154.お白様からの言葉
びゃあうううー!!
ミモザの声を聞くなり、私と一緒に寝ていたマリンが絶叫しながら飛び起きた。ばんと大きく跳ねて、ミモザにすがりついている。
「寂しかった、マリン? でもジュリエッタがずっと一緒だったでしょう」
その頭をなでながら、ミモザは明るく笑っている。マリンはまだびゃうびゃう言っている。
「『パパとママ、両方いないと嫌!』か。可愛いなあ」
「おかえりなさい、ミモザ。……顔のそばで叫ばれたから、耳がきんきんするわ……」
私も起き上がって、ミモザを出迎える。ちょっとそこまで散歩してきました、といった感じの様子だ。でも手に、何か持っている。
「はいこれ、おみやげ」
そう言って差し出してきたのは、爪くらいの大きさの、ころんとした石がいくつか。マリンもその一つを手にして、目を輝かせていた。この子、こういうものに目がないのだ。
「あら……珍しい石ね。水みたいに透き通っていて、きらきらしているわ。どこで拾ったの?」
「うん。それがね」
昨夜ミモザは、この森に住むオオカミたちと話をつけにいっていた。私の予想通りに。
まず彼は、先代の竜の知識を活用して、オオカミたちを一か所に集めた。そして彼らの前で、一発びしっと言ってやったのだそうだ。
「僕、一応オオカミの言葉は分かるから。この体だと、ちょっと発音しにくかったけど」
この森から出るな、もし出たとしても人里を襲うな。もしオオカミたちが脅威だと認識したら、人間たちは総出でオオカミを狩りにくるぞ、と。
「あと、小さいからと言って竜をなめると、後で仕返ししにくるよ、とも言っておいた」
やっぱりミモザは、ちょっと根に持っていたらしい。あの時オオカミたちが村を狙わなければ、自分がこんな思いをしなくても済んだのに、と。
もっとも今回集められたオオカミたちは、あの時のオオカミたちの遠い子孫なのだけれど。
「で、その時ついでに竜の姿に戻って、近くの崖を尻尾ではたいて壊したんだよ。ちょっと力を見せつけておけば、オオカミたちも僕のお願いをきちんと聞いてくれるかなって思ったから」
「要するに、おどしね」
「うん、おどし」
きゅー。
三人そろってけろりとした顔で、そんなことを言い合う。
「その時に壊した崖から、この石が出てきたんだ」
「ふふ、ありがとう。きらきらしていて綺麗……」
きゅきゅっ!
マリンは石を手に、宝物入れに走っていった。今度、あの石を入れる袋か何か作ってあげよう。
「それでね、これなんだけど」
ミモザはさっきから小脇に抱えていた、大きな何かを差し出してきた。小ぶりのお盆くらいの大きさの楕円形の板で、白くて綺麗な……。
「これって、あなたのうろこじゃない?」
つややかな白い板、それはとても美しかった。光の加減でうっすらと虹が浮かんで見える。これ自体が宝石のような、そんな板。私はこれに、見覚えがあった。
「そう。尻尾の一番先の。それでね、これ、持っていって欲しいんだけど……」
「どこに?」
「近くの村。お白様からあなたが預かったってことにして、村の人たちに渡してくれないかな。ほこらの中にこのうろこを置いておけば、もう村にオオカミたちが来ることはないよって」
うろこを受け取って、なるほどとうなずく。いつの間にやら『お白様』としてあがめられ、語り継がれてきたことを知った彼は、こっそりとその責任を果たそうとしたのだろう。
「……そうしておけば、ずっと僕の匂いがあの村に残るから。僕たちが遊びに出ていても、よそで暮らしていても、ずっと」
「ふふ、律儀ね。わざわざそんな手の込んだことをするなんて」
「だって、放っておけないよね……自分でも、ちょっとお人よしかなって思うけど。でも僕からしたら、大した手間じゃないし。尻尾の先のうろこなんて、はがれたって指のささくれくらいのものでしかないし」
「そういうところ、素敵よ」
すっとミモザに近づいて、優しく抱きしめる。あの夜、村が心配だと言って飛び出していった幼いミモザ。体はこんなに大きくなったのに、心は純粋なまま。それが嬉しい。
「……ありがと」
ミモザもにっこりと微笑んで、抱きしめ返してくる。柔らかな朝日の中で、ミモザの体温が心地いい。
ぴゃい!
寄り添っている私たちの体を、勢いよくマリンがよじ登ってくる。ぐるぐると、らせんを描くように。
「こら、服を引っ張らないの」
「くすぐったいよ、マリン」
そうしてみんなで、笑い合った。マリンも体を揺らして、愉快そうに鳴いている。
今日もいい日になりそうだ。素直にそう思える、温かなひと時だった。
それからみんなで朝ご飯にして、村の人にうろこを渡しにいくことにする。
「マリン、君は僕とお留守番。ジュリエッタ、今のうちに」
「え、ええ……」
支度を整えて家を出ようとした私は、しかしどうにもこうにも進めずにいた。
ミモザに抱っこされたマリン。予想に反して、彼女は騒がなかった。
騒いではいない。けれど、大きなサンゴ色の目に涙をたたえて、じっと私を見つめている。とっても悲しげな顔で。
「でも……罪悪感が……」
「気持ちは分かるよ。でも、早く行かないと」
ミモザがせかしてくるけれど、その間もマリンから目が離せない。さらに見つめ合っていたら、マリンがか細く泣き始めた。きゅう、うう。
「この子、あなたに似て割とあざといところがあるのは知ってるわ。でも、それでも……」
「うん、僕たちがどういう反応をするのか、この子はよく分かってる。自分の愛らしさも。竜は生まれたてでも、結構賢いから」
ミモザもマリンのこの態度に負けそうになっているらしく、顔がこわばっている。
その間も、マリンはじっと私たちの顔を交互に見ていた。ぷるぷると、かすかに震えながら。
「考えてみたら、マリンは昨日村の人たちに会ってるし、今さらよね」
「だね。それにこれから僕たちはお白様の言葉を伝えにいくんだし、竜のマリンがいたほうがそれっぽくていいかも」
結局私とミモザはマリンの泣き落としに負けて、三人一緒に村に向かうことにしたのだった。マリンはご機嫌で、ミモザの肩に乗っている。
やがて行く手に、畑仕事をしている村人たちの姿が見えてきた。みんな私たちの姿に気がつくと、手を止めてぽかんと口を開けてしまう。
「あ……あんたらは……」
「私は『辺境の魔女』。それで分かるかしら」
こう自己紹介してやったら、村人たちが一気にざわついた。そういえば昨日魔女様が、とか、あの小さいの、お白様に似てないか、とか。
「昨日、あなたたちの仲間から『お白様』のことを聞いたの。だからちょっと、彼に会ってきたわ」
たぶん笑いをこらえたのだろう、隣のミモザの肩がかすかに震えた。
「そうして彼から、これを預かったの。彼のうろこよ」
手にしていたうろこを掲げると、村人たちがたじろいだ。すごい、面白いくらいに視線が釘付けだ。
朝日を受けてきらきら輝く白いお盆、これがうろこだというのなら、本体はどれだけ大きいんだ。そう言いたげな顔だ。
「これを村のほこらに置いておけば、オオカミは村を襲うことはない、ですって」
そう言ってうろこを差し出したら、村人たちはそろそろと顔を見合わせ始めた。やがて、中の一人が進み出てくる。どうやら一番年上の、老いてはいるけれど頑強そうな男性だ。
「これが……お白様の、うろこ……」
「尻尾の先っぽの、ね」
面白半分にそう付け加えてやったら、村人たちがすっと青ざめた。
私はそれこそ抱っこできるくらいの小さな頃からミモザを見ているからすっかり慣れっこだけれど、竜をろくに知らない人間がこのうろこを渡されて、しかも尻尾の先だなんて言われたら、恐れおののくのが普通だろう。
「彼は言っていたわ。かつて化け物扱いされたことは覚えている。けれどもう、気にはしていないって」
さらにそう続けたら、ミモザがちらりとこちらを見た。
「彼は竜。人とは違う存在。けれど彼は、人のことを大切に思っている。あなたたちが悪さをしない限り、彼はどこかで見守っていてくれるわ」
みんな、うつむいていた。祈るような、そんな姿勢で。
そっとミモザを横目で見たら、彼は微笑んでいた。くすぐったそうな、困ったような顔で。