125.流れゆく時間
大騒ぎの結婚式も終わって、私たちは王都のそばの森をのんびりと歩いていた。もちろん、あの豪華な白いドレスは脱いで、ついでにお風呂を借りて化粧を落とし、すっかりいつもの格好に戻ってからだ。
もうすっかり暗くなった森の中を、小さな魔法の明かりだけを頼りに進む。じきに、まだ新しい小屋にたどり着いた。
「ただいま」
誰もいない小屋の扉を開けて、二人同時にただいまを言う。家の中に誰もいなくても、きちんと帰宅のあいさつをする。それが辺境で暮らしていた頃からの、私たちのちょっとした習慣だった。
「さすがに、今日はちょっと疲れたね」
「久々の大騒ぎだったから、仕方ないわ。それにしてもみんな、楽しそうだったわね」
窓を開けて、風を通す。昼間の熱気が残っていた小屋の中に、しっとりとした夜の風が忍び込んでくる。
二人で協力してお茶の準備を済ませてから、優美な曲線を描く椅子にどっかりと腰を下ろした。
この小屋と同様に、ここの家具はみな、加工の魔法で作り上げたものだ。この二脚の椅子は私たちの体格に合わせて微調整してあるから、座り心地は最高だ。
窓から吹き込む穏やかな風に吹かれて、お気に入りのお茶を飲んで、心地良い椅子に座ってごろごろする。昼間の大騒ぎの余韻を楽しみながら、ミモザと二人っきりでお喋りする。
「ああ、幸せだわ……」
「そうだね。僕はあなたといられればそれだけで幸せなんだけど、今日は本当に素敵だったね」
「それに、あなたとこうしてくつろぐ時間もよ。……でもやっぱり、ほんのちょっと物足りなさを感じるのよね」
「それはそうだよ。だって僕たちの家って、やっぱりあの辺境の小屋だもの。小屋の中も、外に見える森も、なじんだ景色とはちょっと違う」
ミモザはお茶から立ち上る湯気を見ながら、目を細めていた。やがて、妙にかしこまった表情で口を開く。
「ねえ、ジュリエッタ。ひとつおねだりをしてもいいかな」
「なあに?」
「もうすぐ、秋だよね。それで、僕の誕生日なんだけど……辺境の僕たちの家で、あなただけに祝ってもらいたいな、って思うんだ。今日みたいな大騒ぎも嫌いじゃないけど、やっぱりあなたと二人でいるのが一番ほっとするから」
「レオナルドが寂しがりそうね。あの子、妙にあなたになついているし」
「おかげでファビオににらまれちゃうし、嬉しいような困ったような」
ミモザが大げさに肩をすくめる。それから二人顔を見合わせて、くすくすと笑った。
「分かったわ。あなたの今年の誕生日は辺境でお祝いしましょう。去年はヴィットーリオたちがいたから、お祝い自体がなかったし」
ヴィットーリオたちが私たちの住む小屋に転がり込んできたのが去年の春先。あの時のヴィットーリオとロベルトは、それはもう暗い顔をしていた。
そんな二人の前でお祝い事をしてはしゃぐのもはばかられたので、去年は誕生日のお祝いを一切なしにしていたのだ。私の分も、ミモザの分も。
あれから一年とちょっと。まばたきするほどの間に、ものすごくたくさんのものが変わった。
ヴィットーリオたちは無事に王宮に戻り、傾きかけていた国はどうにか落ち着いて、私たちは何だかんだで王都のそばに住み着いている。人間の時間というものは、どうにもせわしない。
「ふふ、やったあ。約束だからね」
相変わらず天使のように美しい顔いっぱいに喜びをたたえて、ミモザが笑う。今にも飛び跳ねそうなくらいの大喜びだ。
二人で誕生日を祝う。たったそれだけのことでここまで喜んでもらえると、こちらも準備のしがいがある。せっかくだから日もちのする食材をこちらで買い込んで、凝った料理を作ってみようか。贈り物も、こっちで見つくろっておくのもいいかもしれない。
誕生日の贈り物。そのことを考えた時、ふと思い出した。最初の贈り物のことを。
「ああ、そうだわ」
椅子から立ち上がり、部屋の片隅に置いてあるタンスを開ける。中から小さな布包みを取り出して、また戻ってきた。
「ずいぶん遅くなってしまって、ごめんなさい」
机の上に置いた布包みを開けて、中にしまっていた色鮮やかな飾り紐を見せる。
「修理、やっと終わったの。せっかくだから、編む前にもう少し別の材料を組み込んでみたのよ。そのせいで、余計に時間がかかってしまったけれど」
ミモザは飾り紐に顔を寄せて、しきりに首をかしげながら目を細めている。
「……ちょっとつややかになってる? 色も、ただ染めただけにしては綺麗だよね」
「実は、ついでに宝石を融合させてみたのよ。より強く、より鮮やかに、そして透き通るような美しさを求めて。結構うまくいったと思うわ」
「うわあ、ぜいたく」
「だって、この飾り紐は思い入れのあるものだし、どうせなら徹底的に手を入れたかったのよ。お金に糸目はつけられないわ」
そう答えて、にこにこと微笑みながら待っているミモザの首に飾り紐を巻いてやる。
「はい、できたわ。……ふふ、よく似合ってる」
「そう? どんな感じかな?」
ミモザはいそいそと手鏡を持ち、自分の姿を眺めていた。それから、深々と安堵のため息をつく。
「うん、やっぱりこれがないと落ち着かないや。僕の大切な宝物だからね。ああ、嬉しいな……」
「強化の仕方も覚えたし、編み方も復習したから、これからもずっと修理してあげられるわ。いくら切れても大丈夫よ。鉄鉱石や宝石を混ぜ込んだから、火にも強くなったかも」
「頼もしいね。でも、もう壊さないように気をつけるよ」
そう答えて、ミモザは不意に遠い目をする。
「この飾り紐をもらった時、僕はまだ子供だった。ついこないだのことのように思えるのに、もう百年くらい経っちゃったんだね」
その声は妙に暗い。どうしたのだろうと首をかしげていると、ミモザはこちらを見ないまま言葉を続けた。
「……僕たち竜の寿命は、数百年から、時として千年を超えることもある。僕の先代の竜は、確か八百年くらいだったかな」
とぼとぼとミモザが近づいてきて、私をぎゅっと抱きしめた。それも、力いっぱい。
「僕があとどれだけ、竜の秘薬を生み出せるか分からない。あとどれだけ、あなたといられるのか分からない」
きつく抱きしめられているせいで顔は見えなかったけれど、どうやらミモザは涙ぐんでいるようだった。声が揺れて、かすれている。
「この一年は、あっという間に過ぎちゃった。そもそもこの百年も、やっぱりあっという間だった。あなたと過ごすのが、ただひたすらに楽しくて」
「そうね、私も楽しかったわ」
「でもそんな楽しい時間は、もう八分の一くらい過ぎてしまったんだなあって。そう思ったら、悲しくなっちゃった」
私たちは人とは違う長い長い時を生きている。けれど私たちの生も、永遠のものではないのだ。ミモザはそのことを、急に自覚してしまったらしい。
ミモザの背に手を回し、優しく抱きしめ返す。
「でも、まだ八分の七も残っているじゃない。それにもしかしたら、もっと長いかもしれないわよ?」
「そう……かな?」
「ええ、そうよ。だいたいあなた、無理やり大人になってのけたでしょう? 私を救う、ただそのためだけに」
彼と出会った最初の冬、私は病で命を落としかけた。まだ生後数か月で、姿を変えることも竜の秘薬を生み出すこともできなかった子供のミモザは、私を救いたい一心で大人になり、竜の秘薬を生み出してみせたのだ。
そのことを思い出したのだろう、ミモザは少し照れくさそうな声で答えた。
「うん。あの時は必死だったからね」
「だったら必死になれば、うんと長生きすることもできるんじゃないかしら。竜って、色々と常識の通用しない生き物みたいだし」
「うわあ、ひどいなあ。まさか奥さんに非常識扱いされるなんて、思いもしなかった」
ミモザはさっきまでの涙声が嘘のように、くすくすと笑っている。
「だいたい非常識だっていうなら、あなたも相当なものだよ? 僕なんかのために、人間やめちゃって」
「ほかでもないあなたのためだもの。私は、自分の心に正直に生きているだけ」
「そっか。……ありがとう。あなたのためにも、頑張って長生きしないとね。こうなったら、竜の最長老にでもなってやろうかな」
「そうそう、その意気よ」
「考えてみたら、暗くなるなんてらしくなかったね。僕たち、国を守る白き竜の神様と、霊験あらたかな辺境の魔女なんだから」
「ちょっと、やめてよミモザ。背中がむずむずするから」
二人声をそろえて、軽やかに笑う。もう一度椅子に腰を下ろして、これからのことを話し合った。
まずは辺境の小屋に戻って、ミモザの誕生日を祝う。それからしばらく、あちこちを飛び回ろう。今まで以上に自由に旅ができるだろうし、まだ行ったことのない場所に旅してみよう。そんな楽しい話題が、次々と飛び出てくる。
結婚式のせいで、私たちもやっぱり浮かれていたらしい。話は尽きることなく、遅くまで続いた。窓の外の森はとても静かで、こうしているとまるで辺境の小屋にいるようだった。
目の前には、ミモザが座っている。机にしどけなく頬杖をついて、綺麗な白い髪を窓からの夜風になびかせている。その首元には、真新しい飾り紐。
「……思えば、縁って不思議なものね」
そうつぶやくと、ミモザはほんのちょっぴり首をかしげた。無言のまま、話の続きをうながしてくる。
「ヴィートとの因縁にけりをつけようとした時に、たまたま子供のロベルトに会った。そうして、成長したロベルトはヴィットーリオを連れて私たちのところに逃げ込んできた」
その時のことを思い出したのか、ミモザが苦笑した。
「色々あって、ヴィットーリオが王宮に戻るのを手伝うことにした。その中で、カルロそっくりのファビオに出くわした」
「あの時は眠っていて、ごめんね」
「あなたは悪くないわ。悪い連中はだいたいぶちのめせたから、もういいの」
軽く頭を下げたミモザに手を振って、また話の続きに戻る。
「何だかんだで王都に留まって、あの魔術師たちの騒動のせいで飾り紐が切れて、そうしてバルバラと知り合って……」
バルバラの名前が出たとたん、ミモザは口を堅く引き結んで肩を震わせた。明らかに、笑いをこらえている。
「タトウ編みを調べるって口実がなかったら、きっと私はいつまでも生まれ育った屋敷に戻れなかったと思うわ。エルマと出会うこともなかった」
私たちは自由だ。好きな時に好きなところに行ける。でもだからこそ、あの屋敷には戻らずにいた。お父様もお母様ももういないということを、突きつけられたくなくて。
「カルロとの苦い思い出にけりをつけようなんてことを思いついたのも、たぶんあの屋敷に戻れたことが関係していると思うのよ。そうして私は、とうとうあの崖にたどり着いた。そしてやっと、解放された」
こうやって言葉にしてみると、思っていた以上に不思議なめぐりあわせばかりだ。ほんの少しどこかで何かが違っていたら、こんな風に全てが解決することもなかっただろう。
じっと話に耳を傾けていたミモザが、ふふと笑って肩をすくめた。
「……そう考えると、人と関わっていくのも、そう悪いことじゃないのかなって思えるね。後に残る寂しささえなければ、もっと素敵なんだけどなあ」
「でもその寂しさも、きっと大切な思い出になっていくのよ。……みんないなくなっても、私たちはずっと一緒にいる。いくらでも、思い出話ができるわ」
「そうだね。……残った時間のこととか、置いていかれる寂しさとか、悩んでいるのがもったいなくなってきたよ。終わりがいつ来るかは分からないけど、僕たちはずっと一緒だもの。それまでも、それからも」
ミモザが机越しに手を伸ばしてきた。私も手を伸ばして、彼の手に触れる。指をからめて、しっかりと握り合わせる。
私たちはそのまま、何も言わずに見つめ合った。彼がまだ小さな竜だった頃からずっと同じ、とても深く澄み渡った金色。
この金色は、これからずっと変わることなく、私のそばにある。これからも私たちは、ずっと一緒に歩いていくのだ。
そのことがただひたすらに嬉しくて、にっこりと笑った。すぐに、向かいのミモザもふんわりと笑う。
夜風は少し冷たかったけれど、つないだ手はとても温かった。




