137.見たこともない風景の中
国境の橋を渡って、見張り小屋の兵士たちにあいさつして。そうして私とバルガスは、隣国に足を踏み入れた。
「前にもちらっと見たけれど、橋の近くはただの荒野なのね……」
というか、道すらない。どっちに行ったら町があるのか、それすら分からない。
この国境の橋の辺りは、二国の商人やらなんやらが、盛んに行き来していると聞いてはいたけれど……今ここにいるのは、私たちだけだ。
「商人の馬車なんかは、もっと朝早くに来るんだ。あるいはもっと遅く、午後になってからだな。あんたは目立ちたがらないだろうと思って、少し時間をずらしたが」
「え、ええ。配慮してくれたのね、ありがとう」
「心配するな、道は分かるぜ。ほら、こっちだ。あのとがった山のほうに、まっすぐ歩いていけばいい」
バルガスが朗らかに言って、少し前を歩き出す。すぐ隣を歩いていたら、服の中からひょっこりと青い鳥が顔を出した。
この青い鳥、メリナの使い魔は、東の街に入ってからはずっと私の服の中に隠れていたのだ。そうして目立たないように、私たちの話を聞いていた。
『……本当に、国境を越えてしまったんですね……申し訳ありませんが、ここからはちょっとお手伝いできそうにありません』
私の肩にふわりと舞い降りて話し出した鳥に、バルガスが目を丸くしている。
『そちらの国には魔術師が少ないので、まず見つからないでしょうが……それでも、こちらの魔術師が国境を越えて魔法で介入していると思われたら、国際問題になる可能性があるので』
「分かったわ。ミモザは見つけたいけれど、二国間の関係を乱すのは本望じゃないし」
『はい、分かっていただけて助かります。なのでこの鳥は、いったん卵に戻します。緊急時には卵に魔力を注いでください。それを合図にして、またふ化させますから』
そう言い終えると、青い鳥は私の手のひらに着地した。そのまま、ころんと卵に姿を変える。
「……それ、魔法だよな? 喋る鳥なんて、初めて見たぞ」
バルガスの目は、小さな卵に釘付けだ。メリナに渡されていた袋に卵をしまい込みながら、言葉を選びつつ答える。
「ええそうよ。私の友達が、ミモザを探す手伝いをしてくれていて」
私とミモザが堂々と王宮に出入りして、王族やら重臣やら魔術師やらと仲良くやっているということは、わざわざ言いたくはない。
東の街の人たちは、王宮のことをあまりよく思っていない。長いこと辺境扱いされて腹を立てているし、そこへもって以前の悪法で壊滅寸前に追いこまれたりもしたから。
でも私がメリナの素性やら彼女との関係を隠そうとしているのは、そのせいではない。
バルガスや東区画の人たちが本当のことを知ったら……さらに尊敬の目で見られそうで怖いからだ。
「ほおん。というかその友達って、魔術師なんじゃねえか? 王宮に仕えているっていう」
ばれている。さっきメリナが魔術師のことに触れたし、ばれるかもしれないなあとは思っていたけれど。
「え、ま、まあ……そうなの。色々あって、知り合ったのよ」
ちょっと上ずった声で、さらにそうごまかしにかかる。
バルガスはまだにやにやしていたし、勝手にうんうんとうなずいている。ひとまず、これ以上追及するつもりはないらしい。助かった。
ほっと胸をなでおろしながら、周囲の風景を改めて見渡してみる。周りは一面の荒野、少し離れたところに低い山。
「これなら、馬で来たほうがよかったんじゃないかしら?」
彼がどこを目指しているのかは分からないけれど、少なくともすぐ近くではなさそうだ。だったらこうしてのんびり歩いているよりも、馬車でぱぱっと進めば早いのに。
私が王宮で借りてきた馬車は一人乗りだけれど、改めて大き目の馬車を借りればいい。お金なら持ってきたし。
実は、昨日もそう主張した。けれどバルガスは「馬車だと途中までしか行けないからな。ま、行ってみてのお楽しみだ」などと言ってはぐらかしてきたのだ。
さて、この先に何が待ち受けているのだろうか。ミモザはどうやってこの先に……やっぱり、竜の姿に戻って飛んだのかな。
「……ミモザ……どこにいるの……」
「あんたにもそんな、可愛らしいところがあったんだな」
「なんですってえ!?」
ミモザに思いをはせて切なくつぶやく私に、バルガスは繊細さのかけらもない言葉をぶん投げてくる。どう考えても、傷つく乙女にかける言葉ではない。
「いやあ、あんたは見た目こそ可憐な娘っ子だが、恐ろしいくらいに肝はすわってるし、気持ちよくなるくらいにはきはきしてるし……長く生きている、って噂も納得だと思ってたんだ」
さらにずけずけと、バルガスは言っている。褒めてもらってはいるのだと思う。一応。
「そんなあんたが、ミモザがいなくなったとたんにそのしょげっぷり……意外な一面を見たぜ」
何も言い返せない。私はミモザのこと以外では、そうそう落ち込まない自信はある。それに、落ち込んだところをそこらの人間に見せることもない。
私とミモザは、長い長い時を一緒に生きる、互いにとって唯一の存在。他の人間たちとは、できるだけ親しくならないように心がけていたのだ。いずれ、私たちを置いていなくなるから。
もっともヴィットーリオたちを拾ってから、ちょっと人間たちに関わり過ぎている気がするけれど。
でもやっぱり、私にはミモザしかいない。彼が、一番大切。
ミモザだってそのことは分かっているし、わざわざ探さなくても頭が冷えたら戻ってくる、とは思うのだけれど。
……竜の秘薬のこともあるから、そこまで長く行方をくらましたりはしないと思うけれど……ああでも、私が寝ている間にこっそり秘薬だけ置きにきて、またすぐにいなくなるとか、それくらいやりかねないかも。
彼、あれで行動力は意外とあるから……それに、割と頑固だから……うう……本当に、ごめんなさい……。
口を閉ざしたままさらにしょげる私に、バルガスが慰めるように声をかけてきた。
「ま、長く連れ添ってると色々あるらしいしな。そういうあれこれの一つだと思っとけばいいんじゃないか?」
「……妙に他人事っぽいけれど……もしかしてあなた、独身?」
「まあな。仕事が楽しくって、つい」
「……なんでこういうのばかり、私のそばに集まるのかしら」
仕事中毒の筆頭ファビオ……はどうにかなりそうだけれど、ロベルトもヴィットーリオを守ることに一生を捧げかねない勢いだ。
「ああ、でもいい感じの相手ならいるぜ」
「えっ、そうなの? 聞かせて!」
話題が変わったおかげで、ちょっとだけ気分が上向きになる。そうして私たちは歩き続けた。ごつい見かけによらない、バルガスの可愛らしい恋物語をおともにして。
もちろん、存分にからかってやった。さっきのお返しだ。
でも困ったことに、バルガスはからかわれるととっても嬉しそうにはにかんでしまうのだ。ごついので似合わない。でも幸せそう。
「ところで、どんどん緑がなくなっていくのね?」
話の合間に、そんなことを尋ねてみる。東の街から国境を越えてすぐの荒野は、がらんとしていたとはいえ、背の低い草なんかは普通に生えていた。
ところがどんどん進むにつれ草はまばらになり、足元はむき出しの岩や砂になっていく。そう長く歩いた訳でもないのに、ずいぶんと雰囲気が変わるものだ。
「面白いだろ? もうすぐ、もっとびっくりすることになるぜ」
にやりと笑ったバルガスが、すっと進路を右に変える。
「左側のあの山、分かるか? とびきり高いやつだ。あの山が真横に来たら、右に向かうんだ。そうやって、あそこの丘をぐるっと回り込むんだよ」
「解説ありがとう。これで、また遊びに来る時も迷わずに済むわね」
などと答えつつ、頭の中では違うことを考えていた。目印になる地形を教えてもらえるのはありがたいけれど、次に遊びに来る時は、おそらくミモザと一緒に空の旅だし……。
……うん、またミモザと一緒に旅ができるよう、頑張ろう。何がなんでも、ミモザをつかまえよう。そうして、精いっぱい謝ろう。
そんな決意を新たにしていたら、急に目の前が開けた。考え込みながら足を動かしている間に、バルガスが言っていた丘を回り込んでいたのだ。
目の前に広がっていた予想外の風景に、思わず立ち止まる。
「……何、これ……?」
「ははっ、やっぱり驚いた。あんたのそんな顔が見られるとは、無理にでも同行してきたかいがあったってもんだぜ」
バルガスのそんな軽口も耳に入らないくらい、私は目の前の光景に驚かされていた。
世界って、本当に広いのね。そんなことを思いながら。