130.夏野菜と恋心
ヴィットーリオとレオナルドは、中庭に立っていた。二人の目の前には、夏野菜の畑。
「……こんなにたくさん実るとは思わなかったな」
「いたんでしまう前に、きちんと料理したいです、にいさま」
「ああ、私もそう思う。ただ、さすがに量が多すぎる……どうしたらいいのだろうか」
春先に葉野菜を育てた二人は、その成功に大喜びしていた。そうしてジュリエッタとミモザの協力のもと、さらに畑を広げることにしたのだ。
ファビオは難しい顔をしていたが、ロベルトその他ほとんどの大人たちは二人の味方だった。みな代わる代わる顔を出しては、二人の農作業を手伝っていた。
そのかいあって、様々な夏野菜が次から次へと実っていった。二人は大人たちの手を借りながら、せっせと夏野菜を収穫し、調理していった。そうして協力してくれた大人たちと、舌鼓を打っていたのだ。
ここまでは、とても順調だった。しかし丁寧に世話をされた夏野菜の株は、それはもう勢い良く育ち、これでもかというくらいに実をつけ続けていたのだ。
二人は困っていた。食べても食べても、夏野菜が減らないのだ。むしろ増えている。
先日、ジュリエッタとミモザの結婚式の時に、彼らは夏野菜を大量に提供した。そのおかげで多少は減ったものの、相変わらず夏野菜はわさわさと実り続けている。たぶん秋になるまで、ずっとこの調子だろう。
こんなにも余るのなら、いっそまかないにしてしまうのはどうか。二人はそう考えたが、料理人たちに全力で辞退されてしまったのだ。
お祝い事などの特別な時ならともかく、普段の食事に王と王兄の作った野菜を料理するなど、おそれ多いと言って。
仕方なく、二人は自分たちで料理を作り、ジュリエッタなどの近しい大人たちにふるまっていた。それでも、夏野菜の山は一向に減る気配がない。
困ったなあと思いながら、幼い王と王兄はそろってため息をつく。その時、軽やかな声が聞こえてきた。
「何か、困っておられるんですか?」
そこには、小首をかしげたメリナが立っていた。
◇
一方その頃、ファビオも困り果てていた。彼の前の机には、一通の手紙が置かれている。
以前ジュリエッタたちが仕組んだお茶会、もといお見合い会場で、彼は大いにもてていた。
あれ以来、令嬢たちからちょくちょくお誘いの手紙が来るようになっていたのだ。お茶会や舞踏会だけでなく、もっと分かりやすく、二人で会いませんかというものまで。
彼はそのほとんどを、多忙だからという理由で断っていた。そもそも彼は、まだ嫁探しなどするつもりはなかった。もっと言うなら、彼はこの国の、レオナルドのために全てを捧げるつもりだった。
血筋などに意味はない。そもそも自分だって、元は男爵だ。さらにその前は、ただの豪商だ。別に、守るべき歴史などない。
だから自分がもっとずっと年を取ってから、見どころのある若者を養子に取ればいい。彼はそう考えていたのだ。
それに、あのお茶会に出ることになったのは彼の本意ではなかった。主君であるレオナルドまで巻き込んで、だまし討ちのような手を使って引きずり出されてしまったのだ。
間違いなくロベルトたち、というよりジュリエッタたちが一枚噛んでいるのだろうとファビオは気づいていた。
そんなこともあって、ファビオは少しばかり腹を立てていた。その怒りが上乗せされていたせいか、彼は女性たちを断ることにためらいはなかった。
しかし、一つだけ例外があった。まさに今彼がにらみつけている、その手紙だ。
目の前の手紙には、『他の用事で定期的に王宮を訪れています。気が向いたらで構いませんので、声をかけてくださると嬉しいです』というたいそう控えめな言葉が記されていた。
差出人の名前を、ファビオは覚えていた。ほっそりとした妖精のような面差し、少し自信のなさそうな表情、控えめな青いドレス。か細いその声も、彼はしっかりと覚えていた。
早い話が、ファビオはその令嬢のことがほんの少しだけ気になっていたのだ。今回の手紙で、その気持ちがさらにもう少し強くなっていた。
他の令嬢と違って、彼女は奥ゆかしいし、ずうずうしくない。彼はそう感じていた。
「……しかし、声をかける口実がないな。仕方ない、あきらめるか」
あっさりとそう言うと、彼は手紙を懐にしまい込んだ。わきによけていた書類を引き寄せ、仕事にとりかかる。
いつものように、猛烈な勢いで彼は書類を片付けていった。しかしその視線は、無意識のうちに自分の胸元にちらちらと向いていた。
◇
「つまりは、この大量の夏野菜をどうにかしたいと、そういうことなんですね?」
中庭の片隅に広がる夏野菜の畑を見渡しながら、メリナが確認する。ヴィットーリオとレオナルドは、同時にうなずいた。
「ああ、そうなのだ。しかしいい加減、同じような料理ばかりが続いていて……。それに、一度にたくさん消費するのが難しい」
「でしたら、鍋料理はどうでしょうか? 味付けを変えるだけで、がらりと雰囲気が変わりますから。たくさん作るにも向いていますし」
その言葉に、幼い兄弟はそろって顔を輝かせる。
メリナはそんな二人を可愛いと思ったが、一応彼らは彼女にとって上司の上司のそのまた上司くらいに当たる。なので彼女は、そんな内心を隠したまま冷静に言った。
「ここにある野菜を使った鍋料理を知っています。こんな暑い季節にぴったりの、さっぱりとしたものですよ。私の生まれ故郷では、よく食べられています」
「君さえよければ、教えてくれないか?」
小さな頃から自分のそばにいるロベルトたちとは違い、メリナはそこまで親しい訳でもない。しかも、年上の美少女だ。
そんなこともあってか、ヴィットーリオは彼女のことを遠慮がちに『君』と呼んでいた。自分が王兄であり、彼女の遥か上の位にあることなど、彼の頭にはないようだった。
ああ、やっぱり可愛いですねとそんなことを思いながら、メリナはさらに思いついたことを話していく。
「ええ、喜んで。……どうせなら大鍋でいくつも作って、宴会みたいにしてはどうでしょうか。魔術師見習いたちに声をかければ、彼らは喜んで集まると思います。あと、魔術師のほとんども。さらに彼らの知る鍋料理を教えてもらうのも、いいかもしれません」
メリナは、魔術師たちの中でもかなり型破りで自由奔放なシーシェと仲がいい。そしてそのシーシェは、魔術師見習いたちと大いに馬が合っていた。
彼は見習いたちにとって悪友というか、兄貴分というか、そんな立ち位置の存在になっていたのだ。
だからシーシェを巻き込めば、見習いたちを宴会に引っ張り出すことも難しくないとメリナは考えていた。それがたとえ、王と王兄が開いた宴会であろうと。
ヴィットーリオとレオナルドは、メリナの提案に目を輝かせていた。メリナは温かいまなざしでそんな二人を見守りながら、具体的な計画を一緒に練っていった。
それから三人は、協力者を捕まえに散っていった。大人数での宴会の準備をたった三人で整えるのは、さすがに無理があるからだ。
王宮の廊下を軽やかな足取りで歩いていたレオナルドは、向こうからやってきたファビオを見て嬉しそうに笑う。すぐに駆け寄って、メリナと打ち合わせた内容を話す。
「宴会ですか……魔術師見習いたちの士気を上げるという点では、有効かもしれませんね」
「……ファビオ、どうしたのだ? 元気がないようだが」
心配そうに顔をのぞきこむレオナルドに、ファビオは問題ありません、と言って軽く会釈する。
その拍子に、懐にしまい込んでいた手紙がひらりと落ちた。それも、文面が丸見えになるような形で。
年の割には聡明なレオナルドは、一目で手紙の内容を把握していた。そして彼は、もの言いたげな目でファビオを見る。
「声を、かけてやらないのか?」
「いえ、私は仕事が山のようにありますので。……それに、声をかける理由がありません」
「ならば彼女も、宴会に呼んでやってはどうだろうか。人数は多いほうが楽しいぞ」
「……考えておきます」
その一言は、普段のファビオからは考えられないものだった。レオナルドはにっこりと満面の笑みを浮かべて、ファビオの腕を引っ張るようにして歩き出した。
それから数日後の夕方、ぎらぎらとした日差しもようやく収まり、心地良い風が吹き始めた時分。
王宮の中庭では、にぎやかな宴会が始まっていた。夏野菜とたっぷりの肉をじっくりと煮込んでから冷やした具沢山のスープが入った大鍋がいくつも並び、他にも様々な料理が大机の上に置かれている。
メリナが故郷の料理を作ると聞いた魔術師見習いたちは、だったら自分たちもと、メリナたちが頼むよりも先に、それぞれの郷土料理を作ると申し出たのだ。
そしてそこに混ざっていたシーシェの提案で、ヴィットーリオとレオナルドも一緒に調理に加わることになった。子供は色々な体験をしておくべきだろう、とあっけらかんと笑うシーシェに、その場の全員が流される形だった。
幼い二人は様々な料理を一緒に作ることができて大喜びだったが、ファビオの眉間のしわはすさまじい深さになっていた。彼は通常の業務を放り投げてここに駆けつけ、レオナルドたちに危険が及ばないよう見張っていた。
じきに、ロベルトもやってきた。しばらくしたら、ジュリエッタとミモザも見物、もとい手伝いを始めた。王宮の広い厨房は、料理人以外の人間であふれてしまっていた。
そんなこともあって、宴会に並んだ料理は素晴らしいできばえになった。中庭に集まった人々の顔は、みな満面の笑みだ。
「懐かしいな。王都でこれを食べられるなんて思わなかった。手間がかかるからな、これは」
嬉しそうに笑み崩れながら、シーシェがスープを口に運んでいる。彼はメリナと同じ村の出身なので、このスープは彼にとっても故郷の味なのだ。
「別に、あなたのためじゃないし。ただレオナルド様たちが、変わった料理を知りたがっておられたからよ」
そう言いつつも、メリナは小皿をシーシェに差し出している。その中に盛られている赤い粉を見て、シーシェはさらに嬉しそうに笑った。
「そうそう、これを入れるともっとうまくなるんだ。ありがとう、メリナ。嬉しいな」
屈託なく笑うシーシェから目をそらして、メリナはごにょごにょとつぶやいていた。どういたしまして、と言っているらしい。
そんな二人から離れたところで、別の男女が静かに話し合っていた。二人が口にしているのは、甘い瓜の汁を海藻の煮汁で固めた、さっぱりとした菓子だ。
「お招きいただきありがとうございます、ファビオ様」
「……レオナルド様の提案だ。こういった宴は、人数が多いほうが楽しくなると」
「まあ、そうだったのですか。それでも、こうやってまたあなたとお話しできて、とても嬉しいです」
それはファビオと、あの手紙を書いた令嬢だった。仕事着のままのファビオと、清楚なドレスをまとった令嬢。戸惑った表情のファビオと、とても優しく微笑んでいる令嬢。
二人の会話はぎこちないものではあったが、それでも二人の距離が徐々に近づきつつあるのは一目瞭然だった。
他の出席者たちは、二組の男女の邪魔をしないように適度に距離を取りながら、こっそりと様子をうかがっていた。興味半分、応援半分といった感じだ。
そんな人間たちの中に、ヴィットーリオとレオナルドの兄弟もいた。
「おいしいですね、にいさま」
「ああ。みなのおかげで、私たちが育てた野菜が素晴らしいごちそうになった。それに」
ヴィットーリオは言葉を切って、メリナとシーシェ、そしてファビオと令嬢を順に見た。
「私たちの夏野菜が、人と人とを結ぶ助けになっているようにも思える。……なんだか、くすぐったいな」
「はい、にいさま」
子供たちは顔を寄せ合い、くすくすと笑っている。周囲の大人たちも、つられて笑顔になった。
もう夏も終わりに近づき、吹く風の中にひんやりとした空気が混ざり始めていた。けれど人でごった返す中庭には、心地良い暖かさが満ちていた。