150.めいっぱい遊びましょう
じきに、私たちは目的地にたどり着いた。森の奥の広い草原、今は一面の雪原になっている。
ここはこの前竜の姿のミモザが着地した、あの場所だ。この辺境の森の中で、広々としていて平らな場所と言ったら、やっぱりここだ。
「ほら、好きなだけ遊んでおいで。でも、この雪原から出ちゃ駄目だよ」
ミモザがそう言うと、マリンはぴぃいいいいいと笛のような声で叫んで、またずぼんと雪原に飛び込んだ。
「ほんと、元気ねえ……寒っ」
持ってきていた毛布を雪の上に敷いて、ぽすんと腰を下ろす。すぐ隣に、ミモザもくっついてきた。
「こうしてるとあったかいよ。それにしてもマリン、速いねえ」
私たちの目の前では、あっちこっちでマリンが飛び跳ねてはもぐり、また飛び跳ねることを繰り返していた。右へ左へ、前へ後ろへ。マリンがたくさんいるような錯覚を感じてしまうくらいに、彼女はせわしなくぴょんぴょん跳ねまくっていた。
「よっぽど退屈してたのね。あるいは、雪が珍しいのか……」
「両方じゃない?」
「それもそうね。ところで、いつまで走るのかしらね、あの子」
「気が済むまで?」
「……やっぱり、そう思う? じゃあ、私たちはのんびり待っていましょうか」
持ってきていたカップにきれいな雪と干して刻んだ香草を入れて、魔法の小さな火の玉を放り込む。そこに氷砂糖をぼとりと落とせば、あったかい飲み物のできあがり。
「冷えるわね……辺境の冬って、こんなに寒かったかしら」
甘くていい香りのお湯を飲みながら、隣のミモザにぴったりとくっつく。思えば、雪の中でこんな風にのんびりしたのって初めてかも。
寒いのは苦手だし、あったかい家の中でゆっくりとミモザとお喋りするのが楽しかったから、冬の間は外になんてめったに出なかった。
それに毎年しっかりと冬支度をしていたから、森から出る必要もなかったし。一日一回、水とまきを取りに小屋から出るくらいで、後はずっと引きこもっていた。
前の冬はヴィットーリオたちと旅をしたり王宮に乗り込んだりとばたばたしていて、のんびりするどころではなかったけれど。
「でも、僕は寒いのも好きだよ。こうやってくっついていると、とっても幸せな気分になるし」
そう言って、ミモザが寄りかかってくる。その重みに、自然と笑みが浮かぶ。確かに幸せだ。
「それに冬って、びっくりするくらいに静かだよね。こんなに広い森なのに、僕とあなたしかいないような、そんな気分になるんだ」
「……そうね」
このところたくさんの人に関わっていたからか、この静けさが心地よいと思えていた。
ミモザと二人だけでゆったりと暮らしていた時間が長かったからか、人の中にいることで思いのほか疲れていたのかもしれない。
今はこの静けさを楽しもう……と思ったとたん、すぐ近くの雪の中からぼふんとマリンが飛び出してきた。ぎゅいぎゅいと鳴きわめきながら。
「ああ、ごめんごめん。マリンのことを忘れてた訳じゃないよ」
「……ミモザ、マリンは何て言ってるの?」
「『ぼくとあなたしか、じゃないもん! マリンもいるもん!』だってさ」
「そうね、マリンもいるものね」
笑いかけてやると、マリンはぴい! と一声鳴いて、こちらに突進してきた。そのまま私の懐にするりと入り込んで、コップの中に残っているお湯をなめている。最初はそろそろと、それから鼻面を突っ込んで勢いよく。
「もう冷めちゃってるでしょう? もう一杯いれてあげるわ」
マリンをぎゅっと抱きしめながら、彼女のために用意しておいたカップにお湯を満たす。
「こんなに冷えちゃって……もっともあなたは、寒くないんでしょうけど」
そんなことを話していたら、ちらちらと雪が降り出した。髪の上に、細かな雪が降り積もっていく感触がある。しっかり着込んだとはいえ、これは寒い。
加工の魔法を使って、屋根でも作ろうかしら。そう思った時、ふとミモザが目を見張った。
「そうだ、せっかくだからちょっと試してみていい? あなたはそこで、マリンと待っていてくれればいいから」
生き生きとした声でそう言うと、ミモザはばっと立ち上がった。何を試すつもりなのか聞いていないけれど、見ていればそのうち分かるだろう。
と、ミモザはまず風の魔法を使って、雪原の一部をぎゅっと圧縮し始めた。こう、上から下に、まっ平らに。あれ、氷になってるんじゃないかしら。
そして次に、風の魔法で固まった雪……氷を、すぱすぱと切り分けていく。ちょうど、大きめのレンガのような形だ。それも、たくさんある。
あ、分かった。ミモザが何をしようとしてるのか。
「私も手伝いましょうか?」
そう声をかけると、ううん、僕一人でやってみたいんだという返事があった。
「これは、おとなしく待っているしかなさそうね。見ていてマリン、パパが面白いものを作ってくれるから」
私の膝の上で、きゅう? と首をかしげているマリンをあやしながら、ミモザの作業をのんびりと見守る。
そうして氷のレンガをたくさん手に入れたミモザは、それを私たちの周りにぐるりと丸く並べ始めた。
「ええと、確かこうやって並べて……斜めに切るんだったかな」
「それで合ってたと思うわ」
私の言葉に、ミモザは安心したような顔でレンガを切り取った。一周ぐるりと、らせんを描くような感じで。
それからまた、その上にレンガを積み上げている。あっという間に、座っている私とマリンの姿が隠れるくらいの高さになった。
ミモザが作っているのは、北方の地域で作られている氷の家だ。あれは……二十年くらい前だったかな、一緒に遊びにいった先で見たのだ。春先のはずなのに一面の雪と氷で覆われたその地では、氷を色んなことに活用していた。
「で、途中から氷のレンガを傾けてぐるぐると積んでいって……うん、いい感じだね」
自分の周りに氷の壁ができていくという不思議な光景に、マリンはすっかり興奮してしまっていた。壁に突進しようとしたのをとっさに捕まえる。
「駄目よ、まだ途中だから触ったら崩れるかもしれないわ。ほら、完成するまで待ちましょう」
それでも壁が気になって仕方ないらしくびちびちと魚のように暴れているマリンをしっかりと抱えながら、どんどん高くなる壁を見守る。
「あとはてっぺんにはめ込めば……よし、できた」
そんな言葉に続いて、ミモザがひょっこりと顔を出す。レンガを積まずに開けておいた入り口から。
「居心地、どう?」
「結構良さそうよ。初めて作ったのに、すごいわ」
「ふふ、頑張ってみたから。でもこうして中から見ると、ちょっと不格好だね」
「そんなことないわ。加工の魔法で似たようなものを作れるとは思うけれど、私はこの氷の家が好き」
「そう言ってもらえると嬉しいな。雪も風もしのげるし、もうちょっとここでゆっくりしていこうか」
並んで座り直す私たちを尻目に、マリンは氷の壁に飛びつき、両手でなで回していた。
「……本当に、あの子にとっては何でもおもちゃなのね……」
「まだ赤ちゃんだからね、あの子は。先代の竜から記憶を引き継いでいても、自分の目で見る世界はとても新鮮なんだ。……僕も昔はああだったな。懐かしい」
そうして二人で昔を懐かしんでいたら、マリンが突然走り出した。氷の家を飛び出して、また雪原にぼすりと飛び込んでしまう。
もう飽きたのかしら、と思いながら雪原を眺めていると、やがて青い影が真っ白な雪から飛び出した。そしてこちらに走ってくる。
「あらマリン、もう帰ってきたの?」
きゅっ!
マリンの手には、小さな雪玉がにぎられていた。彼女はそれを得意げに見せてきて、それから一生懸命に押しつぶし始めた。
「何をしてるの?」
「たぶん、だけど……僕の真似をしてるんじゃないかな。雪を固めて、氷を作りたいんだと思う」
「ああ、そういうことね」
雪玉が少しずつ固く、小さくなっていく。あれっぽっちの雪を固めたら、かなり小さな氷になってしまう気がする。
と、いびつな形になってしまっていた雪玉がぱかりと割れた。それに驚いたマリンがサンゴ色の目を見開いて、ぽかんと口を開ける。
一瞬、辺りがしんと静まり返る。
びゃああああ!!
そしていきなり、マリンが泣き出した。雪玉が壊れたのが悲しかったらしい。びゃいびゃいと泣きわめきながら、じたばたと暴れている。
「あ、壊れちゃったね。よしよし、こっちにおいで」
「ほら、抱っこしてあげるわ」
ミモザと二人、あわててマリンを捕まえる。抱き上げても、鳴き声は止まない。
くるんと丸まりながら泣いているマリンをしっかりと抱きしめて、ゆらゆらと揺する。ミモザはそんなマリンに、子守歌を歌いかけていた。
しばらくそうやってわたわたして。ようやっと、マリンが静かになった。というか、そのまま寝てしまった。
「……ふう、やっとおとなしくなってくれたわ。雪玉が壊れただけで大泣きするなんて、子供は大変ね」
「でも、こういう苦労をするのも、新鮮な体験だね」
「そうね」
私たちの間に、子供はいない。まだまだ私たちの時間はたっぷりあるし、急がなくてもいつかは……と思っていた。
でもまさかこんな形で、子育てをすることになるなんて。
「……ほんと人生って、面白いわ」
静かに微笑み合う私たちの間では、マリンが幸せそうな顔で寝息を立てていた。