第9話 間接キス
「勇者だと?」
衛兵の報告を受けた代官のゴルコークはその豊かな顎髭をもそもそと弄りながらそう聞き返した。
はて、なぜ勇者がこんな所に?ゴルコークは首をひねる。
「全く身に覚えがない……なんか依頼とかしたっけ?」
そう問いかけると衛兵が答えた。
「依頼側じゃなくて討伐される側ではないかと……規定以上の徴税をしていることとか、ハーレムのために人を半ば無理やり集めている件、ヤーベ教国との密輸の件かもしれませんし、麻薬の密造がバレたのかも……」
衛兵の言葉にゴルコークが再び考え込む。彼からすれば勇者がしゃしゃり出てくるほど悪いことか? という感覚である。この程度は代官の役得というものではないのか、と。悪事のし過ぎで感覚がマヒしてきているのだ。
「その口ぶりからすると勇者共はまだ何をしに来たかは言っておらんということか? なのに自分たちが勇者だってことは自供したのか? いまいち意味が分からんな……今はどこにいる?」
「は、問い詰めたらあっさり身分については自供しまして…その後からは何もしゃべらないのでとりあえず地下牢に入れてあります」
衛兵の言葉にゴルコークはまたもしばし考えると、とりあえず様子を見に行く、と案内させた。屋敷の地下に入っていくと、地下牢のうちの一つに男女が捕らえられていた。二人は何やら言い争いをしていたようだが、ゴルコーク達が来ると言い争いをやめて彼らの方に向き直った。
「あ、さっきの話の分かる衛兵じゃない!」
若干嬉しそうな表情でラーラマリアがそう言うと、ゴルコークが口を開いた。
「これはこれは勇者殿、このような田舎までよくぞご足労いただいた。光栄に思いますぞ。さて、一体何のご用向きかな? 勇者殿。きちんと要件を述べてもらえればそんなところに捕らえておく理由もなくなるが、何も話してもらえぬのならば、礼を尽くすことも出来申さぬ。この地を治めることを公爵様より仰せつかっている私に何ぞ用でも?」
ゴルコークが慇懃無礼なあいさつを終えると、すぐさまラーラマリアが怒りを見せながら怒鳴った。
「よくもまあしれっとそんなことが言えるわね! ネタは上がってんのよ!! おとなしくお縄に……いぎっ!」
言い終わる前にグリムナがラーラマリアの脇腹をつねった。
「なにすんだクソボケェ!!」
ラーラマリアが切れてグリムナの体を腕で打ち払うと、グリムナは吹っ飛んで牢屋の内壁にカエルのように叩きつけられた。
「ひぇ……」
ゴルコークもドン引きである。
「ネ……ネタはまだ……上がってない……」
グリムナが崩れ落ちながらそう呟く。
「ま、まあ……ネタが上がるのは時間の問題よ! 首を洗って待っていることね!!」
必死で取り繕うラーラマリアをしり目にゴルコークは地下牢を後にした。額からは脂汗を流している。
「噂通りの美しい女だったが…なんなんだあの腕力は…あんなんで殴られたらひとたまりもないぞ……」
背筋に寒いものを感じながら独り言をつぶやくゴルコークに衛兵が声をかけた。
「ゴルコーク様、あの勇者の口ぶりからするとどうやら仲間が他にいて、証拠を探し回っているのではないか、と感じましたが、調べさせていただいてもよろしいですか? 申し訳ないですがその間の衛兵のシフトは他の者に代わってもらうことになりますが……」
「そうだな……心当たりがあるなら少し調べてみてくれ。」
ゴルコークがそう答えると衛兵は屋敷の外に出て行った。
「さて……少し予想外の事態になったわね……」
ラーラマリアの言葉にグリムナは鼻梁の辺りを押さえて俯き、「胃薬が欲しい……」と呟いた。
大分予定が狂ってしまった。本当はしばらくレニオに内部を探ってもらって、証拠が挙がり次第シルミラからの連絡を待ってレニオを救出に屋敷に突入、ゴルコークを一気に追い詰めて一件落着、というつもりであった。ラーラマリアとシルミラの戦闘力があればゴルコークの私兵如き敵ではないとの考えである。
しかし、速攻でラーラマリアとグリムナが捕まってしまった。もはや自由に動けるのはシルミラのみである。さらに言うなら別行動をとってしまったため、シルミラはこの二人が捕まってしまったことすら知らない。もちろんレニオもこの事態を知らない。早くも『詰み』である。
「それにしてもこの手枷……魔封じの手枷ってやつ? 魔法が全然使えないわ」
そういいながらラーラマリアが自身の手首にはめられた枷に視線を落とす。手枷には魔法陣のようなものが彫ってある。人の理を超えるような力を一個人が持ちうるこの世界では、相手を拘束する時にはこのような拘束具が欠かせない。さらに牢自体も30ミリほどもある太い鉄棒が格子状に組んである。とても力尽くでどうにかなりそうな牢屋ではない。
「魔力を体内で練ることはできるけど、体の表面より外に出そうとすると魔力が散ってしまうわね。身体強化の魔法は使えるみたいだけど、この太い牢は力だけじゃどうにかなりそうにはないわ」
正直グリムナはラーラマリアに対して言いたいことがたくさんあったが、深呼吸をしてから落ち着いて口を開いた。
「と……とりあえず、少し落ち着いて考えようか……ここで焦っても仕方ないし……」
「そうね、とりあえず水でも飲んで落ち着きましょう」
ラーラマリアはそう言って牢屋の下の方にある飲食物の差し入れ口に置いてあったトレイの上の二つのカップのうちの一つを手に取り、入れてあった水を一口飲み、それをグリムナに手渡した。
何故か微妙に頬を染めてラーラマリアが見つめる中、グリムナはそれを手に取り、しばらく思案した後、そのカップを元のトレイの上に置いて、もう一つのカップを手に取って水を飲んだ。
「なぁんでじゃあ~!! 私のドキドキ感を返せ~!!」
突然大声で叫んだラーラマリアにグリムナはビクッと肩をすくませて驚いた。
「え……? なに? 片付けろって意味かと思ったんだけど……」
「違うだろ! なんでわざわざカップを手渡したのに新しい方を飲むんだよ!! 渡したカップの方飲めばいいじゃん!!」
ラーラマリアの意味の分からない切れ方に困惑しながらグリムナが恐る恐る口を開く。
「イヤ……でも俺、人が口付けたカップとか、ちょっと嫌なんだよね……間接キスみたいで……ていうかそういうのって女のラーラマリアの方が普通嫌がらない?」
牢屋の中にしばし沈黙が流れた。
「はぁ~? 何言ってるんですの~? かっ、間接キスとか……こっ、子供じゃないんだから~! い、意識しすぎなんじゃないんですかぁ~? あああ~やだやだ、お、男の子ってそんな事ばっかり考えてるのかしら~……」
赤い顔を扇ぎながら必死でラーラマリアが取り繕う。グリムナは「何を言ってるんだ」という表情をしながらも自分の手かせに視線を落とした。
「おおやだやだ、こんな野獣と一緒の牢屋にいたら明日の朝には牢屋の人口増えちゃうな~」
ぶつぶつと言いながらもグリムナが視線をそらしているのを確認してからラーラマリアが再びトレイに手を伸ばし、カップを手に取った。
ドクンドクンと心臓の鼓動が聞こえるような緊張感の中、グリムナがこちらを見ていないことを確認しつつ、彼が先ほど使っていたカップを掴み、それに口を着けようとするラーラマリア。
「フーッ、フーッ……」
「そっちは俺が使ったカップだよ」
ラーラマリアの荒い鼻息に気付いて、グリムナが振り返り、一言入れた。
「ああああ! あっぶない! そうだった!! 同じデザインだからな~! 同じデザインだから間違うところだったわ~、危うく妊娠するところだったわ!!」