第117話 決闘
「ふぅ、ふぅ、ふぅ……」
夕暮れの山道の中、息を切らしたグリムナと、余裕の表情のブロッズが対峙している。
もうそろそろ日も暮れる。すでに空は夕日に赤く色を染め始めている。本来なら野営の準備をもう
とうに終えていなければならない時間だ。今日も、本来ならばその予定であった。この、招かれざる客……いや、ヤーンの情報を持ってきたのだから決してそうとは言い切れないのだが……ブロッズさえこなければ、疲れた足を休めて、野営の準備をしていたのだろう。
息を整えるグリムナに対し、やはりブロッズは余裕の表情を崩さない。二人の実力は正直に言って戦う前から明らかであった。それでもグリムナは戦わなくてはならなかったのだが。
グリムナの必殺技は二つ。正対し、相手の唇を奪う有情激唇口、そして相手の背後に回り込み両手の人差し指で相手の肛門を狙う、暗黒騎士ベルドを倒した技、竜牙肛突衝の二つであるが、その二つとも戦いの流れの中で容易に狙える技ではないのだ。
人間の顔は急所の集中する場所であり、正中線は本能的に守る場所でもある。そこを無防備な状態にしなければ口は狙えない。実際グリムナもこれは不意打ちでしかとれたことがない。
肛門に至ってはもっと厳しい。相手の背後をとって、しかも自身の両手がフリーの状態でなければならないのだ。バックマウントポジションはアマレスでも総合格闘技でも圧倒的に優位な体勢であるのは、つまりそれだけ相手が警戒する体勢である。
そもそも、相手の背後を無防備な状態でとれたのなら別にそんな技に頼らなくとも、押し倒してマウントをとるもよし、裸締めを仕掛けるもよし、脊椎を狙うこともできる。グリムナのように相手を極力傷つけたくない、という意志でもなければほぼ勝利確定の位置関係なのだ。
「来ないのならこちらからいくぞ……」
そういいながらブロッズは持ち手を中心にくるりと時計の針のように剣を回転させたかと思うと、その回転の途中で急に踏み込んで切りつけてきた。剣の軌道は内薙ぎ、下から斜め上に切り上げる。これまでとは剣の軌道も『仕掛け』のタイミングも全く違う。今までとは明らかに攻めのリズムを変えてきたのだ。
グリムナは何とかこれをしのぎ、いったん距離をあけようとしたが、即座に次の攻撃、突きが飛んできた。回転系の攻撃の後に連続して直進攻撃が来ると対処しづらい。意表を突かれたグリムナはこれに貫かれるかと思われたが、左腕を差しだし、剣身をその前腕に貫き受けた。
国境無き騎士団のゲンと戦ったときの戦法である。肉を斬らせて骨を断つ。グリムナは自身の腕を貫く剣を物ともせず間合いを詰め、ブロッズの左腕をも拘束して唇を奪おうとしたが……
左側頭部に衝撃を受けたように感じた。『感じた』というのは、実際には何をされたのかよく分からなかったのだ。ただ、気付くと自分の視界に映っているのはブロッズの顔ではなく、一面の枯れ葉であった。
これは一体……なんなのか? それが地面だと気付くまでにそう時間はかからなかった。ほんのコンマ数秒以下であっただろうが意識が飛んでいたのだ。
ぐらりぐらりと回転する視界の中、グリムナは全身全霊をかけて回避行動をとる。傍目にはただ横に転がって逃げただけにしか見えなかったが、それでも朦朧とする意識の中、グリムナがとれる最善の行動であったことに違いはあるまい。
安全な距離をとって、ようやくグリムナは状況を解析し始めた。……一体何が失敗したのか。ブロッズの剣が自身の左前腕を貫いて、距離を詰めて相手の左腕も拘束した。そこまでは良かったはずだ。
「今の状態で回避ができるか……なかなか悪くないな」
そう言いながらブロッズはグリムナの腕から抜け落ちた自身の片手剣を拾い上げた。
「忘れたのか? ラーラマリアはこちらにいるんだ。当然君が優秀な回復術士だと言うことはよく知っているよ? 戦いが長引けば必ずその特性を利用した戦法をとってくると思っていたんだ」
このブロッズの言葉にようやく思考のまとまらないグリムナも状況を把握した。おそらくグリムナが相打ち覚悟でダメージを受けながら間合いを詰めてくることを既に予測していたのだ。だからグリムナの左前腕に深く剣が刺さった状態になっても焦ることなく、躊躇無く剣を捨てた。ブロッズの左腕はグリムナに拘束されていたが、剣を捨てることでフリーになった右手で側頭部に掌底かなにかを叩き込んだのだろう。
「はぁ……はぁ……」
グリムナはまだ立ち上がれない。四つん這いのまま目線だけをブロッズに向けている。彼のマチェーテは既にブロッズの後ろに落ちている。もはや彼の身を守れるのは両腕につけた皮のアームカバーだけである。
「つ……」
グリムナはドンッと、額を地面につけた。
「強い……」
彼の正直な感想であった。実際これまでに会った誰よりも強かった。
技術はないが飛び抜けたフィジカルと回復力で彼を苦しめたトロールのリヴフェイダー。
凄まじい膂力と剣技、それにブラックプリズンという隠し玉まで持っており、フィーの協力もあって何とか倒した暗黒騎士ベルド。
それにやはり人並みはずれた馬鹿力と魔剣サガリスの超常現象にも近い力を操っていたイェヴァン。……まあ、彼女との戦いはローションのせいもあって有耶無耶になったのだが……
その誰よりも目の前にいるブロッズは強い。それも魔剣や魔法、必殺技といった隠し玉を使わなくても遙かに強いのだ。これほどまでに強い人間を、彼は知らない……いや、一人だけいた。ラーラマリアだ。彼女もやはり他の人間から見て別格の強さだった。
実際魔法もギミックも使わずにイェヴァンを苦もなく倒していた。
『絶対唯一の存在ではない』……それだけで彼の気持ちも少し楽になった。
脳震盪から回復したグリムナはすっと立ち上がった後、後ろに重心を置いた『後屈立ち』でオーソドックスな左足前に構えた。ゆっくりと左手を上げ、逆に右手は低く、丹田の前辺りに置く。
マチェーテは既に失っている。防御は両手のアームカバーで行うしかない。それは『受ける』のではなく『いなす』のが前提であるし、そうだとしても何度も受けられるものではない。おそらく戦いは後少しで決まるであろう。
真一文字に口を引き結んだグリムナの表情から決意を感じ取って、ブロッズも気を引き締めて剣を構える。
(遠いな……)
ブロッズは違和感を感じた。
既にグリムナは剣を失っている。ならば圧倒的優位はブロッズにあり。得物を失った分間合いも近くに感じるはずだと思ったのだが、右足前に構えるブロッズに対し、グリムナは左足前。思った以上に間合いが広かった。
通常であれば手の一つも切り落とせば勝利であるのだが、回復術士のグリムナ相手にそれでは終わるまい。ブロッズはどうにも戦いにくさを感じていた。
(とは言え……こちらの剣を凌いで一撃を叩き込む以外に彼に戦う方法など無いのだ……このままなら『奥の手』は使わずに終わりそうだな……)
考えをまとめると、ブロッズは一気に間合いを詰めて突きを放つ。グリムナは臆することなくそれを左手で逸らし、逆の右手でブロッズの顔めがけてフックを放つが……
(やはりそうだ! 悪いがここで終わらせてもらうぞ!)
ブロッズはフリーになっている左手で突きを放つ。その軌道はグリムナの拳を弾き、その反動を利用してグリムナの人中に吸い込まれるように叩き込まれ、彼の命の灯火を吹き消す……はずであったが……
その刹那、ブロッズの視界が闇に覆われた。
グリムナが口に含んでいた何かを吹き付けたのだ。
「あれは……土と枯れ葉!? さっき倒れたときに口に入れてたのか!!」
フィーの解説が入った。そう、先ほどまだ脳震盪から回復していなかったグリムナが地面に額をつけたが、そのときに地面の土と枯れ葉を口に含んでおり、それを吹き付けたのである。




