138.焦る思いとのどかな旅
目の前には、一面の砂の世界が広がっていた。荒野どころではない。もう、草の一本すら見当たらない。
「そこの砂の丘を越えれば目的地だ。あと少し、歩けるだろう?」
「え、ええ。まだまだ歩けるけれど……こんな大きな砂山を歩いたことってないのよね。海辺の砂浜ならともかく」
私の戸惑いを見て取ったバルガスが、また嬉しそうに笑う。
ちょっとしゃくに障るけれど、正直な話、単独でここに突っ込んだら途方に暮れるところだった。どっちに行ったらいいのか、本格的に分からない。
おそるおそる砂に近づいて、一歩踏み出す。ざくりという感触と共に、足が少し沈む。
浜辺の砂よりも、もっと細かい。するりと足が食い込む感じ。
前世の私、ロミーナが暮らしていたのは海の近くの村。そんなこともあって、砂浜には慣れていたけれど……この砂の丘、もっとずっと歩き辛い。
そして目の前にあるのは割と急な上り坂。これ、歩いて越えるの、かなり大変じゃない?
一方のバルガスは、慣れた足取りで砂の丘を上り始めた。
「不慣れなうちはゆっくり歩けばいいさ。あんたに合わせてゆっくり歩いてや……おおっ!?」
得意げに笑っていたバルガスが、突然目をむく。そんな彼をあっという間に追い越して、砂の丘のてっぺんまで一気に上り切ってやった。腰に手を当てて、ふふんと笑い返す。
「私だって本気を出せば、これくらい……なんて、魔法を使っただけだけどね」
「そうなのか? 急に早足になっただけのように見えたけどな……」
「飛行の魔法を使って、ちょっとだけ浮いたの。一歩ごとに砂に沈みさえしなければ、これくらいの丘は楽勝だもの」
そう答えつつ、またこっそりと落ち込む。
そもそも私が飛行の魔法を覚えようと思ったのは、空を駆けるミモザの背から落っこちても大丈夫なように、という理由だった。そのことを思い出してしまって。
私が黙ってしまった間に、バルガスもすぐに丘を駆け上がってきた。明らかに慣れた足取りで。
「ほら、あっちを見てみな」
まだちょっと暗い気分のまま、言われた通りに振り返る。そうして、また目を丸くした。
どこまで行っても砂だけが続いていそうな風景の中に、いきなり澄んだ泉が姿を現していたのだ。泉の周囲には草木が生い茂っていて、小屋のようなものもたくさん見える。
「辺りは乾ききっているのに、あそこだけ水があるわ……」
「俺も初めて見た時は驚いたな。この砂漠には、あんな風に水のわくところが点々とあって、旅人はみんなそこを拠点にしてるって話だ。ま、そうしないと干からびちまうからな」
そう言って、バルガスは丘を降りていく。向こうに見える、泉の町に向かって。
飛行の魔法を使って滑るように丘を降り、彼の後を追いかける。
近くにあるように見えていた泉の町は、意外と遠かった。周囲が砂だらけで、目印になるものが他にないからかもしれない。
地面が平らになったので、魔法を止めて普通に歩く。
さくさくという砂を踏む音の中に、少しずつ人の声なんかが混ざり始めた。うわあああ、うえええええ、といった牛のような声もする。あれ、何だろう。
でもこれ以上きょろきょろするとバルガスがまた面白がるので、できるだけまっすぐ前だけを見て歩くことにする。
「わ、変わった生き物!」
……そんな決意も、長くは続かなかった。泉の町には、見たこともない謎の動物がそこかしこを歩いていたから。
馬に似ていなくもないけれど、もっと首が細長い感じだ。大きなひづめは二つに割れていて、足先が平べったく大きい。
びっくりするくらいにばさばさとしたまつげと、大きくこぶのように出っ張った背中がひときわ目を引く。
謎の動物は馬やロバのように荷物を背負っていたり、背に人を乗せたりしていた。
「あれはラクダといって、この砂漠にやたらといる生き物だ。ここでは馬車が使えないから、みんなあれを飼うんだよ」
楽しげに説明しながら、バルガスは町の奥にどんどん突き進んでいく。
よく見ると、左右に並んでいるのは小屋ではなく、どっしりとした布を張り巡らせた天幕のようだった。地面が砂だらけだから、普通の小屋を建てるのが難しいのかもしれない。
「国境一つ越えるだけで、こんなに雰囲気が変わるのね……」
「これから俺は、なじみの隊商と話をつけてくる。あんたは……その間町でも見物するか?」
「ええ、そうさせてもらうわ」
「じゃあ、この広場で落ち合おう。あの黄色い花をつけた目立つ木が目印だ」
そんな言葉を交わして、ひとまず別行動とする。バルガスに背を向けて、すぐに歩き出した。
彼の言うように、町を見たかったのもある。けれどそれ以上に、ミモザの手がかりを探したくて仕方がなかったのだ。
行き交う人たちに声をかけては、こんな感じの青年を知らないかと聞いて回る。けれど、見事に空振り続きだった。
……というかここ、旅の隊商なんかが多いみたい。ミモザに会った人たちは、もう別の場所に移ってしまっているのかも。
ちょっと立ち止まって、休憩がてら辺りを眺める。見慣れない地形、見慣れない建物、見慣れない服装の人々。初めてのものばかりだ。
ミモザを見つけたら、今度は一緒にここを旅したい。ミモザの背に乗って砂漠を飛び越えるのも面白そうだけれど、普通の人間と同じように旅をするのも楽しそうだ。
でもそれもこれも、ミモザを見つけてからだ。もう一度気合を入れて、また道行く人を呼び止めた。
結局何の収穫も得られずに、バルガスとの待ち合わせの場所に向かう。戻ってきた彼は、彼と同世代くらいの男性を連れていた。
「よう、ジュリエッタ。こいつはアンガス。この辺りをなわばりにしてる隊商の一人さ」
「あんたがジュリエッタか。バルガスからだいたいの話は聞いてるぜ」
……バルガスとアンガス、何かとってもよく似てるんですけど。違うのは服装だけで。
「……もしかして、双子?」
「それが違うんだな」
「他人の空似ってやつだ」
「ま、俺たちも最初はびっくりしたがな。今では親友という奴だな」
「ねえ、一度に話されるとどっちがどっちか分からなくなるんだけど」
頭を抱えながらそう言ったら、二人とも大きく口を開けてがはははと笑っていた。やっぱりそっくりだ。
「これからあんたと俺は、アンガスの隊商と一緒に次の町に向かう。この泉の町は、俺たちの国と取引する隊商の休憩所みたいなもんでしかないからな」
「もう少し砂漠の奥に進むと、もっと大きくて古い街があるんだよ。探し人なら、絶対にそっちのほうがいい」
「その街には、古い古い神殿の跡があるらしいんだ。だからみんな『神殿の街』って呼んでるぜ」
「神殿の町はここからそう遠くはない。だが、砂漠の初心者が備えもなしに突っ込んでいってたどり着けるような場所じゃねえんだ」
同じような声で交互に説明していたバルガスとアンガスが、顔を見合わせてうんうんとうなずき合っていた。
「ちょうどアンガスがいてくれてよかったぜ」
「だな。それじゃあ行くか。よろしくな、ジュリエッタ」
そうして私たちは、アンガスと共に砂漠の旅に出ることになったのだった。
「これが……ラクダ……!!」
次の日の朝早く、私はラクダの背に乗っていた。頭から日よけの大きな布をかぶって。
いまだにミモザの手がかりすらつかめていない。たぶん、この国にいるんだろうなってことくらいで。
でもうっかり、私は浮かれてしまっていた。こんな不思議な生き物に乗って移動するなんて、生まれて初めてなのだもの。
ラクダは大きな足で、ゆったりと砂を踏みしめて進んでいる。前にはアンガスたちが乗ったラクダ、後ろにはバルガスが乗ったラクダ。さらにその後に、荷物を積んだラクダが続いている。
動きはゆったりとしているけれど、それでも自分の足で歩くよりずっと楽だ。
頭上からは猛烈な日差しがこれでもかというくらいに降り注いでいるけれど、空気が乾いているからか、日よけをかぶっていれば耐えられなくもない。
前世の私、ロミーナが暮らしていた村も結構扱ったけれど、あちらは潮風に包まれた、しっとりした場所だった。この砂漠の暑さとはまるで違う。
目の前には、ひたすら続く砂の山と青い空。それに、前を行くラクダたちの姿。
しばらくして振り返ったら、泉の町はもう見えなくなっていた。たぶん、あそこの砂の山の向こうにあるのだと思う。
広い広い砂漠に、ぽつんと私たちだけ。それはどうしようもなく、心細い状況だった。アンガスたちは砂漠に慣れているのだと、そう分かっていても。
アンガスたちは、どうやら太陽の位置だけで方角を割り出しているようだった。さらに少し進んだら、いきなり目の前に小さな池が現れた。周囲には大きな木も生えている。
「よし、休憩だ!」
そんなアンガスの掛け声と共に、隊商の人間たちがきびきびと動き出す。ラクダを休ませ、天幕を組み立ててその陰で休憩を取る。
手早くお茶をわかして、干した果物を配ってみんなでお茶をした。なんとも見事な、統率の取れた動きだった。
「面白いだろ? 俺も初めて見た時は驚いた。こういう厳しい環境で生きてるからか、この辺の人間は協力し合っててきぱき動くのが得意なんだよ」
「私もあちこちに遊びにいったから、土地ごとに住人の雰囲気が変わるなってことには気づいていたけれど……ここは、特にはっきりしているわね」
のんびりとお茶を飲みながら、バルガスと二人で話す。
私たちに手伝えそうなことはない、というか何を手伝っていいのか分からないので、邪魔にならないようおとなしくしておくことにしたのだ。
この池の周りには、他にも休憩を取っている人たちがあちこちにいる。風に乗って、その人たちの声も切れ切れに聞こえてきた。
「……ねえ、あれ見た? とっても……」
「……ああ、噂になってるあれね……」
楽しそうに話している声を何となく聞き流していた、その時。
「……竜が……」
次の瞬間、考えるより先に天幕を飛び出していた。