第138話 朝チュン
結局メルエルテの話は全く要領を得ず、それでも話を止めようとすると「エルフを舐めてる」などと言って抵抗し、数十倍の言葉になって帰ってくる。彼女の話はなんやかんやで1時間ほど続き、その間ひたすらヒューマンに対する差別発言とグリムナへの不満に終始しただけで終わった。何の実りもない時間であった。
彼女は大変に満足して帰っていったが、おそらく今後エルフが法廷に呼ばれることはもう永遠にないであろう。彼女は人間の社会の法廷で証言した最初で最後のエルフとなったのだった。
「ええ、では次の証人、アンキリキリウムで自営業を営むメーラウ氏、どうぞ」
裁判長が疲れた顔でそう言うと、不安そうな表情をした中年男性が入廷した。グリムナは首を傾げる。全く記憶にない人物である。この男が自分とヒッテの何を知っているのだろうか。
「えっと、アンキリキリウムで宿屋を営んでいるメーラウと言います」
すっかり恐縮しきった表情でメーラウがそう言った瞬間グリムナは思い出した。そうだ、あのヒッテを奴隷として買った日、泊まった宿のオヤジである。
初日にしてグリムナはヒッテにはめられた隷属の首輪を即日の内に外し、その翌朝見事に荷物を持ち逃げされた。その時泊まっていた宿のオヤジなのだ。あの時はまだグリムナとヒッテの間には信頼関係は皆無であり、なぜそんな者が証人に? とグリムナは疑問に思ったのだが話しは意外な方向に、いや、意味不明な方向に転がっていくのであった。
「メーラウさん、そう緊張せず、打ち合わせ通り真実を語ってください」
検事がそう優しく言うと、ようやくメーラウも緊張がほぐれたようでいつもの調子で話し始めた。
「ええと、確かにあの二人はウチの宿に泊まりました。覚えています。他に部屋がなかったんで、シングルルームに案内したんですが……」
シングルルームに男女が二人、この事実が明るみになると傍聴人席がざわっとした。グリムナも冷や汗をかいている。「何もなかった」と言ってもそれが通用するのか? 検事がさらにメーラウに質問する。
「その夜何か変な音は聞こえませんでしたか? 例えば『ビュルビュルッ』とか『らめぇッ!』とか」
エロ漫画ではないのだからそんな音がするか。
「いえ、その晩は別に何も不審なことは……ギシギシ音も別に聞こえなかったですし」
その発言を聞いて検事は残念そうな顔をした。ビュルビュル音が聞こえたら有罪確定なのだろうか。
「で、まあ、次の日の朝の事なんですけど、これが傑作で……」
少しにやにや笑いながらメーラウが話す。どうやら次の日グリムナがヒッテに荷物を持ち逃げされたことを話すつもりの様であった。グリムナはつまらなそうな表情をしている。簡単に騙された自分の『恥』だと思ったからである。だが恥ではあるものの、それは別に罪ではない。たとえ言われたところでグリムナには痛くもかゆくもないはずである。であったのだが、しかしそれを検事が止めた。
「待ってください、今何と言いました?」
「え? いやあ、傑作なことがあって……」
「違う、もっと前だ!」
ハリウッド映画のようなやり取りをしながら検事とメーラウが話す。お前ら事前に打ち合わせしてるんじゃないのか。
「ええ? 次の日の朝にですね……」
「それです! 次の日の朝が来たんですね?」
夜になればいずれ次の日の朝が来るのは当たり前のことである。この検事は一体何が言いたいのか。検事は傍聴人席に向かって大げさに両手を広げながら話す。
「聞きましたか、夜寝たら、暗転して、気づくと次の日の朝になっていたということです……間違いありませんね? メーラウさん」
「え? ええ……そりゃ夜になったら寝ますし、目をつぶるんで暗転もしますね。ほんで、寝ると朝が来ます……」
メーラウも至極当然のことを戸惑いながらも話す。しかし自分でも何を言っているのか分からないといった様相である。だがなぜか傍聴人のうち何人かはその『事実』に気付いたようで小さく「おお……」とうめき声をあげている。
「メーラウさん、その朝何か音は聞こえませんでしたか? ……たとえば……鳥の、鳴き声、とか」
ゆっくりと溜めて検事が話す。鳥が鳴いたからなんだというのか。
「へぇ、まあ、小鳥くらいは鳴いていたと思いますが……」
「小鳥? それはもしやスズメか何かでは……? そう、鳴き声はチュンチュン、と……」
「ああ、そりゃウチの宿の周りにはいつもスズメがいっぱいいますからね。その日もチュンチュン鳴いてたと思いますが……それが何か?」
多くの人が話が見えてきたようで傍聴人席は両手で口を押えて「おお」とか「なんと」とか声を上げてざわついていた。しかしグリムナは何のことやら全く分からずに疑問符を浮かべるのみである。
「裁判長、聞きましたか……つまりまとめると、夜になると暗転し、気づくと朝になっており、外ではチュンチュンスズメが鳴いていた……これは間違いなく朝チュンです……以上で終わります」
「え?」
(終わり? 今ので? 結論出してなくない?)
グリムナは事の事態が全く分からず、困惑した顔で左右を見渡す。しかし傍聴人は天を仰いだり顔面が蒼白になっており、絶望した表情を見せていた。そして、メザンザの、笑み。
裁判長も眉間に皺を寄せて腕を組んで何やら考え事をしている。グリムナには理解できていないようではあるが、朝チュンとは性交があったことを暗に示す少年漫画的手法である。このような動かぬ証拠を出されては、もはや有罪は確定であろう。
裁判長は観念したように考え込んでうつむいていた顔を上げる、その時確かにメザンザと目があった気がした。『上の意向』は既に裁判が開廷する前に伝えられている。正直こんな何の法的根拠もない案件を自分の判断で有罪にすることはとても気が引けたのであるが、原告側も被告側も一歩も引く気がない。それではやはり判決を下すしかないのだ。
両者の歩み寄りによる和解など成り立たない。
『合意は法律に、和解は判決に勝る』
しかし、両者の歩み寄りがなければ、下さねばならない。判決を。
コンコンッと木づちが叩かれた。ざわついていた傍聴人席がさっと静まる。緊張の瞬間である。
「判決を言い渡す……被告、グリムナは……」
「異議あり!!」
まさかの異議が唱えられた。裁判長は声のした方に振り向く。手を上げているのはヒッテであった。彼女はさらに言葉を付け加える。
「異議あり、原告のヒッテです!」
「むぅ? 原告……いや、被告関係者の……いや違うか、原告、被害者か……ど、どうぞ」
裁判長はかなり戸惑いながらも発言を許可した。今回ヒッテの立場はかなり微妙である。本来、アムネスティ人権騎士団の主張が正しければ彼女は被害者のはずなのだが、なぜか被告人関係者の席にいる。しかし被害者のはずなのだから原告と言えば原告である。
その原告が、空気的にまず間違いなく被告に不利な判決が下されようというところに「待った」をかけたのだ。
「今回被告側は準備万端で待っていた原告側とは違い、たった三日で裁判の準備をせざるを得ませんでした。そのためろくに弁護人との打ち合わせも、証人も集める事が出来ずに裁判が開始されてしまいました。公平ではありません。今日は一旦判決を保留し、再度開廷すべきと思います!」
12歳とは思えぬ、堂々たる言い様であった。




