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113.二人きりの思い出話

「おはよう、ジュリエッタ」


「ん……森の中……?」


 目を開けたら、ミモザの顔があった。その向こうには、緑の葉をたっぷり付けた木々。どうしてこんなところで寝ているのだったか。


「ふふ、寝ぼけてる。これから、川を直しにいくんでしょう? 朝ご飯できてるから、そろそろ起きようよ」


「ああ、そういえばそうだったわね……夏の森で野宿も、いいものね……」


「だよね」


 そんな会話を交わして、朝食にする。馬車から持ち出した干し肉と、その辺りでつんできたらしい柔らかい葉のスープ、甘い木の実添え。


 私が眠りこけていた間に、ミモザはてきぱきと働いてくれていたらしい。こんど、お返しに何か彼の好物を作ってあげようかな。いいや、それよりもあの飾り紐を、少しでも早く、少しでも美しく仕上げるほうがいい。



「おいしいわ、ミモザ。なんだか力がわいてくるみたい」


 だからひとまず、感謝の気持ちだけを伝えた。私が考えていることを全部理解しているかのように、穏やかに微笑んでいた。




 朝食を済ませて、また小舟に乗り込む。川イルカは一足先に小舟のところに戻っていて、私たちの顔を見ると元気良く鳴いた。


 昨夜のうちに、私たちは打ち合わせを終えていた。まずは二つある三日月形の湖の両端、計四か所を、もう一度川につなぎ直す。


 それが済んだら、まっすぐな流れのほうに水が流れ込まないように、土をたっぷりと盛り上げてせき止める。こうすれば、川の流れも元通りのぐねぐねと大きく曲がったものに戻るだろう。


 作業するのは、ここよりもう少し上流だ。ここからなら、もう歩いていけるくらいには近い。


 それに大掛かりな土木工事に川イルカが巻き込まれでもしたら大変だから、川イルカには、ここでお留守番してもらわないと。


「私たちはこれからお仕事だから、あなたはこの辺で待っていてちょうだい。できるだけ、水の温かいところでね」


 そう川イルカに呼びかけながら、船べりを手で三回叩く。これが『待て』の合図らしい。川イルカは一声鳴いて、その場でのんびりと浮いていた。


「ふふ、いい子ね。それじゃあ行ってくるわ」


 川イルカに手を振って、二人で森の奥に向かって歩き出す。行く手のやぶを魔法で切り払い、道を作りながらまっすぐに進む。


 この辺りならこっそり道を作ってもそう目立たないだろうし、たぶんそのうち周囲の木々に埋もれて消える。だから遠慮なく、道を作りまくった。


 そうやってどんどん突き進んでいると、ふとミモザが何かを思い出したようにつぶやいた。


「……前から思ってたんだけど、あなたって言葉が通じない相手にも普通に話しかけるよね。小さい頃の僕とか、川イルカとか」


「意外と、動物たちってこっちの言うことを理解してる気がするのよ。それでつい、ね。もっともあなたについては、動物というよりも子供を相手にしているような感じだったけれど」


「まあ、僕はあなたの言葉は全部理解してたし、その感じで合ってたよ」


「そういえば、ミモザはどうして人間の言葉が分かったの? やっぱり、先代の竜から引き継いだの?」


「うん。先代の竜はあの辺境の森で一生を終えたけど、暇つぶしに村の近くまで出てきてたんだ。村の外から人の話し声を聞いて、覚えたみたい。先代の竜は白い狼の姿になれたから、雪にまぎれてこっそり動いてたんだ」


 伴侶の狼を連れた白い立派な狼が、村の近くの森の中で耳をそばだてて暇をつぶしている姿を想像したら、なんだかおかしくなってしまった。


「先代の竜って、考えてみたらあなたの親みたいなものなのよね。最期に一度だけ会ったけど……今にして思えば、とても優しい目をしていたわ」


 あれは、あの辺境に追放されて、ようやくそこでの暮らしにも慣れてきた頃のことだった。


 森の探検に出て、うっかり崖から足を滑らせて、竜の翼の上に落っこちて。あの時私を見ていたものすごく大きな金色の目は、確かに笑っていた。竜のミモザを見慣れた今なら分かる。


「……あの時先代の竜は、たぶんあなたが僕の伴侶になるんだろうなって、そんな予感がしてたみたい。こんなところまで恐れもせずにやってくる度胸のある女性なら、安心して僕をたくせるって、そう考えてた」


「そうだったの。お眼鏡にかなって嬉しいわ。それに、こうやってあなたと生涯を共にできることも」


「僕もだよ。生まれて初めて見たのが、あなたで良かった」


 ちょっとしんみりした気分で見つめ合ったその時、不意に視界が開けた。


 三日月の湖と、まっすぐな流れ。その間に横たわる、真新しい土砂の帯の上に出たのだ。周囲は下草の生えたしっかりした地面なのに、ここだけむき出しの土砂が乱雑に積み上がっている。ちょっと踏むと崩れてきて、歩きにくい。


「まずは、この足元にある土砂を全てどかしましょうか。湖を、流れにつなぎ直すの」


「そうだね。それにしても、またすごいことになってるね。これならもう、さっさと竜の姿で作業したほうがいいかな」


 言うが早いか、ミモザはするりと姿を変えた。脱げた服をまとめてカバンにしまって、こちらに差し出してくる。


『たぶん僕は全身泥まみれになっちゃうから、これはあなたが預かってて』


「ええ。それで、どう動きましょうか」


『ここの土砂を取り除くのは僕に任せて。湖に飛び込んで土砂を体でおしのければ手っ取り早いし。それにちょっと水の量が多くて危ないから、あなたは中に入らないほうがいい』


「じゃあ、私は辺りの川岸を高くして補強しておくわ。ちょっとやそっとのこと大水では崩れないように、加工の魔法でがっちりとね」


 手短に話し合って、私たちはすぐに作業にとりかかっていった。


 春先に、魔術師たちの指示に従って川の氾濫を食い止めた。その経験のおかげで、何をすればいいか、どう動けばいいのかは身についていた。あの時はくたくたになったけれど、こうしてみるといい経験ができたとも言える。人生、何が役に立つか分からない。


 竜のミモザは驚くほどたくさんの土砂をやすやすと動かし、私はそれに巻き込まれないように気をつけながら、どんどん川岸を固めていく。高く、固く、頑丈に。時々飛行の魔法を使って移動しながら。


 黙々と作業しているうちに、二つの湖と流れとをつなぐ作業は終わっていた。思ったよりもずっと早かった。


「あとは、このまっすぐで急な流れを埋めるなりなんなりしてしまえば、それで解決なのだけれど……」


『最初に流れの上流側を塞いで水がこないようにすれば、あとは簡単なんだけどね。さて、どうしようか……あ、そうだ』


 竜の姿のまま考え込んでいたミモザの姿が、すっと消えた。優しい風が、ふわりと私の髪をなびかせていく。


「ミモザ? 地上で作業するだけならともかく、こんなところで飛んだら、船着き場の人たちに見つかってしまうわよ」


 この風、この音。彼はどうやら舞い上がったようなのだけれど、どこにも姿が見当たらない。首をかしげていると、頭上からおかしそうな声が聞こえてきた。


『僕はここだよ。あなたの真上。あなたに見えていないのなら、成功かな』


「あら、透明化の魔法ね」


『うん。でも、長時間は難しそう。しっかり集中してないと駄目みたいだ』


「……その、まあ、気をつけて。これ以上あがめられたくないでしょう」


 もし飛んでいる最中に魔法が切れたら、それこそ奇跡のような光景になってしまうだろう。何もない空に、突然白い竜が姿を現すのだから。今までで一番、神様っぽいふるまいだ。


 うっかりそんな状況を想像してしまって複雑な気持ちになり、思わず眉をひそめる。ミモザの苦笑するような声が返ってきた。


『うわあ、それは嫌だな。よし、じゃあ大急ぎで片付けるよ。あなたはそこで待っていて。あ、でも危ないかもしれないから、もう数歩下がっててね』


 言われるがまま、川から少し離れたところで待つ。やがて、上流のほうで盛大な水しぶきが起こった。少し間をおいて、また同じ辺りでばっしゃあん、という音がする。


 どうやらミモザは、近くの岩場から岩をひっつかんでばんばん川に投げ込んでいるらしい。豪快だ。


 次から次へと、水しぶきがはね上がり続けている。離れて様子を見ていると、じきに川の中に土手のようなものができあがってしまった。


 まっすぐな新しい流れがせき止められて、三日月湖のほうに川の水が押し寄せている。そして私の目の前には、さっきまで川だった深い溝。


「もう駄目、疲れた!」


 突然、背後からそんな声がした。振り向くと、人の姿のミモザがぺたぺたと裸足で近づいてきている。


「力仕事自体は慣れてるけど、透明化の魔法を使いながらだとものすごく疲れるね」


 カバンを私から受け取り、手早く服を身に着けながらミモザがぼやく。


「そんなに疲れるの? 私は透明化の魔法は学んでないから、よく分からないわ」


「なんていうのかな、息を止めながら全力疾走してる感じ。僕が透明化の魔法に不慣れなせいだけど」


 ミモザは肩をすくめている。確かにその顔には、珍しく疲労の色が濃い。


「……それは、確かに大変ね……お疲れ様、ありがとう。おかげで、いい感じに余計な流れをせき止められたわ」


 彼に笑いかけて、それから川をせき止めている土手を眺める。人間の手ではとうてい動かせそうにない大岩がいくつも積み重なっていて、その隙間からはちょろちょろと水が流れ出ている。


「この土手、もう少し補強しておいたほうが良さそうね。ちょっと行ってくるわ」


「あっ、待って! 僕も手伝う!」


 目の前の溝を降りて、土手に近づいていく。後ろから、焦ったようなミモザの声が追いかけてきた。


「私一人でできるから、休んでいていいわよ。さっきの透明化で、疲れてるでしょう」


「そうはいかないよ。もしあの岩が崩れてきたら大変だよ。僕、結構適当に積み上げたし」


 するりと手が伸びてきて、私の手をしっかりと捕まえてきた。


「だから、僕がそばについてる。そうすれば、いざという時にあなたを守ることができるからね。竜の姿に戻れば、あれくらいの岩は体で弾き飛ばせるもの」


 どことなく得意げに胸を張りながら、ミモザが主張する。


「……そう言えば、こないだもそうやってあなたに助けられたわね。あの時はもう駄目だと思ったわ。これは死んだな、なんて考えてたし」


 あれは、ヴィットーリオをさらった魔術師の罠にはまった時のことだ。あの時ミモザは、とっさに竜の姿に戻ることで私を守り抜いたのだ。


「死んだかも、なんて冷静に言うことじゃないよ。……本当に怖かったんだからね。あなたと会った、最初の冬だってそうだった」


「あの時、私を死の淵から呼び戻してくれたのもあなただったわね。なんだか、助けられてばっかり」


 懐かしさにくすりと笑うと、ミモザは小さく頬を膨らませた。


「僕としては、あなたの力になれることは嬉しい。でもそもそも、危険な目にあって欲しくないんだよ」


 そう言うと、ミモザはつかんだ手に力を込めた。


「この土手の補強だって、しばらく休んでから僕が一人でやったほうがいい。それはあなたも分かってるよね」


「ええ。でも。あなたばかりに働かせて自分だけ休んでいるのは、性に合わないの。私がこういう性格だってことも、分かってるでしょう」


「分かってる。だから僕は、あなたを守るんだ。……いつまでも」


 手をつないだまま、笑い合う。この旅に出てから、ミモザは本当に幸せそうだ。


「じゃあ、早いところ作業を終わらせてしまいましょう。二人、一緒に」


 ミモザは柔らかく微笑んだまま、ゆっくりとうなずいた。

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