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127.みんなのお父さん

 アダンが魔術師になったのは、二十歳の時だった。魔術師としては、ちょっと遅咲きのほうだった。彼は田舎の出だったということもあって、魔法の才を見出されるのが遅かったのだ。


 それでも彼はせっせと鍛錬を積み、応用魔法の一つである融合の魔法については、魔術師たちの中でも抜きんでた腕前となっていた。


 けれど彼の一番の才能は、そのことではなかった。


 以前の魔術師たちは、比較的閉鎖的ないくつもの集団に分かれてしまっていた。それだけならまだしも、己の才を鼻にかけ、他者を下に見る傾向のあるものも少なくなかった。


 とにかく彼らはまとまりに欠け、互いに反目しあっていたのだ。


 そんな魔術師たちだったが、どういう訳かアダンに対してはみな友好的だった。


 たゆまず努力を続ける彼の姿勢に感銘を受けたからなのか、穏やかで人当たりのいい彼の性格のせいなのか。


 そうして彼が四十になる頃には、彼はすっかり他の魔術師たちに慕われるようになっていた。


 魔法に関する質問から、ちょっとした人生相談まで。毎日のように誰かしら、彼に相談を持ちかけていた。人望だけで言うなら、間違いなく彼は魔術師たちの頂点に立っていた。


 今の長が引退したら、次の長はアダンだろう。魔術師たちは長に聞こえないように気をつけながら、そうこそこそとささやきあっていた。


 今の長は少々自尊心が高すぎるので、そんな話が彼の耳に届いてしまったら、きっとへそを曲げてしまう、下手をするとアダンが迫害されかねないと、魔術師たちはそう思っていたのだ。


 そんな中、ジュリエッタたちを巻き込んだ大騒ぎが春先に起こった。その騒動を経て、魔術師たちの立場も色々と変わっていった。


 魔術師たちは協力することを覚えた。そして王であるレオナルドたちは、魔術師たちの力をもっと活用していくことにした。


 それに伴い、魔術師の数をもっと増やすことになった。そうして大勢の魔術師見習いがやってきた。


 しかしここで、一つ問題が持ち上がってしまった。そもそも他人に物事を教えた経験などろくにない、それどころか互いの知識や技術の共有すら不十分だった魔術師たちには、見習いの教育はあまりにも荷が重すぎたのだ。


 そして、白羽の矢がアダンに立った。




「はいみなさん、それでは今日の講義を始めましょうか」


 いつも魔術師たちが集まっている大広間のすぐ近くにある一室。そこが、魔術師見習いたちのための講義室となっていた。部屋中に長机と椅子がずらりと並べられ、一方の壁には大きな黒板が取り付けられている。


 魔術師見習いたちは席に着き、アダンがやってくるのを行儀良く待っていた。その大半が十代の若者だということもあって、魔術師見習いたちは良くも悪くも少々やんちゃなところがあったのだが、どういう訳かアダンの前ではみなとてもおとなしかった。


 他にも非番の魔術師たちが数名、聴講生として一番後ろの席に座っていた。彼らはこの状況を面白がっているようではあったが、アダンは気にしていなかった。聞き手が多くて嬉しいと、彼はそんなことを考えていた。


 そうしてアダンは、いつものように講義を始めた。魔法の基本理論から、一つ一つ丁寧にじっくりと。実技についてはメリナたち若手も講師を務めていたが、こういった座学はアダンがほぼ全てを担当していたのだ。


「基礎をおろそかにしてはいけませんよ。基礎がしっかりしてこそ、応用魔法もうまくいくというものですから」


 魔術師見習いたちは睡魔と戦いつつ、それでもどうにかこうにかアダンの話に食らいついていた。アダンはそんな彼らを微笑ましく思いながら、話を続けていく。


「みなさんの中には、もう応用魔法を習得し始めている方もおられますね。ですが、焦らないでください。習得した方も、まだの方も」


 その言葉に、魔術師見習いたちがわずかに首をかしげる。


 応用魔法を習得していない者に対して焦るなというのはまだ分かる。しかし、既に習得できた者にも同じ言葉をかけるとは、どういうことなのだろう。彼らの顔には、そう書いてあった。


「一人一人にできることなど、たかが知れています。応用魔法の一つや二つを身につけたところで、それは誤差のようなものでしかないのです」


 アダンは懐かしそうな顔で、優しく語る。彼の頭には、春先の騒動のことがあった。


「ですが、小さな力を寄せ集めることで、驚くほど大きなことを成しとげることもできます。以前の私たちは、それぞれの力を誇示することにこだわり過ぎていて、中々力を合わせることができませんでした。とある事件を経て、私たちはようやくそのことに気づけたのです」


 講義室に、静寂が満ちた。魔術師見習いはみな、アダンの言葉に感心しているように見えた。


 しかしすぐに、一人の青年が声を上げた。どことなくお調子者のような雰囲気を漂わせている、ひょろりとした青年だ。というより、少年といったほうが正しいかもしれない。それくらいに若く、幼い。


「父ちゃ……じゃなかった、アダン先生。質問いいっすか?」


「はい、どうぞ」


「そのとある事件の時、魔女様を巻き込んで大騒ぎしたって本当っすか? んで、その魔女様が、実はちょいちょい遊びに来るジュリエッタさんっていうのも?」


 春先の事件のことも、ジュリエッタの正体も、まだ彼らには伏せられている。けれど見習いたちは断片的な情報をつなぎ合わせて、あっさりとその結論にたどり着いていた。


 アダンは最後列の魔術師たちを見て、困ったように微笑む。それから声を落として、ささやいた。


「……はい、どちらも本当ですよ。でもこのことは、私たち魔術師たちだけの秘密です。他の人にはばらさないでくださいね」


 魔術師見習いたちは精いっぱい神妙な顔を作って、こくこくとうなずいている。アダンはまたとても嬉しそうな笑みを浮かべたが、すぐに真顔になって付け加えた。


「……うかつにばらしてしまった場合、恐ろしいことになりかねませんからね。命までは取られないでしょうが……」


 あいまいに言葉を濁すアダンに、見習いたちは戸惑った顔を見合わせている。後ろのほうでは、魔術師たちが笑いを必死に押し殺していた。引きつったような吐息の音が、かすかに聞こえる。


「あの方、というよりあの方々は、残忍ではないですし凶暴でもありませんが、いかんせん思い切りの良さと、あと行動力は抜きんでておられますので……」


 相変わらずアダンは具体的なことを何一つ言わなかったが、それでも見習いたちも悟ったようだった。ジュリエッタを見た目で判断してはいけないのだと。


「でも、危険な魔女様って言っても実感ないし、いっぺんくらいお茶に誘いたいっす。ジュリエッタさん、可愛いし」


 しかし一人だけ、空気を読まずにそんなことを言ってのける者もいた。最初に発言した、あの若者だ。


 その発言に、すぐにあいづちが返ってきた。なぜか、講義室の外から。


「うん、ジュリエッタは可愛いよね。分かってるね、そこの人。えっと、見習いさんでいいのかな」


 講義室の入口からのぞいた顔に、最後列の魔術師たちが震え上がった。少し女性的な美貌に、さらさらの白い髪と綺麗な金の目。ジュリエッタの伴侶たるミモザだ。


 彼もまた、気の向くままにあちこちをふらふらしているのだ。


「彼女をお茶に誘うのはいいけど、その時はもれなく僕もついてくるからね?」


 そう言うとミモザはにっこりと笑った。天使のように純粋で、子供のように無邪気な微笑みだったが、その場の全員が身をこわばらせていた。


 彼の正体を知らない見習いたちですら、無意識のうちに恐怖を感じずにはいられないくらいの圧倒感が、その笑みにはこめられていた。


「あ、いけない、アダンの講義を邪魔しちゃったね。それじゃあ僕は行くよ。アダン、また今度、僕も講義を聞いてみてもいい?」


「ええ、いつでもどうぞ。歓迎しますよ」


「ふふ、やったあ。じゃあまたね」


 迫力たっぷりのミモザ相手に、アダンはのんびりと会話をしている。見習いたちの尊敬の視線が、アダンに集まっていた。




「……と、いうことがあったんですよ」


 その日の夜、アダンは城下町の自宅にいた。


 魔術師でも独り身の者などは、王宮の一室を与えられそこで寝起きしていることが多いが、アダンのように家庭を持っている者は、このように城下町で暮らしていることが多い。


「まあ、今日も楽しかったのね、お父さん」


 アダンの向かいに座って話を聞いているのは、二十代半ばの若い女性だ。とびぬけた美人ではないが、頬がふっくらとしていてとても可愛らしい。


「お父さんはたくさんの人を教えてるんだよね? すごいなあ」


 二人のそばを、六歳くらいの男の子がそんなことを言いながら跳ね回っている。


 この男の子は、アダンの息子だった。彼は結婚も遅く、年を取ってから授かったこの子のことをとても大切にしていた。


 そして向かいの女性は、アダンの妻だった。元は王宮のメイドである彼女は、アダンに一目惚れし、年の差をものともせずに熱烈に迫ったのだ。今では、仲睦まじいおしどり夫婦として近所でも有名だ。


「……みんなのお父さんと呼ばれるのも嬉しいものですが、やはりこうして大切な家族のお父さんでいる時間が、一番幸せですね」


 どういう訳か、みなアダンを前にすると、父と呼びたくなってしまうようだった。そうして彼には『みんなのお父さん』というあだ名がついてしまっていた。


 長い時を生きて、みなに一目置かれ恐れられているジュリエッタですら、彼のことをうっかりお父様と呼んでしまっていたのだ。そもそも人間ではなく、父親という概念を実感できていないらしいミモザだけは、アダンのことを普通に呼んでいたが。


「でも、私は『みんなのお父さん』ってあだ名、素敵だと思うわ。気がつけば私も、あなたのことをお父さんって呼んでしまっているし。ふふ、旦那様なのにね」


 アダンの妻が、幸せそうに笑う。息子がアダンの隣の椅子に上がり込み、首をかしげた。


「ねえねえお父さん、お勉強って、座ってお話を聞くんだよね?」


「そうですね。みなの前で私が話し、みなはそれを聞いていることが多いですね」


 何ともおかしいことに、アダンは小さな息子に対しても丁寧な口調を崩していない。もっともその表情にも声音にも、あふれんばかりの愛情が見え隠れしていたから、息子のほうもすんなりとその状況を受け入れていた。


「ぼくね、今日学校で、工作をしたんだよ。粘土をこねて、色んなものを作ったの。楽しかったあ」


「それは素敵ですね。あなたが楽しそうだと、私もとても幸せです」


「お父さんの授業は、工作しないの? きっとみんな、楽しいって喜ぶよ」


 息子の無邪気な指摘に、アダンはふと真剣な顔で考え込んだ。


 首をかしげる息子を、妻が呼び寄せて膝に乗せ、にこにこと笑いながら話しかけている。お父さんは今考え事をしているから、終わるまで待ちましょうね、などと言いながら。


「……ありがとう。あなたのおかげで、いいことを思いつきました」


 やがてアダンは、妻に抱かれている息子にそう声をかける。息子は顔を輝かせて、アダンのもとに向かっていった。


 小さくて温かな体を抱き留めながら、アダンはとても柔らかく笑っていた。

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