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115.到着、南西の街

 もう少し旅を続け、私たちはようやく目的地に到着した。かつてファビオの先祖が爵位を得る前からずっと、豪商として暮らしていた南西の街だ。


「ファビオから聞いてはいたけれど、確かに大きな街ね」


 古いながらもよく整備された広い道を、たくさんの人たちが行きかっている。すれ違う馬車にはたくさんの荷物が積まれ、あっちこっちから物売りたちの威勢の良い呼び声が聞こえてくる。風に乗って、どこか懐かしさを感じさせるスパイスの香りがした。


 最近よくふらふらしている王都や、昔からしょっちゅう遊びにいっていた東の街と比べても決して劣っていない。気温が高いからか、通りの熱気はむせかえるようだった。


 ミモザは目を輝かせて、そんな街並みを見ていた。手綱を握る手に力がこもっている。


「うわあ……久しぶりに、遊び甲斐のありそうな場所に出たね」


「そうね。さっさと調べ物を終わらせて、それからゆっくり遊んでいきましょうか」


「賛成! じゃあ、まずは宿を決めようか。あの辺りが宿場街みたいだけど、どこにしようね? 雰囲気は悪くないんだけど」


 私たちは昔からずっと、あちこちに遊びにいった。そして色んな宿屋に泊まってきた。そんなこともあって、宿屋の選び方についてもそれなりにこだわりがあった。


 まず、治安がいいこと。なにぶん私はか弱い乙女にしか見えないし、ミモザも女性に間違われるほど美しい。


 そんな二人で旅をしていると、どうしても変なのに目をつけられやすいのだ。残念ながら。


 もっともそうなったら適当に逃げることにしているし、たちの悪いのに絡まれた時は遠慮なくぶちのめすことにしている。それでもやはり、余計なもめごとに巻き込まれないに越したことはない。


 そして、ご飯がおいしいこと。これは絶対に外せない。特に、その地域の特産品が食べられるところがいい。


 食べ慣れないものでお腹を壊したところで、私は薬を調合できる。食わず嫌いという言葉は、私たちの頭には一応存在していなかった。……ただ、虫だけは食べたくない。あれは例外。


 一方で宿の豪華さには、さほど興味がなかった。さすがにぼろぼろの宿だとゆっくり休みづらいけれど、高級すぎるとそれはそれで肩がこってしまうので、普通よりちょっと上くらいの宿が一番気楽だ。


「そうね……宿の格でいうなら、この辺りがよさそうだけれど……」


 宿場街の途中で馬車を止め、耳を澄ませる。道の両側にはずらりと宿が並び、呼び込みたちが景気よく声を張り上げていた。


「騒がしすぎて、何を言っているのか聞き取れないわ……」


「大丈夫、僕に任せて。これくらいなら聞き分けられるから」


 そう言って、ミモザが目を細める。彼はとにかく耳がいいから、このごちゃごちゃの呼び声をそれぞれ聞き取ることもできるのだろう。


 やがて彼は、すっと斜め前のほうを見た。


「あっちの方で、『南の海で今朝とれたばかりの魚の塩焼きだよ』って言ってるのが聞こえたよ。どうかな?」


「この街の名産は海産物だっていう話だし、やっぱり肉よりは魚の気分よね」


「うん。……あっ、まだ何か言ってる……どうやらあの宿、新鮮な魚の料理を売りにしてるみたいだね。素材の味わいを生かした料理ですよ、だって」


「あら、素敵じゃない。じゃあそこにしましょう」


「そう言うと思ったよ。僕も大賛成だけど」


 ミモザはにこりと笑うと、馬車を一つの建物の前に停める。小ぶりながらも落ち着いた雰囲気の建物の前では、呼び込みの男性が満面の笑みで私たちを出迎えてくれた。




「今回の旅って、ついてるね。次々素敵なものに出会えて」


 その晩、宿の客室でミモザが満足そうにお腹をさすっていた。私たちが選んだこの宿は、大当たりと言っても良いものだったのだ。


 食事はおいしかったし、客室もこざっぱりしている。装飾は少なめでちょっと地味ではあるけれど、どこもかしこもきっちりと掃除が行き届いている。


 しかも驚いたことに、宿の裏手には大きな湯屋があった。なんでも近くにわいている温泉をここまで引いているのだそうだ。


 辺境で暮らしていた時は風呂桶に水をためて、火の魔法でわかしていた。王宮には大きな風呂場があったので、ちょくちょくお邪魔してはいた。


 でも、天然の温泉というのは久しぶりだった。芯からじんわりとあったまって幸せな気分だ。魔法でわかしたお風呂とは何かが違う気がする。


「ええ。旅に出ることにしてよかったわ、これもあなたのおかげね、ありがとう。ところで……前に温泉に入ったのって、いつのことだったかしら?」


「うーん、辺境から西の方に遊びにいった時に入った覚えがあるけれど……少なくとも、十年以上前かな。三十年よりは最近だと思う」


「やっぱりそれくらいにはなっちゃうのね。はあ、こんなに素敵なものが近くにないなんて、残念だわ」


「……あれ、そういえば」


 ミモザがふと何かを思い出したような顔になり、目を細める。


「辺境のかなり奥の方に、なんかそれっぽいものがあったような……?」


「えっ、そうなの?」


「前の竜の記憶だから、ちょっとあいまいだけど……今度思い出しながら、探しにいってみようか」


「もちろんよ!」


「ふふっ、あなたは温泉、好きだよね」


「そういうあなたも好きでしょう?」


「不思議な匂いがするけど、体がぽかぽかして気持ちいいよね、あれ」


 そんなことを話していると、開けっ放しの窓から夜風が吹き込んできた。


 この辺りは辺境よりもずっと暑く、王都と比べてもやっぱり暑い。そんなこともあって、夜風もどことなくぬるいものだった。その微妙な感触に、お喋りがぴたりと止んでしまう。


「……今、辺境のひんやりした風が恋しいなあって思ったよ」


「そうよね。あそこは少なくとも、夜だけは涼しかったから」


「その分冬は寒いけどね」


「それを思えば、王都って過ごしやすい場所よね。……ああ、でも」


 ふと言葉を切って、窓の外に目をやる。気のせいか夜空の星々の光さえも、ちょっとぬるくぼやけているように見えた。


「前世で暮らしていた村も、ちょうどこんな感じの風が吹いていたような気がするの」


「……そっか」


 ミモザも口を閉ざして、同じように窓の外を見た。


 明日、私たちはファビオの先祖が暮らしていた屋敷を訪ねる。そこであの男、前世で私を捨てたカルロの名が見つかるかもしれない。でも、見つからないかもしれない。


 見つからなければ、このままこの街を観光して、またのんびりと王都に戻るつもりだった。


 そうしてしばらくすれば、私はまた彼の名を心の奥底に沈めて、何事もなかったように過ごすだろう。かすかに残った心の傷跡を、見なかったことにしながら。


 でももし、見つかってしまったら。あの名前を、彼が確かに存在していたという記録を目にしてしまったら。


 そうしたら、はっきりと思い出してしまいそうな気がする。非力で純粋だった、ただの村娘でしかなかった頃の、あのどうしようもない絶望を。


 見つからない可能性の方が高い。それが分かっていても、私は心配せずにはいられなかった。ため息まじりに、ぼんやりとつぶやく。


「なんだか、ね……手がかりが見つかってしまうような、そんな気がするのよ」


「そうなったらその時のことだよ。大丈夫、僕がついてるから」


 部屋に置かれたランプのほのかな光に照らされて、ミモザの目が蜂蜜色に輝く。甘くて優しいとろりとした金色の目を細めると、ミモザは私をぎゅっと抱きしめてきた。


「不安なら、今日は同じ寝台で寝る?」


「暑くない?」


「ちょっと暑いけど、それよりもあなたが一人で不安を抱えている方が嫌だから」


「……じゃあ、お言葉に甘えてしまおうかしら」


「あっ、だったら寝台を動かして、二つをくっつけてしまおうか」


 言うが早いか、ミモザは音を立てないよう気をつけながら、寝台をそろそろと動かし始めた。それも、二つとも。しかも、窓のすぐそばに。


「ここに寝台を置いたら、寝たまま空が見えるよ。二人並んで空を見ながら眠れば、きっと気持ちよく眠れると思うんだ」


 二人で寝台に横たわり、手をつなぎながら夜空を見上げる。ゆっくりと目を閉じて、つないだミモザの手を感じる。


 あんなに小さかった彼の手は、今では私の手をすっぽりと包めるくらいに大きくなっている。見た目よりもがっしりした、大人の男性の手だ。


 その感触に、彼と過ごしてきた長い長い時間を思わずにはいられなかった。今の私を作っている、長い長い時間を。


「……ありがとう、ミモザ。確かに、あなたがいるなら大丈夫ね」


 ミモザの手に、力がこもる。それを頼もしく思いながら、ゆっくりと深呼吸した。




 そうして次の日、私たちは馬車と荷物を宿に預けたまま、徒歩で街の奥に向かっていった。


 ファビオによれば、彼の一族はかつて塩の取引で財を成した。そしてその屋敷は、街の一番奥にそびえ立っているらしい。ひたすら奥に進めば、すぐに分かりますよと彼は言っていた。


 私たちが泊まっていた宿屋は、正門近くの宿場街にある。そこから街の中心に向かっていくと、商店がずらりと並んでいた。


「後で寄ろうね、ジュリエッタ」


「そうね。用事を片付けてから、思う存分買い物しましょう」


 面白そうなものがずらりと並ぶ通りを、そんなことをささやき合いながら足早に通り抜ける。


 まっすぐ、街の一番奥に。いつしか辺りは、静かな住宅街になっていた。奥に行くほど建物が豪華に、重厚になっていく。裕福な商人たちの家かな。この地の領主の屋敷も、この中にありそうな気がする。


 それはそうとして、ファビオのご先祖の屋敷というのはどれだろう。街の一番奥にあって、一目で分かる屋敷。どんなのだろう。


 きょろきょろしながら歩いていた私たちは、じきに足を止めることになった。二人並んで、その建物を見上げる。


「……あれね。なるほど、すぐに分かるわ」


「でもあれって、屋敷っていうより……」


「城ね」


 私たちの視線の先には、やけに豪華な、嫌というほど装飾のついた城のような建物がそびえ立っていた。

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