第16話 初夜(挿し絵あり ヒッテ)
挿し絵はヒッテのイメージイラストです。
結局グリムナは宿のシングルルームを借りて、今日はそこで泊まることになった。宿の親父は「そんな小せえ女ならベッドも一つで十分、毛布もいらんでしょう? どうせやることやるんでしょうし?」といやらしい笑みを浮かべながら言っていたが、洗い物を増やしたくなくて言っているだけなのが見え見えであった。
「はぁ……それにしても疲れた……」
そう言いながらグリムナがドカッと椅子に座った。心からの仲間だと思っていた幼馴染の勇者からパーティーを追放されて、途方に暮れて街を歩いている中、ひょんなことから奴隷を雇うことになって、12歳の少女を買った。盛りだくさんな一日であった。
「ひょんなこと、の、『ひょん』ってなんだろう……」
フロントでもらった湯とタオルで汗を拭きながら独り言をグリムナが呟いているとヒッテが話しかけてきた。
「ご主人様、背中をお拭きします。シャツを脱いでください」
「あ、ああ……ありがとう。お願いするよ」
気持ちいいな、そう思いながらもグリムナは内心複雑な気持ちである。奴隷や使用人に身の回りの世話をしたもらったことなど当然ない。いい気持ちのはずなのに妙に居心地が悪い。恐縮してしまうような感じだ。むしろラーラマリアにいいように使われていたので世話をする方なら慣れたものだが。
(だからと言って、「よし、じゃあ交代だ。今度は俺が拭くよ」なんて言ったら少し、いや、かなり変態臭いような気がするし……)
汗を拭き終わると、ヒッテはグリムナの正面に回って跪いて言った。
「よろしくお願いします。初めての事なので粗相があるかもしれませんが、ご容赦を」
(粗相? 粗相と言えばラーラマリアだけど、なんでここで改めて挨拶を?)
「ちょ、ちょっとちょっとちょっと!?」
そのままベッドの前に立ってヒッテが服を脱ぎ始めたので慌ててグリムナがそれを止める。
「ちょ……何!? 寝るとき脱がないとダメな人!?」
グリムナが完全に顔を背けながらそう言うと、ヒッテが不思議そうに問いかけてきた。
「ええと、まだ寝るには早いかと……」
「じゃあなんで脱ぐんだよ! 意味が分かんないよ!!」
グリムナが半ギレでそう突っ込むとヒッテは何事もないかのような口調で次のように言った。
「いや、夜のお相手をしようかと……今日はお疲れなので、しませんか?」
(夜のお相手……夜のお相手とは……なかなか寝付けないからチェスの相手をする、とかではないよな……? いやそもそもチェスをするから景気づけに一発脱ぐ、っておかしいし。脱衣するのは負けてからだろう、常識的に考えて)
グリムナはあまりの事態になんだか思考がまとまらなくなってきていた。そういえば、確かにヒッテを買ったときに店主に「夜の相手もそろそろできます」なんて言葉をかけられたような気もするが、正直言って初めての奴隷商、ということもあって緊張してよく話を聞いていなかった。
そもそも彼の『常識』の中ではこんな年端もいかない少女を抱くなど、正気の沙汰ではない、という固定観念があったため聞き逃していたのだ。
がんばれグリムナ、男の見せどころである。
「いや、その……『そういうつもり』で君を買ったわけじゃないから……」
このヘタレポンチが。
「ご迷惑でないなら、ぜひ私を『使って』下さい。ヒッテはまだご主人様の役に立てていません。服や夕飯を買ってもらって、ご迷惑をかけてばかりです。そんなことが続くと……奴隷はとても不安になるんです。ご主人様がヒッテを抱いて下されば、「自分は必要とされているんだ」と、安心することができます。それが、奴隷の『存在価値』なんです」
そういってヒッテは自分につけてある首輪を指さして言った。気のせいか、首輪は、またうすぼんやりと光っているような気がした。
(もしかして、『隷属の首輪』にはそういう感情を起こすように思想誘導する効果もあるのか……人の自由意思を制限するような……)
そう考えるなり、グリムナはヒッテの近くまで歩み寄り、隷属の首輪を外そうとする。
「何をなさるんですか! ご主人様。この首輪は、確かに契約を結んだ主人にしか外せませんが、おやめください。隷属の呪法の効果が解けてしまいますよ!」
「いいんだ! こんなもの、間違ってる! こんなもので自由意思を制限して、何が人間だ! 人間はこんな風に生きるべきじゃないんだ!!」
そう言って首輪を完全に外すと、床の上に投げ捨てた。
「いいか、俺は君の身分を奴隷として買った。それは変わらない。だが、俺は人間の奴隷を雇っただけだし、命令はしてもそれを強制することはしない! 何でも言うことを聞くゴーレムが欲しかったんじゃない。それが俺の矜持だ」
グリムナは、怒ったようにそういうと、ヒッテに背中を見せ、いすに置いてあった毛布を手に取ると、部屋の明かりを消してから床に寝ころんでそれにくるまった。
ヒッテはしばらく呆気にとられたようにグリムナの方を見ていたが、グリムナがそのまま起きようとしないところを見ると、ベッドの上に座った。
「グリムナ様……ヒッテは、あなたのような優しい方に買ってもらえて、幸せ者です」
そう、聞こえないような小さい声で呟くと、ヒッテも眠りについた。
「ん、んああ……イテテ、こ、腰が……」
朝になり、グリムナが目を覚まし、上半身を起こして辺りを見渡す。自分はなぜ床の上で寝ているのか、ここはどこだったか……段々と昨日の記憶がよみがえってきた。仲間だと思っていたラーラマリアからクビを宣告され、途方に暮れていた時に声をかけられて奴隷のヒッテを買った。そのあと宿をとって、ベッドが一つしかないから自分は床で寝たのであった。
部屋の中を見ると、ベッドの上にヒッテはいなかった。しかし、妙に部屋がすっきりしているような印象を受ける。ゴキゴキと首の骨を鳴らしながら起き上がる。硬い床の上で寝ていたので全身が痛い。しかし、ぐっすり寝ていたようで日はもう結構上がってきている。もう8時過ぎくらいであろうか。
起き上がって部屋を見回してみると、ヒッテだけではなく彼女の荷物も、自分の荷物も見当たらなかった。グリムナは首をかしげながら宿の階段を下りて、敷地内にある井戸で水を汲んで顔を洗い、のどを潤した。
「これは、もしかしたらアレかも知れんな……」
宿のフロントに行って店主に話しかけようとしたが、それより先に店主の方から話しかけてきた。
「あれ? まだいたんで? お連れさんは大分前に出てったみたいだが……」
「やっぱり……アレか……」
何か納得いったようでグリムナが小さく頷いた。
「持ち逃げされた……」
猫被ってるヒッテを書くのが本当につらかった