110.ちょっと寄り道
結果から言うと、酔っ払いたちの誘いに乗ったのは大正解だった。予想通り彼らは地元の者で、旅の者にはまず見つけられないような穴場の店に連れていってくれたのだ。
狭い店内は既に人でいっぱいで、熱気にあふれていた。というか、限界までテーブルやら椅子やらを詰め込んであるせいで、とにかく通路が狭くて歩きにくい。給仕の人たちはすいすいと進んでいるけれど。
そして店の中には、にぎやかな話し声とおいしそうな料理の匂いが満ちている。酔っ払いたちは慣れた足取りでテーブルを一つ確保すると、あれこれと料理や酒を注文していった。
驚くほどすぐに、一皿目の料理がやってくる。新鮮な魚に香草をまぶして焼いた、ミモザの好物だ。
「わあい、いただきます! ……ジュリエッタが作ってくれるのとは、香草の使い方が違うね。面白いな。魚の種類も違うし……でも、おいしい」
ミモザは目を輝かせて、その料理を口にしている。そうこうしている間にも、次々と頼んだ品が運ばれてきた。そのうちの一つに口をつけて、目を見開く。
「あら、これとってもいいわね……どうにか真似できないかしら」
たぶんこれは魚を酢でしめて、オリーブオイルと岩塩と香辛料で味付けしたものだと思う。それを生野菜と和えて、砕いたナッツを散らしてある。
「このサラダ、とびきり新鮮な材料じゃないとおいしくできないよね。すごいなあ」
そうやって私たちが料理についての感想を口にするたびに、酔っ払いたちの笑みが深くなる。
「とびきり飯がうまい最高の店だって、そう言っただろう?」
「そうね、確かにとびきりだわ」
「でも、あんなところに店の入口があるなんて、普通は思わないよね」
「誰かの家にしか見えなかったわ」
この店の入口ときたら、どこかの家の勝手口と間違えそうなくらい小さく地味だったのだ。看板一つ出ていなかった。
「あれはな、わざと分かりにくくしてあるんだよ。客が押し寄せすぎたら面倒だってのが、店主の言い分だ」
「それに、うまい飯をうまいまま出せる人数には限りがあるとかで、店を広げる気はないんだとさ」
「だったら、私たちを連れてきてしまって良かったの?」
「既にこのお店、人でいっぱいだよね」
そう口を挟みつつ、地元の酒をこくりと飲む。酒精がとても強い、ちょっと辛口の酒だ。でも料理にはとても合うし、鼻に抜ける香りがさわやかでおいしい。つい飲みすぎてしまいそうになるいい酒だ。
「なあに、あんたらはあちこちに言いふらすような人間じゃねえだろう? こう見えて、人を見る目はあるんだぜ、俺」
「そうね。他人が内緒にしているものを、わざわざばらして回る趣味はないわね」
「僕も。でも、またこの街に来た時に、こっそり立ち寄るくらいは許してもらえるよね」
料理と酒をせっせと口に運びながら、ミモザと二人してそんなことを答える。
私たちの食べっぷりが気に入ったのか、男たちも豪快に飲み食いしながら、さらに色々な料理を勧めてくる。なんだかもう、すっかり宴会のようになっている。
「しっかし、こんなべっぴんが二人きりで旅をしてるだなんてなあ。物騒なのにからまれたらどうすんだ?」
「まあ、俺らも紙一重だよな。酔っ払いがからんでくるなんて、普通の嬢ちゃんならもっと怖がるぞ」
「だよなあ」
酔っ払いたちは真っ赤な顔で、そんなことを言い合っている。
「大丈夫。僕たち、結構強いから。二人とも自分の身くらいは守れるよ。あと、僕のことをべっぴんっていうのはやめて欲しいんだけど」
ミモザがぷっと頬をふくらませてそう答えると、男たちは何とも言えない顔で視線をそらした。
「だってなあ……」
「そんじょそこらの嬢ちゃんよりよっぽど綺麗だもんなあ……」
「実は女でした、って言われてもこれっぽっちも驚かねえぞ」
「ミモザ、あきらめたほうがいいわ。これが普通の反応だから」
「もう、あなたまでひどいなあ」
ミモザはふくれっ面で、大口を開けて小魚の素揚げをまるかじりした。女扱いされたのがよほど気に食わないらしい。
そんなミモザを楽しげに笑いながら眺めていた男たちが、ふと何かを思い出したように問いかけてきた。
「そういや、あんたら旅の途中なんだよな。どこまで行くんだ?」
「街道を西にひたすら進んで、その先にある南西の大きな街まで行くつもりよ」
それを聞くと、男たちは同時ににやりと笑った。どういうことかしらと首をかしげていたら、彼らは思いもかけない言葉を口にしたのだった。
「だったら、川船で行くと速いぜ」
「川船……? でも私たち、馬車で旅をしてるんだけど」
「確かに、この近くに大きな川があるけれど……あそこって、そんなに流れが速くないって聞いてるよ?」
私とミモザが、そう言って首をかしげる。それを見た男たちが、それはもう嬉しそうに笑った。
「川船は、この街の近くを流れる大河の名物なんだよ。川沿いに少し北に行くと、乗り場があるぜ」
「川イルカが船をひくんだ。可愛いし速いし、言うことなしだぜ。大きな船もあるから、馬車ごと運んでもらえるしな」
「ここから南西の町まで街道で行こうとすると、山をぐるっと回り込む必要があるからな。その点、川船ならまっすぐに街の近くまで行ける。近道なんだ」
「川船は、この辺りの輸送のかなめなんだがなあ……うーん、やっぱりよそでは知られてないか」
「便利なんだけどなあ。可愛いし」
「あんたら、王都のほうから来たんだろ? だったら川船に乗って、乗り心地を地元で宣伝してくれよ」
「そうすりゃ川船の客も増えて、この街もさらに潤うしな」
どうやら彼らは、その川船というものをたいそう誇りに思っているらしい。
「……ちょっと興味がわいてきたわね」
「行ってみる?」
「そうね、急ぎの旅じゃないし、見たことのないものを見られる機会は逃したくないわ」
ほろ酔いの私たちがそんなことを言い合っているのを見て、男たちはさらに楽しげに笑う。
「おう、ぜひともそうしてくれや。で、気に入ったら友達でも連れてまた来てくれよ。この店にも呼んでやればいいさ」
その言葉を聞いて、私とミモザは顔を見合わせる。
「友達、ね……」
「すごいことになっちゃうかもね」
私たちが川船の経験を語るとしたら、その相手はヴィットーリオやレオナルドをはじめとする王宮の面々だ。
好奇心の強いあの子たちは、きっと目を輝かせて私たちの体験談に聞き入るだろう。もしかすると、乗ってみたいと言い出すかもしれない。たぶん言い出すような気がする。兄弟そろって。
でも国の立て直しに忙しいこの時期、あの二人がお忍びで外出するのはちょっと難しい。ということは、視察ということにするんだろうな。そうすれば、堂々と乗りに来ることもできるから。
王と王兄が、わざわざ噂を聞きつけて川船に乗りにきた。その事実だけで、とんでもない宣伝になるのは間違いない。
そんなことを考えながら、隣のミモザをちらりと見る。彼は何も言わなかったけれど、たぶん私と同じようなことを考えているようだった。
そうして無言のまま、二人こっそりと笑い合う。向かいでは、飲み直して上機嫌の酔っぱらいたちが、心底楽しそうな顔をこちらに向けていた。
そうして、次の朝。
「ああ、頭痛い……」
「さすがにちょっと飲みすぎたよね、昨日は」
「そういうあなたはどうしてけろっとしているの……」
「竜だから、かな?」
あの後、酔っ払いたちと意気投合した私とミモザは、それはもう大いに飲みまくって食べまくった。
おいしい料理に一風変わった地酒、少々がらは悪いが気のいい地元民。これだけそろえば、つい羽目を外したくなってしまうのも仕方がないと思う。というか、外してしまった。
そんな訳で、私は今二日酔いと戦っている。手持ちの薬草で薬は調合したけれど、効くまでにはもう少しかかりそうだ。
仕方なく馬車の中に、他の荷物と一緒になって転がる。額に乗せた濡らした布が落ちないように押さえながら、御者席のミモザに愚痴を吐いていた。
私以上に飲み食いしていたというのに、彼は涼しい顔だ。そういえば、彼は昔から体の大きさの割にたくさん食べていた。
「考えてみたら、竜の姿はとっても大きいものね……もしかして、普段のご飯の量って足りてなかった?」
馬や牛は、その体の大きさを保つためにたくさん食べる。だったらそれらの動物より遥かに大きいミモザは、ものすごくたくさんの食事が必要になるのではないか。今さらながらに、そんなことを思った。
「ううん、足りてるよ。ただ、その気になればたくさん食べられる、ってだけで。……ねえ、もしかして僕のこと、馬とかと比べてない?」
「あら、ばれちゃった?」
「やっぱりね。もう、僕たち竜は普通の生き物とはまるで違うって、あなたも分かってるよね。同じ物差しで測っちゃ駄目だよ」
そう答えるミモザの声には、苦笑するような響きが混ざっていた。笑い返そうとして、ふと思い出す。
私と同じ人の姿をしていても、彼は竜なのだ。他の誰とも違う、たった一人だけの生き物。そのことに。普段はつい忘れがちだけれど。
「ねえミモザ、あなたは……他の竜に会ってみたいって、そう思ったことはないの?」
「ないよ」
即答だった。私の感傷的な気分をばっさりと切って捨てるような、明快な答えだった。
「だって僕には、あなたがいるし。自分がどんな生き物なのかってことは、先代の竜から受け継いだ記憶のおかげでだいたい分かるから」
軽やかに朗らかに、ミモザは告げる。
「僕はこのままで、十分すぎるくらいに幸せだよ。これからもよろしくね、ジュリエッタ」
「……ええ、もちろんよ」
身を起こして、ほろ馬車の前側に向かってゆっくりとはっていく。一段高くなっている御者席に座るミモザの隣に、頬杖をついた。
ミモザの手が伸びてきて、低いところにある私の頭を優しくなでる。私たちはそのまま、黙って行く手に伸びる街道を眺めていた。