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112.原因は根本から

「それじゃあ、行ってくるわね」


「荷物と馬車の預かり、よろしくね」


 船着き場の男性たちに馬車を預けたまま、私とミモザは二人きりで小舟に乗っていた。その船を引くのは、最初に出会った川イルカだ。


 この子はもうすっかり回復しているから、仕事をさせても大丈夫だ。男性たちがそう言ってくれたので、遠慮なくお世話になることにしたのだ。


 私たちは今、川の上流に向かっている。川岸を歩いていくより、こうやって舟に乗るほうが早い。……ミモザに運んでもらえば一瞬だけれど、さすがにここで竜の姿に戻る訳にはいかない。


 春の長雨で流れが変わり、川の水が冷たくなった。その結果、川イルカが体調を崩した。そのことを聞いた私たちは、ついおせっかいを焼きたくなってしまったのだ。


 どのみち、時間ならある。今船着き場にいる川イルカたちが回復して川舟をひけるようになるまではただ待つしかないし。空き時間を有効活用するのも悪くない。


「結局、川の流れを元に戻せばいいだけよね。前にやったのと同じ要領で、加工の魔法を使って」


「僕は竜の姿で作業してみようかなって思うんだ。ここの上流には誰も住んでいないし、それに狩人なんかもめったに通らないって言ってたから、ちょうどいいよね」


「なんならついでに、竜の姿で透明化の魔法を使う練習をすればいいんじゃないかしら」


「そうだね。幸い、ここにはまだ白い竜の噂がほとんど届いていないみたいだから、失敗しても大ごとにはならなさそうだし」


 そんなことを話している間にも、私たちを乗せた小舟は面白いほどの速度で川をさかのぼっていく。


 川は幅が広く、緩やかに曲がっていて、流れは穏やかだ。だからなのか、川イルカは気持ちよさそうにぐいぐいと泳いで小舟を引っ張っていた。


 流れに逆らっているのにこの速度ということは、下りはもっと速くなるのかな。すごく楽しそう。


 ちらりと振り返ったけれど、背後にあるはずの船着き場はもう見えなくなっていた。


「まだ病み上がりなんだから、あまり無茶しちゃ駄目よ?」


 ふと心配になって、川イルカにそう声をかける。川イルカはまったく速度を緩めることなく、きゅい、と鳴いて答えてきた。やっぱりこちらの言葉を理解しているとしか思えない。


 なんだろう、この感じ。なんだかとっても懐かしい。ああそうだ、小さい頃のミモザだ。まだ人間の姿になる前の、喋らなかった頃の彼。


「……ねえミモザ、あなたがちっちゃかった頃のことを思い出したわ。言葉は喋れないのに、こちらが言ったことを理解しているような、そんな感じが似ているのよね」


「僕はもっと可愛らしかったよ。あなただって、思わずほだされちゃってたでしょう? つい家に入れちゃったしね。ああやってお願いすれば、きっと入れてもらえると思ってたんだけどね」


「やっぱりあなた、自分が可愛いって自覚してたのね。百年越しに明らかになった、驚きの事実だわ」


 そうやって笑い合っている間も、辺りの雰囲気はどんどん変わり続けていた。というか、ちょっと普通じゃない感じになってきた。


 川の両岸にはやけに真新しい、柔らかな土砂が積もっている。さらに上流に向かうと、川岸に崩れたような跡がちらほらと見られるようになってきた。


「ちょっと川岸に止まってもらえる?」


 そう言いながら、川イルカと小舟をつなぐ革紐を軽く引っ張る。くいと一回引っ張るのが『止まれ』の合図なのだと教わった。


 川イルカはきゅい、と鳴いて、そのままするすると川岸に向かっていく。うっかり川に落ちないように気をつけながら、川辺に降りてみた。


 既に、日は傾き始めている。今日はそろそろ休む準備をしたほうがいいだろう。小舟に積んできた毛布と食料を引き上げて、川岸から少し離れたところまで運ぶ。


 小舟は川辺の木につないで、川イルカと船をつなぐ革紐はいったん外してやる。川イルカはきゅいきゅい、と鳴いて、川の中央に向かって泳いでいった。


 こうして自由にしておけば、川イルカは適当に魚を食べてひと眠りしてくるらしい。明日の朝になればまた小舟のところに戻ってくるのだと、船着き場の男たちはそう言っていた。本当によくしつけられている。


「今のうちに軽く周囲の状況を調べておこうと思うの。飛行の魔法を使うから、一応下で構えていてもらえるかしら」


 そう呼びかけると、荷物を整理していたミモザがすぐにそばへやってきた。彼に目で合図して、大きく深呼吸した。意識を集中して、魔力を体の中でめぐらせる。


 ふわりと、足が浮いた。私はまっすぐに立ったまま、ゆっくりゆっくり上昇していく。ミモザが飛ぶ時とは比べ物にならないくらいに遅く、不安定な動きだ。


 魔術師見習いたちに混ざって、私はずっと飛行の魔法を練習していた。集中していれば、上下に移動するくらいはまあ問題ないかなという辺りまではどうにか上達できたので、練習がてら周囲を上から見てみようと思ったのだ。


 万が一失敗した時に備えて、ミモザが下で待機してくれている。うっかり落っこちても、彼が受け止めてくれる。だから下は気にせずに、ひたすらに魔法だけに集中できた。


 時々よろめきながらも、さらにじりじりと舞い上がっていく。やがて、周囲の木々の梢よりも上、何もない宙でぴたりと止まった。


 ミモザに乗って何十年も飛んでいるから、高いところにいること自体は怖くなかった。正確には、怖くなくなっていた、かな。


 前世の私は崖から落ちて死んだから、しばらくの間高いところは駄目だった。初めてミモザに抱えらえて飛んだ時は、生きた心地がしなかった。


 でもさすがにこれだけ飛んでいると、高さにも慣れてしまった。ただ、体がどこにも触れていないのがどうにも落ち着かない。


 そんなことを考えた拍子に、体勢が大きく揺らいだ。視界がぐるんと動いて、一面の水面が見えた。沈みかけた太陽に照らされて、綺麗なオレンジ色に染まっている。


 気がつけば、そのまま落ちていた。木の梢が袖口に引っかかって、ぱきりと折れる。


 必死に魔法に集中して、空中で踏みとどまった。そうして、もう一度元の高さまでゆっくりと昇っていく。


「……ふう、危なかったわ」


「大丈夫、ジュリエッタ!?」


 下のほうから、ミモザの焦った声が聞こえてくる。


「ええ、大丈夫。もう立て直せたから。それじゃあ、周囲を確認するわね」


 まだちょっとどきどきしている胸を押さえて、呼吸を整える。それから改めて、周囲を眺めてみた。


 私たちがさかのぼってきた川のもう少し上流に、明らかに妙なものがあった。


 三日月のような形をした妙に細長い湖が二つ、やけにまっすぐで真新しい流れを挟むようにして横たわっているのだ。あ、見つけた。あそこをどうにかすればいい。


 その位置と形をしっかりと頭に焼きつけて、またそろそろと降りていく。


 地面に足がついたところで、思いっきり息を吐いた。やっぱり、何もない宙に一人で浮いているのは落ち着かない。


「おかえりなさい、無事でよかった……びっくりしすぎて、うっかりそのまま竜に戻っちゃいそうになったよ」


 次の瞬間、ほっとした顔のミモザが抱きついてきた。ちょっぴり泣きそうだ。


「心配させてごめんなさい。でもおかげで、落ちてからの立て直し方が分かったわ」


「もう、妙なところで前向きなんだから……」


 彼は苦笑したような声でそう言って、ぐりぐりと頬をすり寄せている。そんな彼の背中をぽんぽんと軽く叩いて、明るい声で答えた。


「でも飛行の魔法は、割とうまくなったでしょう? まだ上下にゆっくりしか動けないし、飛ぶには程遠いけれど」


「うん、前に見た時よりはずっと。……それで、何か見えた?」


「ええ。とびっきりのものが。たぶんあれが原因よ」


 胸を張って、さっき湖を見かけた方角を指し示す。


「あっちとあっちに、細長い湖があったわ。そしてその間にはまっすぐな流れがあった。きっと大水が出たことで新しくまっすぐな流れが作られて、元々の川が取り残されて湖になったのだと思うの」


「じゃあ、その湖を川につないでやればいいんだね」


 元々この辺りの川は、流れが緩くぐねぐねと右へ左へ曲がっていた。上流から来た冷たい水は、そうやってゆっくりと流れている間に温まり、下流へと送られていたのだろう。


 しかしあの春の大雨で、ものすごい量の水が押し寄せた。勢いのある濁流は川岸を壊しながら突き進み、まっすぐな流れを作ってしまった。その時に元の川の一部が切り離されてしまって、さっき見た細長い湖になった。


 そうやって流れが変わったせいで、上流の冷たい水がすぐに下流に届くようになった。川イルカたちが体調を崩すようになったのは、そのせいだ。


 だからあそこの流れを元に戻してやれば、それで解決だ。思ったよりもずっと簡単に見つかった。さっさと行ってさっさと直してさっさと戻るつもりだったから、ちょうどいい。


「それじゃあ、今日はもう休みましょうか。二人きりの野宿って、久しぶりね」


「うん、ヴィットーリオたちと出会う前だから……うわっ、もう一年以上前だ」


「たったの一年でしょう」


「一年もあなたを独り占めできなかったんだよ? 一大事だ」


 そんなことを言いながら、ミモザがさらにぎゅっと抱き着いてきた。誰もいないのをいいことに、甘えているらしい。


「そろそろたき火をおこさないと。もう東の空が暗くなってきたわ」


「後でも大丈夫だよ。明かりも火も、魔法でつけられるんだし」


「お腹が空いたんだけど」


「もうちょっとだけ、こうしていたいな。その後で、僕が晩ご飯作ってあげるから」


「あら、そう? だったら、もうちょっと待つわ」


「ふふ、やったあ」


 子供のようにはしゃぎながら、ミモザは腕に力をこめた。見た目よりもがっしりとした体の感触に、思わず笑みがもれる。


 すっかりもう一人前の男性に育ち上がった彼には、今でもこんな無邪気なところがあった。


「……やっぱり、あなたと二人きりだと落ち着くね。こういう静かな時間が、僕は好きだな」


 今度はやけに色っぽい声で、ミモザが静かにささやきかけてくる。一瞬どきりとさせられてしまって、はっと息を呑む。


 少し考えて、今度はこちらから腕を伸ばす。そうして、力いっぱいぎゅっと抱きしめ返してやった。お返しだ。


 ミモザは全く抵抗しなかった。ぴったりとくっついたまま、くすくすと笑っている。


「あなたって、ほんと負けず嫌いだよね。僕にどきりとさせられたからって、やり返そうとするなんて」


「だからこそあの辺境でしぶとく生き延びて、あなたに出会うことができたのよ」


「言えてる」


 ゆっくりと辺りが暗くなっていき、やがてお互いの顔すら見えなくなっていく。それでも私たちは、寄り添ったままじっとしていた。


 夜の闇は、私たちにとって恐れるものではなかったから。それに、こんなひと時は、とても温かく、心満たされるものだったから。

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