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153.嵐の夜は語り継がれて

「……おしろさま?」


 村人の不思議な態度と言葉に、首をかしげずにはいられなかった。そんな私に笑いかけて、老人二人は口々に語る。


「わしらの村に伝わる、古い古い言い伝えですじゃ。昔々、この村がオオカミの群れに襲われた時、不思議な生き物がどこからともなく現れて村を守ってくださったのだとか」


「しかしわしらの先祖は、その生き物を化け物扱いしてしまった。逃げるようにして村に逃げ帰ってから、その生き物がオオカミと戦い、この村を守ってくれたことに気づいたんじゃよ」


「そのことを申し訳なく思った先祖たちは、その生き物を『お白様』と呼び、語り継ぐことにしたのです。村の真ん中に、ほこらを建てて。そこに、絵姿を収めて」


 すると、子供たちが得意げに口をはさんできた。


「おしろさまはね、白くて大きいんだ! それでね、かわったつばさと、長いしっぽをもってるんだって!」


「このちっちゃい子、おしろさまに似てるかも! 色は違うけど!」


「この子、竜っていうんだ……かわいいね」


 村人たちの視線が、私が抱いているマリンに注がれる。マリンはちょっぴり恥ずかしくなったみたいで、きゅっと鳴いて横を向いてしまった。


「たぶん、お白様も竜なのでしょうなあ……魔女様は、その竜の子を養い子とされておられるとのこと。もしや、お白様について何かご存知ではありませんか?」


 そんなことを尋ねられてしまい、言葉に詰まる。ご存知です。思いっきりご存知です。あなたの目の前に、私の隣にいます。


 もちろんそんなことは言えないので、必死に言葉を選びつつ答える。


「え、ええ。白い竜ね。心当たりならあるわ」


 そう答えたとたん、村人たちの顔が輝く。わっ、ここからどうしよう。


「でしたら、どうかお力を貸してはいただけませんか? わしらは先祖たちの、お白様への伝言を語り継いできたのです。『村を守っていただき、ありがとうございます。そして、すみませんでした』と」


「いつか、おしろさまにこの言葉を伝えるんだって、みんなそう言ってるの!」


 もう伝わっている。直接、本人が聞いている。


 どうにも複雑な気分で、そろそろとミモザの様子をうかがう。彼はかすかにうつむいていて、前髪で目元が隠れてしまっていた。どんな表情をしているのか、よく分からない。


「……僕たちが伝えておくよ。お白様は、人と関わらずに静かに過ごしていたいから、もうこの村にやってくることはないと思う」


 とても静かに、ミモザは語る。


「……でもお白様は、これからもこの村を見守ってくれるよ」


 そう言ったミモザは、晴れやかに笑っていた。




 それからもうしばらく村人と話をして、やっと小屋に戻ってきた。


 子供たちがマリンを気に入ってしまって、一緒に遊び出してしまったのだ。マリンもマリンで、ちやほやされるのが楽しくてたまらないようだった。


「まさか、こんなことになるなんて思いもしなかったなあ……」


 遅いお昼ご飯を食べながら、ミモザがほうとため息をつく。私も、ちょっと呆然としていた。さっきのできごとが、まだ信じられなくて。


「そうね。……あれ以来あの村に行ってなかったせいで、ずっと知らずにいたのね、私たち。まさかこんなに長く、あなたのことが語り継がれていたなんて。それも、あんな形で」


「そういう意味では、マリンに感謝かな。あの子が脱走しなかったら、僕たちがあそこに向かうことなんてなかったんだし」


 そのマリンは、右手にスプーン、左手に揚げたイモをひっつかんで、シチュー皿に顔を突っ込むようにして一心不乱に食べている。一応スプーンを持つことは覚えたものの、まだ直接がっつくほうが好きらしい。


 がつがつと元気よく食べているマリンを見て、ミモザがきゅっと目を細めた。


「……何だか、不思議な気分だよ。ずっとずっと前のことで、もうすっかり薄れてしまった、そんなささやかな思い出のかけらでしかなかったのに」


 あの冬、オオカミたちと戦って、村人たちに恐れられてしまったあの嵐の夜。あれからしばらく、ミモザはふさぎ込んでいた。


 思えばあの事件をきっかけにして、彼は自分が竜なのだという自覚を新たにしたのかもしれない。自分は人間ではない、人間に恐れられる存在なのだと、そう気づいてしまった。


 それまでは無邪気にふるまっていて、誰に対してもひたすら人懐っこかった子供のミモザ。けれあれ以来、彼は徐々に大人びた、他人に対して一歩引いたような態度を取るようになったから。


「もう、あの夜のことを気にしてはいなかった。それなのに、胸がすうっと軽くなった気がするんだ」


「……よかったわね」


「うん」


 そうして、静かに食事を進めていく。お互い、それ以上何も喋らなかったけれど、どちらも自然と笑顔になっていた。




 シチューを食べ終えて食器を片付け、マリンの顔を拭いてやる。


 放っておいても、マリンは自力で顔をきれいにできる。ちょうど、猫と同じ要領で。


 でも手が短いからなのか、ちょくちょく汚れが残ってしまう。それに、マリンもこうやって拭かれるのが好きだったりする。


 柔らかい布で丁寧に拭きながら、ふと尋ねてみる。


「というかマリン、どうしてあんなところにいたの? いなくなって探したのよ」


 きゅー。


「『どうしても、村に行ってみたかったの』だって」


 きゅいい、きゅうう。


「……『ずっといい子にしてたら、パパとママもきっとゆだんしてくれるはずだもん。それから、こっそりと出かけてみたの』だって」


 解説してくれているミモザが、なんとも複雑な顔をしている。


「最近妙に聞き分けがよかったのって、そういうことだったのね……」


「賢い子だ……って、褒めちゃっていいのかなあ」


「成長したわね、マリン……」


「この行動力って、もしかするとあなたに似たのかなあ」


「そんな気はしなくもないわね」


「将来、たくましくなりそうだね……」


 頭を抱えている私たちを交互に見て、マリンはそれはそれは嬉しそうに、きゅっ! と鳴いたのだった。




「ところで、もう一つ気になってたことがあるの」


 ミモザと食後のお茶を飲みながら、思い切ってそう言ってみる。マリンは居間のソファの上で、思いっきり手足を伸ばして寝ていた。


「先代の竜が生きていた頃は、オオカミたちは竜に……敬意を表して? 恐れをなして? 森の奥に引っ込んでたのよね」


「だいたいそんな感じ」


「で、今はあなたの匂いがしてるから、警戒して森の奥から出てこないのよね?」


「たぶん」


「だったらどうして、あの冬はオオカミが村のそばまで来たのかしら……」


 改めてあの夜のことを口にするのは、やっぱりちょっとためらわれた。村人たちの思いを知った今でも。


「……そうだね。先代の竜から受け継いだ、オオカミとしての知識から推測することならできるよ」


 そんな私のためらいを無視するかのように、ミモザはのんびりと答えてくれた。


「あの冬は、オオカミたちはお腹を空かせてた。森の外は平原で雪も少ないから、そこでならウサギやシカを狩れる。そうやって、ひとまず森から出てきた」


 彼の口から語られる、オオカミたちの生態。彼が先代の竜の知識をある程度持っているのは知っていたけれど、オオカミ目線で物事を考えられるほど詳しかったなんて。


「そうして出てきたオオカミたちは、すぐ近くに、もっと簡単に食べ物が手に入る場所があることに気がついた。あの村だね。……あの冬、僕はまだ小さくて弱かったから……オオカミたちは、僕の匂いからそのことをかぎ取ったんだと思う」


「……要するに、あの時はオオカミたちがあなたのことをなめてたってこと?」


「うん」


 そう言って、ミモザはにっこりと笑う。その笑顔は、子供の頃のようにあどけなかった。


 でも、私には分かる。これ、ちょっと不穏な感じの笑顔だわ。


「……それでね、ちょっと用事ができたから、出かけたいんだけど」


 空になったカップをテーブルにことんと置いて、ミモザが立ち上がる。


「たぶん、朝まで戻れそうにないんだ。悪いんだけど、家事とマリンの子守り、お願いしてもいいかな?」


「ええ、任せて。ミモザも気をつけてね」


 彼が何をしようとしているのか、どこに行こうとしているのかは尋ねない。どうせ後で教えてくれるだろうし、実のところ大体の見当もついているし。


「うん、気をつけるよ。それじゃあ行ってくるね」


 嬉しそうに微笑んで、ミモザはそのままするりと外に出ていった。身一つで。




 それからのんびりと、いつも通りに家事をこなしていった。片付け、掃除、夕食の準備。


 夕食の席にミモザの姿がないことをマリンが不思議がっていたので、「ミモザはちょっと用事があるのよ」と説明してやる。


 そうしたらマリンは、それからずっと私にべったり張り付いていた。ぎゃうぎゃうと騒ぎながら。


 私はミモザみたいに彼女の言葉を理解することはできないけれど、たぶんこれは『マリンを一人にしないで!』と主張しているのだと思う。


 寝る時も、マリンは私のパジャマをしっかりとつかんで離さなかった。


「大丈夫よ、ミモザはちゃんと帰ってくるから」


 ぎゅあうん。


 寝台に二人で横になり、ぽんぽんと体を叩いて寝かしつけようと試みる。それでもマリンは小声でぶつぶつ言っている。駄目だわ、これ。すっかりぐずっちゃってる。


「だったら明日にでも、ミモザを探しに出てみる?」


 たぶん明日の朝には、もうミモザは戻っているような気がする。でもこう言っておけば、マリンが納得してくれるかもしれない。


 と、マリンが立ち上がった。私のパジャマをつかんだまま、寝台から飛び降りようとしている。


「えっ、ちょっ、マリン? ……駄目よ、もう夜遅いから、今から探しにいくのは無理よ」


 身を起こしつつ、あわててそう答える。その時、遠くからオオカミの遠吠えが聞こえてきた。


 私のパジャマのすそを引っ張ってじたばたしていたマリンが、ぴたりと動きを止めた。それからするすると私の体をよじ登って、胸元にへばりつく。


 くるううぅ…。


「怖いの、マリン? ふふ、オオカミはここには来ないわよ」


 ぎゅっとマリンを抱きしめて、優しく揺すりながらささやく。


 この森のオオカミたちは、森のずっと奥に引っ込んでいる。だから普段は、この小屋まで遠吠えが聞こえてくることはない。


 だから今の声には、たぶんミモザが関わっている。私にはそう確信できていた。


「ミモザ……頑張ってね」


 マリンをあやしながら、オオカミの声がしたほうをぼんやりと見つめていた。




 そして、次の朝早く。


「ただいまあ、やっぱり朝帰りになっちゃった」


 いつも通りの穏やかな声が、玄関から聞こえてきた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 森の生活の描写のページが続くと連載当初を思い出します。 事件に追いかけられているよりこうした暮らしこそが彼らの本分なのでしょうね。
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