第2話 白い家
玉城には表情は見えなかったが、横で確かに男は軽くフッと笑った。
「ね。言った通りでしょ?この人がそう」
そう言って男は玉城の腕をさらに引き寄せる。
次の瞬間女は鬼のような顔つきで玉城を睨みつけた。
「ひっ・・・」
背筋が凍るような感じがして、玉城はビクリと震え上がる。
女はもう一度男に視線を戻すと、手を腰に当てて仁王立ちになりながら、
「最低!」
と、言い放った。
男がすぐ横でもう一度ニヤリとしたのが分かった。
女はクルリと向きを変えると、もう何も言わず、振り向きもせずにズンズンと来た道を帰っていった。
「いったい、どういうこと?」
女が遙か向こうに行ってしまうと玉城は、横の男の腕を逆に掴みなおした。
男は迷惑そうにその腕を振り払うと、少し疲れたような笑顔を作った。
「女って怖いよね。もうずっとあんな感じで追いかけられててね。
まるでストーカーだもん。あんな形相で追いかけられたら怖いでしょ?逃げるよね?
男の恋人がいるって言ったら、あきらめるかなって思って」
「え、そうなんですか?なんかキャリアウーマン風で、そんな感じには見えなかったけど」
「・・・信じないならいいよ」
男は少しすねたような表情をして体のホコリをはらうと、
フイと背を向けて数十メートル手前に落としてきた荷物を拾いに戻った。
「あ、ごめんなさい。信じてないとかじゃないですから!」
慌てて取り繕う玉城。どうやら気むずかしい男らしい。
男は不機嫌そうに公園の土の上に置き去りにされていた四角く厚みのある荷物を
右手で持ち上げようとした。
けれど一瞬顔を歪ませてその荷物をまた土の上に落としてしまった。
ハッとして走り寄る玉城。
「大丈夫?もしかして手、痛むんじゃ・・・」
「痛くなんかないよ」少しすねた声。
「いや、絶対痛めたんだ。僕のせいです!と、とりあえず家まで送ります。家どこですか?」
「僕、男に興味ないよ?」
「何の話をしてるんですか!とにかく送ります。送りますって言っても車は無いんですが」
玉城は遠くで果てている自転車をチラリと見た。
男もその視線を追って自転車を見た。そしてクスリと笑う。
「・・・じゃ、家、すぐそこだから荷物だけ運んでもらおうかな」
根負けしたように男は小さく了解した。
とにかく大事に至らなくて良かった。
そう安心しながら玉城はその荷物をスクラップ寸前の自転車の荷台に乗せた。
かなり大きな平べったい箱なのでずり落ちそうになるが、男がそれを左手で押さえてくれたので
玉城はそのまま自転車を押して歩き出した。
公園を抜けて筋を一歩入ったとたん大通りの喧噪から離れ、
緑の木々が綺麗に植えられた閑静な住宅街が広がっていた。
小鳥の声さえ聞こえる、不思議な、懐かしい景色。
「もし後で体調とか悪くなったら連絡してくださいね。番号教えますから。
あ、僕はタマキと言います。丸い玉の玉に、城」
「たまき・・・?じゃあ、玉ちゃんだ」
「・・・いや、そう呼ばれたことないけど。ま、まあ、何でもいいです。ええと、あなたは・・」
「僕?」
「リク・・・リクさんでしょ?あ、下の名前か。ごめんなさい」
「うん、リクでいいよ。敬語もいらない。同じ年くらいでしょ?」
「あ・・・はい、了解」玉城は笑った。
気難しいのかと思ったが、けっこう人なつっこい。
よく分からない男だと玉城は思った。だが不思議と嫌な感じはしない。
とにかくぶつけた相手が前のような詐欺師でなくて良かったと思った。
心地よい木漏れ日の中、元々お喋りな玉城は何となく自分の仕事の話や世間話をしながら歩いた。
リクは相づちを打ちながら楽しそうに聞いている。
本当に心地よい場所だった。静かで綺麗な住宅街。
しばらく歩くと角地の狭い公園の横に今時めずらしい平屋の小さな木造の家が見えてきた。
その前でリクは足を止めた。
洋風な造りではあったが、時代からポツンと置き去りにされたような寂れた家。
いかにも手作りという感じで塗られた白いペンキは所々剥げかかっている。
「・・・レトロだね」
玉城は遠慮がちに言った。
「古い家でしょ?家って言うより小屋って感じだよね。昔は雑貨屋の店舗だったらしいよ。
今、大家さんに取りあえず借りてるんだ。どうせちょくちょく引っ越しちゃうから。
あ、土足でいいからね」
リクはそう言うと年期の入った真鍮のドアノブをまわして中に入った。
“そうか、ピアノを弾くにはこんな一軒家の方がいいのか”
そう思いながら中に入ると、そこはガランとしたフローリングの部屋だった。
奥にキッチンと、隣の部屋に続くドアが一つ。
あとはパイン材のテーブルと椅子と棚以外、本当に何もない。
けれど何か変わった臭いがする。
何か懐かしいような、落ち着くような、だがピンと来ない。
「ピアノが置いてあると思ったんだけど、何もないんだね」玉城は素直に感想を言った。
「ピアノ?なんでピアノ?」きょとんとして聞くリク。
「え?だってピアニストだって・・・」
「そう?」
リクは曖昧に笑った。
「ピアノなんて弾いたこともないよ」
「へ?あれ?聞き間違いかな?」
「きっとそうだよ?」
可笑しそうに笑うリクに何となく恥ずかしそうに笑い返して玉城は抱えていた大きな荷物を壁際に置いた。
「じゃあ、何やってる人?一カ所にいられない仕事?」
玉城がそう聞いた瞬間。
まるで小動物が何か物音に反応して耳をピンと立てる時のように
リクは視線だけ動かして一瞬体を強ばらせた。
「どうかした?」
玉城がそう言うとリクは視線を玉城にもどして何もなかったように表情を柔らかくした。
「ううん、なんでもない。ごめんね、ありがとう。
荷物持って貰って助かったよ。何もお礼出来なくて悪いけど」
「あ・・・いや、とんでもない。こちらこそ」
急に締めの挨拶をされて焦る玉城。
「あの、電話番号書いておくから本当、何かあったらそっちに連絡してね。
こういう事故は後でどっか痛くなったりするんだから」
玉城は持っていたレシートの裏に番号を走り書きすると側にあったテーブルの上に置いた。
「いいよ、ここ電話ないし、携帯も持たない主義だから」
「そうなの?」
「うん、どうもありがとう。じゃあ、これで」
そう言われてしまってはもう帰るしかなかった。
これでいいんだろうかと思いつつ玉城はその家を後にした。
・・・かなり激しくぶつかった。本当に怪我は大丈夫なんだろうか。
携帯も電話も持たないで今の時代、仕事ができるんだろうか。
いったい何をしてる人なんだろう。・・・
玉城は昔からいろんな物事や人に興味を向けて迷走し追求するくせがあった。
ついつい、いろいろ詮索してしまう。
昔付き合っていた女性にも「鬱陶しいからあれこれ詮索しないで」とよく言われた。
改めようと思うが、なかなか癖はなおらない。
家の前に止めてあったボロ自転車を押し、歩き出す。
運良く粗大ゴミ置き場に通りかかり、他の自転車の横にそっと自分のを置いてきた。
あのまま押していたら何時間かかるか分からないところだった。
何故だろう、あの家を出たあたりから頭が痛い。
風邪のひき始めなのだろうか。
そんな事を思っていると携帯のバイブが唸った。
出版社からの電話かと思って表示を見たが、違った。
がっかりして電話に出る。
「やあ、玉城さん。バイトの内容が固まったから明日にでも来てくれませんか?」
小宮からだった。
借金の代償のバイトなんて・・。自分も廃車寸前だな。
溜息をつきながら玉城は「はい」と小さく返事をした。




