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<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

強がりフィジーと怖がりファザ

作者: ピルパンダ

『強がりフィジーと怖がりファザ』





 昔々ある所。

とある村にフィジーとファザと言う二人の少女が住んでいました。

二人は双子で、母親から先に出てきたフィジーが姉で、後から出てきたファザが妹です。

二人はどちらもとても可愛らしく、また瓜二つの姿かたちをしておりましたので、両親は勿論、村の人々からもたいそう可愛がられ、幼い頃から手厚く育てられてきました。

そんな顔も身体もそっくりな二人でしたが、中身はお互い正反対の性格をしていたのです。

姉のフィジーはとても情に厚く、また正義感も強い人間で、いつも誰かの為に行動をしておりました。

村人たちの仕事を幼いながらも手伝ったり、村の悪童たちとはしょっちゅう喧嘩をしておりました。

そんなお転婆なフィジーでしたが、心根は本当に優しい娘で、誰かが困っている事を決して見過ごせない性格をしておりました。

特に妹のファザには人一倍甘く、ファザの為なら、と常に彼女を守る様な行動を取っておりました。

一方妹のファザはと言うと、これが極度の臆病者で、何に対してもビクビクしており、特に人とのコミュニケーションが大の苦手でした。

夜は暗いのが怖い、昼は周りの人たちの視線が怖い、虫が嫌い、苦い野菜が嫌い、などなどなど・・・

とにかく何時もおどおどしており、姉のフィジーの背中に隠れて過ごしておりました。

そんな二人ですので、いつも決まって前を歩くのは姉のフィジー。

そして、その後ろに付いて回るファザ。

二人の姿は、幼い頃から変わらずずっとその順番。

村の人たちも、そんな二人の姿を温かい目で見守っていたのです。





そんな二人が15歳の誕生日を目前に控えたとある夜の出来事。

その日は村の空一面に流れ星がきらきらと流れ落ちる流星群の夜でした。

そしてとても不思議な事に、その日は新月で月明かりが全く無く、辺り一面が真っ暗闇に包まれていたのです。

もともと村には街灯が無く、また家々の灯りも細々としていたので元から夜は暗い印象の村でしたが、その日は重ねて、一層の暗闇が村全体を包んでおりました。

大人達は流れ星の事を良く知りませんでしたし、新月の事など尚の事良く分っておりません。

なので、その日大人達は皆一様に、凶兆だ、禍の前触れだと騒ぎたて、子供達は一人の漏れも無く家々の中に閉じ込められていました。

フィジーとファザの家も同様です。

彼女達は、二人の自室に軟禁され、

「夜が明けるまでは絶対に部屋を出ない事」

と強く釘を刺されておりました。

ですが、15歳を前にした興味盛りの少女達です。

いや、興味盛りだったのはフィジーだけだったでしょうか?

ファザの方はと言うと、自分のお気に入りの布団の中に潜り込み、がたがたぶるぶると震えています。

「・・・ファザ」

姉のフィジーが震える布団の塊に向け声を掛けます。

「・・・・・・ガタガタ」

ファザはあまりの恐怖に、声にならない音を出すしかありません。

「外に出るわよ」

「・・・・・・ぶるぶる」

ファザは無言で否定を主張しますが、姉の気持ちには勝てません。

「うぁわわ」

無理やり布団の中から引きずり出され、窓の傍まで手を引かれます。

「見てよファザ。こんなにキレイなのに見ないのは勿体ないわ」

姉のフィジーは月明かりの無い真っ暗な窓の外を指差し、きらきらと目を輝かせながら、次々と流れ落ちる流星に目を奪われております。

その横顔は、まるでそれ自体が一つの星のように、満天の星空の中でも一際輝く一等星のように綺麗に輝いております。

その横顔を見て、ファザは素直に諦めました。

「でもどうやって?」

「簡単よ」

「・・・?」

「大人達はみんな怖がって、ファザみたいに布団で震えてるわ」

「・・・むぅ」

ファザは少しだけむっとしました。

「だから堂々と玄関から出ればいいのよ」

姉のフィジーは得意げにそう言うと、部屋のドアを開けようとします。

しかし。

がちゃがちゃ。

「なによ、外からカギを掛けたのね・・・」

そういうとフィジーは窓の傍まで戻ってきて、

「ここから出ましょう」

そう言うと、迷わず窓の戸を開け放ちました。

その瞬間、ひゅぅうう・・・と薄ら寒い空気が部屋に流れ込んできます。

季節は秋から冬に入りかけた頃、夜の風はやはり肌寒いものでした。

「でも靴が・・・」

ファザが恐る恐る口を開くと、

「靴なんて何でもいいわよ、靴下を何枚も重ねて履けば良いじゃない」

と箪笥からありったけの靴下を取り出し、せっせとそれを重ね始めました。

「・・・・・・」

こうなるともう姉のフィジーは止まりません。

心根は優しく、正義感に篤い、とても気の利く娘でしたが、そのあり余る好奇心だけが、どうにも玉にきずとなっていたようです。

フィジーは部屋に一つだけあるランタンを手にすると、直ぐに窓の外へと飛び出しました。

「ファザ、早くしなさい。流れ星が終わってしまうわ」

ファザは仕方無くと言った感じで、恐る恐る窓の縁を乗り越えました。

行先は村のすぐ傍にある丘の上。

村の近くでは一番空に近い場所でした。

2人は真っ暗闇の中をどんどん進みます。

村を抜け、林に入り、暗い木々の隙間を縫って奥にある丘を目指します。

フィジーの足取りは至極軽快でした。

わくわくしたその表情からも、恐怖など微塵も感じられません。

逆に妹のファザは、姉の背中から離れるまいと必死にフィジーの後に続きます。

木々の掠れる音にビクつき、時折鳴く野生の動物の声に身を竦めながら。

その丘には直ぐに辿り着きました。

「見てファザ・・・すごい」

「うわぁ・・・」

丘はとても開けた場所で、上を見上げると遮る物は何もありません。

在るのは満天の星空だけ。

新月の暗闇の中、更にその星たちの光は強く輝いているように見えました。

「あ!見て!」

フィジーが声を上げます。

「流れ星っ!」

彼女が指差す夜空に、一つ、また一つと、光の粒が流れては消えてゆきます。

その光景を見て、怖がりのファザも感嘆の声を洩らしました。

「キレイ・・・」

二人はしばらくの間、まばらに降り注ぐ流れ星を一つ見つけては驚きの声を上げ、また一つ見つけては他愛のない願い事を早口で言ってみたりしていました。

そんな、時間を忘れてしまうような素敵な時間が終わりを迎えようとしていた時、夜空に大きな流れ星が現れました。

「見てファザ!すごい大きな流れ星よ!今度こそ、願い事を言わなきゃ」

「え、あ・・・うん!すてきなお嫁さん、すてきなお嫁さん、すてきな・・・」

ファザが最後の願い事を言いかけた時、フィジーが不意に声を上げました。

「え、嘘・・・」

その声に、妹のファザが顔を上げます。

どうしたのでしょう?

こんな不安そうな姉の声を聞いたのは久しぶりでした。

見れば先程の流れ星が、今まさに空から真下に落ちてくる所でした。

しかし、様子が変です。

それまでの流れ星は、小さな光の粒で、空の途中で燃え尽き消えて行ったのですが、その大きな流れ星は、その大きさのまま、どんどん地面に近付いて行くではありませんか。

それはほんの数秒の出来事でしたが、目撃した二人にとってはとても長い時間その光景を目の当たりにしている様な気分になりました。

その大きな流れ星は、地表に近付くにつれその大きさを増してゆき、光の塊から火の玉へと変化していったのです。

そして、2人から見てはるか前方の森の中へと落ちてゆきました。

間髪入れずに、轟音が鳴り響きます。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

あまりの衝撃に、二人は言葉を失います。

森の奥から立ち昇る赤い炎と黒い煙。

それはまさしく隕石でしたが、二人の知識の中には隕石などと言うモノはありませんでした。

姉のフィジーは驚愕のあまり口を開けたまま固まり、ファザはあまりの衝撃に目と耳を両方器用に塞いで震えておりました。

しばらく、そのまま立ち尽くす幼い姉妹。

しかしながら、姉のフィジーが沈黙を破るのは時間の問題でした。

開けた口を静かに閉じ、一瞬決意したように頷き、声を上げます。

「・・・ファザ」

そこまで言いかけて、

「い、嫌!」

ファザがフィジーを遮ります。

「まだ何も言ってないわよ!」

姉はそう言いますが、妹のファザには姉が何を言おうとしたのか嫌でも解っていたのでした。

「で、でも・・・嫌だよ。帰ろうよ・・・」

「なによ、ちょっとだけ、見に行くだけよ。遠くから、こっそりね」

その顔は、まさしく好奇心に充ち溢れた子供の顔でした。

「ファザが行かないなら、わたしだけで見に行くわ」

そう言って姉は一人、流れ星が落ちた森の方へと歩き出します。

数瞬、ファザはその場で立ち尽くした後、一人きりになる事への恐怖心に襲われ、結局姉の後を追う事にしました。



 歩くこと数分。

その場所に近付くにつれ、焦げた匂いと言うか、何とも言えない嗅いだ事の無い匂いが辺りに漂ってきます。

そして、その場所に辿り着いた二人は、遂にその流れ星の全容を目の当たりにしました。

「・・・なによ、あれ」

「わかんないよ・・・」

2人はその隕石の落ちた場所から、遠く離れた一本の木の陰からそれをじっと観察していました。

それは、何と言うか。

「・・・おっきな岩じゃない」

「うん・・・」

2人にはただの巨大な岩が、地面を抉ってそこに在るようにしか見えませんでした。

先程まで上がっていた赤い炎も、煙も今ではある程度落ち着き、そこには綺麗な窪みが出来あがっております。

その中心に鎮座する謎の岩。

遠巻きに眺めていた二人でしたが、それが何なのか分からず、ただ興味心だけがくすぐられてゆきます。

「もうちょっと近くで見ましょう」

「えぇ・・・」

そう言って木の陰から身を乗り出すフィジーと半ば諦めたファザ。

前を歩く姉の背中に隠れる様に、二人はぴったりとくっついて、その隕石の傍へと歩きます。

ある程度近付いた段階で、それが思った以上に巨大な岩だと解りました。

最早好奇心が恐怖を凌駕した姉にとって、それはただただ面白そうな存在だったのです。

姉のフィジーはランタン片手に、その岩に駆け寄り、触ったり叩いてみたり、匂いを嗅いでみたり、もう好き放題です。

そんな事をしていると、

ジジジ・・・

「・・・?」

変な音が聞こえます。

それに最初に気が付いたのは妹のファザです。

色々と見て回る姉の背中に張り付いている彼女が、その音に気付いて姉に知らせようとしたまさにその時でした。

ブシュッ・・・

突然、岩の隙間から何かが噴出されました。

「きゃっ」

姉のフィジーが声を上げます。

「え、どうしたの?」

姉の背中に隠れていたファザにはその音だけが聞こえましたが、何が起こったのかは解りません。

「なによこれ・・・みず?」

フィジーは顔を拭いました。

岩の隙間から何かが吹き出したような気がしましたが、真っ暗闇だったので良く分りませんでした。

ただ、顔に水がかかった様な感じがします。

「気持ち悪いわね・・・それに、かなり匂うわ」

袖で顔を拭いながらブツブツと文句を言うフィジー。

「ねぇもう帰ろう。なんか怖いよ」

妹のファザは、何とも言えない不安を感じていました。

「そうね・・・なんかちょっとだけ気分が悪くなったわ」

そう言って、姉のフィジーは岩とは反対方向へ歩き出しました。

その後ろ歩きながら、ファザは後ろの岩が気になって仕方が無かったですが、後ろを振り返る勇気はありませんでした。


結局、二人はこっそりと窓から部屋に戻るつもりでしたが、家の前で待ち構える両親に見つかり、こっぴどく叱られる事になりました。

そのまま、部屋の中にまた閉じ込められると、今度こそおとなしく寝るよう言いつけられます。

2人はそれから間もなくして眠りにつきますが、二人とも、その日は怖い悪夢を見てしまうのでした。





 あくる日の朝。

異変が起きます。

ファザは目が覚めると、布団から顔を出し、隣で眠る姉のフィジーを起こそうとしました。

「おねえちゃん・・・」

と呼びかけた所で、姉の布団に違和感を覚えます。

「・・・え」

姉の体格は特別変わったものでは無く、ごく普通の年齢相応、少女の体型でした。

無論、ファザ自身と瓜二つの同じ体格です。

しかしながら、隣の布団から出ている姉の腕と足が、何と言うか・・・異様に長い気がしたのです。

「お、おねえちゃんッ・・・」

ファザは姉のベッドに駆け寄り、彼女を覆っている布団をめくり上げました。

「ひっ・・・」

ファザは息を飲みました。

「なによ・・・うるさいわね、もう朝・・・?」

姉の体が、のっそりと動きます。

ファザは言葉を失いました。

姉の顔を凝視したまま、口と目を開けたり閉めたり。

「え、なに・・・?」

そんな妹の様子に異変を感じたフィジーは、直ぐに身体を起こして立ち上がりました。

「え?」

瞬間、違和感。

自身の視線が、昨日の位置より明らかに高い位置に在ります。

寝ぼけ眼で判然としない意識ではあるものの、これは明らかにおかしな事だと解ります。

今まで見た事の無い視界。

何故か妹を見降ろしている自分。

その自分の顔を見上げる妹の顔。

驚愕と恐怖で、今にも叫び出そうとしているのがありありと伝わってきます。

「ま、まって・・・」

言いかけた時には、妹は今までで一番大きな悲鳴を上げました。

直後に部屋に飛び込んだ両親、とその後の顛末。

フィジーにとっては、まさしく悪夢のような出来事となってしまったのです。


 フィジーの体は、最早少女の体を成しては居なかったのです。

あの日、あの朝、妹のファザが見た姉の姿は、この世のものとは思えないような恐ろしい姿だったのです。

美しく華奢な少女の腕と足は異様な長さに伸び、艶やかな白い肌はまるで焼け焦げた炭の様な色をしておりました。

愛らしい瞳も口も鼻も、全て、醜い形に変形しました。

彼女の両親はその変わり果てた娘の姿を見て一言。

「フィジーを!娘を返せ!この化物が!」

と泣き叫びました。

その言葉を聞いたフィジーは堪らず家を飛び出します。

家を出て走りだした後すぐ、ちらりと後ろを振り返ったフィジー。

自分の過ごしていた部屋が目に入り、その窓の縁に隠れるようにして自身の姿を見つめていた妹の姿を見つけました。

しかし、彼女は足を止めず、森の方へと走り出しました。


 どれくらい走ったのでしょうか。

気付いた時には辺りはもう真っ暗でした。

フィジーはこの村の外れの森に探検と称して幾度となく足を踏み入れておりましたが、夜の森には近付くなと両親からきつく言われておりました。

なので、今自分が居る場所が良く分りません。

立ち止まり、辺りを見回します。

その時、しかし変だな、とフィジーは思いました。

真っ暗だと言うのは何となく分かりますが、何故か視界が暗闇に覆われていないのです。

暗い中でも、辺りの木々の輪郭や、足元の石ころの位置など、何故か正確に見て取れたのです。

目が良くなったのか?

まだ学の浅い彼女には、自身の身体に起こった変化を説明できませんし、仮に博識な学者でも彼女の体の変化は理解出来なかった事でしょう。

その変化の影響か、フィジーの耳もすごく良くなっていたのです。

不意に、水の流れる音が彼女の耳に入ります。

フィジーはその音のする方向へ歩き出しました。

「・・・・・・・・・」

そこには川が流れておりました。

別に喉が渇いている訳でも無かったですが、何となく水辺に近付き川の水を手で掬いました。

その時、薄い月明かりに照らされた水面に、自分の変わり果てた顔を見てしまったのです。

「アァ・・・ッ」

喉から出たその音も、フィジーには聞き覚えの無い声でした。

彼女は長く大きくなった自分の掌で、顔を覆います。

そのあまりにも醜い自分の姿に、酷くショックを受けました。

それはまるで、おとぎ話に出てくる怪物・・・などと、そんな可愛らしい代物ですらありません。

自身の知識の外の領域。

想像すら出来ないのに、一目見ただけで怪物、悪魔、化物と言わざるを得ない自分の顔。そして身体。

そもそもの体の大きさも違いますし、肌色も白から黒へ、身体の変化に耐えきれなかった良服が所々で破け、その痛ましい姿かたちに拍車を掛けております。

「ヒドイ・・・」

ショックのあまりフィジーはそのまま川の中に倒れこみました。

ごぼごぼと川の水が口の中から浸入してきます。

嗚呼、このまま死んでしまおうか。

そう考えてしまった彼女でしたが、一分経ち、ニ分経ち、十分経っても何故だか苦しくありませんでした。

それから小一時間ばかり水の中に沈んだままじっとしておりましたが、一向にその息は絶える事はありませんでした。

ざばん・・・と川から立ち上がるフィジー。

「・・・・・・」

おかしい事になっている。

と今更な事を思いました。

先程、この森まで走ってきた時には気付きませんでしたが、かなりの距離をかなりのスピードで走ってきたというのに息も上がっていなかったのです。

そして、水の中で一時間余り息を止めていましたが、何にも身体に支障が出ていないのです。

怖い。

素直にそう思いました。

それから彼女は、夜が明けるまで一睡もする事無く、木々の茂みにじっと座って過ごしました。





 それからフィジーの新たな人生が始まります。

最早、他人にこの姿を見られる事に耐えられないと理解した彼女は、森の奥深くに自身の住処をこしらえ、そこに人が近づく事の無いよう、木々や岩などで道を塞ぎ、誰にも見つからない場所で過ごそうと決めました。

驚く事に、彼女はとても力が強くなっていました。

運んだ木々も岩も、決して小さなものではありません。

大の大人が何人がかりでも運べないような大木や巨石を軽々とフィジーは持ちあげます。

これも身体の変化のせいでしょう。

しかし、フィジーは特に気にも留めません。

せっせと自分の住処を作り、それが完成した時、少しばかり心が躍りました。

この森に来て三日目くらいの事でしょうか。

フィジーが日数を気にしたのはそのくらいまででした。

それからは、時間的な感覚を忘れ、日がなボーっとしたり、野生の動物に名前を付けて観察したり、住処の増改築をしたりと、意外にもそこでの生活に慣れてゆきます。

そんな中で、フィジーは新たな自身の変化に気付きました。

彼女の目や耳がとても良くなったのは最初の方に気付きましたが、それだけでは無かったのです。

ある日フィジーが森のざわめきに耳を傾けていると、遠くから鳥たちの鳴き声が聞こえてきました。

冬の昼下がりの木漏れ日の中、その声がとても心地良く耳に響きます。

するとどうでしょう。

とても澄んだ鳴き声で、楽しそうに会話をしている鳥たちのその鳴き声が、次第に、フィジーの耳から頭に、彼女に解る言葉で聞こえてきたのです。

「・・・?」

初めは人が来たのかと思ったのですが、そうではありません。

聞こえる音は、木々のざわめきと小動物達の小さな鳴き声だけです。

その森の何処かで鳴いている鳥の声も、ちゃんと鳥の鳴き声です。

ちちちち・・・とか、ぴぃぴぃ・・・とか、そんな感じの音です。

ですが、それが彼女の耳に入ると、何故か自分に解る言葉として聞こえてくるのです。

「ワァ・・・」

すごい。

鳥たちの囀りが、何を言っているのかが解ります。

鳥だけではありません。

気付いた時には、他の動物達の鳴き声も、フィジーには何と言っているのか事こまかに理解できたのです。

その事に気付いた時、久しく動いていなかった心が反応しました。

それから彼女は、その動物達の声に夢中になって耳を傾けておりました。

ですが・・・楽しかったのは最初だけでした。

鳥たちの会話は非常に、何と言うか・・・まだ齢十五歳のフィジーには理解し難い話ばかりでした。

その内容のほとんどが、仲間内の陰口ばかりだったのです。

特に雌同士の諍いが絶えず、楽しそうに囀っているとばかり思っていたあの可愛らしい声で、とても恐ろしい罵詈雑言を言い合っていたのです。

また地上の動物たちも同様に、あまり気持ちの良い話をしておりませんでした。

野ウサギは交尾の話ばかり。

鹿も交尾。

狸も交尾。

交尾交尾交尾・・・たまに食べ物の話。

気を抜いたら鳥たちの口げんかが始まります。

「・・・・・・」

そんな声を毎日聞かされるフィジーは、直ぐに落ち込みました。

子供心のワクワクを、あまりにも現実的な話で打ち壊された気分になります。

確かに、野生は夢物語でも何でもなく、生きるか死ぬかの環境でした。

それをフィジーは知らなかった訳ではありませんが、こうも簡単に現実を目の当たりにしてしまうと、理解が追いつかなかったのです。

フィジーはそれがあまり意味の無い事だとは思いましたが、気休め程度に耳に葉っぱで作った耳栓を詰め込み、木々で作った家の中に潜り込みました。



 そんな生活をどのくらい続けたのでしょうか。

フィジーは自分の体の事で、いくつか解った事がありました。

一つ、何も食べなくてもお腹が減らない。

水も飲んでも飲まなくても変わらない、そもそも喉が渇く、腹が減るといった感覚になりません。

それでも何となくですが、フィジーは木の実や草花などを時々口にするのでした。

二つ、眠れない。

眠くならないし、横になって目を瞑っても眠れなかったのです。

こればかりはどうしようもなく、常に意識がはっきりとしていて、どれだけ寝ようとしても眠れないのです、

三つ、とても力が強い。

加えて足も速く、耳も目もとても良くなったのです。

四つ、多分・・・死なない。

これは、初めの内に気付いた事です。

水の中で息を止めていても、止めずに水を飲み続けても窒息しません。

高い所から地面に向けて飛び降りても、傷一つ付きません。

自分の何倍もの大きさのある岩を動かしている時、たまたま手が滑って岩の下敷きになった時も、痛くもかゆくもありませんでした。

コレが死なない身体である、と言うことの証明ではありませんが、フィジーはもう何をしても自分が死ぬことは無いのではないか、という諦めに似た感情を抱き始めておりました。



そんなこんなで、時は流れ。

あの日、フィジーが家を飛び出してから、実に三年もの月日が流れておりました。



しかし当の本人である、フィジーにはもはや時間の感覚がありません。

彼女の化物への変貌も、最初の二週間ほどである程度止まり、それからは身体に目立った変化は起こりませんでした。

彼女自身、何度もこの世界から消えてしまおうと試みましたが、ついぞ自身の体を殺す事も壊す事も出来ませんでした。

それからは、気の向くまま、好き勝手に過ごしていました。

大半はボーっと太陽や星空を眺めておりましたが、時折住処の手入れをしたり、必要はありませんでしたが、野草や木の実を採って料理もどきを作ったりして遊んでおりました。

そうやって日々を過ごしていたら、三年が経っていたのです。

気付けば、そんなに経っていたのです。

ですがフィジーには解りません。

最早、彼女は何も気にしません。

フィジーは、今日もまたボーっとしますし、気が向いたら何かをします。

そういう生き物になっていたのです。

そんなフィジーが、月日の流れを目の当たりにする出来事が起きます。



その日フィジーは一人の少年に出会いました。

顔立ちのとても美しい、碧眼の少年です。

金色の髪の毛や、すらりとした肢体、心根の優しそうな瞳と口元。

少年はその日、森の奥深く、フィジーが水浴び場として良く使っていた川の水たまり付近に居ました。

フィジーは初め、自身のテリトリーに入ってきた人間を警戒して木の陰からじっと少年の様子を伺っておりましたが、その少年の美しさに、一目で恋に落ちてしまいました。

少年はその日狩りに来ていたようで、獲物のウサギ数匹を吊るした木の棒を携えておりました。

少年はその獲物を川の浅瀬に浸すと、自身も服を脱ぎ、水浴びに興じていたようです。

フィジーはその様子をじっと見ています。

初めから最後まで。

少年の美しさは顔だけでなく、一糸まとわぬその肢体は、フィジーの心を強く揺さぶりました。

この数年、固く止まってしまったフィジーの心が、少しずつ動き出したのです。



それから、少年は時々その川の畔に現れるようになります。



フィジーはその少年の顔に見覚えがありません。

恐らく彼女が居た村の人間では無いのでしょう。

何処か別の、村とか町の人間に違いありません。

以前、村で暮らしていた頃にはそう言った同年代の異性が少なく、フィジーは年頃の少女が持つような恋心を抱いた事もありませんでした。

なので彼女はその気持ちが何なのか解りません。

なのに、心の臓が凄くドキドキするのです。

怪物になったこの身体でも、心は少女のままだったのです。

フィジーはそれから、昼下がりになると森に人の気配が入って来ないか神経を張り巡らせるようになります。

少年の気配は直ぐに憶えました。

足音から、木々を別け入る音の間隔から。

フィジーが集中すれば、遠くの生き物の呼吸すらも聞き別ける事が出来たのです。

彼が森に入れば、フィジーには直ぐに分かります。

その少年はいつも決まって、狩りをした後に水浴びをします。

フィジーはいけない事だと思いながらも、その様子を毎回覗き見てしまいます。

男の子の裸は村の子供たちなどで何度も見た事がありましたが、その少年の姿は、最早男の子と呼ぶには躊躇われる姿かたちでした。

フィジーも数えれば恐らく十八くらいの齢になっていた筈ですが、この外見からは一体いくつなのかは解りません。

少年は、多分同い年くらいなのでしょうか。

十八か、それよりもちょっと上くらいかもしれません。

その少年の姿は、記憶の中に在る村の子供たちのモノとはまるで別物です。

精悍な男性の裸体に、フィジーは恋心とはまた違った気持ちを抱いてしまいました。

それも、彼女には何なのか解りません。

ですが、フィジーはこの森に来て初めて、ひいてはこの化物の姿になって初めて生きた人間の気持ちを取り戻す事が出来たのです。

それからフィジーは、また明日も来ないかな、なんてコソコソ想像を膨らませながら夜を過ごす事が出来るようになりました。



しかし、そんな淡い恋の日々も唐突に終わりを迎えます。

それも、予期せぬ形で。



フィジーはその日も、太陽が真上に上がる頃から聞き耳を立てていました。

今日は来るのかな、それとも来ないのかな。

ある程度の年齢なら恥ずかしくなる様な気持を胸に抱きながら、その日も少年の来訪を待っていたのです。

しばらくして。

遠くの方から足音が聞こえてきます。

フィジーは直ぐに少年が森に来た事が分かりました。

しかし、その日の音はいつもとちょっとだけ違います。

聞き慣れた少年の出す音に、何か違和感を覚えます。

「・・・・・・?」

少年の音に紛れて、小さな小さな音が付いてくるのです。

その瞬間、少年ともう一人、別の人間が森に入った事が分かりました。

少しだけ怪訝な気持ちになりましたが、とにかくフィジーは急ぎました。

少年がいつも水浴びをする、川の畔に。

そこを盗み見る事が出来る木々の陰に潜んで、その足音達が近付いてくるのをじっと待ちます。

しばらくして。

二つの足音が畔に近付いてきました。

木々の隙間から、少年の金髪がチラリと見えた瞬間、フィジーの心がいつも通り踊り出します。

が、直ぐにその踊った心が止まります。

少年の後ろから、人影が出てきます。

少年の背中に張り付くように、恐る恐る、木々の間から顔をのぞかせています。

その人物は、長い亜麻色の髪をした、美しい女性でした。

その女性の顔を見た瞬間、様々な感情がフィジーの体を駆け巡りました。

「・・・ァ・・・ゥファ・・・ザ」

その女性は、見間違おう筈もありません。

彼女の、フィジーの一番大切な、妹のファザだったのです。

「・・・ァァァァ」

フィジーは普段声を出したりしません。

彼女の喉から出る声は、最早声などでは無く、獣の唸り声のような醜い音しか鳴りません。

そんなフィジーが、およそ何年ぶりかの、声を出したのです。

そのくらいの衝撃がありました。

あの日あの時、家を飛び出した日に見た妹の寂しそうな顔。

その顔が、今でも鮮明に思い出されます。

そんな妹のファザが、今こうして目の前に現れたのです。

フィジーは様々な感情を感じながらも、一先ずは久しぶりに見た妹の顔に安堵しました。

良かった。

ファザがちゃんと大きくなってくれて。

こんなにキレイな女性になっていたなんて本当にびっくりした、本当に良かった、と心の底から思いました。

あの日と同じように、誰かの背中にくっついておどおどしているのは、相変わらずだけど。と心の中で苦笑してしまいます。



フィジーは、あの日からほとんど心が成長しておりません。

元から、そんなに人の心の機微に敏い方でもありませんでしたし。

少年の来訪を心待ちにしていた気持ちよりも、家族に再会できた事の方が嬉しかったのです。

だから。

何故こんな森の奥深くに、その少年と妹のファザが二人で来たのかなんて、勘ぐる事さえしなかったのです。

それからフィジーが見た光景は、彼女の心と意識を、久しぶりに取り戻した少女の心を、軽く宇宙の外まで吹き飛ばしました。



端的に言うと、二人はその場でお互いを愛し始めました。

しかし、フィジーにはその手の知識が無かったので、二人が何をしているのか全く解りません。

ですが、その光景から目を逸らす事が出来なかったのです。



フィジーは・・・

しばらくその場から身動きが取れません。

少年とファザがその場を立ち去った後も。

少年が優しくファザの髪を梳かしたり、彼女に服を着せたりする姿も、とても仲睦まじくすてきな光景でしたが、そんな事、フィジーの心に入って来ませんでした。

それ程、初めて目にする二人の行為は衝撃的でした。

無論、それが妹のファザであり、初恋の少年との行為、と言う事も含めて。

全てが余りに衝撃で、また、鮮烈過ぎて、フィジーの心がその処理に追いついていないのです。



そしてゆっくりと・・・

自分の恋が終わってしまったのだと、解りました。



無論、こんな化物の体の自分が恋をするなど、全くもって無駄だと言う事も理解しておりました。

誰がこんな醜い化物を愛するのでしょうか。

その位は悟っていました。

でも、初めての恋は、それでも、本当に素敵な気持ちにさせてくれたのです。

短い期間でしたが、毎日、少年が来るのを心待ちにしていました。

そして、彼の顔を見た瞬間、毎回初めての気持ちのように、心が跳ね躍ったのです。

ですが、そんなフィジーの気持ちは、決して報われる事はありません。

それは彼女が化物だからです。

水面に映る自分の顔をみて、何度心を落とした事でしょう。

自分の喉から出る音を聞いて、何度恐怖に慄いた事でしょうか。

そんな自分が、誰かに恋をするなんて・・・

そう思い、心の何処かでは少年に対する気持ちに、少しだけ距離を置くよう心掛けていたつもりだったのですが。

やはり失恋の辛さだけは簡単には拭えませんでした。

フィジーが思っていた以上に、彼女は少年に恋をしていました。

ですがその少年は、フィジーの一番大切な妹、ファザの愛する人だったのです。

ファザを一番愛している人だったのです。

それが、今日はっきりと解りました。

フィジーはその日、化物の体になって初めて、涙を流しました。

勿論、醜く窪んで潰れかけた双眸からは涙など出て来ません。

ですが、心は泣いています。

そして久しぶりに、少しだけ笑えたような気がしたのです。

少年への恋心は終わりましたが、妹のファザの幸せそうな姿を見る事が出来たからです。

それだけが、本当に救いでした。

だってフィジーは。

妹思いの、本当に心根の優しいお姉さんだからです。

フィジーはその日、とても複雑な気持ちを抱えながらも、何故か満足そうな表情のまま、遂に眠る事が出来たのです。

およそ三年ぶりの、穏やかな睡魔へと、静かに沈んでゆくのでした。





 あくる日の朝。

久しぶりに眠りについたフィジーが目を覚ますと、まだ辺りは暗闇の中でした。

余りに久しぶりの眠りから起きた感覚だったので、フィジーは判然としない頭の中で、まだ日は昇っていない時間か、と思いましたが、直ぐに違和感に気付きます。



おかしい。



フィジーの目はとても良く利きます。

それこそ人間の何倍も遠くまで見渡せますし、夜の暗闇の中でも辺りの様子が窺えるのです。

それは、どんなに暗くても視界が閉ざされないと言う事です。

それなのに。

フィジーが目を覚ますと、辺りは完全な暗闇だったのです。

いつもならそこに在る筈の木々や草花が一切見当たりません。

そして。

ごとごとごと・・・

何故か地面が揺れています。

堪らずフィジーは身体を起こそうとしましたが、

ごん、と言う音を立て、彼女の頭が何も見え無い空間にぶつかりました。

その瞬間、フィジーは気付きました。

「おい、今何か聞こえなかったか?」

「良いから黙って運べ、早く終わらせないと化物に食われるぞ・・・」

暗闇の外から、くぐもった声が聞こえます。

その声を聞き、一気に現実に頭が覚醒しましたが、

「・・・・・・ッ」

身体が思うように動きません。

頭は辛うじて動きますが、手足が何かに縛られているようで、身動きが取れなくなっているのです。

誰かに捕まった。

そんな事実が、唐突に彼女の頭の中に降り注ぎます。

恐らく、フィジーが寝ている間でしょう。

何者かに彼女は拉致されてしまったのです。

普段のフィジーならそんな事されても掴まる事は無かったでしょう。

そもそも、森に人が入れば、少なからず警戒して見つから無いようにしてきたのです。

仮に見つかったとしても、捕まってしまうような事など有り得ません。

何故ならフィジーは、人外の化物だからです。

力も強く、足も疾いのですから。

並の人間に捕まる道理はありません。

ですが、彼女はその日、たまたま運悪く、深い眠りについてしまったのです。

そして、不運が重なり、人攫いか盗賊に捕まってしまったのでしょう。

フィジーはそこから抜け出そうか、暴れてこの箱を壊そうかとも考えましたが、何故か、そうする事は無かったのです。

結局その振動が止まるまで、暗い世界の中、じっと彼女は待ち続けました。





 その日とある村に、見世物小屋が来ておりました。

手品師や軽業師が奇術や芸を披露する中、一際歓声を上げさせたのが、猛獣使いの見世物でした。

猛獣使いは、トラやクマなどの大型の動物を手玉にとり、一緒に芸をしたりして観客を盛り上げておりましたが、その中でも、とある人間達が行う芸に人々はより大きな歓声と拍手を送っておりました。

それは、奇形の兄弟が行う下世話な世間話だったリ、身体の一部が異常に発達している青年の目を疑うような肉体芸だったり、とても醜い姿をした女性たちによるストリップだったりと、傍から見ればあまり気持ちの良いモノではありません。

しかしながら、そういった普通なら忌避してしまうような人々の行う芸が、何故か村の観衆には大ウケだったのです。

そんな見世物を遠巻きに見ていた二人の少年少女。

ファザと金髪の少年です。

二人も他の観衆に混ざり、見世物を楽しげに眺めていました。

二人の後ろには、ファザの両親も居ました。

勿論、フィジーのお父さんと、お母さんです。

四人とも、幸せそうに笑っています。

そんな四人の姿を、遠くの小屋からじっと覗いているモノが居ます。

黒い布に覆われた四角い箱の中。

布の下は箱などでは無く檻でしたが。

その黒い布にそっと爪で穴を開け、外の様子を覗き見ていたのは、化物になったフィジーです。

彼女は、あの日、森の奥で人攫いに捕まりました。

それは本当に運悪くとしか言いようがありませんが、フィジーが三年ぶりに寝てしまったあの日の夜の出来事でした。

それは最早運命だったのかもしれません。

そんな日に限って、人攫いに目を付けられてしまったのですから。

無論、前々から目を付けられていたのかもしれません。

どんなにフィジーの目と耳が良くても、完全に人間を把握できていたとは言い切れません。

兎にも角にもフィジーは捕まり、見世物としてこれから人前に出される事でしょう。

そして、人々に恐怖の感情を植え付け、それを猛獣使いや人攫いの人達が見世物へと昇華させてしまうのでしょう。

ですが、どんな事をされるのか、などといった不安はフィジーにはありません。

何故なら、彼女は不死身の化物ですから、身体を切られようが、身を焼かれようが、試した事はありませんが死ぬ事は無いでしょう。

勿論痛みも、何も感じない事でしょう。

逆に殺してくれるなら、それでも良いとさえ思っていたのですから。

別に何をされても怖くはありません。

ただ・・・

「・・・ァァ」

笑い合う、一つの家族を見つめます。

その人達の目の前に、自分が現れても良いのだろうか。

その疑問が不安となり、フィジーの心を埋め尽くします。


「それでは、本日の目玉!世にも恐ろしい、魔獣をご覧にいれましょう!」


猛獣使いの男が軽快にそう宣言すると、フィジーの閉じ込められている檻が静かに動き出します。

ごとごと・・・ごとごと・・・

ゆっくりと振動しながら動く世界の中、フィジーは今まで感じた事の無い、何か言い知れない恐怖を覚えました。

振動が止まり、猛獣使いが何事かをのたまい、観客がより大きな歓声を上げ始めます。

ああ、この暗い世界に光が差し込む時、一体自分はどうなってしまうのだろうか。

どんな目で、みんなに見られるのだろうか。

お父さん、お母さんは・・・

あの少年は・・・

ファザは・・・

最早、考える猶予もありません。


「刮目!これが正真正銘の悪魔です」


ばさ、と猛獣使いの人が黒い布を剥ぎ取り、檻の中身が外界に曝け出されます。

暗闇から一気に日中の日差しに晒されるフィジーは、一瞬だけ眩しそうに顔を顰めました。

瞬間。

静寂があたりを包み込みました。

それまで起こっていた人々の歓声や、辺りに漂っていたお祭り騒ぎが急速に温度を下げたのです。

歓声など一つも上がりません。

数瞬後、一つ、また一つと、悲鳴やどよめきが生まれます。

そして、その悲鳴や困惑が大きくなるにつれ、人々の視線が、より強烈にフィジーの体に突き刺さりました。

化物・・・

悪魔・・・

この世のものとは思えない・・・

怖い・・・

恐ろしい・・・

気持ち悪い・・・

醜い・・・

怖い・・・

怖い・・・

怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い・・・

大方、フィジーの予想通りの反応でした。

余りに現実離れした風貌をしていたのだ、とフィジーは改めて自身の姿かたちの醜さを痛感しました。

そして見るまいとしていた、観客の後ろの方。

かつての自分の家族らの顔も、つい、見てしまったのです。

両親の顔は他の観客と同様、ただただ恐怖に埋め尽くされた表情をしております。

金髪碧眼の美しい少年は、その美しい顔を不愉快に歪めながら、フィジーの顔をまじまじと睨みつけております。

そして、ファザは・・・

「・・・・・・ぁぁ」

ファザだけが、驚きの表情で化物の姿に変わり果てたフィジーを見ております。

その表情には、驚きだけでなく、何処か悲しげな感情も見えましたが、それはフィジーの勘違いだったのかもしれません。

ともかく彼女だけが、この化物を姉のフィジーだと気付いたのでした。

そんな風に、観客が悲喜交々、というか悲怖交々に喚きだして初めて、見世物小屋の主宰者たちが慌て出します。

猛獣使いや司会の奇術師もこの反応は予想していなかったのか、観客の余りの引き具合にお互いの顔を見合せながら困り顔をしています。

そして、彼ら人間は間違った方法を取ってしまいました。

「そ、それでは今から・・・えーと、何だ・・・そう、この悪魔を討伐してご覧にいれましょう」

そう言ったのは奇術使いの人でした。

その言葉に、ぎょっとする猛獣使いの男の人。

しかしながら、最早後には引けません。

その奇術師の言葉を聞いて、一歩引いてしまった観客達から、小さな歓声が上がりだします。

「殺せ!」

誰かが言って。

「処刑だ!」

誰かが拡げて。

「そうだ殺せ!」

「そうだそうだ!」

「殺せ殺せ!」

「悪を滅ぼすのだ!」

それは瞬く間にして、観衆の間に燃え広がります。

観衆の反応を見て、猛獣使いが意を決したように檻に近付いてきます。

「・・・悪く思うな」

ボソリ。

そう呟いて、檻の扉を開きます。

・・・ちなみに、フィジーは両の手脚を太い縄で雁字搦めに結ばれ、それを更に床板に突き刺した木の柱にくくりつける形で捕縛されているのですが、実は何時でもその縛りから抜け出る事は出来たのです。

そもそも、このような縄程度であれば簡単に破る事が出来ます。

ただ、フィジーはそうしなかったのです。

この観衆の反応。

そして起こるであろう事の顛末を予想すれば、下手に逃亡すれば周囲を混乱と恐怖に陥れる事は明白でした。

だから彼女は、その自然の流れに身を任せる事にしたのです。

どうしたって、死ぬ事は無い。

どうしたって、救われる事も無い。

なれば、ただ座して民衆が納得する形で終わらせてもらった方が、良いのではないか、と。

そうフィジーは考えたのです。

大人に成りきれなかったフィジーですが、人の気持ちに疎いフィジーでしたが、やはり心根の優しい少女なのです。

どんなに姿かたちが醜く変わろうとも、心までは化物になってはいなかったのです。

だからこそ。

「死ね!」

「早く殺せ!」

「やれっやれっ!」

人の心に恐怖を覚えました。



それからフィジーは、夜が更けるまで、暴虐の限りを尽くされました。

最初は見世物小屋の人々から悪魔退治と称した暴行を受けました。

木の棒で打ちのめされ、切れ味の悪いナイフで身体の至る所を切り刻まれ、火で燃やされ、水に沈められました。

一切、抵抗はしませんでした。

ただ不思議と、痛みを感じない身体でも、こうやって他人に蔑ろにされるのはあまり気持ちの良いモノでは無いな、と感じてしまったのです。

ただそれだけです。

次は狂った民衆から。

フィジーが抵抗をしない事を良い事に、民衆からもその暴力に参加する者が、一人、また一人と増えて行きました。

彼らは、何に怯えているのか。

はたまた、何がそんなに楽しいのか。

各人、様々な表情と感情をもって、フィジーに暴力を振います。

その時こそ、観衆がより一層白熱した瞬間でもありました。

見れば、見世物小屋で檻に入れられている奇形の兄弟たちや、醜い女衆たちも、格子に手を掛け、更に更にと囃し立てております。

彼らは、フィジーが民衆の目に晒されるまでは、人々に嘲笑と侮蔑を向けられる側の存在でした。

ですが、こうして皆が一丸となって敵意や憎悪を向ける目標が出来た時、彼らは嘲笑われる側から、嗤う側へと変化したのです。

その様子を見て、フィジーはまた一つ勉強しました。

なるほど、これが人間なのだと。

見覚えのあるおじさんも、優しかった近所のおばさんも、八百屋の若い奥さんも、近所で何度も喧嘩したかつての悪童たちも、みんな、みんな。

フィジーをその手で傷付けました。

勿論その中に、フィジーの両親も、あの少年も居ました。

別に、フィジーが何かをした訳ではありません。

ただ、その風貌、姿が民衆に恐怖を与えただけなのです。

ただそれだけです。

きっかけは、まあ、見世物小屋の人達が作ってしまったのでしょうが。

こういう流れは、最早相手の生命が決するまでは永遠と続いてしまいます。

何が悪いとか、誰が悪いとか、そういう問題ではありません。

誰かが落とし所を見つけないと、皆が皆、狂ってゆくのです。

それを、フィジーは文字通り体感したのでした。

別にそんな事する必要は無いのに。

わざわざ、他人を傷つけるような、そんな後味の悪い事をする必要は無いのに。

と、フィジーは不思議で堪りませんでした。

ただ彼女にとっての救いだったのが、唯一、ファザだけが、その暴力に参加し無かった事です。

その最愛の妹だけが、フィジーをただじっと見つめて身体を震わせていました。

その顔には、何とも言えない、恐怖と悲しみと、悔しさの様なものが滲み出ているように、フィジーは思いました。



そうして代わる代わる暴力が続き、流石に民衆も飽き始めた頃合いに、遂に恐れていた事が起こります。

観客の一人が、ファザを指差します。

「どうしたファザ!お前もやるんだ!さぁ!早く!」

そう言ったのは、紛れも無くフィジーの父親でした。

その言葉を聞いた瞬間、フィジーはあの日、あの朝、家を飛び出した時の事を静かに思い出していました。

娘を返せ。

あの言葉がどういう意味だったのか、あの時は解らなかったフィジーでしたが、その瞬間、ようやく悟りました。

嗚呼、自分と言う存在は最初から死んだモノ、居ないモノとされていたのだと。

姿が変われば、実の娘であっても、それは化物、悪魔に相違無いのだと。

父親に呼び掛けられ、びくりとする妹のファザ。

民衆が、一気に彼女の方へと視線を向けます。

「・・・ひっ」

引きつった表情を浮かべるファザ。

もうどうしようもない状況になった、とフィジーは悟りました。



最早これまで。

心の弱いファザが、この状況に耐えられる筈も無く、この先の展開は容易に想像出来ました。

仮にファザがフィジーを傷付けたとしても、フィジーは全然気にしません。

いや、ちょっとは悲しい気持ちになりますが、それでもそうするほか無い状況ですので。

しかしもし、ファザが父親や民衆の期待に応えず沈黙を守ってしまったら、どうなるか。

もし、ファザがフィジーの正体を皆に知らしめてしまったどうなるか。

どちらも最悪な状況を招きかねないと、フィジーは思ったのです。


フィジーは決めました。


これは自分がこの世界から消えるほか、この悪夢のような状況が終わる道が無いと。

この民衆の狂気に終止符を打つには、やはり自身が死ぬしかないのだと。

ただ、フィジーには困った事が一つありました。

「・・・・・・・・・」

フィジーは今、自分の体を真正面から見上げています。

目の前には、黒く変色した自身の体が、柱にくくりつけられたまま鎮座しております。

そこには、ある筈の腕や足が、一つもありません。

それは胴体のみの、言わば肉の塊です。

フィジーの体は、無残にも六裂、ばらばらに切り離されていたのです。

そのばらばらになったフィジーの体を、それぞれ、民衆は思い思いに傷付けていたのです。

「・・・・・・・・・」

何とか、何とかならないものか。

考えを巡らせますが、思うように行きません。

そうこうしている内にも、民衆の狂気が怯えるファザを囃し立てます。

「さあさあさあ!」

「早く早く!」

見れば、あの少年が彼女の手を引き、その手にナイフを握らせようとしております。

その瞬間。

フィジーは叫びました。

「ァェテッェェエエエエエエ・・・」

とてもこの世のものとは思えない、獣の咆哮ですらない、汚い音が響き渡ります。

そもそも、喉から下が目の前に在るのにどうして声が出せるのか。

そんな瑣末な事は誰も気にしません。

その声に、民衆の狂気が一瞬、ピタリと止まりました。

そして、不思議な事が起こります。

「・・・ァアアアアエエエエエアアア」

フィジーは何故かその後もずっと叫び声を上げ続けました。

と言っても、フィジー本人は声を出し続けたかった訳ではありません。

何故か、口の中から出る音が止まらないのです。

観衆はそのこの世ならざる音に恐怖し戦慄しましたが、それ以上に、声が止まらないフィジー本人が驚きを隠せません。

「ッィイイイイイアアアアアァァァァァアアア・・・・・・」

そしてその声は徐々に大きくなってゆき、次第に声に呼応するように、フィジーのばらばらになった四肢が震え出しました。

フィジー本人にも何が起きているのか解りませんが、それを目の当たりにしている村人たちの驚愕と恐怖は更なるものです。

何かとてつもなく嫌な事が起きる予感。

そんな予感が一気に村人たちに伝播します。

そしてついに、フィジーの体が動き出します。

人々に揉み苦茶にされた両の腕が、

ビクビクビクッ・・・!

と跳ねながら、檻の中央、磔にされた胴体へと這い寄ります。

「ひっぃぃいっ!」

彼らは堪らず、その場から距離を取り出しました。

そしてその腕は、奇妙な動きを見せながら、身体に巻きつく縄を外し、その胴体を地面に転がったフィジーの頭の下へと運んだのです。

「ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」

フィジーは叫び続けました。

そして彼女の千切れた両の腕が、残りの体のパーツを方々から集めて一か所にまとめた時、まさに悪夢のような光景が広がったのです。

叫び続けるフィジーの口から、

にゅるりとミミズのようなモノが顔を出します。

それはまさしく、巨大なミミズ。

赤黒く、太いその紐状の動く物体が、うにょうにょと宙を彷徨います。

その物体は、フィジーの頭だけでは無く、達磨になった胴体からも、散り散りになった脚からも、今もビクンビクンと跳ねながら動いている腕からも次から次へと這い出てきます。

それはまさしく、悪夢と呼ぶしか無い光景でした。

民衆から悲鳴が上がるのは明白でした。

そのミミズ達は、各々が位置を把握すると、お互いに絡まり引き合い、ぐちゃぐちゃと気味の悪い音を立てながら、徐々に、徐々に・・・千切れた身体をくっつけようとしているのです。

その光景に、当のフィジーも驚愕を隠せません。

気持ち悪い。

それが率直な感想でした。

間も無く。

千切れた身体は、不完全ではあるものの、元の体の形を取り戻し、ようやくフィジーの叫び声も止まりました。

「・・・・・・・・・ァァ」

唐突に、四肢の感覚が戻ってくる、不思議な感覚。

ですが、これで。

「・・・ァ・・・ゥ・・・・・・ぁら」

最後の言葉を振り絞ったフィジーは、そのまま森の方へと駆け出しました。



今度はもう振り返りません。

これは逃げる為でも、何かに向かう為でも無い、死へ向かう一直線の道です。

フィジーは心に決めたのです。

最早、自分の存在は災いなのだと。

人々の心を狂わす、禍なのだと。

無論、人々の心が最初から狂っている事など、フィジーには解っているのです。

解ってはいるのですが、それを認めたくない気持ちの方が強かったのです。

人は簡単に狂う。

特に、自分のような解り易く忌避すべき存在が居れば、ああいった行動に出るのは自明の理ではないか。

そんな存在さえ居なければ、出る事は無かった彼らの心の底の存在。

それを自分が曝け出させてしまったのだと、フィジーは心の中で村の人達や見世物小屋の人達に、ごめんなさいと、謝りました。

そんな義理、少しも無い筈なのに、です。

フィジーは、ちょっと好奇心が強いだけの、本当に心根の優しい妹想いのお姉さんだったのです。

そんな彼女が一体何をしたと言うのでしょうか。

不運にも、あの日あの夜、流れ星と一緒に飛来した謎の物体に災いを振りかけられてしまったフィジー。

その後すぐに身体の変貌が始まり、人目を避ける様に過ごしてきた三年間。

死ぬに死ねない、この醜い身体をどうする事も出来ず、ただ森の中に潜み続けた三年間。

しかしながらそれは、フィジーなりの配慮だったのです。

人の気持ちにちょっとだけ疎い彼女でしたが、そう言った気遣いの出来る少女だったのです。

初めての恋も、見事に打ち砕けました。

無論、実る筈の無い恋だと分かってはいたのですが。

それでも、少女の姿かたちと色を失ったフィジーの生活の中で、唯一、彼女が幸せだと思える時間だったのです。

結局その幸せな思い出も、最悪の形で幕を閉じました。

別に、想い人が妹のファザと愛し合っている場面を見たからではありません。

むしろその逆、その光景を見てフィジーは良かったとさえ、思えたのですから。

そのまま自分の知らない場所で、幸せになって欲しかった。

自分の事など忘れたままで。

ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ寂しい気持ちを抱えながらですが。

フィジーは幸せだったのです。

それなのに、あんな物を目にしてしまいフィジーの心は絶望しました。

あんなに好きだった少年の顔が、狂気に歪んで嗤って居たのです。

それが、一番悲しい出来事でした。



フィジーは走り続けました。

ある場所を目指して。

唯一の居場所だった森を抜け、山を越え、川沿いに走り続け、ついに目的の場所に辿り着きます。



そこは、話でしか聞いた事が無かった場所、幼い頃ずっと行きたくて、結局行く事は無かった場所。

ファザと二人で、行ったら何をするかなど、よく話していた事を思い出します。


そこは海でした。


見渡す限りの一面の大海原、その海岸にフィジーは静かに腰を下ろします。

辺りはまだ薄暗いですが、地平線の遥か彼方、遠くの海の切れ端が、ぼんやりと明るくなってきているのが見て解りました。

フィジーはその初めて見る海に言葉を失い、寄せては返す波打ち際と徐々に明るくなる地平線に、ただただ心奪われるばかりでした。

ですが、そんな時間も直ぐに終わります。

フィジーは決めていました。

どうやっても死ぬことの無いこの身体であれば、せめて誰からも見つからない場所で静かに過ごそうと。

ひいては、何処かのタイミングで、何らかの幸運によって、この命に終りが来る事を願って。

彼女は決意し、腰を上げます。

一つ息を鼻から吸い込み、一歩踏み出します。

それは今まで嗅いだ事の無い、不思議な匂いでした。

ばしゃんと足が海に浸かる際、意外にもその温度が温かい事に気付きました。

そのまま、一歩、また一歩と歩を進めます。

徐々に深度が深まり、腰から胸へ、そして首元、鼻先、直ぐに全身が海水に浸かりました。

フィジーの体はとても重かったので、彼女は浮き上がる事無く、ずんずんずんずん・・・と海底に向け、歩き続けました。



何処までもどこまでも歩き続け、ついに、自分の体が動かなくなる場所まで辿り着きます。

そこは深海一万メートルの巨大な海溝の底、地球というその星の中心に近い場所までフィジーは歩き切ったのです。

それまでどれくらいの時間が経ったのか、当のフィジーには最早関心もありません。

そこまで来ると凄まじい水圧のお陰で、流石のフィジーも満足に身体を動かす事が出来ません。

彼女はそうして、海底の奥深く、そのまた更に深くで、動かなくなった身体をゆっくりと横たえました。

そのまま、目を瞑ります。

多分、直ぐには眠れないのでしょうが。

それでも、ちょっとだけ疲れたな、とぼんやりと思います。

それからフィジーは、暗い海の底から、遥か上方の外の世界を想像したりしながら、ゆっくりと過ごそうと考えたのです。

ただただゆっくりと、本当にゆっくりとした悠久の時間が、彼女には科せられているのですから。

無論、それをフィジーが知る由もありません。

彼女は時折、あの日の夜の出来事を、ふと思い出します。

あの流れ星の夜の事を。

心根の優しい、妹想いの姉はいつもこんな事を心の中で思います。

(・・・化物になったのがファザじゃ無く私で、本当に良かった・・・)と。




 とある村に、ファザと言う女性が居りました。

そのファザと言う女性は、村一番の美しい女性で、幼い頃から皆に愛されて育ってきました。

なので村一番の美しい男性と結婚し、子宝にも恵まれ、何一つ不自由の無い、幸せな人生を送っておりました。

そんな彼女には、実は姉が居ます。

いや、居りました、が正しいですね。

かつて、世界で一番好きだった、憧れの女性。

姉の名は、フィジーと言う女性でした。

そのフィジーがどうしたかと言うと、とある晩に流れ星を見に行った後から様子がおかしくなって、ついぞ化物に変化してしまったそうです。

そして、その姿に耐えられなくなった彼女の姉は、家から飛び出し、そのままニ度と帰ってきませんでした。

その後、両親は酷く落ち込んだが、一定の時間が過ぎると、そもそも姉が最初から居なかったように振舞いだしたと言うのです。

そんな折、たまたま自身の村に立ち寄った見世物小屋で、姉のフィジーと再会を果たすのです。

結果はお察しの通り、酷い有様で、まさしく地獄でした。

何より、姉の醜い姿や声が、心の底から恐ろしかったのです。

村のみんなが姉の体を痛めつけている光景や、化物になった姉が叫びながら走り去る後ろ姿を思い出すと、いつも決まってこう思います。

「・・・ほんと、化物になったのが私じゃ無く姉さんで、助かった」

とね。





フィジーはそれから何千年何万年と言う果てしない時間をただただボーっと過ごしてきました。

彼女の持っていた、限りある思い出や記憶を反芻しながら、あり余る時間を過ごしてきたのです。

フィジー自身、どれくらい時間が経ったのかなんて考えた事もありませんでした。

そんなフィジーは、外の世界がどうなったのか想像もつかないでしょうね。

彼女が海に入ったあの日から、世界がゆっくりと終りに向かって進み始めてしまった事を。



それは、図らずもフィジーのせいでもありました。



十五歳の誕生日を目前にしたあの日、あの夜に流れ星と共に飛来した謎の物体は、実は宇宙怪獣の卵だったのです。

いや、卵と言うのは地球の法則的に言えばそれが一番近いかたちだ、と言うべきで、実際はそれ自体が生殖器であり、種子であり、生命体としての本体だったのです。

地球に飛来したその宇宙怪獣の卵?は、本来海に着弾する予定でした。

しかしながら、何の間違いか、陸地に落ちてしまいます。

宇宙怪獣の目的は繁殖でした。

その為に、地球を覆うひと繋ぎの物質、海に着目したのです。

そこで自身の遺伝子をばら撒き、地球上で自身の種を繁栄させ、最終的には地球ごと別の星へと飛ばす弾丸として変貌させる予定でした。

しかしながら、あての外れた宇宙怪獣は、困ります。

どうやって種を繁栄させようかと。

そんな時、幸運にも動く苗床が現れます。

それが二人の少女でした。

宇宙怪獣の卵自体には意思は無く、ただ目的の為に自身の種を周囲にばら撒きました。

そして見事に、宇宙怪獣の種子が寄生出来たのが姉のフィジーの体だったのです。

宇宙怪獣にとって幸運だったのが、そのフィジーが自ら海に向かっていった事でした。

ある程度、種が進化しないと自律した行動が取れないようになっていた為、これは宇宙怪獣にとっての堯幸でした。

結果、宇宙怪獣の細胞を海水にばら撒きながら地球の中心に辿り着いたフィジーは、そのまま星の子宮と化して、地球上に新たな命を生み続けました。

フィジーが海に入ってから数百年後、突如として現れた超巨大生物によって人類の文明は三日ほどで滅びました。

人類が滅んだあと、次々と海底から陸地に進出する宇宙怪獣に寄生された様々な生き物たち。

彼らが地球上のシステムを変えるのに要した時間は、およそ十万年でした。



十万年後のある日の事、フィジーはまだその時に至っても暗い海の底でボーと

しておりましたが、実はその日、地球が太陽系を離れ宇宙の果てへ旅を始めたのです。

ですが、そんな事、小さな小さなフィジーには関係の無いお話。

また別の話です。



                               お終い


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