145.私たちの本拠地
「それで、家に帰る前に」
びしりと言い放つと、ミモザと竜の子が同時にこちらを見た。
「この子の名前、どうにかしないと。『竜の子』じゃ呼びにくいわ。もしかして名前、もうあったりするの?」
私の問いかけに、竜の子がぶんぶんと首を横に振る。
「僕たち竜に、名前って概念は本来ないんだよね。人よりも、野の獣に近い存在だし」
ミモザがにっこりと笑って、竜の子の頭をなでた。
「僕はあなたに『ミモザ』って名前をもらって、とっても嬉しかった。だからこの子の名前も、僕たちで考えてあげようよ」
そうして、三人で顔を突き合わせてあれこれ考えた。
ミモザによれば、この子が生まれたのは海が近い岩場なのだとか。そして竜の子によれば、先代の竜はほぼずっと海の中で過ごしていたのだとか。
そんな事情や、この竜の子の見た目なんかを考え合わせて。
「……ねえ、あなたの名前なんだけど、『マリン』でどうかしら」
「『海』って意味があるから、ちょうどいいかなって思ったんだけど……」
二人でおずおずと呼びかけると、竜の子はぴょんぴょん飛び上がって大喜びしていた。
「決まりね」
「気に入ってもらえてよかったよ」
さらに元気よく跳ねている竜の子改めマリンを眺め、ミモザと二人して胸をなでおろしていた。
そうして私たちは、辺境の小屋に戻ることにした。私たちがずっと本拠地にしてきた場所だし、あそこでなら竜のマリンをこっそりと育てることもできる。
なのでまず私は、いったん一人で東の街に戻って、宿屋に預けたままの馬と馬車を王都へ戻してもらう手はずを整えた。ヴィットーリオのおかげで借りられたのだから、ちゃんと返さないと。
『それじゃあ、行こうか。ジュリエッタ、マリン』
竜の姿に戻ったミモザがそう言って、ふわりと空に舞い上がる。私はマリンを抱えて、その背中にしがみついていた。
そうしてミモザの背で、考える。辺境の小屋、今一体どんな感じかしら。
去年の秋の終わり、ヴィットーリオたちと王都に向かった時に、家財道具はほとんど持ち出していた。
けれど今あの小屋に残されている分だけでも、十分生活はできる。加工の魔法があるから、足りないなら作ってしまえばいいのだし。
それに確か毛布と毛皮が、一山残っていたはずだ。後はまきを用意すれば、冬も越せる。ただ、食料だけは買い足さないと。
「ねえミモザ、あなたはお金、どれくらい残ってる? 私、もうほとんど手持ちがないの。宝石ならあるけど、高価すぎて換金しづらいし」
『結構残ってるよ。王都の小屋を飛び出してから、ほとんどこの姿で旅してたし。……それにしても、マリンの代わりにお金を置いていくなんて、あなたってほんとにお人よしだよね』
ちょっぴりおかしそうに、ミモザが答える。
「やだ、見てたの? マリンをさらっていくところも」
『うん。もしものことがあったら割って入ろうって思って。あなたに合流するずっと前から、こっそりつけてた』
「ミモザにも見守られてたのね、私。……というか、私がお人よし? どっちかというと悪者でしょう、竜泥棒なんだし」
『僕からすると、あの一座の人たちのほうがよっぽど悪者だからね。いたいけな幼子をさらって閉じ込めて、見世物にしたんだから』
そんな私たちの会話に、マリンがきゅい! と鳴いて合いの手を入れる。私たちと一緒に暮らせると決まったからか、もうすっかりくつろいでしまっていた。
こうしてじっくりと見ると、やっぱりマリンはミモザとはあちこち違う。体の色もだけれど、体つきが。
小さな頃のミモザは、子犬や子猫みたいにお腹がぽこんと丸かったし、頭も大きかった。翼は大きめで、尻尾は太くて短かった。
でもマリンはもっとしなやかで、頭も小さくて……翼は小さめ、尾は細長い。オコジョに似ているかも。だからこそ、えり巻きみたいに人の肩に乗れるのだけれど。
「あなたが大きくなったら、どんな竜になるのかしらね?」
マリンの頭をなでながらそうつぶやくと、きゅい? と鳴きながらマリンが小首をかしげてこちらを見た。
サンゴ色の丸い目が、とっても綺麗だった。
そうして私たちは、実に一年ぶりに辺境に戻ってきた。いつもと同じように、森の奥の開けたところに着地する……はずが。
『一年放っておいただけで、ここまで草木が生えるんだねえ』
もっさもさに茂った草と、まばらに生えている若木を巨体で押しつぶしながら、ミモザが感心したようにつぶやいている。
私たちは普段、この空き地にちょくちょく足を運んでいる。ミモザの翼で出かける時は、ここから飛び立ってここに舞い降りることにしているのだ。
周囲の村や宿場町の人間たちに見つかりにくく、かつ竜の姿のミモザが安定して腰を下ろせる場所は、なかなかないのだ。そしてここは、その貴重な場所の一つだった。
「そうね、いつもなら年に数回はあなたの足で踏み固めてるものね」
マリンを抱きかかえたまま飛行の魔法を使って、比較的草が少ないところに降りる。。同時に、ミモザが人の姿へ変わった。彼の周囲には、ぺたんこになった草と木。
「ここがこんなことになっているということは、小屋への道も草だらけかなあ」
手早く服を身に着けて、ミモザが歩み寄ってくる。マリンは草地が珍しいのか、ぴゃうぴゃうと叫び声を上げながら辺りを走り回っていた。そういえば隣国って、荒野とか砂漠とか岩場とかばっかりだったし。別の地方に行けば、また違うのだとは思うけれど。
「そうでしょうね。魔法で草を刈りながら進んで、そして小屋についたら掃除もあるし……」
ちょっと考えて、空を見上げる。夕暮れまで、あまり時間はない。
「ねえミモザ、今日はもう野宿にしない? 今日は暖かいし、小屋の掃除は明日に回して」
「うん、それがいいね。そうすれば、ゆっくり食料を探せる」
ミモザは朗らかに笑って、手を差し出してきた。
「じゃあ、行こうかジュリエッタ。マリンも、叫んでないでこっちにおいで」
ぴゃああうう!!
ひときわ元気に叫んで、マリンがするすると近づいてきた。そのままぴょんと、私の肩に飛び乗る。
そうして三人で、空き地の端に向かっていった。あの小屋に向かう道があるほうへ。
少し後、私たちは小屋のそばまで戻ってきていた。
案の定、道はぼうぼうに生えた草と枝で半ば消えかけていた。けれど二人がかりで風の魔法を使ったおかげで、どうにか人が通れるだけの道を作り直すことに成功した。
そして、小屋の前にいったん荷物を置く。それから来た道を戻って、近くの小川に繰り出した。
この季節なら、少し下流に行けば脂の乗ったサケが手に入る。産卵前のを狙えば、卵も食べられる。
のんびりと川を下っていくと、やがてサケが川いっぱいに集まってびちびちしているのが見えてきた。その光景に驚いたのか、マリンはすっかり興奮してしまった。
彼女はびゃああううううと思いっきり叫ぶなり、サケの群れの真ん中に飛び込んでしまったのだ。そうして、サケと格闘している。
「大丈夫かしら、あれ……」
「ここはそう深くないし、大丈夫だと思う、たぶん。興奮しすぎて我を忘れない限りは」
「どう見ても我を忘れてるわよ、あれ」
助けに入ろうかどうしようかと悩んでいたら、マリンがこちらに戻ってきた。丸々と太ったサケを、しっかりと抱きしめて。長い尻尾で、跳ねるようにして。
ぴゃっ!
そうしてマリンは、サケを私たちの足元に置いて堂々と胸を張った。この態度、見覚えがあるわ。子供の頃のミモザそっくり。
「偉いわね、マリン。もう一匹捕まえたら、私たち三人分の晩ご飯に……あら」
私がみなまで言うより先に、マリンはまたサケの波の中に突っ込んでいった。とっても楽しそうに。
「竜って、水遊びが好きなのかしら……」
「少なくとも、僕とマリンについてはその通りだね」
私たちはそんなことを話しながら、マリンが二匹目のお土産を持ってくるのを見守っていた。
それからみんなで、森の中を歩いて回った。サケに合わせる香草、岩塩、たき火に使う細い枝。そんなものを拾い集めながら。
「一年触らなかったからか、香草が種を飛ばして思いっきり増えてたね。僕たちが暮らしてなかったら、この森、本当にただの深い森に戻っちゃうのかも」
「そうね。何十年も暮らして地道に整えた道が、一年でこれだものね。……マリン、香草が気に入ったのは分かったから、つまみ食いはやめなさい」
マリンは私の首に巻き付くようにして、背負った袋の中の香草をかじっている。さっきからちょっと目を離すとこうだ。よほど香草が気に入ったらしい。
「そんなに食べたら、サケが食べられなくなるわよ」
有無を言わさずマリンの胴体をひっつかみ、首からひっぺがして抱きしめる。
マリンはぎゅううと不満げな声をもらしていたけれど、頭をなでてやったら気持ちよさそうに目を細めていた。
「さあ、ちょっと急ごうか。そろそろ日が暮れそうだし」
明るく言って、ミモザが少し足を早める。その向こう、木々の向こうに見えるのは住み慣れた小屋。すぐそばには、私たちの荷物。みんなみんな、夕暮れの温かな色に染まっていた。
「……帰ってきたのね」
たった一年、留守にしただけだった。普通の人間よりもずっと長く生きる私たちにとって、それはほんのちょっとの時間でしかない。
けれどこうして戻ってきたら、とっても長い間ここを離れていたような錯覚を感じてしまった。
なんだか胸がいっぱいになってしまって、マリンをぎゅっと抱きしめる。
「うん。帰ってきたんだよ」
満面の笑みで、ミモザが短く答えた。