の向くまま、心のおもむくまま。季節の移ろいを、思う存分堪能して。
と、思っていたのだけれど。
「あれ、マリン見なかった?」
小屋の横の畑で、魔法を使ってのんびりと水やりをしていたら、大きな魚をぶら下げたミモザが帰ってきた。
「ついさっきまで、そこでウサギを追いかけてたわ。お腹が空いてたみたいね」
あれは断じて、追いかけっこなどではなかった。マリンからはほんのり殺気が感じられた。彼女は半分野生に帰っていた。
「『ただ仕留めただけじゃおいしいお肉にならないのよ。血を抜いたり皮をはいだり、色々やることが多いの。だからウサギを狩る前に、ミモザにやりかたを習いなさい』って言ったら、あなたを探しに森の奥に行っちゃったけど」
「ああ、それで半分だけ納得。マリンの音、途中まで僕のほうに近づいてたんだけど……突然道から外れて、どこかに走っていっちゃったみたいで」
マリンは小さく、そしてほっそりとした体型だ。猫くらいの大きさで、オコジョみたいなつるんとした形。
そのおかげで、私たちが通れないような隙間もするすると通り抜けられる。全身を硬いうろこに覆われているから、怪我もしないし。
次第にマリンは、森の中でちょくちょく近道をするようになっていた。道なき道を、自在に突っ走るのだ。
遠くに行かないこと、危なくなったらすぐに叫ぶこと、という条件を付けて、私たちはマリンが自由に動き回ることを許していた。
森で過ごすのに必要なあれこれもそれなりに教えてあったから、独り立ちの練習も兼ねていたのだ。
彼女は出会った頃からほとんど大きくなっていないけれど、伴侶を見つけたらミモザみたいに急成長するかもしれないし。もしそうなったら、私たちにべったりという訳にもいかない。
「でも、こっちには戻ってきてないのよね」
「どこに行ったんだろう? ……まさか」
「あそこかしら」
「マリンが去っていった方角も大体合ってるし」
顔を見合わせて、うなずき合う。ミモザは小屋に駆け込んで手にした魚を置くと、すぐに戻ってきた。
私も畑に一気に水をまいて、スカートについていた土ぼこりを払う。
そうして二人、大急ぎで森を飛び出した。
森を出てすぐに、ミモザがため息をつく。
「やっぱりこっちだった。声がするよ。マリンと……村の子たちの」
私の耳にも、楽しそうな声がいくつも聞こえてきている。それは、遊ぶ子供たちの声で……耳を澄ませると、その中に切れ切れにマリンの声もしているようだった。
「マリン、勝手に森を出たら駄目だって、僕たちいつも言ってるよね」
ようやく私たちがマリンのところにたどり着いた時、マリンは村の子供たちと鬼ごっこをしていた。私とミモザに気づいた子供たちが、ぽかんとした顔でこちらを見ている。
マリンは一生懸命子供たちの後ろに隠れようとしているようだったけれど、きっちりミモザに捕まってきゅーいと鳴いている。
「……『あそんでる、楽しそうな声がしたから。マリンもあそびたかった』……って……それでも、いきなりいなくなったら僕たちが心配するんだよ」
きゅきゅーう。
「『ごめんなさい』、はい、よく言えました」
んきゃう! きゃうきゃっ!!
「『いきなりじゃなかったらいいんだよね。パパかママに言ったら遊びにいっていいんだよね』……うーん、それもそうかもしれないけど……あんまり人前に出るのは……村の人たちは慣れてきてるけど……」
ミモザがマリンと話しながら、ぐっと眉間にしわを寄せる。と、子供たちの一人が遠慮がちに声をかけてきた。
「お兄ちゃん、その子と話せるの?」
「あ、えーと、うん。なぜかは知らないけどね」
ミモザはとっさに、そう言ってごまかしている。
私もミモザも、最近は正体を知る人たちの中でずっと過ごしていた。そんなこともあって、竜の子と話す姿が普通の人間にとってどれほど異様なのかについて、ちっとも気づいていなかった。やっちゃった。
「お兄ちゃんは、魔女様のはんりょなんだよ。だから、竜とお話しだってできるに決まってる」
うまい具合に他の子が、そう口を挟んでくれた。あら、この子って……お白様の話を教えてもらった時にいた子だわ。
そして他の子たちも、緊張が解けたのか一斉に話し始めた。
「その子、マリンっていうの? 女の子?」
「あ、ああそうだよ」
「竜っていう生き物なんだよね? すっごく可愛い! 私も飼いたいなあ」
「そうだね……竜はとっても賢いし、とっても大きくなるから、飼うのはちょっと無理だね……そもそも、他の竜ってどこにいるのかな……」
子供たちに質問攻めにあってしどろもどろになっているミモザを、少し離れて眺める。いつも落ち着いている彼も、予想外の質問の嵐にはついていくのでやっとらしい。
「ねえ、魔女様?」
などとのんびり構えていたら、子供がこちらに声をかけてきた。あ、嫌な予感。
「魔女様って、いつからあの森にいるの?」
「二人だけって、さびしくない?」
「どんなおくすりも作れるの?」
「こわい人だって聞いてたけど、こわくないね!」
「遊びにいっちゃ駄目?」
わっ、囲まれた。というかこれ、どこから答えたらいいの!?
正直、今でも子供の扱い方ってよく分からない。
ミモザはあっという間に大きくなったし、そもそも最初から大人びてた。ヴィットーリオも王族だけあって、きちんとしつけられてた。もっとも彼の場合は、必死に背伸びしてた部分もあるのだけれど。
そしてマリンは、直接言葉が交わせない。彼女と話す時はミモザが間に入るから、そこまであたふたするようなことはない。
でも村の子は……ううっ、大人たちは『辺境の魔女』の威厳で押し切れたのに、この子たちには通用してないわ!
子供たちの向こうでは、ようやく解放されたミモザが声を殺して笑っていた。
「はあ、疲れた……」
それから少し後、私たちは村の人たちの案内で、村の中を歩いていた。子供たちにもみくちゃにされていた私の姿を見かけた村の人が、すっとんできて助けてくれたのだ。
「申し訳ありません、魔女様。村の子供たちは、外の人間が珍しいので……」
「子供は元気すぎるくらいがちょうどいいっていうし、気にしないことにするわ。ところで、あれが例のほこら?」
私たちは、村の中心にあるというほこらに案内されていたのだった。お白様のうろこが安置されたのでぜひ見て欲しい、そんな村人たちのたっての願いによって。
村の中央、小さな広場の真ん中に、何かが鎮座していた。
石を積み上げて作った台の上に、木でできた家――といってもマリンの寝床になるかどうかといった程度の大きさだ――のようなものが置かれていた。村人が作ったにしては、中々に趣味のいいほこらだ。
ほこらの正面には、大きな両開きの扉がある。今それは完全に開かれていて、しかも屋根が外されている。そしてその中には、見覚えのある白いお盆……じゃなくて、ミモザのうろこが収められていた。
うろこは刺しゅうの施された、素朴だけれど美しい布の上に置かれている。さらに、ほこらの前には花が飾ってあった。
そして春だからか、丸々太った麦が数本、きれいにそろえてうろこの前に置いてある。これ、お供え物ね。
大切にされてるなあと感心していたら、案内してくれた村人がうっとりとつぶやいた。
「何度見ても飽きることのない、美しいうろこです……日の光を受けると、虹のように輝いて……」
「うろこ一つでこんなに見事なんですから、お白様はさぞかし美しいお方なのでしょうなあ……」
「ええ、ええ。このうろこを見ていると、腰痛が軽くなるんですよ」
そしてさらに、思わぬほうから声がする。通りすがりの老婆が、見た目の割に俊敏な動きで近づいてきた。
「きっとお白様のうろこには、何か素晴らしいお力が宿っているのでしょうねえ」
「私も、うろこを拝んでいたら怪我の治りがよくなりました」
「いつになく風邪がすぐに治ったぞい」
「ここんとこ、作物がめきめき育ってるんだよ。今年は豊作間違いなしだ」
「はあ、ありがたや、ありがたや……」
どんどん村人が増えていく。そして口々に、お白様のうろこのありがたい効能を話していた。
そんな馬鹿な、でももしかしたらと思いながら隣のミモザを見る。彼は『違う違う、全部勘違い!』といった顔で、小刻みに首を横に振っていた。とても必死だ。
白いうろこを拝む人々の姿が面白かったのか、ミモザに抱っこされていたマリンがするりと地面に降りて、ほこらに近づいていった。
「おお、魔女様の竜が……」
「お白様のうろこに触れた……」
「お白様も竜だという話だし、分かり合うものでもあるのかのう……」
「はあ、ありがたやありがたや……」
村人たちはあわてず騒がず、とても冷静に祈り続けている。……というか、ついでにマリンのことも拝んでいるわね……もう収拾がつかないわ……。
ぴゅう?
マリンが不思議そうに、首をかしげた。ミモザに訳してもらわなくても分かる。『パパのうろこだよ? どうしてそんなことしてるの?』といった感じだろう。
結局私たちは、マリンが飽きて大声で叫ぶまで、村人たちのお祈りを見物していたのだった。