143.竜の神様は一芝居打つ
遥か下、夜の砂漠の人だかり。点にしか見えない彼らは、一つの点を取り囲んで詰め寄っているようだった。
「なんだかまずい雰囲気なの、気のせい!?」
『気のせいじゃないね。……あの一座の人たち、彼があなたとぐるだって決めてかかって、あの女と竜の子はどこだって問い詰めてる』
「ああ……やっぱり、彼を先に帰しておくんだったわ」
『ジュリエッタ、嘆いている時間はなさそうだよ。ちょっと物騒な感じになってきたから』
「バルガスを連れていかせたくはないし……ここで片を付けてしまいたいところよね。……ミモザ、ちょっと手伝ってくれない?」
『ふふ、任せて。だいたい何を言おうとしてるのかも見当ついてるし』
「ごめんなさいね、あなたは目立つのが嫌いだって、分かってるんだけど……」
『でも今は、それが一番適切な方法だから。……それに僕としても、その子をいじめてた人たちに一泡吹かせてやりたいし』
あ、ミモザが妙に乗り気だわ。嫌な予感。……まあ、いいか。
それから二言、三言打ち合わせをして、首に巻き付いた竜の子を引きはがす。ミモザが差し出してきた手の上に、そっと竜の子を置いた。
「はい、あなたはここにいてね。ちゃんとつかまってるのよ?」
そう言い聞かせると、ぴゅい! という元気な声が返ってきた。
「じゃ、私は隠れてるから、頑張ってね」
『任せて』
下にいる人間たちに気づかれないよう、ミモザの背に隠れるようにしながら飛行の魔法でそっと砂漠に降り立つ。ほぼ同時に、ミモザも降りてきた。ゆっくりと、透明化の魔法を解除しながら。
たちまち、人間たちがいるほうから悲鳴が聞こえてきた。それもそうだろう、何もない夜空から、いきなり白い竜が舞い降りてきたのだから。
『我がはらからが世話になったようだな、人間よ』
いつもよりずっと低い声で、仰々しくミモザが喋っている。……神様っぽくふるまっておどかしちゃおうという作戦ではあるのだけれど、あんな口調、どこで覚えたのかしらね。
『幼子を捕らえ、あまつさえ見世物にするとは……さて、どうしてくれようか?』
おどろおどろしいミモザの声と人々の悲鳴を聞きながら、私は私でそろそろと移動を始めていた。
すぐそばの砂丘に隠れるようにしてぐるりと回り込み、気づかれないようにしながらバルガスに近づいていく。
「も、申し訳ありませんー!!」
「お許しくださいー!!」
『獣と大差ないと、あなどったか? 獣とて、檻に閉じ込められ続ければ苦しかろうに』
ミモザが怖い。ものすごく怖い。
彼は前に、ヴィットーリオを誘拐した魔術師たちを尻尾ばしばしでおどしていたけれど……今回は巨体の迫力と言葉だけでおどしにかかっている。
早く私の仕事を済ませて、ミモザを止めないと。さすがに一座の人たちがかわいそうになってきた。
砂丘の陰からそろそろと顔を出し、様子をうかがう。追っ手、つまり一座の人間たちはもう完全に混乱し切っていた。あれなら、私がそのまま歩いていっても大丈夫そうな気もするけれど。
火の魔法を使って、指先ほどの小さな炎の玉をふわりと飛ばす。ちょうど、蛍くらいの大きさだ。
それを、できるだけ追っ手に見つからないようにバルガスの前に……全員、ミモザのほうを見ていたから簡単だった。
ラクダにまたがったまま呆けているバルガスの目の前を、魔法の蛍が横切る。ふと我に返ったようなところで、さらに蛍を操って、こっちに注意を向ける。
あ、バルガスがこっちを見た。身振り手振りで、『混乱に乗じてこっちに来て』と伝える。彼はきりりと顔を引き締めて、こくりとうなずいた。本当に通じてるかは知らない。
もう一度砂丘の陰に引っ込んで、じっと成り行きを見守る。
『もう二度と、このような真似をせぬと誓うか』
「誓います、ですからどうか、お許しをお!!」
『ふむ、ならば急ぎここを去るがいい。我は寛大だ、こたびばかりは見逃してやろう。ただし、次はない。それと、この子供は我がもらいうけるぞ』
ミモザのその言葉を聞いて、一座の人間たちが一斉に神殿の街のほうに走っていく。何度も転びながら。
さっき合図していたからか、バルガスは逃げ出さなかった。困惑した顔でぼけっとしている。
彼が乗っているラクダは案外ミモザに驚いていないらしく、普段と同じのんびりした顔をしていた。ミモザがすごんでるのがお芝居だって、獣なりに見抜いているのかもしれない。
「大丈夫、バルガス?」
ぱたぱたとバルガスに駆け寄ると、彼はぎこちない動きでこちらを見た。
「……大丈夫な訳、あるかよ……なんだ、あれ……」
『僕だよ、ミモザだよ』
どう答えたものかなと思っていたら、ミモザがけろりと答えた。いつも通りの澄んだ声で。その手の上では、竜の子がぴゃうぴゃうと騒ぎながら飛び跳ねている。
「…………ミモザあ!? そんなはず……あいつ、ただの人間で」
『ところが、これが僕の正体なんだよね』
「ミモザは竜で、いつもは人の姿をしているのよ」
『そもそも辺境の魔女の伴侶が、その辺の普通の人間に務まるとでも思った?』
二人がかりで笑いをこらえながらたたみかけると、バルガスがふうと息を吐いた。
「……言われてみれば、それもそうか。長い間、ずっと若い姿で生きる辺境の魔女……どでかい竜なら、連れ合いとしてはぴったりだな」
『ふふっ、そう? 嬉しいな』
「というか、さっきと口調が全然違うぞ」
『あれ、演技だよ。怖い怪物とか神様とか、そういうのっぽかったでしょう?』
「逆に、その姿に今の口調が似合わねえよ」
すごい。バルガスったら、あっさりこの状況になじんでしまった。見事な肝っ玉だわ。
「……なあ、ミモザが白い竜だってのはまあなんとか受け入れたさ。けどな、その背中に乗って空の旅なんて……さすがに、頭がついていかねえよ……」
それから少し後、私たちはみんなで国境を越えようとしていた。空から。
バルガスが連れていたラクダは神殿の街で借りたものだったので、ひとまずその子を返しに行ってもらって、それから改めて、ミモザの背に乗って飛び立ったのだ。
私の首と肩には、やはり上機嫌の竜の子が巻き付いている。そして私のすぐ隣には、顔面蒼白のバルガス。落ちないように、ミモザの体に縄で結びつけてあげたのだけれど、それでも怖いみたいね。
『東の街に戻るには、これが一番早いから。僕たちの夫婦喧嘩に巻き込んじゃってごめんね、バルガス』
「い、いや、まあそれは、恩返しみたいなものだからな。それに、無事にあんたらが再会できてよかったぜ」
「ええ、バルガス、あなたのおかげよ。……ミモザとこんなに離れていたのは初めてで、ずっと心細かったから助かったわ」
バルガスの気をそらそうと話しかけていたら、ミモザが口を挟んできた。
『ジュリエッタもごめんね。でも、じきに僕が戻ってくるって、あなたにも分かってたでしょう? ここまで大あわてで追いかけてこなくても、大丈夫だったんだよ』
「分かってたけれど、寂しいものは寂しいの。……本当に、私はあなたの優しさに甘えてたんだって、嫌というほど思い知らされたわ」
『そうだね、僕もあなたを甘やかすのは好きかも。今回はちょっと自分を制御できなかっただけで』
「いいえ、あなたは悪くないわ。これからは気をつけるから」
『ふふ、ありがと』
そんな私たちをじっと見ていたバルガスが、ぼそりとつぶやく。
「……いやあ、辺境の魔女と白い竜の夫婦か……字面はすげえが……こうしてみると、ごく普通の夫婦だな。ちっと甘ったるいが」
その言葉に同意するように、竜の子がぴゅい! と元気よく鳴いた。
置き手紙から始まった私の大暴走の旅は、こうして終わりを告げたのだった。