147.三人の森暮らし
次の日、夜明けと共に三人で川に行き、また魚を捕ってきた。それでささっと朝食を済ませると、いよいよ小屋の掃除に取り掛かることにした。
「中がどうなっているのか、想像したくないわね……」
「でも、扉を開けないと掃除ができないよ」
昨日は、小屋の中はほとんど見ていない。薄暗い中、毛布と毛皮を取りに入っただけで。なんだかとにかくほこりっぽかった、そのことだけは覚えている。
マリンのきゅいきゅいという声に後押しされながら、扉の取っ手に手をかけた。
きいと軽くきしむ音を立てて、扉はあっさりと開いた。この森には盗賊もめったにこないので、鍵はかけていない。
魔法で明かりをともして、そろそろと中に入ってみる。ほこり除けに首に巻いたスカーフで、きっちりと鼻と口を覆って。
小屋の中は、妙にがらんとしていた。ここを去る時に家財道具を持ち出してはいたものの、椅子とか机とかの家具はそのままだし、カーテンなんかももちろん残してある。
なのに、不思議なくらいに寒々としている。今日は朝からよく晴れていて、外はぽかぽかしているのに。
ほこりも蜘蛛の巣も、思っていたほどはひどくなかった。これなら、扉と窓を全部開けて風の魔法を放てば、大体は一気に片付く。都合のいいことに、風で吹っ飛びそうな細かいものは置かれていないし。
そんな風に前向きに考えようとしても、どんどん胸が冷たく重くなる。たった一年で、こんなにも変わってしまうんだなって、そんなことを思ってしまって。
んぴゃーあうぅ!!
すると、後ろからそんなすっとんきょうな叫び声が聞こえてきた。何が起こったのかと振り向くより早く、マリンが私の足元を駆け抜け、家の中に突入した。
ぴゃぴゃぴゃあーう、きゅあーう!!
奇怪な叫び声を上げながら、マリンは家の中を走り回っている。ほこりがばんばん舞い上がっているけれど、まったく気にしていないらしい。
「子供って元気だねえ」
少し遅れて、ミモザもやってきた。私と同じように、口と鼻を布で覆って。
彼は家中をものすごい勢いでぐるぐる走っているマリンを見て、しみじみとつぶやいている。
そんな彼に、ふと問いかけてみた。
「ねえ、マリンは何を言ってるの?」
「……『ここはパパとママのおうち、だからマリンのおうち!』だって。すっごく喜んでる」
「そうなの……」
マリンのはしゃぎっぷりに、目頭がじんと熱くなる。最初は育ての親になるつもりだったけれど、改めて『パパ』『ママ』と呼ばれると、何だかとっても感慨深い。
思えばマリンは、生まれてすぐに旅の一座に拾われて、それからずっと檻に押し込められ、見世物にされてきたのだろう。家に住むなんて、初めてに違いない。
こんなに元気で可愛い、そして純粋な子をあんな目にあわせるなんて。あ、ちょっと今さら怒りが込み上げてきた。
「怒ってる、ジュリエッタ?」
「怒ってるわ。というか、怒ってたのを思い出したというか。あの一座の人間、もうちょっとおどしておけばよかったかしら。こう、魔法でちょちょいと」
胸を張ってそう答えると、ミモザがおかしそうに笑った。
「僕がおどかしておいたから、ひとまずそれで我慢してよ。その分、あの子が幸せになれるように頑張ろう?」
「……そうね。とにかく今は、『私たちのおうち』の掃除が先ね」
小さく苦笑を返して、椅子の脚の間を八の字を描きながら走っていたマリンに声をかけた。
「マリン、そろそろ掃除を始めるから、こっちにいらっしゃい」
そうして手を差し伸べると、マリンはきゅい、と高らかに鳴いて、こっちに全力で走ってきた。床を蹴って、私の手に飛び乗って、そのままするすると肩まで登っていく。
「じゃ、始めようか」
それから手分けして、窓や扉を開けていく。ついでに、風で吹き飛びそうな細かいものを探しては箱や袋にしまい、小屋の外に運び出した。
「さあ、いくわよ」
ミモザとうなずき合って、同時に風の魔法を使う。昨日は木やら草やらを切るのに使った風の魔法だけれど、威力や範囲を調節すればただ風を吹かせることもできる。
小屋の中に積もった……積もったのをマリンに蹴散らされてあちこちに散らばった……ほこりを、風で巻き上げて窓から外に追い出す。
互いの風が打ち消し合わないように気をつけながら、ミモザと二人でばんばんほこりを吹き飛ばしていった。
マリンは肩の上でぴゃいぴゃーい! と騒ぎながら、吹き飛ばされていく蜘蛛を捕まえようと頑張っていた。
時々落っこちそうになるマリンを捕まえつつ、どうにかこうにか掃除を終える。
「こんなものかしら。お布団を干したり、拭き掃除もしたいけれど……それはまた今度ね」
「そうだね。まずは、必要なものを買いそろえてこないと」
二人でそんなことを話していたその時、また私の服のポケットから青い塊が飛び出した。メリナの使い魔だ。
『お邪魔します。ここが、あの辺境の小屋ですか……王都の森の小屋と同様に、加工の魔法を駆使されていて……でも、もっと精巧で、装飾まで凝っていて……』
メリナはうっとりとそんなことをつぶやきながら、使い魔を通して家のあちこちを見て回っている。小鳥はさっきから、天井やら壁やら、忙しく飛び回りっぱなしだ。
そんな小鳥が気になるらしく、マリンがにゅうっと体を伸ばしている。捕まえてみたそうな顔をしている。
「マリン、あれは私たちのお友達の、大切な鳥なの。勝手に触っちゃ駄目よ」
そう説明している間にも、使い魔からは色んな声が聞こえ始めてきた。
『おお、ここがあの噂の……』
『さすが魔女様だ、見事なまでのこの技術……』
『いっそ、建築家に転身してもいい腕前ですね』
どうやら魔術師たちがメリナのところに詰めかけて、入れ代わり立ち代わり小屋の見物をしているらしい。ものすごく騒がしい。
マリンがぴぃ、と短く鳴いて、私の胸元にするすると降りてきた。抱っこしてやると、ちょっと怖がっているような様子で丸くなる。
「どうしたのかしら、この子?」
「人のざわめきが怖いみたいだね。……たぶん、見世物にされてた時のことを思い出してしまうんじゃないかな」
「ああ、そういうことね。……大丈夫よ、マリン。ここには怖い人はいないから。もし来ても、私たちが追い払ってあげる」
「そうだよ。それに今天井のところで騒いでいるのは、みんな僕たちの友達だから」
そうやってマリンを励ましていたら、使い魔がすうっと滑り降りてきた。目の前の机にちょこんと止まって、またメリナの声で話し始める。
『あ、報告忘れてました。隣国の王との話がついたそうです。……こちらの王都で、白き竜の神様が広く信仰されていたので、話が早かったみたいです』
メリナの言葉に、ミモザが何とも言えない微妙な顔をする。半目になって、納得いかなさそうに使い魔を見つめていた。
『神がそう宣告したのであれば、人が異論を挟むことなどできないだろう。ただ、白き竜の神が荒ぶることのないよう、そちらでも手を尽くしてくれ。……以上が、隣国の王の言葉です』
「僕、別に荒ぶらないし……」
「あれだけ派手に竜の神様を演じてしまったのだから、仕方ないわ」
ちょっとすねた様子のミモザをなだめると、さっきまでおびえていたマリンも首を伸ばしてきゃん、と鳴いた。そのまま私の手からするりと抜け出し、ぴょんと跳ねてミモザの肩に乗っかる。
『そういう状況ですので、お二人がそこでその竜の子を育てる分には特に問題ありません。……ただ、みだりに人前に出して、人心を乱すようなことはしないでくださいと、そうファビオ様が釘を刺してきました』
「まあ、私たちが今までやらかしてきたことを考えれば、そう言いたくなるのも当然よね」
「この子、マリンもまだ人が怖いみたいだし、たぶんその点については大丈夫だと思う」
『でしたら、こちらも安心できるのですが……』
メリナが考え込んでいるらしく、青い小鳥も可愛く小首をかしげている。
『ジュリエッタ様。私が渡した使い魔の卵、三つありますよね』
「ええ。ほら、こちらの袋にあと二つ」
ポケットにしまっていた袋を取り出し、残っていた卵を手のひらに載せて使い魔に見せる。
『……その使い魔を利用して、定期的にこちらと連絡を取ってもらえませんか? あなた方と竜の子がどうしているか、こちらとしても把握しておきたいので』
「だったら、今あなたたちが作っている探査網を、こちらに広げてしまうのはどう? そうすればいつでも、私たちの動向を探り放題よ」
そう提案したら、メリナは気まずそうに言葉を濁した。
『それはそう……なんですけど、その辺境の森は、お二人の庭みたいなものですから……そこにずけずけと立ち入るのは、ちょっと』
どうやら、彼女たちは私とミモザに配慮してくれたらしい。その気遣いに感謝しつつ、にっこりと笑う。
「ありがとう。確かに、いつものぞかれているのって落ち着かないし。それじゃあ、この卵を……どうすればいいの?」
『ジュリエッタ様とミモザ様が一つずつ持っていてください。残りの一個は、袋と一緒にその小屋に置いてもらえれば』
「分かったよ。あっマリン、口に入れちゃ駄目だからね!」
「お腹空いたの? もうちょっとだけ待って」
わいわいと騒ぎながらマリンを止めている私たちに、メリナはふふっとおかしそうに笑っていた。
『こんな風に子守りをしているあなた方を見られるなんて、思いもしませんでした。……それでは、どうぞごゆっくり』
そんな言葉と共に、青い小鳥が小さな卵に変わった。机の上で、さわやかな日の光を受けてつやつやと輝いている。
飾っておきたくなるくらいに美しいその卵を袋に収め、居間の棚に置く。うっかり転がって落っこちないよう、小さなかごに入れて。
「……それじゃ改めて、買い出しにいこうか。マリンもお腹が空いたみたいだし」
「きちんとした料理、食べさせてあげたいものね」
そうして、二人で笑い合う。マリンも期待しているのか、そわそわした様子できゅきゅきゅと鳴いていた。
私たち三人の暮らしが、ここから始まる。そう思ったら、妙に心が浮き立っていた。